浜尾枢機卿のバチカン長官退職時のインタビュー記事 2006−4−17 By Gerard O‘connell April 7,2006 UCA News Rome * UCA News =Union of Catholic Asian News
以下の日本語訳は学び合いの会の有志が会のメンバーのためにし試訳したものです。
バチカンにて 8年間の移住・移動者司牧評議会議長任期を終えた枢機卿は、教会の変革を訴え、「カトリック教会の他宗教との対話へのアプローチ」および「枢機卿団の一層の国際化」と共に、「アジア・アフリカの司教任命基準の見直し」を提唱しています。3月15日、教皇がその辞任を認めた4日後に、浜尾枢機卿は、UCA Newsに教会、特にアジアの教会にとって関心の深いいくつかの問題について率直に語りました。
1998年に任じられた重責にもはやないことを知り、「わたしは、今、解放された思いです」と述懐しました。そうは言いながら、浜尾枢機卿は、「世界の人々の苦悩に日々ふれさせてくれた」その職に深い愛着をもっていたともらし、これからもこの分野で何らかの形で働き続けたいと語りました。
浜尾枢機卿は長官辞職願いを、200 5年2月(枢機卿の75歳の誕生日、3月9日の少し前)に、教皇ヨハネ・パウロ二世に提出しました。(バチカンの定年は75歳でしたから)。しかし、病床にあった教皇は、その一ヶ月内に帰天され、その後継者ベネディクト16世は、浜尾枢機卿を含め、バチカンの要職者に、当分の間、現職に留まるように要請しました。浜尾枢機卿は、教皇ヨハネ・パウロ二世に年2回職務報告をしていましたので、2005年9月にローマの30km東南にあるCastel Gandolfoという小さな町で、新教皇に非公開謁見を賜りました。
浜尾枢機卿は、 2005年の教皇選出コンクラーベでJoseph Ratzinger枢機卿が教皇に選出されるとは想像もしませんでしたが、その選出後に教皇にお祝いを述べに行ったときは、とても好い印象を得ました。新教皇は「わたしたちは、移民のために一緒に働きましょう。」と話しかけ、浜尾枢機卿はこれを「とても励ましになった。教皇は、浜尾個人のことも、移動・移住者司牧評議会(以下、移民評議会)の職務もよく理解し、それも好意的、人間的に理解している。」と受取りました。2005年9月、30分の非公開の謁見の間に、浜尾枢機卿は、新教皇が「移民の職務に興味をもち、理解もある」ことは分かりましたが、「教皇は、この移民評議会の将来については、何らの意向も示しませんでした。」
その代わりに、浜尾枢機卿は新聞で、教皇が教皇庁を改革し、移民評議会は正義と平和評議会(以下、正平評議会)議長のイタリア人の Renato Martino (73歳)枢機卿が暫定的に任命されるとの記事を読みました。しかし、公式には、何の通知もありませんでした。 8月に移民評議会の減員が始まったとき、浜尾枢機卿はメディアの報道の真偽に疑問をもつようになりました。移民評議会のアメリカ人のMichael Blume次官補(59歳)(神言会)がアフリカのトーゴとベニンの教皇庁大使に転出し、今年2月にインド人のAnthony Chivatyathジプシー問題担当(64歳)が母国のSyro-Malabar教区に転勤となり、二人とも後任者なしでした。
そこで、 2月下旬にバチカン国務省の長官代理("sostituto")Leonardo Sandri大司教に、交代者を要請し、面談に出かけたところ、大司教は、新教皇が浜尾議長の辞表を受理されたことを告げ、Angelo Sodano国務長官と会うように言い、Sodano枢機卿は、大司教の言を確認しました。バチカンは、3月11日に、浜尾長官の辞表を受理し、移民評議会の長官を、差し当たり、教皇庁正義と平和協議会が兼務することになろうと発表しました。
浜尾枢機卿は、その離任する部署をどうするかについて、「だれにも相談されずに、何と言ったらよいか、少々、さびしく感じ」失望致しました。それから、似たようなことが諸宗教対話評議会の議長 Michael Fitzgerald大司教(68歳)にも起こっていたことを浜尾枢機卿は知りました。この方は、2月15日にエジプトの教皇庁大使に任命されましたが、その前に、教皇庁の改革や諸宗教対話評議会の将来については何も相談を受けませんでした。
浜尾枢機卿は「移民評議会が正義と平和協議会と合併する計画が進められるとしても、それは容易ではなく、相当の時間がかかるでしょう。前者が司牧的な職務なのに対し、後者は学理的な職務だからです。」と言います。そうであっても最終的にはうまくいくかもしれませんが、先ず両機関の間の相当の協議が必要です。一人の議長に率いられるにしても、別々の組織として留まるでしょう。枢機卿は「コル・ウヌム」協議会もいずれは両協議会に併合されることを期待していますが、将来のこととなるでしょう。
他のバチカン高官と同様、浜尾枢機卿は、ローマ教皇庁の多くの組織間では、コミュニケーション、調整と協力関係の改善が急務だと感じています。 3月23日の枢機卿団の一日会議に提出した文書声明にもこの意見を述べたそうです。
2002年以来、浜尾枢機卿は、バチカン教皇庁の組織責任者では、ただ一人のアジア人でした。1998年のアジア司教会議は、教皇ヨハネ・パウロ二世にもっと多数のアジア人を教皇庁に採用するよう求めました。教皇は、当時横浜の司教であった浜尾師ばかりでなく、当時ローマに亡命中のベトナムのFrancis-Xavier Nguyen Van Thuan大司教を正義と平和評議会議長に任命しました。この大司教は2001年に、浜尾師は、2003年に枢機卿になりました。今日では、アジア人は教皇庁組織(省や評議会)の長にはだれもいません。「Van Thuan枢機卿は、2002年に亡くなり、わたしはここを去るのです。」 浜尾師が希望するように、もし、教皇ベネディクト16世との謁見が許されるなら、教皇庁の組織長に「アジア人を採用するように求める」ことになるでしょう。「韓国、インドネシア、フィリピン、その他のアジアのどこの国でもよいから、だれかアジア人を採用されるように申上げるでしょう」と言いました。
日本の教会史の中で 5番目の枢機卿となった浜尾師が、教皇ベネディクト16世に謁見するときには、教皇が、「アジアの人々の声を聞くように、予断をもたずに、アジアの人々の声を、わたしたちの声に耳を傾けるように、申上げる」でしょう。浜尾師が見るところでは、ローマは、アジアの現実とアジアの教会を、特に、他の宗教の人々との対話に関して、「理解するのが難しいようです。」
「ローマが理解できないのは、彼らが諸宗教対話は重要だと言いながら、カトリックは、イエス・キリストが唯一の救い主であることを明示しなければならない、と主張するからです。もちろんアジアのカトリックはこれを信じています。しかし、アジアでは、諸宗教の社会の中でカトリックは生きているので、他のアジア人との対話が必要ですし、特に、いのちについての対話が必要です。この対話の中で、青少年の教育、平和、障害者に対する社会的援助、貧困者への救いの手など、人々の養成について、仏教や神道他の諸宗教と協調することができます。」
「ペトロの第一の手紙 3章15〜16節で、彼らがわたしたちの希望、わたしたちの喜びについて尋ねるなら、わたしたちは、親切に、正直に、はっきりと説明できますと、ペトロが言ったように、これがわたしたちの態度です。」と浜尾枢機卿は言います。 *( 1ペトロ 3:15-16)「心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説 明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。それも敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい。そうすれば、キリストに結ばれたあなたがたの善い生活をののしる者たちは、悪口を言ったことで恥じ入るようになるのです。」
浜尾枢機卿は、アジア司教会議で、この主題について語りました。その時、「わたしたちは、福音と救い主としてのイエス・キリストを宣言しなければなりません。徐々に、最初からではなく、そうするのは、最初からイエス・キリストが唯一の救い主であると言うと、他宗教の人たちと対話がもてないからです。」と述べたのを、浜尾枢機卿は思い出します。率直な枢機卿は言葉を続けて、「これを、ヨーロッパの枢機卿や司教たちはよく理解できませんでした。彼らは「徐々に」というのを聞いて不満でした。これと対照的に、多くのアジアの司教や枢機卿たちは「徐々に」に賛成でした。カテキズムよりも、イエス・キリストの司牧上の配慮を示すべきです、と彼らは言います。」
「カテキズムは神学です。それもヨーロッパの神学で、東洋的神学ではありません。それはあまりに難しすぎ、知的すぎ、論理的すぎるのです。アジア人は、あまり知的ではありませんが、わたしたちには聡明さがあります。直感的、審美的なのです。自分の心にふれる何かが必要なのです。カテキズムは、人々を変えません。」
枢機卿として、彼は福音宣教省のメンバーなので、アジア、アフリカの司教任命の選考が行なわれる月例会に参加します。その会議で、ヨーロッパ、アメリカ、ラテン・アメリカからの枢機卿や司教たちは、アジアやアフリカの司教候補者が、ローマやヨーロッパで学び、そこで学位を得たかどうかに関心があります。」
浜尾枢機卿は、欧州留学が、司教選考の決定的基準であってはならないと信じています。司教の候補者は、母国で学び、学位を得ずとも、優れた司牧経験があれば、司教となる資格があるはずと、彼は思います。
この評議会での経験に基づいて、浜尾枢機卿は、「アジア、アフリカの司教任命基準の改定」を唱導します。この改訂は、単にアカデミックで神学的勉学だけではなく、アフリカと同様に、バングラデシュやインド、スリランカのような諸国の司教任命で最大の問題である「種族や階級(カースト)に関連する問題」にも直面すべきです。」
バチカン経験を省みて、枢機卿は丁寧な口調で教皇庁に働くアジア人が少なく、アジアの見方や声のない原因は、「アジアはあまりにも遠すぎるのです。距離の問題ではなく気持ち、考えとして遠いのです。」と述べる。
「彼らは、アジアやアフリカの教会を、キリスト教の見地では、赤ん坊、未熟と考えています。たぶん、彼らは、アジアやアフリカの教会は、赤ん坊、幼児と考えています。彼らは、ヨーロッパだけが成熟した教会だと考えています。今ではラテン・アメリカの教会も成人した教会と考えられているかもしれません。そのような印象をわたしはもつのです。」
ヨーロッパが枢機卿団の中で多数を占めるのは明らかだと浜尾師は指摘します。今日 193人の枢機卿のうち、100人、120人の枢機卿候補の中で60人はヨーロッパ人です。浜尾枢機卿にとって、この構成は現在のカトリックの配分を正確に反映していません。カトリック信者のほとんどはもはやヨーロッパ人ではありません。カトリック信者の大多数は、ラテン・アメリカです。成長しつつあるアジア、アフリカの教会では、カトリック信者数は、既にヨーロッパよりも多いのです。枢機卿団の枢機卿の数も、この新しい現実を反映するべきでしょう。3人のアジア人が3月24日に枢機卿になるのを「非常に幸いです」と喜びながら、浜尾師は、12人の新任者のうち、一人もアフリカ人が新任者の中にいなく、半数がヨーロッパ人であるのは「おかしい」と言います。
浜尾枢機卿は、ラテン語をよく知っており、天皇が皇太子時代にラテン語を教えましたが、ローマ典礼の一部にラテン語を復旧しようとする現在の動きがあること、カトリック信者は、栄光唱や信仰信条や主の祈りをラテン語で唱えるように主張する動きもよく分からないといいます。ヨーロッパ人の枢機卿や司教たちの多くが、昨年 10月の聖体についての司教会議のときに、このラテン語復旧の動きを押すように試みたことに浜尾師は注目します。
教皇ベネディクト 16世がラテン語を好みながら、ラテン語好みであることを浜尾師は承知していますが、彼はこの動きには反対であり、文書でそれを述べています。彼はこの反対の動きの唯一のバチカン高職者です。インド、インドネシア、日本やアジアのどこでも、ラテン語を学ぶようにカトリック信者に期待するのは「現実性に欠ける」と彼は説明します。
原文は以下のURLで御覧になれます:
- - - Gerard O'Connell is the UCA News special correspondent in Rome . http://www.catholic.org/international/international_storyphp?id=19357