第七回「宣教の歴史―2」
12月1日
課題:明治から終戦までの宣教史
前回は「キリシタン時代の日本の宣教の光と影」について考えてきました。今日は「明治・大正・昭和初期第二次世界大戦の終わりまでのカトリック教会の問題」について話し合います。
先ず、レジメの冒頭の「枠組み」の中に書かれている、1見る、2判断する、3熟慮する、4実行する、について説明します。「解放の神学」の時には、3と4が一つになって「実行する」でしたが、「我々が考え続けているテーマ」に関しては、判断の後の「実行」の中身として、「熟慮し」自分の思いを暖め育むことが必要で、また「実行」には共感者を育て、流れを作ることが大切であると考えています。さもないと浮き上がってしまうでしょう。30―40年必要なこともあります。2V公会議の精神が一人一人の信仰の中に根付くためには時の流れが必要でしょう。
1. 明治以降、教会の最初の課題は「宣教の自由」の獲得であった。キリシタン時代の禁教令は明治初期にはまだ生きていた。明治政府は儒教と仏教を否定し、超宗教として国家の中心に神道を置き、神道を中心においた国家体制作りを図り、国家神道の枠組みの中で他の宗教を認める政策を打ち出した。外来宗教を否定し日本古来の宗教として神道を立てたのである。初期にはパリミッション会はフランス人寄留地内だけで司牧活動を認められていた。教会はヨーロッパからの外圧を頼りに信教の自由を図ったので、近代国家としての対面維持の意図もあって、国家神道を否定しない条件つきで、1889年に憲法の中で信教の自由が認められたのである。
2. 修道会はそれぞれの考え方があり、考え方の差から宣教地で修道会どうし喧嘩することがあった。それについては前回キリシタン時代の発題でも指摘された。それを避けるために、日本の明治以降の宣教はローマの福音宣教省からパリミッションに一任された。日本宣教に際してパリミッションの第一の使命は、「邦人司教の育成、邦人司祭の育成指導」であった。邦人司教に指導される邦人司祭による教区・小教区制度の確立である。つまり第一の目標を教会制度の確立に置いたのである。
3. 明治時代には時代に取り残された多くの貧しい人たちがいた。それらの人たちは当時興った新興宗教の差し伸べた手に取り込まれていった。当時は最も多くの新興宗教が興された時代でもあった。その状況の中でカトリック教会は福祉活動や教育活動の為に修道会を招き寄せたのである。教会の姿勢としては「霊的救い」を中心としていたが、一方、福祉活動、教育活動に貢献する修道会の働きは大きかった。
4.
問題点はパリミッションの基本方針が教会制度の確立であり、宣教活動は各地ごとに修道会や宣教会に任せざるを得なかったのである。日本にきた修道会や宣教会は「福音宣教省」の管轄下に置かれていた。資料の年表を参照。教会は各地に分断されてしまい独立した宣教活動が各地で展開された。その状況は1970年代の半ばまで続き、実質36教区が存在しているようなものであった。修道会任せは司教にとっては便利であった。金任せ人任せご自由にどうぞ。その結果、独立教区のようになってしまった。この影響は現在までも続いている。蛸壺現象が発生しているのである。また高齢化とともに空洞化も一段と進んでいく。1941年には16教区に編成されたが、邦人司祭159人しか居ないのだから、十人に一人が司教に成らなければならない。人材がいない、そこに力量不足の司教が生まれてくる背景があった。教区によっては数人の邦人司祭から司教を選ばざるを得ない地域も存在していた。司教のリーダーシップの訓練不足は最大の問題である。
5.
この時期の教えの中心
「救霊中心」1V公会義のテーマは近代の流れ自由主義、民主主義、共産主義等を拒むものであった。信仰は従順を求められ縦型であった。社会の毒から信者を守るところに重点が置かれた。教会は「救いの箱舟」「天国への窓」できイメージで語られ社会的関心はなく社会に対してアレルギー反応を呈していた。その影響は今でも続いている。現代の教会の問題の根もそこにある。その結果、現実の生活と教会の遊離、教会と社会の遊離を生み出してしまった。現在でもまだまだ問題は残されている。
6. 第二次世界大戦の時には、教会は軍国主義への迎合があった。靖国問題の解決に際しても、教皇大使の方から文部省に欺瞞的解決法を提案している。文部省はそれを受け入れたのである。靖国の参拝は愛国心の表現であり(宗教的礼拝ではないとし)、カトリック者の靖国礼拝を可能とさせた文章が残っている。
* それは時代を読むことである。識別がかけている。時代がいかなる時代か、当時の愛国心とは何か判断不足である。国家主義の枠組みの中で教会を考えようとしていた限界が明らかにある。
* 司教団の「いのちへのまなざし」の中では、国家主義とかイデオロギーを絶対化したところからではなく「命の尊さ」の視点から発想している。
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戦争で中国や韓国の人たちを隣人と考えていたのか問われる。
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先週まで読まれてきたダニエル書「肉を食わない話」が出ているが2000年を越えて「信仰を生きるとは何か」が語り伝えられていると思う。
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26人の殉教が現在の教会の宝として残っている。
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「生命を守る」発想と「生活を守る」発想との違いがある。
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愛国心の問題は未だ解決されていない。アフガニスタン問題に関するアメリカの教書の中で、アメリカの行動を肯定する根拠として「正しい戦い」と言う概念がある。正当防衛であるとの考えがある。この日本の教書にも当時の「正しい戦争」の考え方が流れていた。戦争がありそれぞれの国が自分が正しいといっている時に教会は如何するか。それぞれの国の人達が愛国心から戦場に行くのは正しいとされる時、教会は国を越えて発言することが出来なかった。それは当時の全世界の教会の限界であった。今それを乗り越えようとしている。
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教皇の謝罪は、当時の状況からして仕方が無かったとは云えないから謝罪している。時代を超えて続く教会と教皇との関係から、教会共同体の一体性を意識して発言されている。過去の教会の行為が人間の尊厳を踏みにじったり信教の自由を踏みにじる行為であることが今の立場から分かった時に、それに繋がる教会として恥じてそれを明確にして謝る。教会共同体と今の自分とのつながりに於いて発言している。過去の共同体の流れが今の自分を作っている。今の自分と過去の教会共同体とは分かつことの出来ない繋がりがあるとの意識からである。当時の事情はともあれ原則的な過ちは明確にしなければならない。過去の過ちを認めるのは過去の人たちを責めるのではなく今の自分として受け止めることが出来ないものを明らかにしてから自分の次のステップに進んで行く。日本の教会も同じ動きをし始めている。
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一つの事柄にいろいろな考えや見方や思いがあり、それが表に出てくるのは良いことです。カトリックの豊かさ広さです。なんともいえない良いものです。其の中で預言者的光を見失うことが無いようにしたいものです。
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