第十五回「日本の社会と教会―2」

2月9日

課題:「世界化・地球化の中の教会の貢献」

 

1 先週は「日本の社会における宣教の難しさ」について学びました。今日は視野を広げて「世界の中における教会」を考えます。来週は「苦しむ人の中の教会」へと続いて行きます。教会の現状を理解するために全ての問題を対象にはできませんがあせらないで問題を部分的にでも理解して行きましょう。大切なのは現代社会に生きる時信仰が力を持っているかどうかです。自分の信仰、教会とはどのようなものなのか理解することがポイントです。

 

今日は世界化つまりグローバライゼーションを取上げますが、この概念は曖昧です。人によってこの現象を「救い」と考える人もあり「悪魔の技」と捉える人もあります。世界化と反世界化が併存しています。難しい現象ではありますがこの中に教会の使命があります。この中で教会はどのような意味を持ち得るのか。世界化の幾つかのポイントを上げておきます。世界は激しく変化している、その変化は広く、早く、全体的である。この現象は昔からあったが進行が遅かった。アフリカでは過去に4回も起きていることです。第一が奴隷時代、南米に奴隷として送られ白人のために働いた。第二はヨーロッパ支配による植民地時代、第三は独立後でも20世紀の貿易支配による新植民地時代、第四が現代です。アジアから見ても2‐3の段階に分けて見ることができます。世界は昔から移民や移住はあり日本人も他の地域から移住してきてだけでなくつい最近まで他国への移民がありました。過去には長い時間をかけて起こったことが近年では短期間に起こります。しかし現象そのものは昔からあったことなのです。

2 世界化とはなんであるのか資料の項目2で定義されています、参照してください。1)世界的つながりの形成過程です。経済的社会的文化的つながりの過程である。2)加速度的に進行している。世界で使用者が5000万人に広がるまでに要した年数ですが、ラジオ38年、パソコン16年、テレビ13年、インターネット4年です。これを見ても最近の変化の早さが分かります。3)経済的面でもいろいろいえますが、一つは移動コストが安くなった。飛行機の運賃など往復券の方が片道より安いものが出てきたりしています。4)新しい技術の開発が急速で企業にも安定した保証がない。絶え間なく新しい形態に変化してゆく。生産地も安い賃金を求めて短期的に世界を移動していきます。経済的危機も短期間の内に世界を移動していきます。数年前には韓国、タイの危機、次には日本、アメリカへと移り変わります。情報面でも光ファイバーの時代に入りました。5)イデオロギーが資本主義だけになってしまっている時代でもあります。全てが資本の論理で判断され実行されるので、心の落ち着く場がない。

3 現代は過去の文化や思想は全て疑問視されています。宗教も倫理も学問も相対化されているポストモダンの時代に入っています。文化的理想がはっきりしない時代なのです。ある種の民主化が進み誰でも経済行為に参加できる時代でもある。インターネットを通してだれでも直接投資も可能になってきている。一日50億ドル約(6000億円)が移動する。政治家が弱くなってきている。人の心はどうなるのか。文化面での影響には世界的連帯の形成、世界的ビジョンの形成、文化の交流といったプラスの面もある。情報が早いく世界との連帯が容易になってきていることから来る可能性の拡大がある。韓国の金枢機卿は引退後シスターの協力をえてパソコンで毎月300通のEメイルをやり取りして若者の中に今でもその影響力を維持している。しかしマイナスの面もある。資本主義しかない世界のなかで競争力の弱い国は大変である。ゴルフのようなハンディーがない。専門家の経済分析によるとアフリカは世界化が始まってから経済発展が遅れ始めていると言う。アフリカには世界の総投資額の1.6%しか投資されていない。だからアフリカのことは誰も気にかけないことになる。経済的に弱い地域は先に進んでいる地域に追いつくことができない。世界の資産の41%は200人の権力者金持が握っている。アメリカが超大国であり世界化の伝道者である。不平等、新しい貧しさが生まれてきている。新しい貧しさの意味はこの変化の過程からはずされている人たちがいることである。Eメイルの時代になってEメイルを持たない人との文通が極端に減少してきていることにも現れてきている。失業者の増加、犯罪者の増加、労働組合の弱体化、民主主義の後退、国際債務の増大などで生きることへの恐れが生じている。自分の伝統が失われて行く危機に遭遇している。テロの背景にはそのような危惧があるだろう。現代の人間の生きている場がこのような状況にある。その中でどのように生きればよいのか。教会には多くのチャレンジがある。

4 H・Kungの言葉によると「世界化は避けられない、曖昧である、予想がつかない、しかし調整はできる、諦めてはいけない。もし諦めるならば、悪い面だけが伸びてくるだろう」という。政治家もあきらめかけている。政治に対しても要求が必要である。このような世界の中にあって教会は何ができるか?日本の教会は小さく力もない。世界の教会も経済的政治的な力はない。しかし、教会が現代社会に貢献できる可能性のある4の分野を挙げてみた。

 

これからの話し合いではグループごとに以下の4項目(資料2頁5−8項)からどれか一つを選んで、小教区、教区のレベルの教会としてなにができるかを話し合って欲しい。

 

簡単に4項目を説明する:

1 「ビジョン」 将来の世界をみるビジョンを持つことが大切だが、経済問題から考えると単に生活がよくなるといったことだけで、ビジョンは生まれてこない。世界をより人間的なものに変えてゆく人間観があるかどうか。そのビジョンによって海外移住者を兄弟として受け入れられるのかどうかも影響されるだろう。

2 「価値観」 世界化の大きい流れの中で伝統的価値観が相対化されてゆくが、これまで日本の中で大切にされてきた価値観はどうなっているのか考えたい。リストを作成できるか。「いのち」を大切にする:すべての人がより人間的な生活ができるようにする:人間として基本的に大切にされる人への「尊敬」:ホスピタリティー:連帯性:家庭、対話、許し、和解。教育、etc

3 「預言者」 信徒の霊性は生きかたそのものですが、教会の生きかたも宣教そのものでもあります。聖書的にいって、信仰者の役割には予言者的に生きて、すべての人が人間らしく生きられる世界の実現に貢献する必要があるといえます。予言的とは神の目で見ることですが、「批判」識別といってもよいでしょう。神の目でみたところを公にしていくのです。またすべての人が人間らしく生きられる共同体や社会を作る可能性を見えるようにする「創造」の過程に参与することです。これらの新しい生き方のエネルギーは「再創造」的役割に与ることから得られるのです。ユーモア、希望、余裕であり、祈り、典礼、祝い、分かち合い等です。つまり=レクリエーション的(re−creational)な役割がそこにあるのです。フィーリッピン人も良く笑う。心の余裕がいつも必要です。

4 「特別な奉仕」 家庭、子供、若者、女性、ハンディーのある人、疎外されている人、等―――具体的なところに貢献することです。

 

 

難しいテーマであり準備にも大変苦労しました。マレーシアで4時間講演をするため数ヶ月準備した内容を30分に縮めるのは大変です。全部理解しようとするよりも、世界的な意識で考えるときどこから出発しても全部関連してきます。自由に自分の考えで広がりを持って意識化してゆくことが大切です。

 

外国人問題は多くの面を持っています。彼らにとっては「神の家」とは「自分の家」であって気さくにアットホームでいられるところですが、日本人にとっては静かに祈る場であり、ニーズがはじめから違っている。フィーリッピン人にとっては集まるのが大好きであり他に場がない人たちが大勢いることを日本人は理解して対話をする必要があるでしょう。「新しい一歩」を考えるとき外国人問題をどのように考えてゆくのかまだ組織的には考えられていない。浦和や名古屋では75%、横浜60%、東京が50%と外国人と日本人の比率は逆転しているが教会の使い方はバランスがとれていない。外国人向けのプログラムが無い。ミサだけがやっとの状況である。いやす場がない。移住問題は昔からあったのでこれは止められない。それにいかに対応するのか。日本の教会は日本の教会としてのアイデンティティーがあったうえで世界に開かれていなくてはならない。国際的な教会になってはほしくない。それは創造的な仕事である。

価値観には最小と最大とがある。一般的には共通項を見いだすためには最小限のものにまとめようとする。国連の目指しているところもそこにあります。しかしキリスト教は最大の価値観を求めている平均的ではだめなのである。我々キリスト者のチャレンジの対象は大きい。どのように対話の場を見いだしてゆくのか。マリーの人がスペインにきてアパートでお互いに知らないことに驚く、隣の人に感心が無いことは彼らには考えられないことなのだ。これでよいのだろうか?単純なところから始めるのだが、ビジョンが大切である。出発はどこからでもよい。始めると視野が開けてきて聖書の読み方も変わってくる。自分のアイデンティティーの深いところから変わってくるのです。

                   


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