第十四回「日本の社会と教会―1」
2月2日
課題:「日本における福音宣教の難しさ」
資料の統計の「成人洗礼」の欄を見る。1940年ごろまでは2000人以下、1945年には伸びて4000人台に、1950年台には10,000人以上に達している。1948年にはザベリオの腕が来日しています。1953年が16,669人でピークに達して減少に転じます。1960年代は現象が続き1970年代には4000人台に落ちます。1980年代に少し回復して5000人を少し超えたところを推移しています。
明治・大正・昭和・始終戦時代までは日本政府は教会は表通りの目立つところに立てないよう指導してきた。教会の周りには賃貸家屋が建ちその奥に教会があり、賃貸収入で宣教師は生活すると言った形態であった。1940年代までは和魂洋才の時代で宣教が難しかったのはそれなりに理解できる。
しかし1945年には新しい光が射し、民主主義の時代に入りマッカーサーは教育に力をいれキリスト教会に手を回しキリスト教教育から民主主義を育成しようとした。1950年代には海外から多くの宣教会や修道会が日本にきて学校などをたくさん設立した。現在50周年を迎えている。教会は戦後人材と財政面で海外からの大きな支援があったにも拘わらず日本の教会にとって好機であったはずの機会を生かすことが出来なかった。統計的に成人洗礼数から見ると僅か10年ぐらいでしぼんで行く。何故海外からの大きい支援が成果を挙げることが出来なかったのか。60年代から減少し70年代には4000人で戦前の僅か2倍の結果しか出せていない。この見方を誘導しているわけではないが統計的にはそのように見える。
その理由として、教会の指導者のある人は、経済的成功と物質主義の浸透を挙げるが、60年代にカトリック成人洗礼が減少してゆく時期に創価学会や立正佼成会や新新宗教は伸びているのであるから日本全体に物質的豊かさによって宗教が難しくなったとは言えないだろう。またある人はカトリックは本当の宗教だからわかり難いと言うがそれは傲慢だろう。ご利益をいえない、十字架しか示しえない、しかし他の宗教をご利益だけで説明してしまうのは乱暴である。カトリックの減少の原因を教会の外にだけ求めて日本社会の生き方に見出すのは難しい。福音宣教誌1月号に書かれているが、1960年代に入ると遠藤周作や井上神父がカトリックの難しさの主張を挙げ始め、プロテスタントでは山本七平氏がその理由を分析している。
2. プリントの2番目の項目にあたるが、彼等は西洋で育った宗教、精神構造、文化の違いを困難さの原因に挙げる。遠藤氏は日本での宣教は不可能とした。主旨だけ言えば「この日本国は沼地だこの国は恐ろしい、そこに植えられた植物は根が腐る。この土壌にはキリスト教の苗を植えても実のらず枯れてしまう。土が違うのだ。育たない」。山本氏は日本は全ての宗教を「日本教」にしてしまうと言う。確かに精神文化の違いはあるだろう。言葉の問題もあるだろう。例えば「神の子羊」といわれてもいまの若者は、異なったイメージを描く。キリスト教用語がわからない。シェガレ師がある学校でどのぐらいキリスト教のキーワードが理解可能か調べたところ殆ど解らないという結果が出た。多分この点ではヨーロッパでも同じだろう。
文化の違いの背景には問いかけの違いがある。福音を読んで信仰箇条とは何か考えてみる。現在の信仰箇条では天地の創造主が一番初めに来るがこれは福音ではではどうなっているか。「御独り子が愛してくださった」ところにポイントがある。ギリシャ文化の中でそれが存在論的宇宙論的にまとめられてしまった。これは彼らの問題意識であった。長いヨーロッパの歴史でその時代の問題意識に合わせて見直されて、トリエント公会議で「教義を認めるか認めないか」が「信じるか信じないか」になってしまったところに一つの原因がある。ヨーロッパのなかでキチット整理され理解されたものをもってきても、日本では問題意識が異なっている。人生の問題意識と重なってこないものを多くひきずってしまっている。この点でも現代のヨーロッパでも同様だろう。
3.
キリスト教は堅く信者は真面目という世間のイメージがある。教義と掟がカトリック信者のアイデンティティーとして表に出てきてしまう。ヤンセニスムの影響を大きく受けた宣教師に導かれて倫理道徳主義が表に出てきてしまった。罪深い者、離婚したもの、などはカトリック教会には近づけない。倫理主義の印象は教義と掟中心主義から来る。めちゃめちゃな生活をしていたものでも「これでよいのだ」と教会が包み込みこむことが出来ない。堕胎、離婚、――「これでよいのだ」、あなたがたの方が真面目くさって教会にきている信者よりも神に近いのだ、生活の中でぼろぼろになって叫んで生きている人々こそ神に一番近いのだとはっきり言える雰囲気がない。
4.
省略
5.
信仰と生活の遊離:司祭、修道者が社会のシステムから離れたところである意味で純粋培養されている。キチットした祈りの時間、黙想の時間学習の時間がもてて、自分と神との関係だけを見つめ続けることが出来る。そこで培われた信仰形態が教会の中に流れを作ってしまった。生活体験の欠けている人が社会分析をしてみてもある程度は出来ても生活の中から湧き出てこない。これが信仰と生活の遊離である。生活実感、生活の匂いが教会に出てこない。社会システムと別のところに立ってしまう。小教区制度は元来農村の村落共同体を前提として成立している。そこでは生活と一体化していて司祭も生活を知っている。日本の社会システムとは全く異なっている。このような村落共同体システムは日本にはないし機能しない。不登校、リストラ、老人介護、などの生活問題は小教区のシステムでは触れられない。だから現実感覚が表に出せない。小教区へ行っても自分の生活の回答は得られない。家でトラブルが合って誰かに相談したいと思っても誰もいない。その人のニーズにあった話が出来る場がない。教会で仕方なく笑い顔で奉仕をして帰ってから友人の所に行くしかない。信仰の光は教会の中には見出せない。
6.
同じことのくり返しのようであるが、司教中心の聖職者中心主義が教会のアニメーターになってしまっている。アニメーターの背後には権力がある。権力が聖職者に集中してしまっている。小教区共同体の最終責任者は司祭になっている。良い指導者に恵まれればそれでよいが、あり方としてこれで良いのかと問われている。信徒たちが集まっても評議会でしかなく決定権はない。現在の教会法でもそのようになっている。これがカトリックの伝統ではあるが疑問でもある。聖職者の任務は十字架に踏みと留まるところにある。日本の新新宗教の発展は信徒がリーダーシップを執っている。この辺がカトリックの問題であり宣教を難しくしているのではないか。信徒も育っていない、信徒の生活が信仰共同体の力になっていない。信仰伝承を伝え合うまでになっていない。日本人の生活体験から発した言葉が生まれていない。しかし誰にでも分かる新しい言葉が少しは使われ始めている。「いのちへのまなざし」「叫び」などは現代日本人にも通用する言葉である。キリスト教をこなしている人が極めて少ないのである。問題はまだまだあるだろう。
質問または確認事項がある人は居ますかとの問いに対して3人意見を述べられた。質問1:福音宣教は二つに理解できるのか。「信仰を生きる」こと「信仰内容を伝える」ことに。その質問に回答するように補足が開始された。
「宣教」という言葉から先ずおかしい。「教えを宣べ伝える」ことになってしまっている。「教会」も「教え」を中心としてしまっている。このような意識が信者に刷り込まれてしまっている。生き方と捉えた方が間単になる。「これでよいのだ」と言い切ってしまえるならば宣教は難しくなくなると言っても良いだろう。福音には「人」が大切なのだ、「神の人間へのまなざし」が先ずある、「それを受けた人の感動」この二つがポイントである。「神の愛のまなざし」の下に生きる一人一人の現実がある。「恵み」はカリスというがこの言葉の源にある中近東の言葉の元来の意味は「まなざし」である。つまり「恵み」とは「神が目を掛けてくださる」ことである。そのような意味ではヨーロッパ神学の解体作業が必要だろう。信仰の中心を一人一人が生きれば単純化される。カトリックはこれまで「掟へのまなざし」「教義へのまなざし」になってしまっていた観がある。1985年にローマに日本の司教たちが現状報告に行った時に福音宣教省の当時の長官から質問があり韓国ではカトリックが伸びているのに日本では何故伸びないのかと問われた。相馬司教が「日本人は17文字で意思を伝える技術を身につけている。言葉が多すぎる教えを中心とするところに問題がある。この民族にとって公教要理を学ぶやり方は難しいことだ」と言った主旨の話をされたことがあった。長官が理解したかどうかは分からない。マザーテレサは愛しか伝えない。「ヨーロッパの伝承」を剥ぎ取る、「これでよいのだ」と言った雰囲気を作ること、そうすれば難しくない。罪意識の差を指摘された方がありますが、叫びをあげている人間がそこに居て、それに答えてくださる神おられ、それを受け取った人間の感動がる、「神の人間へのまなざし」神はそこまでしてくださったのだということが大切でしょう。
質問2 日本人をどのように考えているのか?日本人とこうだと言い切れないのは世代によって違うからでしょう、遠藤周作と自分も異なるまた若い世代は違う。文化の違いそれを克服する方法が異なっている。日本人一般論は難しい。要は生活が地に付いているかどうかである。神体験を見出せるかどうかである。生活と社会の中に根をおろした生き方を信仰の光に照らせるかどうかである。
質問3 (大変良い質問をされていたようですがよく聞き取れませんでした回答の要点を収録します)その通りだと思いますが、それに納得しない方もあるでしょう。遠藤周作の話をすれば、彼は自分の生活の中にキリストを見出す、玉葱を剥いて剥いて愛を見出すこれがキリスト者だと生涯をかけて行き着くところがあります。ヨーロッパで育った玉ねぎを剥いて行く遠藤が選んで道であったが、それぞれの時代や人によってやり方は違っている。外国からこられたニコラス師も違うだろう。
4−5年前聖体大会がセリビアの大聖堂であった。偉い司教たちが玉座に座して始まったがこれでは駄目だと感じた。その後別のところに招待されて新しい聖堂で祭壇の前のカーテンを引いて部屋の空間を作りそこで会議が始まる前に皆でフラメンコを教えて貰ったことがある。雰囲気が新しくなっていった。教会はシステムでも教義でもない。それは今の時代には「いのち」を押しつぶしてしまう重さがある。「いのち」が大切である。それを現代社会に如何にしたら展開できるのか来週からニコラス師と学び合いましょう。