第四回「教会共同体―3」
10月27日
中南米の現代教会「解放の神学」
T 発題
(ア) 「解放の神学」は、ラテンアメリカだけではなく、第三世界のその他の地域、例えば、フィリピンや韓国でも実践されたのであるが、日本では残念ながら十分な理解がなされずに殆ど実践にいたらなかった。「解放の神学」は日本人にとっても宝であり。遠いところの出来事や、教養の産物として学ぶのではなく体全体で受け止めてほしい。現実と結び付けてほしい。
(イ) 本日のグループの話し合いでは、「解放の神学」の内容は豊かであり多くの側面から検討できるが、これまで話し合って学んできた「共同体」を作ることの大切さと関連して、地域でも、家庭でも、教会でも「共同体」を作るときに「何が大切と考えられるか」だけに絞って、「ラテンアメリカで兄弟姉妹たちが作り上げた共同体の素晴らしい面はどこにあるか」、「どのようなことに自分なりにピンと来たのか」、話し合分かち合って欲しい。
(ウ) 「解放の神学」の原点は第二バチカン同会議にある。福音が解放の神学の力なのである。福音的解放の実践である。個人として、共同体として福音を実践して行くところにある。ラテンアメリカは500年間植民地として大変な苦しみのなかにあった。独立後も新植民地として苦しみは続く、少数の大金持、エリートのテクノクラート等少数の力を持った人々が経済・政治・情報・軍事力を支配し90%の人々を弾圧してきたのである。
(エ) V2公会議までの教会は、片手に聖書、片手に武器と言った姿で、教えの本質はともかくとして、抑圧された人々の希望を“死後の天国”としてしまい、結果的には、支配者に加担してきてしまったのである。しかし50年代に入ると其の誤りに気付き、「イエスキリストは苦しんでいる人の真っ只中におられる。抑圧されている人々を解放される方としてこの世に来られたのだ。」ということが再確認されたのである。
(オ)
其のことはルカ4章18−19にはっきり述べられている、「貧しい人に福音を告げ知らせ、―捕らわれ人を解放し、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にするために」イエスは来られた。出エジプト3章7−10では「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聴き、其の痛みを知った。それゆえ、私は降ってゆき、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々とした素晴らしい土地、乳と蜜の流れる土地―へ彼らを導き上る。見よ、イスラエルの人々の叫び声が、今、私のもとに届いた。また、エジプト人が彼らを圧迫する有様を見た。今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルをエジプトから連れ出すのだ」この聖書の箇所が苦しんでいる人にとって大切な箇所となったのです。
(カ)
主の死と復活の福音は抽象的なものではない。我々自身がキリストと一緒に死の状況から生への復活する希望があたえられたのである。生きている今、苦しんでいる人のこの場で実践することがキリスト者の役割である。希望とは彼岸の終わりの事ではけしてない。生活の中で実践して行くことである。イエスはそのために来られたのである。
(キ) この実践に際してラテンアメリカで重要な働きを示したのが「共同体」であった。
(ク) 当時のラテンアメリカでは軍や警察の暴力に対抗する勢力は全て潰されしまい、残ったのは教会だけであった。教会だけが虐げられた人々の唯一の砦であった。其の情況の中で、シスターや信徒達がスラムで一緒に生活して共同生活が立ち上がって行く。
(ケ) 共同体形成と営みの方法が素晴らしかったのである。司教、司祭、修道者も参加していたが、主役は信徒であり、特に読み書きも出来ない主婦達が主役であった。スラムの人たち、労働者が主役であった。
(コ) カトリック労働者運動の中心は「見る――判断する――実行する」であるといわれていたが、ラテンアメリカの共同体は自らそれを実践したのである。それまでの教会のあり方である、司祭が語り(能動)、信徒は聞く(受動)と言った形、つまり、信徒は依存する、と言った形態を転換したのである。「見る」と言う事から始まると其の専門は司教とか司祭ではない。現実の生活、ドロドロした苦しい現実を体験している人々が主役であった。そこで変わらざるを得なくなったのである。「現在どんな問題に直面しているのか」日常の経験を話し合うことから開始された。神学者は書記の役割を果しただけであった。彼らの話すことをまとめていったのである。「見る」「判断する」に際して、聖書は「この現実」に対して何を語っておられるのだろうかを問う。また「判断」には「社会分析」が入ってきた。根にある原因は何か。不在地主に作物の大半を取られ農民は食べるものが無い。これはオカシイのではないか。一生懸命働いているのに貧しいのは何故か。奪い取って行く少数の人を政治も軍隊も警察も守っている。その他の多くの人がどのように扱われているのか。土地も奪われ立ち退きを迫られ、仕事が無い状態、土地をもてない状態、人が人として扱われていない中で苦しんでいる。
(サ) これまでの宣教師には一生懸命良いことはしたが、「社会分析」が不足していた。この点では日本でも不足している。社会的力、社会構造の根、誰が誰の為にこうなっているのか。これは共産主義者のやることであると誤解している人がいるがそれは間違っている。キリストの目で見るときにこの結論が出てくるのです。経済力学、政治力学、メカニズムとして非人間化してゆくシステム、少数者の利益になってしまう構造。その構造を確り見据えることである。
(シ) 昔は、「神と私」の関係の考察が中心であった。他の人々と共に社会的側面に取り組む大切さがキリスト者に抜けてしまっていた。数百年の間そのように教会の教育がなされてきた。その結果、霊的で内面的なこと、死後の世界に信仰の目が向けられてしまっていた。二元論的になり、救霊に重点が置かれ、社会的なことは邪魔なものとしての除かれてしまっていた。それはキリストが人間となられ受肉なさって「救う」なされ方とは全く反対のやり方であった。キリストは人間の経済的社会的政治的な事柄全てをひっくるめて、救いを果されておられるのである。私達も生活の中で人間的事柄の全てを確りと自分達の課題として取り組み実践して行くことが大切になるのです。
(ス) 共同体の中で、どのような問題があり、どうすれば良いのか、「判断」の中から、実践が出てきたのである。非暴力抵抗、近隣の人30人ぐらいが集まり共同体が形成された。30人以上になると管理が必要になるのである。
(セ) 共同体の目的には、地域の困っている人に仕えることが入っている。仲良しクラブはキリストの望まれる共同体ではない。共同体は近くの人に仕えて行く原動力になることが大切である。
(ソ) 少人数でどんどん共同体の数を増やして行くのである。其の共同体の運営は信徒がして行く、下から動く、底辺に居られる彼らが主役である。平等であり上下は無い。司教が言うからとか、司祭が云うからなのでは全く無い。皆が発言し、実行し、責任を持つ。顔と顔を合わせ、信頼関係を築いてゆく。互いに受け入れあう。誤解が無い。腹を割って話せる。小教区にはこれが欠けている。一人ひとりが当事者意識を持て、共同で責任が担えること。それらが共同体の秘訣である。使徒言行録には初代教会の実例が詳しく書かれている。またキリシタンもそれを実践した。迫害の中で信徒だけで作り上げた共同体であった。
「解放の神学」の三つのポイント:
68年にラテンアメリカ司教団全体が集まりメデジン会議を開催した。V2公会議はそれまでの公会議と異なり、教会内問題の論議の場ではなく、教会外との関係を、教会は如何にあるべきかを問う、はじめての公会議であった。教会は淀んでいる!窓も扉も開けよう!教会が仕えるべき世界を見よう!ということで始まった。帰結として「開かれた教会」「対話する教会」「貧しい人と共に歩む教会」が指摘されたが、最後の「貧しい人と歩む教会」に関する議論は不十分であったが、このメデジン会議で残された部分が討論され肉付けされ、そこで「解放の神学」が認められたのである。そこで決議された内容の「まとめ」として司教が発表したのは以下の通りである。
1) 抑圧された現状を認識すること。人々が抑圧され差別されている情況を確りと知ること。
2) 差別されている情況を抑圧差別されている人の立場で見ること。
3) デスクの上でするのではなく苦しんでいる人々の現場で実践することから生まれてくるのが「解放の神学」である。
この三つのポイントは、聖書の内容を生き生きと捉えているのである。
日本の教会と「解放の神学」
残念ながら、日本では「解放の神学」が誤解されてしまい、教会内に関心が湧かなかった。其の理由の一つは84年バチカン教理聖省が解放の神学の少数の行き過ぎ面をチェックした動きが正しく理解されなかったからである。BCCがBASIC CHRISTIAN COMMUNITIYがBASIC COMMUNIST COMMUNITYと誤解されてしまったのである。84年のバチカンの忠告は欧米を中心とした世界のマスコミの関心を引いた出来事であった。海外で活躍していた日本人のジャーナリストから日本の教会にも取材質問が殺到したが、司教団では十分に対応できなかった。それを機に「解放の神学」研究会が、非キリスト者であるジャヤ―ナリスト達を中心に30人ぐらいで、上智大学の一室で毎月開催され、今日まで続いている。これは世間の関心を引いた出来事なのである。朝日新聞、毎日新聞等でも大きく取上げられた問題なのである。マルクス主義の日本の権威山崎薫氏は「マルクス主義者はカトリックに脱帽します、カトリックを教条主義者といってきたがとんでもない「解放の神学」を見てください。これこそは我々が追求していたことです。我々こそ教条主義に成ってしまっている回心しないとだめだ―――」と書いたのである。また、「解放のために働いている方とは、キリスト者であるかどうかではなく、キリストの福音に預かっていると」という懐の広さに非キリスト者が感銘しているのである。日本でも、ラテンアメリカと同じ体験をして苦しんでいる人たち、例えば、在日韓国の方々、被差別のもとにある方々は、この「解放の神学」を聞いて直ぐに納得理解されたが、そうではない人は理解せず疑問を発したのである。プロテスタントでも積極的に受け入れてくださった。
85年には、ブラジルの司教団だけではなく、世界の教会にとっても「解放の神学」は大切なものであることが現教皇によっても確認されたのである。
その他アジアでの「解放の神学」
フィリピンではマルコスの支配下でスラムの中なら起こってきた。86年のアキノ政権の誕生、無血革命は、「解放の神学」を背景とした共同体が確りと対応したから実現したのである。長い時間を掛けて成長してきた共同体が背景にあるのである。韓国ではキムテジュンが捕らえられていた頃「解放の神学」が実践されつつあったのである。
結論として言いたいのは:
* 「キリストの弟子として、今の時代に、私達の足元で行なう方法は、ラテンアメリカの共同体のような方法の実践である」と云うことである。同じ志の人と一緒に共同体を作ることである。
* 80年代の後半で北海道の体験であるが、「解放の神学」の話を聞いたあとで、ある牧師さんがこられて、わたしの教会でもやりたいと言われたことがある。教会の中でのスタートでは一寸難しいのではないか。牧師とか主任司祭がいると、実現が困難である。共同体があって教会の場を借りるような形態でそこに牧師とか神父が参加するのなら素晴らしいと思われる。神父も牧師も一員として参加することが大切である。
* 森司教がこの「学び合い」の冒頭に言われた、「我々の信仰が生活と遊離している、教会が社会と遊離しているところを」本来の姿に戻すにはこの「解放の神学」の方法、共同体つくりの方法の実践なのである。
共同体を、わたしはBCCではなくBHCであると言っている。BASICHUMANN COMMUNITYの意味で考えている。日本では信者は2%しかいない。この現実の中では、信者としての大切の役割はありますが、信者としてではなく、近所町内には素晴らしい方々がすでに活動されています、私達も仲間の一人としてそこに参加させていただく事は大事だと考えます。「命を大切にする」と云う同じ心でそこに参加することが大切で、それが「教会」であるとわたしは考えるのです。建物としての教会もありますが、一人ひとりが派遣されている、職場においても、教会として分かち合って行くことです。65年ごろアジアでWCCが開かれて、そこでえられた一つの結論は、「アジアの教会が愛と社会正義の証し人にならない限り、アジアの心はキリストには開かれない。」と言うことでした。私達が身近なところで一人ひとりが社会的なかかわりの中で証するその時、ハット、一人一人に中にキリストを感じ取ることが出来るのです。そのようなことこそ大事にして行きたいのです。それこそが霊性なのです。霊性とは一人ひとりが方向づけられてゆくことです。生活全体が方向付けられて行くことです。聖霊に促されて生きることを大切にしたい。現代世界は病んでいる。環境が病み、社会が病み、個人が病んでいる。システムそのものが病んでいるのである。罪、死からの解放、それが「解放の神学」である。「構造的な罪」からの解放を自分の痛みとしてゆくこと。先ず、「他者の話をじっくり聞くことから始めよう」。「解き放たれた喜びで生きる」これは理屈で出てきたのではなく生活から生まれてきたのです。これからも本音で話し合える場を持ちたいものです。現代は癒しを必要としているのです。「癒しの人になる」ことが今の時代に大切です.
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