学び合いの会合宿 2007年1月14日
森 一弘司教講話 「学び合うことの意味」
昨日から話し合われている「いま福音を誰と・・・」ということと結び付けながら、ぼくが感じていることをお話ししようと思います。そのために、ぼくが捉えている「福音の原型」というものからお話してみようと思います。
それをぼくはこんなふうにイメージしているのです。
例えば、高校を卒業して30年ぐらい経った人たちが同窓会を開く。だいたい50歳前後で、先生はその時の担任ですから、70何歳です。みんなで先生を招待して、和気あいあいと、昔を懐かしみながら思い出話をしている。
そんな中で、1人の卒業生が、ふと
「先生、今日まで私が生きて来れたのは、実をいうと先生のお陰なんですよ。」
と言う。 先生は、
「それ、どんなこと? 私はそんな覚えはないんだけど。」
と言う。するとその卒業生は、
「私が高校3年になった時、父親が事業に失敗して借金が返せず、従業員にも給料を払うことができなくなり、追い詰められて首を吊ってしまった。自分は、父親の死のショックと、周りがみんな大学へ向かっているのに自分だけ行けないことで、すごく沈んで、暗くなっていた。学校へ行ってもぼーっとしていたときに、先生がいつも私に向かって『おはよう』とか、『今日は大丈夫?』とか、あるいは『元気出してね!』とか声を掛けてくれた。そういう先生の毎日の接し方が自分を支え始めて、『ああ!自分は一人ぼっちじゃないんだ、誰かが自分を見ていてくれるんだ!』と・・・。先生から発信してくる温かさとか柔らかさとか、そういう眼差しが自分の心の中に深く入ってきて、『自分は一人じゃないんだ。大丈夫なんだ。だれかが見ていてくれるんだ。』ということから、高校3年の暗い時期を乗り越えて、就職することが出来た。その後いろんなことがあったけれども、先生のあの時の温かさが自分の中に深く入って、それが支えになってきたんです。」
これは直感ですよね。この先生は、多分家に帰れば夫の妻。小さな子供たちが2、3人いるかもしれない。だから母親でもある。でもこの生徒にはまた別の側面を見せて、生徒はそれで自分の人生を支えたわけです。これは誰にでもあることだろうと思うのです。どの人生にもこういう小さな体験はあるだろうと思います。
ぼくは、「福音の原型」というのはこれなんだと思う。これには知的な洞察とか、知的な統合とか、知的な分析ということは全く無い。直感だろうと思うのです。・・・先生の人格の本質から吹き出し、放射してくる何かが、生徒の人生のエネルギーになっていった。これがキリストと、その出合った人たちの原型・・・。例えばマリア・マグダレナとか、徴税人のマタイとか、十字架の上に釘付けにされた男に、「今日あなたは楽園にいるよ」と言われた、あのキリストとのコミュニケーション、出会い・・・それが福音体験の原型・・・。
キリストが、いろんな形で、一人ひとりの人生に力とか、光とか、希望とか、いろんなものを与えていった。それは一人ひとりにとっては、すごい人生の贈り物だろうと思うのです。一人ひとりの人生には、いろんな難しいことがあり、壁があり、地獄みたいな闇があったわけですけれども、そこにはキリストとの出会いがあって、彼らの人生に大きな光を与えていた。だから彼らの人生にとっては、大きな賜物、あるいはプレゼントだったと理解していいことだと思う。
こういう、キリストと出会い、キリストによって支えられた人たちが集まって語り合う。そこに教会が誕生する。誕生したその共同体で、「私は、こういうキリストを見た。」とか、「私は、こういうキリストを感じとった。」とか、「私に向けられたあの時のキリストの言葉が、私の人生のこういう側面の支えになった。」とか語りあうことによって、キリストの全体像というか、いろいろな側面、多様性が見えてくる。それが教会の豊かさになっているのだろうと思う。
だから、学び合うということ・・・教会の中において学び合う、或いは信仰を学び合うということは、福音体験をしている人、つまりキリストに生かされている人々のキリストの多様性を分かち合う、あるいは自分の人生の多様性を分かち合う、それによってキリストのいろんな側面が見えてきて、それが自分の豊かさ、自分とキリストとのかかわりを深めていくことなのだろうと思う。この点で、パウロがエフェソの手紙の中で、キリストの高さ、深さ、広さ、あれを知ろうと言う、あの手紙の呼びかけは、まさに、これだったのだろうと思う。
教会というのはひとりではあり得ないということ。それから、教会というのは同時に、一人ひとりの福音体験無くしてはあり得ないということ。だから一人ひとりの福音体験、一人ひとりの人生ありのままを大事にしながら、同時にそこからキリストの豊かさとか、深さというのを高めあっていく、伝えあって行くことによって、教会が本当に育っていくのではないかと思うのです。
この時(初期キリスト教時代)にはまだ、知的な洞察とか教義とかは誕生していなかったのだろうと思います。キリストの教義が誕生してくるのは、少しずつ異端が出始めてからです。グノーシス派の異端とか、アリウス派の異端とか、ネストリウス派の異端とか、いろんな異端が出てきたときに教義が出てきた訳で、つまり教義はずっと後のことです。
それから、シェガレ神父さんもおっしゃったように、「教義を伝える」という発想は、ぼくはちょっと狭すぎるのじゃないかと思うのです。 まあ、それはちょっと後に置いといて・・・。
教会の中で学び合うことは、教会の存在の本質にかかわること、というふうに考えていいのかなという気がします。・・・それがひとつ。
もうひとつは、昨日の話の中でちょっと引っ掛かったことがあるのです。浜尾司教さまの言葉を佐藤さんが紹介してくださったのですが、「宣教はミッションではなく、エバンジェリゼイションだ。」という言葉・・・。
最近福音書を読んで本当に確信を持ったのは、「私は父から遣わされてきた。私もあなたたちを遣わす」という言葉。「遣わす、遣わされる」という概念で共同体を作ろうとしたのは、キリストのユニークさです。 旧約聖書をいくら読んでも、こういう共同体は見えてこないのです。モーゼを遣わしたというは確かにあるのです。しかし、「遣わす、遣わされる」ということが一つの概念としてきちっとまとめられて、「あなた方を遣わす」という、はっきりした共同体の確立は、キリストになってからです。
ユダヤの共同体の中にはこういう「遣わす、遣わされる」という言葉は無くなっていたようです。シナゴーグとかユダヤの公会堂とかで、ああいう民族意識に固まっていましたから、「遣わす」とか「遣わされる」という発想は完全に覆われてしまっていたようです。
この、「ミッション―遣わされる」ということの独自性は何を目指していたのかというと、「遣わされる」ということは、贈り物、プレゼントである。つまり言い換えると、「この世は闇であった」―ヨハネ福音書の1章にありますよね、「この世はそれを受け入れなかった。闇はこの世を覆っていた・・・」。 人間がいろんな問題を抱えて、暗い、光のない中に生きているこの世界に、神がキリストを遣わしたということは、神がこの世に凄いプレゼントをしてくれたことだと・・・。キリストとの出会いによって、人類はすごい贈り物を見出したのではないかという気がするのです。それはヨハネ福音書の1章に書いてありますよね。「こうしてキリストは私たちのうちの1人になった。そしてその彼の中には恵みとまことに満ち溢れていた。そして恵みに次ぐ恵みを私たちは受けた・・・。」というような表現があって、ヨハネ福音書では、御独り子を与えるほど神はこの世を愛されたと言う。
「遣わす」ということの中に愛があり、そして、遣わされた存在が人類に限りの無い恵みを与えてくれたわけですから、「ミッション」というのはキリスト教の共同体を示す最もユニークな表現ではないか。 それで、これを「宣教」と訳すべきではないような気がするのです。
苦しんでいる、本当に光を求めている、或いは支えを求めている人たちを、神が支えるために、大きな賜物を与えてくれた。だから、その賜物を他の人に伝えていくことがミッションなのだろうと思うのです。そこでは、知的な、教えを伝えるとか何とかということは二次的なことで、「存在そのものが他者の人生にプレゼントになる」ということが、福音宣教のいちばん根本的な姿かな、という気がするのです。
以前石原慎太郎さんが八王子の重度身障者、知的障害者の人たちの施設を見学に行ったときに、「この人たちは表現も豊かじゃないし、言語もはっきり出てこないし、仕事もあまりできないし、生きていてもしょうがないんじゃないか。」というようなことを記者団に言ったわけです。 あれに対して、ぼくも、これは黙っていてはいけないなと思って、何かにこんな記事を書いたのです。
「・・・ある知的重度身障者の人が、いろんな事情で施設に入っている。そこで生活して、職員たちに見てもらっている。母親(父親はどこかに行ってしまって、居ない)はスーパーで働いていて、帰りには必ず息子のところに寄って、夜9時ごろまで一緒にいる。
すると、職員たちは、彼が自分たちと一緒にいるときの心の表現―存在から現れてくる態度と、母親と一緒にいるときの姿勢が、何か違うと感じる。もっと柔らかになっていると感じる。
このふたりの関係―存在そのものが内側から何かを発信していて、恰好付けることも必要ない、在りのままをさらけ出しながらお互いを受容し合うという、この関係は、お互いにとってのプレゼントではないか。お互いが支え合うようになっている。母親にとっても、息子は深い人生の存在意義を意味付ける存在になっているし、母親も、この子にとっては大きな意味を持ってしまっている・・・。」
存在そのもの、相手に対して優しい眼差しをもって、相手に誠実に関わろうとする、その存在の在りよう、コミュニケーションというか、それがお互いにとってのプレゼントで、それがぼくは福音の原型だろうと思うのです。
だから、「知的」なことではないのではないか。
先ほどの話で、シェガレさんが、コンビニエンス・ストアの前の地面に座り込んでいる若い人たちに声をかけ始める。すると、シェガレさんの存在が徐々にこの人たちの心の何かを打ち破って、柔らかさを引き出して、お互いにコミュニケーションが確立していった、というのは、やはり、福音伝承がそこで確立していったというふうに考えた方がいいような気がします。きのう増田神父さまがおっしゃったような教勢の拡張とは全く別の次元、つまり神がすべての人を救ったとしたならば、そのすべての人たちが出会いに飢え渇いているならば、この飢え渇きへの答え―自分の存在をそこに表していくことが、ミッション、神から遣わされて、そこに福音伝承、福音を確立していくことなのだろうと思うのです。
だからぼくはエバンジェリゼイションとか、福音化とか、偉そうな言葉は使わないのがいいんじゃないかと。「・・・から与える」というのは、植民地主義的な感じがするのです。
自分の存在は何も無いのだけれども、この人に対しては心から誠実に向いたいし、心からその人と向い合って交わってみたいという誠実な思いで相手の前に立つときが、福音なのだろう。このときの私を支えているのが、私に希望を与えたキリストの心であれば、それが福音伝承になっていくのだろう。
この点では、キリストと出合って、キリストに生かされた皆さんの心とか存在が、家族や愛する人に出合ったときに、その愛する人にとっても福音になっている筈ですし、人によってはそれが、それこそブッシュさんのところへ出かけていって何かを言うという形になるかもしれないし、それが一人ひとりの出会い。 神が、それぞれの人生に、この人を通してプレゼントしようとするのが、ミッションであり福音ということなのでしょう。
「宣教」という言葉を使いたくないのは日本語がいけないのです。どうしても「教えを伝える」というふうに刷り込まれている面があり、その辺が、私たちの頭の中で整理すべきことなのだろうと思うのです。
但し、教会の中で「学び合う」ことは、2,000年の歴史を持ってしまったわけです。グノーシス派が出てきて、そのために、いろんな福音書が出来あがった訳です。トマスの福音書とか、ユダの福音書とか、何々福音書とか。それでコンスタンチヌス大帝が、「こんなに沢山、それぞれの地域にそれぞれの福音書があっては、教会が分裂して、お互いに排除しあってしまうので、なんとかしてくれ。」と司教団に泣きついて、司教たちが聖典を決めていく。そして聖典が確立し、異端は排除された。アリウス派とかネストリウス派とかが出てきたことで、教義が出てきた。
教義が出てきて、それが伝承されて、これを受け入れなければ正当な信者ではないという「選り分け」のシステムが出来上がった訳です。やがてそれが信仰個条という形できちんと作られて、それを学び合うということが出て来た訳です。
それから、歴史の中では、地域割という、ローマ帝国が世界を統治したシステムを教会が受け入れて、「地域」で教会を考えていくという発想が生まれ、それが定着し、小教区なんていう形になっていく訳ですね。
これは増田神父さんに聞いた方がいいかもしれないけれど、多分、司教が司教として叙階され、あるいは司祭が司祭として叙階されても、ある地域に派遣されない限りは働くことが出来ないですよね。そういう時期がありましたね。今もそうかもしれない。ぼくが東京教区の補佐司教になったときに、司教はやっぱり何処かの地域に任命されないと本物の司教じゃないみたいで、アフリカの、湖の底に埋まって亡んだ教区の名前をもらうわけです。今でもローマからくる正式な手紙は、「エピスコプス・ファタイシス」で、ファタという教区の司教の名前になっています。
これも結局はローマ帝国の統治の仕方を教会が取り入れて、こういうシステムの中で、教会が歴史の中を生きてきてしまっている。歴史の中で、いつのまにか、司教とか叙階されたものが統治者になるシステムが生まれ、その統治者に都合のいい教会法が出来上がり、その教会法を楯にして信者たちを引っ張っていくシステムが教会の中に誕生して、それがいま、みなさんの話の中にも出てきたわけです。
私たちは、こういうさまざまな、2,000年の歴史の積もった共同体の中に生きているわけですから、学び合うということの中に、歴史の中で作られてきた教会の遺伝子、DNAを見極める作業も必要だろうと思うのです。
ある小教区の中で洗礼を受けて、その小教区の中でしか育たなかった人たちは、教会全体を動かし、教会全体に刷り込まれてしまった遺伝子のようなものは、あたかも絶対かのように受け取ってしまって、非常に苦しんでいる面がありますよね。そういうものを見極めながら、識別しながら、もう一度福音の源泉、あるいは教会の原型というものを見つめ合っていくという意味で、学び合うということはすごく大事な作業なのだろうという気がします。
先ほどの話の中で、「こういうところに来る人たちは変わった人・・・。」という発言もありましたし、また同時に、小教区に戻ったときに浮き上がってしまっているという話も出ていましたけれども、それはもう、仕様がないことなのだろうと思うのです。現実がそうなのですから・・・。浮き上がるとか、そこに戻ったら通用しない世界というものがあるかもしれないし、小教区の中に居続ける人たちにとっては、別の世界への視点を生きよう、語ろうとする人たちは変な人たちというふうに見てしまう、見られてしまう。これはもう当然のことです。
それを覚悟しながら、10年20年単位で、教会全体がもう一度福音の源泉に戻って、日本の社会で福音の本質を本当に証しすることができるように、地道な努力を続けていくことが、学び合うことになるのだろうと思うのです。
ですから、学び合うことはムーブメントとして紹介したいなと思うのです。 そして、このムーブメントは今の日本の教会の中で必要なのではないかな、と・・・。
こういう意味で、教会は何なのか、福音とは何なのか、そして教会の本当の原型とはどういうものなのか、宣教とはどういうものなのか、それを妨げる論理がどのようなものなのか、ということを、一緒に考えよう、という旗をかかげているものは、ちょっと無いのです。
ですから、そういう意味で真生会館の学び合いの会のようなものは、日本の教会にとっては希少価値があるのだろうと思います。
皆さんが、年に4回の学び合いをオープンにしてきたことはよかったと思いますけれど、時には全国に向けた、2泊3日とか何かの合宿をやって、そのムーブメントの流れを広げていくというチャレンジもあっていいのかもしれないと思っています。
いま、学び合いの会のような、教会が何であるか、福音が何であるかを考えるムーブメントとしては、福岡で毎年2回、1泊で、大名町の教会の信徒会館でなされています。最初のうちは、ぼくとかシェガレさんがちょっとお手伝いしましたが、いまは非常に自立して、地域の司祭たちも結構参加するようになってきています。その報告は必ずぼくのところにきています。本当によくやっていると思う。
それから、こちらに来るちょっと前に、名古屋のシスターからも、名古屋地域で、岐阜とか石川、福井、あの辺をターゲットにした、こういう、教会のあり方とか信仰のあり方を考える集いをやってくれないかという電話があったので、「いいですよ、お手伝いできるなら、」と言ってきましたけれど、なにかを求めているようで、こういういろんな経験をなさって来た皆さんが積極的にチャレンジしていただければありがたいなと思います。
最後にもうひとつだけ注意して頂きたいのは、それぞれが何かを考えて、考えて、苦しんで、もがいている。それをここに集まってきて話して、それで帰るわけですよね。ぼくは帰って下さらないと困ると思っています。
なぜかというと、真生会館がひとつの具体的な活動と目的を持った共同体になってしまうと、多分「真生会館教区」ができあがってしまう。東京教区の中にあって、それは絶対にやめるべきだと思うのです。真生会館の存在というのはアニメーターであって、地域を分割して、地域を活性化して、地域のお掃除をしていくという仕組みの中に決して入るべきものではないと思っています。その点ではシェガレさんとぼくは同じ考えです。
真生会館というのは、どちらかというと野党的な立場、野生性、批判も言えるようなムーブメント、あるいはアニメーターとしての位置付けを考えていきたいので、皆さんがこの真生会館の学び合いを、小教区の中の何かのグループのようなイメージで期待してしまうと、それは間違っている。それは、はっきり皆さんに言っておきたいと思うのです。日本の教会のアニメーター的な存在であって、決して何々教区というか、そこでぼくが教区長になるようなものじゃ全くない。それは注意していただきたいなと思います。
ぼくの話をヒントにして、また午後から具体的なことを考えていただければありがたいなと思っています。
(以上 文責・記録担当者)