第二回「教会共同体―1」
10月13日
課題:「現代教会の全景」
展望台に登って現代教会の全景を見渡す。展望台から見ると教会の姿が見えてくる。日本の教会の主な問題が見えてくればよい。細かいことに入らないで全景を見ることにします。公会議は4年間かけ内容豊かで多いし既に40年も経っているので反省のときでもある。専門家の分析に似よれば公会議は以下の三つの点についての見直しをしたと言われている。
1)「聖書と聖伝」 信仰の源である聖書と聖伝はもっとも重要で激しく議論された項目です。公会議以前には聖書や初代教会の教父たちの文章も忘れられていた。教会は生命の泉である御言葉から断たれていた。その意味では信仰が生きていなかった。教会の教えは反宗教改革時代の論理である公教要理に偏っていた。教えを正当化するために聖書個所が引用されていた。評論的雰囲気があり、信仰生活に於いて御言葉が力になっていなかった。それに対し公会議の見直しは「信仰は御言葉を聞き入れることで生かされる」という点にあった。聖書なしに信仰が生かされる事はない。信者はもっと聖書を読むべきである。要理と教義を聖書から離してはいけない。聖書を読むとき聖霊を信じ、聖書の時代を学び、聖書を研究することが大切であるとの認識に変わってきた。単に聖書を解説するだけではなく、御言葉を我々の生きている社会状況の中で解釈するまで行かないと意味がない。いろいろな聖書運動が世界各地で始まった。具体的生活との関連の中で聖書を読む動きが出てきた。聖書が何を意味しているのかを解釈する。聖霊を本当に信じて聖霊の感化の下で御言葉を分かち合う。聖書の立ち返ったが一方反動も起こってきた。聖書ばかり読んでいて教えていない、よき伝統が失われた、教会の教えが社会的イデオロギーに変わった、公会議の教えは抽象的で現場のことを考えていない、一番大切なのは労働者の声である、と言った現場主義者からの批判も起きてきた。また文字通りに聖書を読む原理主義の動きも出てきた。日本ではどうであったのか。これまで述べてきたのは一般的な問題であるが、日本については公会議の視点からの他の問題もある。よく耳にするのは、「日曜日の説教は解説ばかりで力にならない」「聖書の解説と引用だけでは意味が無い」などである。日本の現在の状況と聖書の言葉が何を意味しているかまでいかなければならない。もう一つは「子供の教えるシッカリした教えが無い」「教会の言葉がまだ日本語になっていない」との批判である。
2) 近代社会の関係では、公会議以前には近代と敵対関係にあった。信者の生活と遊離していた。信仰は天国のことで早く天国にいくことに関心が集中した。教会は近代社会との和解と開かれた対話の推進に変わってきた。時代の変化を受け入れ、時代の風を拒否しない、時の印を分別する、近代の価値観を吟味し、基本的人権を全面的に肯定する。社会の発展に具体的に貢献する。新しい動きとして多くの委員会が設置された。またアジアの司教たちは対話を積極的に推進し始めた。信徒の自立を肯定し信徒はイニシアティブをとって参加するよう求められ信徒の時代と言われはじめ、信徒使徒職運動など、信徒からの動きも起こった。司祭の「とけ込み運動」も始まり、労働司祭などが起こってくる。服装も普通人と変わりなく、とけ込んでゆく動きが出てくる。いろいろな運動が起きてきたが、上からの委員会などによる指導によって信徒の自立主体的運動が弱まってくる。主体的運動が育たなくなってきた皮肉なことである。新しい共同体運動も起きてくる。社会奉仕、社会福祉に力を入れてくるが、社会批判を控え体制を問うことが減少する。現在はその反動が起きている。公会議の考え方はもっと社会を問いただす面が強い。構造を問いかけなくてはいけない。霊性ブームが現在あるが社会に向かってゆく力が無い。社会へのとけ込み運動に関しては下火になって寧ろ俺はクリスチャンだといった若い司祭はローマンカラーをするものが増えてきている。日本の教会としても、小教区の閉鎖性、教会の守りの姿勢、信仰を生活の遊離、等いろいろある。
3) 教会の自己アイデンティティーの変化。以前は聖職者中心の位階制度であった。教会は誤りのない完全な社会であり、世の中は教会から学ぶべきであると考えていた。公会議の中には三つのキーワードがある。@「コンムニオン=“交わり”」である 教会の中のすべての関係司祭、信徒すべては交わりである。教会と教会の関係も交わりである。教会全体がコンムニオンであり同じ信仰でつながっている。A「神の民」全員が祭司職、預言職、奉仕職を共有する。聖職者の独占ではない。一つの民である。みなが参加する。B「旅の中の群れ」 教会は完全な社会ではない、「神の国」を目指している旅の群れである。教会の動きとして、シノドスで教会のことを話し合って決めてゆく動きはじまる。司教のコリジアリティー、司教はバラバラではなく一つの共通責任を持っている司教は連携しあってゆく。地域教会は普遍教会の交わりの中にある。部分教会の関係も互いの違いを認めて交わりを求める動きが起きる。小教区の中にも刷新の動きが出てくる。組織の面だけではなく交わりとしての変化である。公会議に対する反動として中央集権的になり教会の一致が脅かされていると心配してローマの取り締まりが強化されてくる。「コムニオン」とか「神の民」とか「旅する教会」では漠然とし過ぎているもっと明確なアイデンティティーを求める動きもある。日本の教会の問題としては、司祭と信徒の関係、小教区の蛸壺現象、議論不足等がある。
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