学び合い第十三回「地域共同体―5」

1月26日

課題:「共同体つくり」

 

教会とは誰か?究極の質問である。資料の一番目は1994年アフリカの司教団が作成したものである。今日は直接この資料には触れないが参考資料として活用して欲しい。教会の中で信徒の役割を考える時に、多くの場合無意識の内に教会は聖職者のものであると云う前提に立っている。しかしそうではなく信徒は教会の中に役割があるのではなく信徒が教会であることを意識化し目覚めて行く必要がある。1982年までは教会法で「平信徒」という表現が残っていた。準会員あるいは二級会員のような扱いであった。権利も責任も殆どなかった。あったのは二つの権利、つまり救霊に必要な恵みを受け、教えを受ける権利であり、禁止事項として聖職者の服装はしてはならない、が存在した。信徒とは誰かについては多くの公文書に書かれているので参照して欲しい。公会議以降の現代教会のビジョンはチームで働くこと、チームミニストリー、責任の共同性にある。一人ではない。手伝うのではない。直接“主”から来るのである。司祭の役割も再確認する必要がある。

 

知識の問題ではなくどのようにして「気付く」のかである。バランスのある人格者として「気付く」、ゴールは何処にあるのか。位階制を中心に考えると意識化できない。「福音の力」はどこから来るのか。それは共同体思考、共同体をベースにするところから来る。供給者と受給者の関係ではない。共同体として与えられた使命に基づいて人間関係を変えなくてはならない。

 

リーダーシップのスタイルの転換が必要である。これまでは全て司祭からきた、依頼、委任、委託、指示、等等である。しかし現時点は新しい共同体がどのような形になるのかは誰にも予測は出来ない。“主”に信頼するしかないし、福音から学ばなくてはならない。知識の蓄積から始まるのではない。生活の中から生まれなくてはならない。

 

新しいリーダーシップについては資料の「教会とは誰か」の3頁を参照すること。訓練として実施するとかなり厳しい内容である。今日は資料の最後にある「自分自身をアニメーターと自覚している教会リーダーが取る態度とは?」を学ぶことにする。リーダーシップの要点と思われる内容を列挙する:

 

* 奉仕者でないキリスト者は自己矛盾に陥る。教会では指導者と言う言葉を避けリーダーという表現をとっている。別の言葉でその期待像を表現すればアニメーターであるだろう。

*        聖書の中のリーダーシップを確認:マタイ20:25−28、23:8、マルコ9:33−37。(開いて読んでみてください)ポイントは非支配的リーダーを教会は生み出そうとしていると言うことである。伝統的考え方である聖職者が教え導き支配する独占的権利を有するのとは異なり、共同責任、共同奉仕が2V公会議以降のビジョンである。これは新しい試みである。誰もまだ明確なことはいえない。

* 支配的リーダーシップの特徴は、与える、教える、押付ける、指揮する、手伝わせる、わたくし思考、などなどである。

* 非支配的リーダーシップの特徴は――の為〜――と共に、共にはたらく、であり、それがファシリテーターの一つのイメージである。ともに苦しむ感性を磨き、共にいることが大切である。

 

*        腹を割って話すと解決し易いことが多い。論理だと対立してしまうケースも多いのは職場、家庭、何処でもおなじ。

*        「信頼」は共同体形成の為に大切である。

*        共同体はある期間定期的に集まらなければ共同体にはならない。

*        これまでは教会を表現する時小さな教会的共同体basic ecclesial communityと言う教会的ecclesialと言う言葉は使われてこなかった。

*        顔と顔がわからなくては論理を超えられない。祈りの中で信頼して名前も顔もわかって始めて分かち合える共同体が出来る。このような分かち合いの出来る小共同体の形成を生活の中で見直す。

*        平等と共に相違を認めることが必要。対立を乗り越えるスキルを身につける、これは天性の資質ではない。イエスから学ばなければならない。

*        支配と被支配、能動と受動は時代に合わないので良い悪いの問題ではない。現代では少数者が導き多数の者が従うのでは駄目である。

*        教会の受動性からの解放が必要だが、いらいらしないで、じっくりやること。司祭もそれを乗り越えようと努力している。

*        言葉の使い方にも配慮が必要。他者を元気付ける質問もあれば、相手を怒られる言葉もある。それは誰でもわかっていることである。

*        司祭は何処に行っても司祭であり、司祭は交代する。現場にいる信徒リーダーは現場で生まれる。移動すれば再び始めなくてはならない。その点でも司祭と信徒は異なっている。

*        信徒リーダーの交代システムは出来上がっていない。

*        「信頼」「平等」とはどうゆうことか考えるとき別の言葉に置き換えてみる。

 

教会で恵みを生すには見えないものを見ることが必要である。互いに恵みを発揮するのは大切であるが、それを捧げるのは容易ではない。聖霊の導く教会のなかで協力し信頼して進めてゆく。誰にもわからない。だからエキサイチングな状況にあると言える。


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