第十七回「日本の社会と教会ー4」
2月23日
課題:「女性の視点から見たカトリック教会の問題点」
「ガラテア3:26−28」を祈る。ついでプリント資料に添って話は進められた。今日は男性は男性として女性は女性を意識して学び合ってください。
自分が体験していたこと:(線は記録者が引いたものです)
1頁の表は教会の流れと自分の仕事や活動との関連を示す物です。1965年第二バチカン公会議終了、この年は信徒発見百年祭にも当たっています。此の巡礼に参加して長崎に行きました。ナイスの時も長崎、26聖人400年祭の時にも長崎に行っています。今日ここに来る道のりで感じたのですが自分の人生は教会の流れとともにあるという実感がわいてきました。1965年この年にYWCAに就職しています。不思議な縁でした。その後社会活動グループを作ったりその面倒を見たりしてきました。企画から全部自分でやりました。キャップと言うのが有ります。若い人が生活を通してよい習慣を身につける集まりですが、集まってから「何をしようか」話し合うのです。「学び合い」の意図しているところとにているように思えます。1975年にはインドシナ難民問題が起きた時です。留学生の母親運動が始まり、CWC(キリスト者女性の集い)も始まりました。(以降1頁に関してはよく聞き取れない箇所が多いので説明の記載を省略します)
2ペイジ目に、現代カトリック教会における「女性の役割」について、基本的解説をアメリカの新カテキズムから説明されています。説明は省略されました。1960−70年代に女性運動は盛んになり、女性の権利主張がなされてくる。21世紀にも引き続き大きな影響を与えてゆくだろう。ジェンダーという言葉が男性性・女性性を大切にして協同して取り組むことを現わしている。大切なのは聖書の中でイエスが女性をどのようにあつかったかである。サマリアの女性、十字架のそばのマリア、復活のイエスとマグダラのマリアの例だけでも、イエスが女性を差別することなく男性と同等以上に扱っていることは確信できる。はじめに祈ったパウロのガラテア3:26−28も参考にしてくほしい。
自分の体験から言いたいこと:
大学で社会福祉を学んでYWCAに就職した。この組織は150年前ロンドンで始められた。聖書を学びつつ、都会に働きに来た女性に宿舎を提供することから出発している。体、頭、心の正三角形を大切にしている。方法論としては三つあり、ケースワーク、グル−プワーク、コミュニティー・オーガナイゼーションです。東京YWCAはグループワークを中心に活躍します。いつもゼロから始まります。祈りの内に少しずつ活動し始め、本格的に活動することになれば委員会を設置します、奉仕したい人たちが夜に集まります。集まりは段々に実ってゆくのです。活動の中でグループのひとりひとりが成長してゆく。小グループが人格の成長には大切です。28年頃に設立された知的障害者のグループがありました。47年に発展的に解散しました。一人一人のメンバーが各地域に根付いて行きました。一人で活動を始めるのです。祈りで始め、迷ったときも祈ります。以前お仲間に助けを求めることも有ります。祈りが体に染みこんでいる。これは種まきです。一人一人を大切にしてゆく。出来事を通して学んでゆく。それぞれ背景の異なった人たちが集まってすばらしいグループへと成長してゆくのです。
CWCは25年目になります。教区を越えた集まりです。いくつかの勉強会がありますが、その中の一つのグループは一人が資料を準備して雑談から始まります。主婦が中心ですから話題は豊富です。自分の子供育ては大変な問題がありましたが、小教区では本当のことを話すのは注意が必要です。なぜならその子供もそこにゆくからです。CWCの集いには子供は決して来ません。ですから自由に本当のことが話せるのです。CWCのメンバーにも子育ての問題を抱えている人がたくさんいます。自分たちで自分たちの問題を解決しようと話し合って決めた集まりです。規則は殆ど有りません。雑談ですが少し違うと皆が感じています。公のところから正式な組織として加盟するように勧誘されていますが、自由に話せる場を維持するために連盟には参加していません。無理しないでお金が無くなったらやめるといいながら今も続いています。自分の問題から出発するのです。子供の暴力。子供はもがいている。親が教会に行っているとよけいに悩む。家庭の外と内との差に悩む。自分の子供も30歳になってやっと普通の子供になってきた。いつも祈っていた。夫と妻・男と女は違いがある。どのような形になるのかはそれぞれの家庭でも違う。コリント朗読12:12−31
* これまで女性だけの職場ではたらいてきた。お茶も出さない時代になってきたのは少し寂しい。ミサの原型もテーブルの上での食卓であった。自分の家では家族の誰でもお茶を入れる。
* 同性が足を引っ張る問題については、人間の感情には快不快があって、人はおしりの不快感から段々と感情が成長してゆく。現代は感情が育ちにくい時代であると思う。五感が働かなくなるときは死である。様々な感情が出てくるときどのように対処してゆくのか。自分自身を知って相手が何故そうなるのか理解する。一人が違うと全体が変わる。
* 女性としてどのように生きるのか。私自身が生きて感じること味わくこと見ることそれは女性的になっている。夫は同じように男性的になっている。お互いの感性の中でパートナーシップを築いてゆく。共同して育ててゆく。中性化の時代である。性が多様化している。
* プロテスタントの方々と仕事をしてきた。そこで教育を受け、22歳のころから、自分の言葉で祈り、聖書の箇所を自分で選んで祈るよう育てられた。これはカトリックでも大切だと思う。神父の意識改革が大変重要であると思う。21世紀はどうなってゆくのだろう。
司会者
教会法から言っても今の教会は男性中心になっている。教会の構造改革を進めるに当たって、教会の指導者が男性だけでなければならないと言うなら何故なのかを説明しなければならないだろう。変わってゆけるかどうか変わらないかどうか皆で考えなくてはならない。さてどうなるだろう!
「バチカンミステリー」という本が最近出た。内容自体は別段本気で問題にすることではないが、バチカンの様子が参考になるだろう。バチカンの体質が見えている。中村さんの祈りの内に終了。
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