「学び合い全国合宿2005年記録」

 

これは「真生会館学び合いの会」主催で開催された二泊三日の合宿の記録です。

文責は記録作成者にあります。

 

テーマ: 「教会は頼りになるか」

-あなたにとって、

−地域にとって、

-日本の社会にとって

 

日本のカトリック信者は総人口の 0.4%。ともすると、日本の社会、職場、家庭の現実に呑み込まれがちな私たちにとって、教会は生きる力、支えになっているか。そしてまた、社会の光となっているか。

 

開催の主旨:  私たちは、全国各地の信徒、司祭、修道者が一つの場所に集い、広い視
野から日本の教会を見つめ、 21世紀に期待される教会像を求めて、全国の方々との交
流と学びあいをする合宿を企画致しました。信徒、司祭、修道者が同じテーブルを囲み
共に考えてみたいと思います。

開催日時: 2005 年10月 8日(土)17:00〜10日 (月) 15:00

合宿場所:  サレジアン・シスターズ 「山中湖黙想の家」(山梨県山中湖畔)

参加人数:   合計62名   

信徒58名(女性40人、男性18人)、修道者1名、司祭2名、司教1名

合宿責任者:  森一弘司教、オリビエ・シェガレ神父

「学び合いの会」合宿推進スタッフ

プログラムの概容: 

10月8日(土)

1. オリエンテーション 

@ 開催の挨拶・導入(森司教)   

A 「学び合いの会」について 

   

2. 参加者による発題:「教会は頼りになりますか−あなたにとって」 

3.  (グループ別学び合い)   ・・・(記録は作成しておりません)

10月9日(日)

4. グループ発表:「教会は頼りになりますか−あなたにとって」 

5. 司祭コメント  

         

6. パネルディスカッション:「教会は頼りになりますか−地域にとって」

7. (グループ別学び合い)   ・・・(記録は作成しておりません)

10月10日(月) 

8. グループ発表:「教会は頼りになりますか−地域にとって」 

9. ロールプレー:「教会は頼りになりますか -日本の社会にとって」 

10.  「わたしの夢」書簡形式で書きミサに奉献 

注記:  合宿参加の申し込みに際しては、参加者の「テーマ」に関する意見をアンケートとして提出していただきました。また合宿最後の日に参加後のアンケートを提出いただきましたので、集計結果は別途まとめております。記録はいずれの場合にも個人名(聖職者は除く)は伏させていただきました。

 

 

< 10月8日(土)・1日目>

•  オリエンテーション @ 開催の挨拶・導入(森司教)

森です。よろしくお願いします。

今回出席しているいわゆる聖職者は3人で、私と、上智大学で教えているイエズス会の増田神父(増田神父には神学的な裏付けをお願いする予定)と、真生会館のシェガレ神父です。シェガレ神父は最近パリミッション会の管区長に就任し、他に社研の責任者、真生会館の館長、 そして学生たちの担当でもあり、大変多忙な方です。 今回も明後日からインドに行くため、明日のパネルディスカッションのあと夜には東京へ戻られます。増田神父も月曜日のお昼までに石神井へ行かねばなりません。

 

僕は、いわば露払いです。いま日本全国の教会を見たときに、日本の教会のあり方について本当の問題意識を持って話し合い、うねりのようなムーブメントを作っていくという状況が見えなくなっています。 

考えてみると、第1回の福音宣教推進全国会議は、日本全国が日本の教会のあり方に真正面から取り組んだ初めての試みでした。各教区によって取り組み方は違いますが、開かれた教会を目指しました。今の司教様方で全国会議に司教として参加した人は多分、地主司教様だけでしょう。あとはみな若手になって全国会議を経験していない司教様たちです。その司教様たちは、自分の教区の問題に取り組むのに精一杯で、全国レベルでなにかを考えていくという問題意識が出て来ていない。それはちょっと残念なことですが、しかし司教様方にあまり無理なことは期待しない方が良いので、草の根レベルでお互いに響き合いながら何かを育てていく。じっくりと腰を据えて、しかし、しっかりと明確な問題意識を持ってやっていかなければいけないだろうと思うのです。

そういうことから「学び合い2年間コース」を作りました。ただ、場所が真生会館のため東京近辺の方しか参加できない。ですから、あそこで狙っているものを、全国レベルの問題意識を持っている方にも呼びかけて、何かを積み重ねながら、50年単位、100年単位で見たときに日本の教会に何かが生まれてくる、創造的な何かが生まれてくる、という願いから、この集まりを企画したわけです。

 

今回の時間割をみますと、先ず「私にとって教会は頼りになるか?」というのが最初のテーマで、次は「地域にとって教会は頼りになるのか?」。そして3日目には「日本の社会にとって教会は頼りになるのか?」という三つのステップがあります。今日これから始まるのは「私にとって教会は?」というものです。

皆さんから頂いた事前アンケートの回答を見ると、「私にとって」という観点ではそれほど否定的なものは見えてこない。ところが「地域の教会にとって」となると色々な問題が出てきてしまう。言い換えると、こういう集まりに参加する皆さんも(僕もそうですけれど、)とにかく自分の実人生にとって教会は不可欠であるという確信はどこかにある。それは共有していると思います。それがアンケートに出ている。

 

ただし、自分にとって意味があるというのは自分の実人生ですよね。これは、考えてみれば今の日本の社会の中でそれぞれの立場で現実に生きている人たちの実人生に意味があるということだと思うのです。例えば、バツイチだけれども自分の実人生において教会との出会いとか、教会から出てくる信仰や支えは、自分にとって意味があるという方がいるかもしれません。リストラにあって苦しんでいる方の実人生にとっても、教会は自分にとって意味があると言えるかもしれません。また、社会の第一線を退いて、教会のお手伝いを積極的になさっている方にとっては、教会でいろいろな人を見て、自分の信仰を確立しながら皆に合わせようとしている、そこにもその人なりの信仰のあり方がにじみ出ています。

つまり、「私にとって教会は頼りになるか」というときの「教会」は、自分の実人生に意義があるという確信を持った人たちの集まりである、といっていいだろうと思うのです。「教会は意義がある」ということを理解するために、多分ここにいる62人の意義付け方や頼り方は、全く多様な姿だろうと思うのです。その多様な姿を確認しながら第1日目を終えられれば、というのがこのプログラムの狙いです。

これは同時に、最後の狙いとしての「日本の社会にとって(教会は)意義があるか」という所につながるものだと思っています。というのは、第1回福音宣教推進全国会議の最後に、参加者が皆で作り上げた宣言文がありますが、その後半部分にこういう表現があります。『信仰を持つ私たちにとっても、今の日本の社会は非常に生きるに難しく、いろいろな重荷と労苦があって、時には現実に流されている。そういう意味においては、たとえ信仰を持っていても、自分たちは、この現代の日本の社会に生きる人たちと問題を共有できる。人間としての問題を共有できる。でも私たちには幸いに聖霊による照らし、光がある。教会との出会いから何かを得ている。それをもって、私たちの身近なところに生きる人たちの実人生に関わっていくことに私たちの役割がある。』と宣言しています。私たちが特別な人間ではなく、この日本の社会の現実の中で、もがいている人たちと同じ体験をしている。でもその体験をしながらも、私たちは教会との出会いによって何かを得て、希望を得ているわけで、これを何とか伝えていければ現代社会にとって意味があるのじゃないか、という宣言文です。これは非常によく出来ていて、わかりやすくて単純な表現ですので、お読みになっていただければと思います。

 

それが最初の土台です。そして今日の夕食後に「私にとって教会は」という発題から出発します。そして共通理解として、私個人にとって、つまり実人生にとって教会はどういう意味を持つかということを確認しながら、それが共同体となって地域の中に連動して、何かをしようとしたとき、共同体としての教会が地域にとってどうなのか、と言うことが明日の午後からのテーマになってくるわけです。その辺はパネルディスカッションになります。

共同体の中で責任を持って関わっている方々にとって、いろんな視点でいろんな形が見えてくると思います。かなり否定的なものも出てくるでしょう。アンケートを読む限りは否定的なものがかなりあります。とにかくそれをざっくばらんに出し合うことが第一条件だろうと思います。綺麗ごとを言っても仕様がないのです。ですから、しっかりと現実の難しさを出し合って、じゃあその中で克服できる知恵があるか?あるいは試みがあるか?ということを出すわけです。そして、それをやった後、もっと大きな視野で「日本の社会にとって教会が本当に頼りになるかどうか」というところになっていきます。

 

今日の午前中、真生会館の「学び合い2年間コース」第3期で、川村神父様がキリシタン時代のペトロ岐部の教会の信仰の歩みを語って下さったのですが、当時秀吉が26聖人を処刑したあの時点で、多分、30万近い信者さんがいたそうです。戦国時代に新しい武士の階級が誕生し、その下にいる一般農民、更にはもっと底辺にいる人たちにとって、教会の姿勢や共同体の姿が大きなインパクトを持ち、当時の社会に何十万という信者が誕生した。

あの時代のキリシタンの宣教師たちは、それほど日本語が巧みではなかったろうし、キリスト教の土着化なんてそれほど完成したものではなかったにも関わらず、日本人の心とつながる何かを教会が持ち得た。今の日本のカトリック教会は、果たしてそれだけの力、精神的に引き寄せる力があるかどうかということがまた大きな問題で、お互いもっと確認し合わなければならないわけです。でも真剣に話し合うことによって何かが見えてくるかも知れません。

 

そして最後に、そういうプロセスを踏みながら、最後に「夢」を書くことになっています。これからの教会の夢というのは、こういうイメージです。すなわち、初代教会のことを考えますと、まだ教会の組織も完璧な姿ではなかったわけです。それぞれがいろいろな問題を抱えていた。そういう教会共同体や信者のあり方について、信仰者のひとりとして信仰について確信を持っている人間が、共同体に対して自分の確信に基づいた手紙を送ったわけです。それは一種の夢といっても良いかもしれない。現実に向かって、「こうあったほうが良い。」という手紙です。

 

例えば黙示録の「ペルガモンの教会にあてた手紙」というのは次の通りです。

「ペルガモンにある教会の天使にこう書き送れ。 『わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかし、あなたはわたしの名をしっかり守って、わたしの忠実な証人アンティパスが、サタンの住むあなたがたの所で殺されたときでさえ、わたしに対する信仰を捨てなかった。』」

現実に苦労している共同体の姿を見ながら励ましの言葉を送っている。これをみなさんの関わっている共同体に置換えてみてください。例えば、「 ○○教会 の信徒に当てた手紙。―私は こういう 存在で、あなたたちの苦労を見てきました。婦人会は二つに割れ、主任司祭と婦人会は対立し、教会は愛の福音を忘れてしまって、周囲の地域のつまずきになっています。これは一番悲しいことです。キリストは本来 こういうこと を言ったのではないでしょうか。それを克服するためにあなたたちは こう 考えた方がいいと思うのです。―」という風に自分の思いを夢のような形でまとめてみる。つまり、自分の実人生にとって教会は?現実に地域にとって教会はどうなのか?そして日本の社会にとっても教会はどうなのか?ということを確認しながら、自分が思い描く相手に向かって自分なりの書簡、信仰の光に照らされた励ましとか、あるいは勧告とかを作ってみるという意味での「夢」なのです。

ユダの手紙の内容はこうです。

「イエス・キリストの僕で、ヤコブの兄弟であるユダから、父である神に愛され、イエス・キリストに守られている召された人たちへ。」と始まり、「愛する人たち、わたしたちが共にあずかる救いについて書き送りたいと、ひたすら願っておりました。」という思いから、「あなたがたは万事心得ていますが、思い出してほしい。主は民を一度エジプトの地から救い出し、」というように、苦しんでいる人たち、ユダの場合には多分ローマ帝国の弾圧が始まっていたかも知れないので、その人たちを励まして、共同体として貧しい人たちを支えながらキリストの心に沿っていきましょうと書いています。

 

そういう思いで、どこか地域の教会を思い起こしても良いし日本の社会に向けても良い。或いは司教団に向けて、「あなた方は、キリストのメッセージに基づいて、お互いに心を合わせて話し合って、地域にこだわらず、もっと日本社会全般に向かってメッセージを送ってください。これがあなたたちの責任ですよ。」といった手紙でまとめても良い。二日間、三日間を通して、一人ひとりの中にいつのまにか沸き上がってくる思いをまとめて下されば良いわけです。

そして、皆さんの書いたものを最後のミサの時に書簡の代わりに朗読してもらいます。それは皆さんの目の前で選びます。どの手紙が一番良いとか悪いとか評価する基準は、誰も僕も持っていないので、ミサの始まる前に三つか四つ(無作為に)選んで、ご本人にミサの時に読んでもらって、それを分かち合いながら、日本の社会の中で生きようとしている教会への私たちの励ましという形にして終わりたいというのが今回の狙いです。

 

具体的な結論とか形は出なくてもいい。でも、こうした書簡の形をとるということは、それぞれの現実を見たところから出てくる一つの信仰告白のようなものだと思います。それが響いていくことによって、他の人の心を打って、その人の心の中に何か新しいものが芽生えてくる、響いていく、というプロセスを求めれば、今回の合宿はひとつ何かを残すのかな、と思っているわけです。こういう流れを皆さんが心得て、積極的に、遠慮なく、しかも建前でなく現実を直視して、本当の信仰、福音とは何かというところに立ちながら、何かを探っていただければと思っています。

1.オリエンテーション A 「学び合いの会」について 

ここで「学び合いの会」について説明します。配布資料は、会の設立経緯や会の目的等を記したものと、9月25日付カトリック新聞の記事です。それは後で、ゆっくりお読みいただくとして、「学び合いの会」についてかいつまんでお話します。

先ほど森司教も話されましたが、真生会館の講座で「学び合い2年間コース」が2001年から始まり、2001年2002年で第1期生が修了し、2003年2004年が第2期、そして今年2005年から第3期が学んでいます。

2年間コースでは、土曜日38回の集まりと、2泊3日の合宿研修1回がありました。講座参加者は横浜、埼玉、東京教区の40人ぐらいでした。講座では、発題者からの新しい視点が与えられるとともに、集まった人たちが自分達の信仰生活の現状を語り、小教区教会を離れて、自由に意見を述べ聞きあう「学び合い」を経験いたしました。カトリック新聞の記事にも書いてありますが、第1期が終わったときに、このまま別かれてしまうのは勿体ない、なんとか学びあいを続けていこうじゃないかということでこの「学びあいの会」が始まりました。

 

「学び合いの会」の目的として、21世紀の教会を目指していくことを挙げています。ねらいは、「新しい教会を具体化するためにはそれを願って日々努力されている多くの人々の意識と行動を寄せ合うことが大切であり、ひとりでは挫折しそうな仲間や気づき合った仲間たちのつながりの母体となり力をくみ取れる源泉となるような会を目指して、多くの賛同の輪を広げていきたい」と、そんな風に、自分たちだけの集まりということではなく、新しい教会づくりに関心を持つ多くの人々の求心力になるような会になっていけば良いのではないかと考えたわけです。

 

「会のメリット」として会の発足時から考えているのは、次の通りです。

@  共感を得る場としてのメリット:

参加者は、まず自分の悩みへの共感と励ましをこの会で得るメリットがある。教会には現状に悩みを抱いて刷新が必要と考えている人がたくさんいるが、この会の参加者は、自分の教会に帰って「悩み」を分かち合い、この学び合いを通して学んだことを分かちあうことが出来る。より広い視野から具体的な教会づくりのための策戦も練ることが出来るかも知れない。

A 会員以外の人々への「学びあい」を分かち合うメリット:

「2年間の学び」を通じて、現代の「小教区の教会の姿」と私達の「新しい教会像」との間のギャップはすごく大きいことがわかった。第1期生だけの集いではなく、第2期生も同じ主題で参加し、真生会館の発題者と違う視点から、或は似たような視点でも、学び合いを深めあうことが出来る。さらには、外部からの新しい参加者との「学び合い」によって新たなエネルギーを受け取り合う可能性がある。

B 「たこつぼ」状況からの脱却経験のメリット:

教会や社会は、現状維持や体制維持すらなかなか容易でない面があるが、刷新のためには、さらに大きいエネルギーを必要とします。自分だけの問題意識を抱える「たこつぼ」状況からの脱皮がいかに困難であるかは、参加者は「2年間の学び合い」を通して体験してきた。この共通の体験を持つ者同志の集いであるメリットが、新しい課題を話し合うときに生きてくるのではないか。また、その苦難を、未経験の「悩み」を持つ人々に示せるかも知れない。さらにそれを深める学びの過程が自己の成長の場となるメリットがある。

C 自由な発言の場としてのメリット:

この集まりの中では、小教区に属さない立場で「教会」や「信仰生活」のいろいろな側面について自由に発言出来る。小教区や教区を超えてカトリック教会の本質や課題について大局的な視点の話ばかりではなく、現実の生活を語りあい、力づけあうことが出来るかも知れない。

•  この経験を「会」の外に分かちあうメリット:

機関誌やホームページなどにより「課題の具体例とその経過」を全国的に広げるなどのことも考えられる。(*機関誌はまだありません。ホームページはあります。)

 

そして、「学び合いの会」として発足してから、2003年は3回、昨年と今年は、年4回の自主企画の例会を続けています。新たな方向としては二つあると考えています。

一つはもっと具体的な現実の人生の中で遭遇する困難な問題を通じて共に学び合い助け合う小さな集まりを始めること。これは設立当初から考え方としてはありましたが、現実に立ち上げるのは容易ではありません。課題として引き続きもち続けたいと思います。

それと、今回実現したわけですけれど、私達が体験している様な悩みを持ちながら「21世紀の教会のあり方を考えたい」と言う同じ思いの方たちが日本全国に多くおられるに違いない、それらの方たちとの連携の輪を広げたらどうかというものです。

「学び合いの会」としての存在が知られると、「教会の民主化」とか「全員参加型教会」とかに向けての集まりのお誘いがあったり、教会の新しいあり方についての最新の情報交換などがだんだん増えていくのを感じています。

 

これまでの「学び合いの内容」に関してはインターネットの「学びあいの会」のホームページに掲載しております。ウェブ検索で「学び合いの会」を検索しますと、出てきますので是非ご覧ください。多くの方々とのネットワーク、ゆるやかなつながりが出来ていけばいいなと考えています。

 

2.参加者による発題: 「教会は頼りになりますか−あなたにとって」

発題1 

私、個人の体験を語らせてもらいます。私にとって教会とは・・・

プロテスタントの牧師の家に生まれ、開拓伝道のときは、家の唐紙を外して集会を開くような環境を、自然に受け入れて育った。子どもの頃に教わった讃美歌を歌うと、自分の中に昔の共同体が生きていることを感じる。

大学は安保闘争の時代。父とよく議論をした。教会がわからない、と飛び出したが、いつも教会を探し求めていた。そのすさんだ生活の中で、一人の司祭に出会った。深い沈黙の祈りと秘跡とを知り、「目に見える教会」に出会った。司祭は率直だった。「カトリックも悪いことをしてきた。プロテスタントを否定しなくてもいいのですよ。」

その後「条件付洗礼」を受けカトリックに籍を移した。司祭に、父との和解を促され、父は私を理解した。亡くなるときは「カトリックもプロテスタントも無い。」と言ってくれた。

 

私は教会から (1)文化を越えた命との出会い、(2)荒野との出会い、(3)それぞれの民族(文化)との出会い、をいただいた。これは、目に見えない、広義の「教会」との出会いであった。すなわち、様々な国の人々との出会い、目に見えない人々、時間を越えた人々との出会いだ。また、エキュメニカルの視点では、プロテスタントとカトリックの狭間で、引き裂かれる気持ちもある。

 

教会は頼りになるか?という問いに・・・

目に見えない人々の命につながる教会は、私にとって無くてはならないものだ。それが“心に”見えなくなると、私が「壊れて」いく。コミュニオンが見えないとき神が見えず、神が見えないときコミュニオンが見えない。そして自分の体も心も壊れていく。

一年前に引っ越した先の教会でのこと。教会内のトラブルから司教への上申書が壁に貼り出され、集会で信徒は主任司祭に反対し、自分は深く傷ついた。そのため今は元の教会に籍を置かせてもらっている。目に見える教会が私のつまずきになった。それによって私は「つぶれる」→「ツブヤク」→「つぶれる」という悪循環に落ち込んでしまう。

自分の弱さを正直に告白する。

目に見える現象の中に「しるし」を探すのは間違っていた。私が目に見えない教会の「しるし」になっていないのに、その私がなぜ「ツブヤク」ことができるだろう。「しるし」となる者に私を清めてください、と願っている。

 

発題2 

狭い見方になるかもしれないが、私自身の体験から発題する。

私は長崎で生まれ育ったが幼児洗礼ではない。両親に反対され、学生だったので3年待って、20歳になる1ヶ月前のクリスマスに、両親に内緒で受洗した。半年後に引越した先の教会は、神父の指導で青年会活動が活発で、他教会との交流やハイキングなどを楽しみながら、自分の信仰の原点を見つめ、信仰を強めていく機会になった。私にとっては頼りになる教会であった。いつも近くに仲間がいたので、迷いがあっても切り抜けることができ、修道生活を選んだときも、神父が力を貸してくれた。

 

教会の中の事例・・・

(1) 戦後の混乱の中で結婚・離婚を繰り返した女性がいた。毎週のミサに与るときは、い

つも後ろの席に座る。ご聖体の秘跡については、どの司祭からも「無理」だと言われたが、ミサは休まなかった。或る時、主任司祭が交替した機会に、わらをもすがる思いで相談したら、「難しいですが、やってみましょう。」と言ってくれ、やがてご聖体を受けられるようになった。
(2) 神父の提案で、バザーの収益を利用し、困った人たちに無利子で援助する制度を設けたところ、それによって救われた家族がある。何年か後に未信者だった夫が受洗した。

 

以上の例から見て、教会が頼りになる存在かどうかは、司祭次第というところがある。特に長崎の場合は、信徒が率先して動くと言うよりは、司祭の意見で動くことが多いように感じる。

 

私の意見・・・

信徒同士の横のつながりができれば、「頼りになる教会」になれると思う。個人的な努力も必要だが、私たちは一人では生きて行けない。修道会も互いに支えあっている。一人が神につながるだけでなく、横のつながりが生まれれば、教会は信仰を分かち合える場所、頼れる場所になると考える。

 

発題3 

所属教会の友人と2人で話し合いながらアンケートに応じた。

もの心つく3歳のころから、私にとっての教会は、家族をまるごと包んでくれる自分の居場所だった。どんなときにも教会は「私」だった。

アンケートで戸惑ったのは、これまで自分に「教会は頼りになるか?」という発想が無かったからだ。発想を転換して、「自分は教会の中で頼りにされているか?」という視点から、グループの学び合いなどで具体例を話し合ってみたい。「自分は教会にとって頼りになるか?」と問いかけるところから、頼りになる自分づくりへと向かえるのではないだろうか。また、ここで問われている「教会」は何を意味するのか。ユニバーサル・チャーチとしての教会か?それともローカル・チャーチとしての小教区なのか?

増田師に伺ったら「ユニバーサル・チャーチは概念です。」と言われて気付いた。小教区の中にこそユニバーサル・チャーチのしるしが見えなければいけない。自分が思い描く教会が何か?を認識することは大切だ。

いま、教会は「玄義の喜びの体験(信仰体験)」を分かち合っていないように思う。

体験の一つとして、頼りになる存在の例をあげる。

山田さん(仮名)は、「カトリック教会の教え」を学ぶためのアンケートを実施しようと、司祭に相談したが、司祭から「必要ない」と却下された。そこで山田さんは、訪問司牧の養成グループにこの件を提案し、このグループの中でやっていくことにした。

山田さんのように、たとえ障害があってもへこまずに道を切り開いて行く人がいる。愚痴や批判を「過ぎ越し」て、新しいステップを目指したい。

 

< 10月9日(土)・2日目>

4.グループ発表  ―発題とグループの学び合いを基に「私は何を感じたか」

 

第1グループ (Aさん) 

私のグループでは教会は頼りにならないという人が約半数いた。その中で出たこと・・・

* 教会というところは生活の中に信仰があり、信仰の中に生活があるのではない。

* 軌道修正のできる場。

* 事件に巻き込まれたときに何もしてあげられず、教会から去ってしまった人がいて寂しさを感じた。

* ご聖体をいただく喜び、頼れないと思うが、教会へは足を運んでいる。

* たとえ人を殺しても、神様の考えでは理由もなく人を裁いてはいけない。

* 子供が教会で間違って理解をする恐れもある。

* 教会は自分の心の中にあるもの。

 

私が感じたのは、教会は神様がくださったプレゼント、皆は頼ってないというが、最低線では頼りにしていると強く感じた。 教会へ行きたくても母の介護などで行けなかった時期があったが、教会は正直何もしてくれず、誰も頼りにならなかった。両親を見送ってすべてから解放された自分を、多くのことが待ち受けていて重荷を背負いきれず、どん底に突き落とされた。それが私の神様との出会いだった。それから自分の方から出会いを求めた。教会の聖堂は私の心をいやし、やさしく包んでくれた。 

頼りになったのは神父ではなく、本、図書館だった。勉強会にも行けず、明けても暮れても、夜中も本、本、本。神様の本ばかり読みあさり、出会いを求めた。そしてようやく、神様がどれほど私を愛してくださっていたかに気づいた。

教会は人との出会いではなく神様との出会い、教会に行けなくても、どんな場所にいても、教会は神様と一体。祈りによって心の安らぎをいただく。そこが私にとっての教会だった。一番大切な私の信仰。教会を頼りにできないということは神様も頼りにできないということに気づかせていただいた。

 

第 3グループ (Bさん)

昨日の分かち合いで司教さまが、教会は母性的なものや2000年の歴史の大きな命の流れで救われていると言われた。私は、母性的な命は水の流れのように静かに流れていて、静かにやさしく包み込んでいくものだと思う。女性として、この母性という言葉が強く感じられるからだ。昔の教会、特に田舎の教会にいたのでのんびりとした雰囲気で人も温かく、教会を訪ねる人を受け入れる雰囲気が漂っていたので、安心して教会に行けた。グループの或る方は「司祭と出会い、色々な活動に導かれていった。」と言っている。

私の場合は聴こえないので、外国人の神父さまと気楽に会話というわけにいかなった。シスターを通して重症施設や養護施設と出会い、シスター方の献身的な働きの中に神様の存在を強く感じた。ふつうは、初め教えを勉強するが、私の場合はまずミサや聖歌などを通して、聞こえないけれど内面的安らぎを感じていた。これが私にとって一番大きな恵みと思っている。

数年前から、森司教様や、いろんな神父さまの本や講演のノートテイクをしてくださる方のおかげで学べるようになり、感謝している。

グループのある方は、日曜学校を手伝うようになって、教会から「受ける」のでなく自分から「与えて」初めて信仰をとらえ直し、教会が頼れるようになった。また、他の方はアジアの子供たちや、中国のことに関わって、教会の内側ではなく外側に自分が向かったときに、教会から頂いた霊的力でそれができるようになると気づき、教会を頼れるようになった。内側だけ見ていたときは頼りがいがなく、行き詰まったという。

私の場合は、教会から頼まれてお菓子作りをしているが、自分が必要とされていることで教会から頼りにされ、自分自身も、生かされていると感じている。一人ひとりの存在を認めることによって、一人ひとりが生かされ、一人ひとりが教会を頼り、互いに生かしあって、はじめて互いに頼りがいのある存在になって行くのだと感じた。

マザーテレサも、「今の世の中で一番の不幸は、だれからも顧みられず必要とされていないこと。」とおっしゃっている。昔と違って残念だと思うことがひとつある。現代の教会の中に母性的な温かさ、柔らかさが薄れていて、人間関係がギクシャクしてきているのではないか。頭でっかちになった女性が多くなって、教会内で女性間の対立が多いのではないか。頭ではなく、神様は母性的な方、このことをよく心に入れておきたい。

 

第5グループ (Cさん)

私が合宿に参加した理由は、テーマが教会では見られないテーマだったためだ。「いったい教会って何なんだ」と考えたこと自体が初めてのこと。 「教会を頼りにしているか」ということ自体が、私の中では逆転の発想で、「教会に対して何ができるか」ということばかり考えていたので面白いテーマだと思った。

結論から言うと、委員会などでいろんな意見が出るが、やはり神父さまのお考えが中心になってしまう。精神的な面、宗教的な面では、やはり教会が一番頼りになると思う。

今の教会に30年位いるが、親しい人が出来て、私みたいな口下手な人間でも、心の内を全部さらけ出さなくても、自分の言いたいことを、ある程度理解してくださる方がいる。そういう意味では頼りにしていると思うが、本当に困って崖っぷちに来たときに、信者同士では解決しえないってこともあると思う。

そういうときに一番頼りになるのはやっぱり神父さまだが、そのときの神父さまのお人柄とか、普段のちょっとしことで限界が見えてしまうことがある。自分に答えが出ているわけでもなく、こういう答えがほしいというわけでもないけれど、じゃあ、頼りにしているかといわれれば、「はい、頼りにしています。」と、もろ手を挙げては言えないところもある。

原点に戻ってアンケートに書いたことを読むと、ごミサだとか告解とか、教会の建物の中でやってくださることはきちんと参加しているので、文句なしに頼りにはしている。しかし、自分の子どもにも言えない、肉親にも言えない、そういう時に、親しい、知り合いの神父様がいない人は、所属教会の神父さまに相談するしかない。このあとはちょっと言いにくいので、この辺ですみません。

 

第7グループ (Dさん)

もし、カトリック新聞の切抜きの中に「愚痴、悪口はだめ。」ということばがなければ、もっとたくさん本音が出たのじゃないかと言うのが私の正直な感想です。

 

11、2年前、プロテスタントだったが、イグナチオを知って改宗し、次の年に結婚した。教会で結婚式を挙げ、2−3年後には主人も洗礼を受け、子供も幼児洗礼をうけた。転勤族だったので東京近郊のいくつかの教会を経験した。いくつかの教会の共同体で経験したマイナスのことについて今日は報告してみたい。その経験はみなさんの経験とオーバーラップすると思うし、それが、私たちの心の癒しや、物ごとの解決につながるものと信じてお話しする。

結婚して最初に行った教会に「主(ぬし)」がいたのでびっくりした。教会は、ごミサも神父さまも素晴らしく、告解もあると聞いていたのだが、その「主」の方と口論になったときに、次の日から彼女は口もきかず、会うこともしなくなり、なるほど、こういうこともあるのだ、ということを学んだ。

また修道会の教会と小教区の教会の違いも知った。イグナチオからその教会に籍を移したのだが、そういうことがあったので、また自分たちの教会に籍を戻した。 その後、転勤のたびに主人と相談し、子供が小さいので近くの教会には行くけれども、自分たちの教会はイグナチオにすることにした。そこで分かったことは、人生の中で一番責任を持ってくださるのは、洗礼を授けてくださった神父さまだということだった。

私は足を2度手術しているのでごミサのときに立ったり座ったりできないが、典礼委員になった40代の女の人が、急に私に対して威張り始め、「後ろの方に座りなさい。」と言われ困ってしまった。話を聞くときは神父さまのお顔が見えたほうがいいし、よほど事情がない限りは、自分の席は自分で選んでいい筈だ。 

教会で講演会があり、その後食事会があった。プロスタントとカトリックの牧師様や神父様たちが一緒で、食事会には誰がでても構わないというので、喜んで出ようとしたら、神父様が、出ない方がいいという。あとになって聞いたら、転勤してきた神父様が、以前この教会にいらしたので、古い信者さんたちが大勢お戻りなって、その人たちの集まりになってしまったということだった。なるほどそういうことだったのか、と納得したが、私としては、講師が私の大学の県の方で、牧師さんとも話をしたかったのだ。

主人とカウンセラーに相談したら、ちょっと教会を変えてみてはどうか、と言われた。些細なことで教会を変えるのは良くないとは思ったが、当時の新聞に、ある教会が病人のために良いところで、神父様も素晴らしく、良い教会運営をしている、という記事が出ていた。早速、訪ねてみると、記事のとおり、とてもいい教会で、事情を話したら、ストーブの横に座らせてくれた。ストーブの温かさで体が良くなり、帰るころにはすごく調子が良くなっていた。その神父様に話して、教会の駐車場を使わせてもらうこともできた。後に主任司祭が替ってから、また使えなくなくなったのだが。

その後、集会で知り合った人が、偶然主人と同じ職場の方の奥さんで、彼女は不倫に悩んでいて、私に、これをしてくれ、あれをしてくれという。理由をつけて断ったら、トイレに呼び出されて怒鳴りつけられた。

また、ある教会では、子供のことで相談したら、それを勝手にカウンセラーの先生に相談されてしまった。私に断る一言が必要なのに、それは道徳とかマナーの問題だと思う。

ある神父さまが、「教会はベストのところではない。私たちがやれるのは、ベターな状態を作り出すことだけだ。」とおっしゃったが、それが「教会は頼りになるか」という問いに対する結論になるような気がする。一番大事なことは、私たちが神様との関係、洗礼との関係、聖人との関係、そういったことを通して、神様に対する信仰を持ち続けること。教会で傷ついて、力がなくなって、家に帰ったらもっと疲れているという状態がどこかにあると思う。それを皆で少しずつ改善する方向に向かえたらいいなと思う。

全体会でのご意見:

E)  私の勘違い、思い違いについて。

私は、教会は「必要」であると単純に思っていたが、これは間違いだと気付いた。そればかりでは一種のタコツボにいるようなもの。前庭のことだけ考えていた。「さわらぬ神に崇り無し」の教会であった。前庭の話でなく本質を考えるべきであった。キリストは何を望んでいたか、キリストならどう行動するか、を考えていきたい。

 

F)  今回のテーマの設定で「教会」をどう定義するか?

「キリスト」=頼りになる。「教会(建物)」=頼りにならない。これは当然ではないか。

ミサの最後の「派遣の挨拶」を教会の中に持ち込んだままで、外に出られない状態がある。これではママゴトに終わっている。活動のエネルギーが教会の中にある。

 

G)  将来の教会がどうあって欲しいかを話し合う場と思う。ここでは「地上の教会」の責任を問いたい。なぜ「頼りにならない」かの事情をよく吟味する必要がある。また、一概にグチを否定しては自分が見えてこない。グチは自分の弱さということだから。きれいごとではいけないと思う。 4人の発表者の話から、人の暖かさの必要性を強く感じた。

 

H)  教会委員長をやっているといろいろな悪口が耳に入って来る。私の教会は主任司祭不在が4年間続いており、代行司祭も常駐ではない。いまだに聖職者に頼る傾向が強いが、私たちは司祭不在を前提にものごとをきめるようになった。

このような状態は、求心力に欠けるデメリットはあるものの、一方で多くの司祭に出会えるメリットもある。今後、信徒が中心となって教会を運営していく必要を実感している。

私たちの教会で大きな事件が起きた。関係者が親しい人なので、どうしてよいか悩んだ。こうした例に出会ったとき、自分は頼りにならない。特異な事例だが、普遍的な問題を含んでいるので紹介した。

 

(司会) 事前アンケートによれば「自分の信仰の面では頼りになる」という回答が多かったが、共同体に関しては、分かれている。「教会」をどうとらえるか、にもよると思うが、どうでしょうか。

 

I)  自分なりに整理してみた。自分にとって教会は「神との出会い、神との確認の場所」。小教区共同体とは切り離して考えたい。「一人ひとりが教会」と整理してみた。

地域で苦しんでいる人に接して、共に苦しみ、共に喜び、泣くことが教会の役割だ。

小教区は人間的な場所。傷つくこともあるが、一人の自分が教会としての機能を発揮しようとすれば、いろいろな問題が見えてくるし、分かってくる。

今朝の祈りの朗読を聞きながら、そのとおりだ、と思った。「あなた方は、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい・・・」

一人ひとりが光になることが大切と思う。

 

J) きのうの学び合いで「試練のプロセスを乗り越えることが大切」と感じた。

良い事があっても、皆それを言葉に出して言わない。それを大いに言うべきだ。人の言葉にすぐに反論すると揉めてしまう。それをキリストの言葉と受け止められないか。

一人では何も出来ないのだから、共同体の力を使ってはどうか?

 

K)  教区の女性の集まりの責任者を務めました。その経験から教会とは建物ではないとおもいます。人が集まりミサをし、連帯して共同体なり、活動するという目に見えないものであると思います。

 

L)  「教会」とは?の問いに、それぞれ思い描くものは違いがある。

森司教は「それぞれの違いの中に生きている。」と言われたが、それぞれの人に働いているものを見ると教会は豊かになっていく。一対一でもトラブルの可能性がある。些細なことに傷つき、それが重大なことになってしまうのが教会というもの。一人ひとりの生き方の中で、キリスト者であることを伝えていくことが必要。

 

M)  それぞれに、神に出会った場所は違う。そうした違いを自覚し、「ミサ=キリストとの出会い」の原点を忘れないようにしたい。ミサ→→派遣→→地域・家庭、と入っていく。生活の中に入っていく。一人ひとりの違いを大切にしながら。

 

N)  教会は「家庭」を必要としている。家庭で信仰について語り合えることに感謝している。教会では、マルタ的役割だと自覚している。そしていつも、これは神の働きなのか?それとも自己実現への傾きなのではないか?と問い直しつつ行っている。

知的障害を持つ人たちと接して多くを学んだ。自分の中の弱さを知り、接した人たちから優しさをもらった。

 

O)  言い忘れたが、教会は「癒される場所」でもある。小教区で傷つき、大きな人の輪(所属する活動グループ)の中で癒され、また小教区に戻ってくる。これも教会だ。

 

P)  自分にとって、教会は、危機を乗り越える場所だった。

カウンセラーの仕事を通して、離婚、同性愛・・・などの事例と向かい合った。森司教は「キリストの眼差しと視点で、」と言われたが、こうした苦しむ人々を包含した教会であって欲しい。

 

Q)  昨年来、福岡教区で同じような学び合いを行っている。そこでは事前にレポートを書く。「あなたにとって教会は?」「あなたはエネルギーになっているか?」「教会はエネルギーになっているか?」

といった設問。集まりではレポートを返して話し合う。レポートでは「教会=小教区ではない」という意見が多いが、話し合いになると、いつの間にか「小教区」の話になる。

教会で婦人たちのグループから「文句」が上がってくる。そのときは「判りました。」と答えるが司祭には上げない。それで満足して収まることが多い。

私も上述Hさんが話された「事件」と同じような経験をした。そのような時、事実を明らかにするのが良いのか?真実の解決策はあるのか?と迷う。いずれにせよ、当事者が教会に戻れなくなるような方法は避けたい。

ハンセン病の場合も、未だに事実が表に出ればいられなくなる。当人や関係者に係わるうわさが出たときどうするか、を小教区の中で話し合えれば良いと思う。

 

5.司祭コメント  

 増田師 「いつも困った状態にある教会」

 (文責:「学び合いの会」記録係)

自己紹介

イエズス会の増田祐志と申します。北海道の出身です。洗礼は大学の一年の時に受けました。その後修道会に入って司祭になりましたが、小教区にはかかわることがないまま大学で神学を教えています。担当している科目の一つが教会論です。教会は何かと学生に教えているのです。教会についてのいろいろな概念を使って教えます。

 

わたしの小教区体験

わたしが洗礼を受けたときには家族で私だけが信者であったのですが、あとで両親も洗礼を受けて教会に行っています。父親はある教会の信徒会長を昨年までしていました。年に何度か実家に帰りますと、夕食のときお酒がはいると、両親から教会のことをマシンガンのごとくいわれます。あの神父さんがこんなことを言っていたが本当なのとか、それは第二バチカン公会議の精神に基づいていることなの、あの神父さんのやり方はおかしいとか、いつも 3時間ぐらいは話を聞かされます。これが教会の現実なのだと思いながら、こんなやり方で一寸とした小教区体験をしているわけです。

 

話のテーマ

今回のテーマ「教会は頼りになるか」の意味ですが、何かを「頼りにする」のは困った時です。困っていなければ頼る必要はないわけです。頼りにするはずの教会や共同体が困った状態になってしまう、教会の歴史はこの連続です。教会は困った状態にありながらそれを乗り越えてゆく歴史でもある。このことをこれからお話します。

 

常に不完全な教会

教会が完全な共同体であったことなどはこれまでもなかったと、どなたかが先ほど言っておられましたが、その通りです。教会の完成は終末まであり得ないのです。教会共同体は人間の集まりです。そこには必ず超越的次元があるから単なる集まりとは申しません。しかし人間の具体的な集まりです。具体的場所の中、具体的時間の中、具体的文化風土の中にある集まりです。ですから、文化や場所や時代が変わればその影響をもろに受けます。常に変化に晒されているのが教会です。変化の中で困った状態に陥り、それを乗り越えてきたのが教会共同体の歴史です。 

 

教会の基礎であるイエス・キリスト

教会共同体の基礎はイエス・キリストにあります。イエス・キリストとは、救い主として告白されたナザレのイエスのことです。そのイエスへの信仰が教会共同体を産み今も支え続けているのです。イエス自身はどのような教会共同体の経験があるのでしょうか。イエスはユダヤ教徒として生まれ、その中で育てられ、彼の体験したユダヤ教の中でアッバである神を体験するわけです。そしてユダヤ教徒として死んでいく。イエスも当然彼が所属していたユダヤ教の中で、自らの神体験と言うものを深め、ついには彼の神体験が当時のユダヤ教の枠組みを突破してしまうことになります。

幼子のイエスが成人したイエスと同じことを語っていたわけではありません。子供の頃は子供のユダヤ教の信仰を持っていた。彼に神を伝えたのはその時代のユダヤ教です。しかし彼はそのユダヤ教の枠組みのなかで、彼自身の深い神体験、宗教体験を経て、イエス自身のイエス独特の神体験に到達します。

そこで困ったことがイエスにおきてきます。イエスの時代のユダヤ教が語る、特に当時のユダヤ教エリートや指導者たちが語る「神」や「神の愛」「正義」「救い」と、イエス自身が体験した「神の愛」「神の正義」と言うものがずれ始めていきます。結局、イエスは律法中心主義的ユダヤ教の「救い」の考え方と衝突します。特に宗教指導者であるファリサイ派やサドカイ派の考え方と衝突してしまいます。それはユダヤ教の人々にとっても困ったことであったでしょう。当時のユダヤ教はとりあえずうまくいっているのに、イエスが変なことをいい始める。当時の社会は宗教と政治が完全に一致している社会ですので、宗教の秩序が破壊されるということは、社会秩序そのものが破壊されることです。イエスは、当時のユダヤ社会に秩序転覆をもたらす危険人物と見なされていくようになります。そこで何がおきたのか。イエスは結局彼が所属する共同体から殺されてしまうわけです。

 

イエスの弟子たち

イエスの宣教の途中に、イエスの活動に加わっていた弟子たちがいます。弟子たちもイエスに対して自分なりの希望を投影し、イエスこそは自分たちの希望をかなえる者であると思って従って行きます。しかし、イエスは弟子たちの期待を裏切るような形で死んでいってしまう。弟子たちも困ったことでしょう。イエスの受難時、弟子たちは離散してしまいます。イエスの逮捕の瞬間から、女性たちをのぞいて、男弟子たちはイエスの元から逃げ去って行きます。弟子たちにとっては、自分の身が危ないという困った体験でした。

ところが離散していた弟子たちが再結集し、イエスの宣教を継続し始めます。これが弟子たちの復活体験と言われるものです。それまでの弟子たちの生き方を根底から覆すような深い宗教体験に見舞われます。そして、イエスが伝えたかった「神の国」「人々に開かれた神の愛」「神の正義」、つまり「貧しい人々、罪人、社会の底辺にある人々を愛する神の愛と正義」を伝える「イエスの宣教」を、弟子たちは継続していくことになります。それも力強く行っていくようになります。

 

ユダヤ教内のイエス運動

 弟子たちも初めはユダヤ教と宗教的アイデンティティーが異なるキリスト教という違う宗教を創設する意志はなかったのです。自分たちはあくまでユダヤ教の一部であって、その中でイエスの宣教活動を継続していこうとします。使徒言行録の初めを読むと弟子たちはユダヤ教の神殿にお参りする箇所が出てきます。これはまさに伝統的なユダヤ教の信仰形態です。しかし、イエスの宣教のそのものに潜むダイナミズムが、結局は、弟子たちの共同体をユダヤ教の枠を突破するキリスト教という別個の宗教に成長させていきます。弱かった弟子たちは、深い宗教体験によって強くされる。しかし、生き方を変容された弟子たちが始めたイエス運動も、すぐに仲間割れが起きます。

 

ヘブライオイ(ヘブライ語を話すユダヤ人)とヘレニスタイ(ギリシア語を話すユダヤ人)

使徒言行録の 6章1節から6節までを読んでみましょう。

 

そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。そこで十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。それで兄弟たち、あなたがたの中から、霊と知恵に満ちた評判の良い人を7人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。わたしたちは祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、ほかにフィリッポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメラ、アンティオキア出身の改宗者ニコラオを選んで、使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼等の上に手を置いた。

 

この物語は単純です、ギリシャ語を話すユダヤ人とヘブライ語を話すユダヤ人の二つのグループが初期イエス運動に存在しており、この二グループの間に対立が生じてきたということです。

パレスチナに住んでいるユダヤ人はヘブライ語を話します。が、パレスチナ以外の土地に住んでいるユダヤ人はギリシア語を話しています。地中海の交易都市、アレキサンドリアやアンティオキアや小アジア(今のトルコ)などに商売のためなどに、多くのユダヤ人が住み着いていました。その町で自分達のグループを作ります。今で言えば横浜の中華街のようなものです。そこに移住した第一世代の人々はヘブライ語を話しますが、子供や孫になると当然その土地の言葉を話すようになります。しかしユダヤ人ですからエルサレムの神殿が中心であるとの意識もあります。エルサレムに行けばイエス運動に加わるものも出てくる。日々の分配のことで仲間の寡婦たちが軽んじられていたと言うことは何かと言うこともあるでしょうが、もう一つ大きな問題は、同じユダヤ人として律法をどの様に守るのかということです。ヘブライ語を話すユダヤ人は厳格な律法遵守を当たり前のこととしています。ところがギリシャ語を話すユダヤ人というのは、異国の地に住んでいますから律法を厳格に守りたくとも守れない状況にあります。守っていたらその土地に住み続けられない状況もあります。律法をどこまで守るのかで、両者の間で相当の開きがあっただろうと思われます。イエス運動に参加している人たちの中に、律法の守り方に関する態度の相違があったのです。

イエス自身は律法をまったく否定していません。「心を尽くし精神を尽くして神を愛しなさい、そして自分自身のように隣人を愛しなさい、これが最も大切な教えである、他の預言や律法はこの最も大切な掟の前には相対化される」と言っていますが、律法はいらないとは一言も言っていません。「人を愛するためなら安息日の規定は相対化される」とは言いますが、安息日の規定がいらないとは絶対に言いません。イエスのライフスタイルの中に、伝統的ユダヤ人の厳格な律法遵守主義と一線を画するものがあったのは事実です。そのイエスの生き方を継続しようとするイエス運動の人々は、イエスが律法に対し持っていたセンスにおいて、自分たちが継続してどの程度イスラエルのライフスタイルを守れば良いのかというところで、ヘブライ語を話すユダヤ人とギリシャ語を話すユダヤ人の間で大きな対立が起きただろうと考えられます。

 

ステファノ殺害と迫害

最初の殉教者ステファノの殺害もこの文脈の中で理解すべきです。彼はギリシャ語を話すユダヤ人です。イエス運動に参加していたヘブライ語を話すユダヤ人にとっても、ステファノは我慢のならない人物であったでしょう。彼を殺したのはイエス運動に参加していないユダヤ人であったでしょうが、イエス運動に参加しているヘブライ語を話すユダヤ人も、ステファノへの迫害を積極的に阻止はしなかったようです。

さらにステファノの殺害の後、エルサレムの教会に対して大迫害が起こると、使徒たち以外はみなユダヤとサマリア地方に散っていきます。エルサレムの教会に大迫害が起こったのなら、普通はそのリーダーをねらうはずです。しかし、使徒たちはエルサレムに残ることが出来た。これは、ヘブライ語を話し、律法遵守においても従来のユダヤ人たちと似ていた使徒たちに対する迫害はなかったとことを意味しています。逆に、この迫害はイエス運動に参加しているギリシャ語を話すユダヤ人を対象にしていました。このように初代教会においてもイエス運動の極初期から、意見の違いや習慣の違いから直ぐに仲間割れや対立が起こり、ある場合は殺し合いにまで発展していったということです。

 

ペトロ・パウロ

次に、パウロとペトロです。ステファノの迫害にパウロは手を貸します。その後パウロは回心を経験して、イエス運動に加わり、パウロの活動によってイエス運動は地中海沿岸に広がって行きます。しかしパウロが必ずしもすべてのイエス運動の人たちから歓迎されていたわけではありません。パウロの加入は共同体を強めたという側面もありましたが、共同体に混乱を持ち込むことにもなっています。

パウロ本人が書いた手紙であると考えられている「ガラテアの信徒への手紙」(1:13−2:14)の部分を読んでみます。

 

あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどの様にふるまっていたかを聞いています。わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。(中略)しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず、またエルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした。それから三年後、ケファと知り合いになろうとしてエルサレムに上り、十五日間彼のもとに滞在しましたが、ほかの使徒にはだれにも会わず、ただ主の兄弟ヤコブだけに会いました。

 

回心後アラビアに三年間引きこもり、それからリーダーであったペトロに会うためにエルサレムへ上り、主の兄弟ヤコボに会ったということです。

 

その後十四年たってから、わたしはバルナバと一緒にエルサレムに再び上りました。その際、テトスも連れて行きました。(中略)わたしは、自分が異邦人に宣べ伝えている福音について、人々に、とりわけ、おもだった人たちには個人的に話して、自分は無駄に走っているのではないか、あるいは走ったのではないかと意見を求めました。

 

初めの十年間は、パウロはバルナバと宣教旅行に行きます。ところが十四年後に「無駄に走ったのではないか」と、意見を聞きに行っているのです。当時のパウロにはこの宣教が成功しているとはとても思えなかったということです。彼に全然手ごたえがなかったということでしょう。自分は間違っているのではないかと不安に駆られてエルサレムに戻るのです。意見を求めるために。「わたしと同行したテトスでさえ、割礼を受けることを強制されませんでした。潜り込んで来た偽の兄弟たちがいたのに、強制されなかったのです。」この意味は、テトスはギリシャ人でユダヤ人ではない。割礼は律法遵守の最たるものです。ユダヤ教の中心であるエルサレムでさえテトスに対しては割礼を求められなかったということです。律法をギリシア人にも求める「偽の兄弟たち」とパウロが表現する人々がいたにもかかわらず、テトスは割礼を求められなかったということです。そしてエルサレムの主だった人たちと話をした。その結果、「ペトロには割礼を受けた人々に対する福音が任されたように、わたしには割礼を受けていない人々に対する福音が任されていることを知りました。」つまり、ペトロにはユダヤ人、パウロには異邦人への宣教が任されていることが確認されたということです。主だった人々から言質を取ったと言うことです。エルサレムの主だった人々はわたしの恵みを認め「ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目される主だった人たちは、わたしとバルナバに一致のしるしとして右手を差し出しました。それで私たちは異邦人へ、彼らは割礼を受けた人々のところに行くことになったのです。」

問題は次です。

 

ケファがアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。

 

初めイエス運動に加わったのはユダヤ人です。それもファリサイ派の人たちだったと考えられています。ギリシア語を話すユダヤ人とヘブライ語を話すユダヤ人と対立があった。それでもユダヤ人はユダヤ人です。だから同胞として一緒に食事をします。ところが、ユダヤ人は異邦人とは絶対に食事を一緒にしません。汚れるからです。しかし、使徒言行録の中には、コルネリウスが異邦人でありながら洗礼を受けたという記述があります。ペトロが授けるわけです。イエス運動に異邦人が加わってくるわけです。コルネリウスの物語の描写の中で、ペトロは異邦人にも聖霊が下るのを見て異邦人にも洗礼を授けます。そして当然異邦人とも兄弟として食事をするわけです。ところがエルサレムの主の兄弟ヤコブ−使徒のヤコブではありませんが、ユダヤ人としてイエス運動に加わったもの達のリーダーです−から、ユダヤ人が遣わされてきます。彼らはイエス運動に加わっていましたが、ユダヤ人として律法を守っていました。その結果異邦人とは絶対に食事をしない。そこでユダヤ教の圏内にあるアンティオキアに初めて異邦人を含めたイエス運動の中心が生まれます。そこでは初めの頃は異邦人もユダヤ人もともに食事をしていました。ペトロもそこに来ると異邦人と一緒に食事をしていました。そこに主の兄弟ヤコブの下から厳格に律法を遵守するイエス運動の仲間がきて、ペトロが異邦人と共に食事をするのを見て非難するわけです。ペトロは彼等の非難の言葉に引きずられて異邦人との食事を避け始めます。それを見て今度はパウロが怒るわけです。これがペトロに面と受かって反対したと書かれている状況です。この辺はパウロの性格が出ているところです。ペトロは面目丸潰れになったでしょう。ペトロの異邦人との食事を避けだしたという行動が他の仲間にも伝播してゆきます。たとえば、バルナバさえもこのような態度に引きずり込まれてしまったようです。

エルサレム教会の「主の兄弟ヤコブ」は凄い影響力があったことがわかります。ペトロよりもあったのは本文の記述から明らかです。だからみな彼の言うことを聞いてしまいます。ユダヤ人がみな異邦人との食事を避けだすことなります。

 

使徒会議

このとき、パウロは彼らが福音に従って真っ直ぐに歩いていないのを見て、みなの前でケファにいいます。「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか。」パウロの考えではユダヤ人が律法を守るのは当たり前です。パウロも律法を守っています。ところがイエス運動に加わった異邦人が律法を守る必要はないという考えを、パウロは彼のイエス体験ゆえに持っていました。初期のイエス運動はユダヤ人がほとんどでしたから、律法遵守の考え方が強かった。しかし、異邦人が加わり、異邦人の比率が増大していくと、異邦人に律法を守らせるべきなのかどうかという議論が起きてきます。そこで、使徒言行録十五章に出てくる「使徒会議」というものが行われます。この会議の結果異邦人には律法を守らせなくとも良いということになります。それでユダヤ人でない異邦人が仲間に入りやすくなります。そして数がどんどん増えればユダヤ教的な色彩は薄くなって来る。結局は、ユダヤ教とは別のアイデンティティーを持つキリストの教会が出来るようになってくるのです。

当然原始教会はいろいろなことが決まっていませんし、いろいろなイエス体験を持ち込んで来ます。その中で意見が合わない、仲間が殺されるのを黙って見ている状況さえもありました。教会のリーダーの一人と言われる人でさえ、ふらふらした態度をとってしまいます。ペトロはある意味では司牧者であったともいえます。現実を見ていて態度を決めて行くところがある。ところがパウロはエルサレムの主だった人に意見は聞くが、自分のイエス体験を確信し、主張し続けます。その結果パウロは偉大な人になってゆく。彼のおかげで、イエス運動はユダヤ教を突破して行くことができたとさえいえるかもしれません。

 

その後の困った教会

しかし、教会は困った状態をずっと続けていきます。使徒言行録や書簡を読めば教会は、困った状態の連続です。初代教会を経て古代教会に入って行くわけですが、その後の教会もお互いに困ったと言い合うことの連続です。迫害のあった時代にはキリスト者になると言うことは、殉教を覚悟しなければいけないのですから、それなりの覚悟のある人が入ってきます。テルトリアヌスの時代(三世紀初期)の人たちは、聖なる人々の集まりが教会であると考えていました。聖なるといっても、完璧という意味ではないのですが、すくなくとも殉教を覚悟している人たちです。教会が聖なるものという意味は、本来は、教会に集まる人が聖なる人々と言う意味です。教会の聖性はその構成員の聖性に支えられていたという理解です。だから教会は聖なる場所なのです。

しかしローマ帝国から教会が公認されて、キリスト教徒であることがローマ市民として生活するうえで得であり便利である特権を得るようになると、状況は違ってきます。キリスト教は殉教を覚悟するような恐ろしい宗教ではなく、むしろそのメンバーになっていれば市民生活において得する宗教というステイタスになっていきます。そうなると、どんどん入信者が増えます。しかし一方で、そうなると教会の構成員の倫理レベルが低下していきます。そのような状況下では教会の聖性の根拠を、構成員の聖性に置くわけにいかなくなります。

そこで神学も変化します。秘蹟とか超越的次元だとかに持って行くことになります。ゆるしの秘蹟の実践の仕方もかわってきます。迫害があった古代教会では生涯一回だけ罪が赦されました。しかし、雑多な人たちが教会に来るようになると、一回だけの赦しではうまく機能しません。教会生活が成り立たなくなってくる。ゆるしの秘蹟のあり方も教会の歴史のなかでその実践は変化してきています。聖体拝領の回数も同じです。中世では信徒はほとんど聖体拝領をしなくなります。それでも十分満足なのです。罪の状態で聖体拝領すれば地獄に行くと脅される。みな怖くて聖体拝領ができない。時代が変わり周辺世界も変わり、文化が変われば、人々の意識が変わり、それ以前の教会の制度やあり方や考え方や、実践は適用できなくなってきます。適用できなくなる状態は困った状態です。試行錯誤を繰り返しながら、教会は何とかその状態を乗り越えていくわけです。

歴史的にみると100年とか200年とかのスパンで教会が陥った困った状態を、なんとか乗り切っています。教会のリーダーたちの倫理レベルの低下している時などには宗教改革が起きたり、カトリック教会内改革が行われたりします。教会と社会との関係、特にフランス革命などが起きて教会が大きな打撃を受けて、いろいろなその時代に合った修道会が誕生し、教会と社会のギャップを埋めていきます。あるいは近年ですと一般社会から背をむけてしまって自分たちだけが「完全な社会」 (societas perfecta)であると言っていた教会、第一バチカン公会議の後の時代ですが、ものすごく硬直的な教会の時代がありました。教会が言うことと周辺世界の人々のメンタリティとが、あまりにも乖離した時代になると、今度はヨハネ23世と言う人物が神の摂理によって送られ、第二バチカン公会議が開催されるわけです。しかし、第二バチカン公会議が全ての問題を解決したわけではありません。個人的にはこの公会議は歴史的に最も影響力のあった三つの公会議の一つであると思います。それでも第二バチカン公会議が、あらゆる問題を綺麗さっぱり解決したのではないと思います。教会は相変わらず社会の変化人々の変化の中で困った状態を必ず抱えているものです。

しかし、頼ってみても頼りにならない教会は、ある時代のスパンの中で50年、100年、ある時には200年300年かけながらそれを乗り越え、そして人々の信仰に対するニーズに応え続けてきたわけです。信仰を世代から世代へと伝えていく仲介機関としての役割を何とか担ってきたという現実があります。初代教会のギリシャ語を話すユダヤ人とヘブライ語を話すユダヤ人との対立から始まり、ステファノの殉教、あるいはペトロとパウロやその他の人たちとの理解の違いから来る困った状態を、今現在も引き継ぎながら、私たちも今困った状態にある教会の一翼を構成しつつ、信仰を世代から世代へと伝えています。この意識はとても大事であると思います。

第二バチカン公会議(1962−1965)

第二バチカン公会議が歴史上初めてはっきりと教会とは何かと語っています。それまでは、教会について書かれた公文書はほとんどあまりありません。中世になってやっと教会をテーマとした文書が出てきます。第二バチカン公会議の「教会憲章」は、教会教導職が教会について語った文書としては、その量においても内容の充実としても歴史上最大のものです。このバチカン公会議が教会について何を語っているのか、細かく言えば毎週授業をしても一年では足りない内容があります。ポイントだけをお話します。

第一バチカン公会議(1869−1870)では教会を考えるとき教皇を先ず考えるのです。教会イコール教皇というのは聖職者中心主義の最たるものです。しかし、第二バチカン公会議では教会を「神の民」と位置づけます。聖職者中心主義の教会理解から「神の民」としての教会理解です。その意味するところは、教会に属する者みながこの教会に対して責任を持っているということです。聖職者の言うことを「はい」と黙って聞いていれば良いということではないのです。

アメリカの冗談で「よき信者の定義」として言われるのが、 PRAY, PAY、OBEYという三つの言葉が挙げられます。よき信者は「献金を良く払い」「祈りを良く行い」、「神父に良く従う」と言う意味です。第二バチカン公会議の教会理解はこのようなものではないということです。もしこの言葉を使うとしても内容的には、信徒も聖職者も共に良く祈らなければならない、役職や役割分担を担う人はお金だけではなくて自分のもてるエネルギーや時間を使って教会に奉仕するという意味ならよいでしょう。そして教会共同体の中でお互い(立場を越えて)よく聞きあわなければなりません。お互いに聞き合うことによって、最終的には神の意志に従う。そのために対話する教会のように理解するならこの言い方もあながち誤りではないかもしれません。「神の民」とはみながそれぞれの役割の中でそれぞれの立場の中で責任を持ち、違う立場の人に対して尊敬を払う教会です。

二番目は、第二バチカン公会議で「神の民」と同じぐらい強調されている教会の定義ですが、「救いの普遍的秘蹟としての教会」と言う定義があります。これは教会が世界の中で「救いのしるし」であると言うことです。教会は「しるし」です。教会の存在目的は自己目的ではありません。世界の人々に対して救いの「しるし」として仲介しなければならない教会です。「普遍的」と言うのはいつどこでも画一的にということではありません。逆に多様性がなければ普遍性は表現できません。誰にとっても救いの普遍的救いとなるためには、一人一人が異なるように、教会は多様な形で救いを仲介して「しるし」とならなければならないということです。

日曜日の度に教会でミサがあるのは教会の伝統ですし、尊重すべき教会の信仰生活のあり方です。それだからといってそれを画一的にどんな状況にある人々にも適用する強制となれば、それは「救いのしるし」ではありません。それは「つまずきのしるし」になるでしょう。一人一人の人生の課題というのは、人生のその時々で異なります。毎週ミサにいかれる環境の人もあれば、そうでない環境の人もいます。だからといって、その人々の間に信仰の差を見るのは間違いです。教会が「普遍的救いのしるし」となるためには、多様で柔軟な理解とあり方が求められるのです。

三つ目は「旅する教会」です。前半でお話したように、初代教会から2000年にわたって、教会が完全な教会であったことは一度もありません。常に神の創造の歴史の中で、終末に向けてもがきながら旅をしている教会です。旅をするということは完全でないと言うことです。常に清めを必要とする教会ということです。教会こそが正しく絶対であるという意識をもったら、キリストの福音に反してしまう。我々は常に謙遜さを求められています。

教会はこうであらねばならないという絶対的モデルなど、歴史上に存在しません。その時代に「しるし」としてもっとも機能するような教会のあり方というのは存在するでしょう。今の教会制度が、現代日本において多くの人の「救いのしるし」になっているのかどうか、つねに反省を求められます。多くの人がそこに「救いのしるし」を見出せる制度というものはあるでしょうが、どの時代どの文化、どの人々にも絶対的に最良に「救いを仲介」出来る絶対的制度や構造というものはありません。ですから「旅する教会」は清めを必要とします。清めを必要とする教会は変化を必要とする教会です。変わっていかなくてはいけない。変わって行くことによって教会はイエス・キリストへの信仰、イエス・キリストによって証された救いを、世界に、そして世代を超えて伝えていくことが可能になります。

四つ目は、第二バチカン公会議の精神から導き出されると私が考えている、わたしなりの教会理解です。教会をわたしは次のように定義します。「教会は聖霊にいぶかれたイエスの弟子達の共同体。」「教会」には、いろいろな次元があります。小教区、教区の次元、国単位の次元もあります。日本の教会という次元にはプロテスタント諸派も含まれるかもしれません。日本のカトリックと言った次元も無論あります。それを最も包括的に含む定義が「聖霊に息吹かれたイエスの弟子達の共同体」ということです。現在性においても歴史性においてもこの中で教会は変わって行くのです。変わって行くことによってのみ、イエスにおいて表された救いが、世代から世代へと仲介されて行くのです。

                                           以上

 

 

6.パネルディスカッション: 

「教会は頼りになるのか−地域にとって」

 

パネラー一番目:

教区宣教の在り方を考える集い : 

「地域にとって教会は頼れるか?」 この質問はとても難しく感じました。地域?どこまでの領域を地域にする? 教会? 何をさして教会と定義? こんな感じですが、自分なりに整理したことをお話しします。

もともとそこに生活している人々(地域)があって、教会はその後にやってきました。この地区ではここ数年、 50周年など周年行事が盛大に行なわれていますが、教会が地域に根付いているという実感はありません。戦後建てられた教会が多く、アメリカの援助が大きかったとも聞いています。地域の人々の要望よりも“地域に点在する信者のために造られた教会”であったように思います。とすれば、「地域にとって教会は頼れるか」は“教会の地域に対する在り方の見直し”を問われていると思います。この教会を振り返りながら、いっしょに考えていきたいと思います。

1) 教会の紹介

工業都市にあり、小教区創立 57年になります。信者数は1132名で、土・日のミサでは合わせて約469名(2005年2月調査女310 男159)が集います。歴代司祭は全てパリミッション会でこの地区13教会の中でもここだけは邦人司祭が赴任していません。

2) 創立 50周年を境に教会が変わってきたこと

この教会は、 1998年に50周年を迎えました。教会を船にたとえて「伝えよう、広げよう、キリストのこころを」をテーマに船出しました。確かに50周年を境に教会が生まれかわったように感じています。その一例を上げますと

@  長年成立しなかった教会規約がまとまったこと。この規約づくりはまさに「教会とは何

か」をみんなでさぐりあった1年でした。(現在、米国カトリック者の権利協会ホームページに規約モデルとして掲載されています。) 
•  全ての部会に活動予算が振り分けられ、責任を持って自由に活動ができるようになりました。(会計責任者にお伺いをたてるような雰囲気からの転換)
•  信徒の手による通夜の儀がスタートしたこと。これにより信徒の預言職・祭司職・王職を学び合うことができ、司祭もまた本来の役目に専念できる方向に向かいました。
•  外壁工事では、それまでの「塀が高く外から見えない教会」から「車イスの方でも教会

が見える花壇」にやりかえました。話し合いによる教会づくりの芽生えです。

D 教会内活動で閉塞状態に陥っていた「宣教委員会」から「社会にも目をむけた宣教

部会」へと転回しました。

E 固定化されていた「聖歌隊」から、誰もが自由に参加できる「典礼を歌う会」へと変わ

り、参加型の典礼になっていきました。

F ミサが終るとあっという間に教会からいなくなっていた人たちが、お茶サービスや各

種講演会などを通して残るようになり、交わりがでてきました。

3) このような中で、宣教部会を中心とした今年1年の主な取り組み

4月3日…第5回障がい者と共にご復活を祝う交流会 (毎年ご復活の日曜日)

4月 29日…第4回ハンセン病療養所訪問 (毎年、春の研修として)

6月5日…第6回平和を学ぶ講演会 (毎年)

7月 17日…アメリカの教会の刷新運動講演会 (レナード・スィードラさん)

8月7日…第5回北九州平和の集い (毎年 13教会と企画、市民も参加)

10月2日…アンセルモ・マタイス先生講演と分かち合い (教会虹の会企画)

11月12日…強制連行・強制労働の地を訪ねて (教会+在日大韓キリスト教会合同企画)

11月11日…ホームレス自立支援のための炊き出し (年2回、パトロールは毎月2回〜4回)

11月19日…シンポジウム「ハンセン病とカトリック」 (信徒協の協力を得て)

11月23日…第2バチカン公会議に学ぶ研修会 (信徒協)

12月11日…年末街頭募金 (教会と団体、グループの合同)

12月18日…第6回ホームレスの方々とクリスマスを共に祝う交流 (毎年)

その他、各メッセージ朗読会・緊急署名活動・ピース9・ホームレスへの毎週パトロールは常時。

こういったことを取り組んでいますが、常に心がけていることがあります。それは

@ 「社会的に弱者と見られている人々」の視点に立って企画すること。

A 「出会う・触れる」場を大切にすること。

B 教会内だけの身内的な交流の場にしないこと。

C 継続すること。教会年間行事に位置付け、「時の問題」を直視できるようにすること。

D 「その人たちのために」ではなく「その人たちと共に」をスタンスに活動すること。

こういった点です。

4) 教会に届いた声

@ ダルクの青年たちが教会で集まりをもっています。近くの警察署からは「教会が彼等

の集まりをしてくれることは有難い。私たちは彼等が法違反を犯した時、捕まえて留置場に入れることの繰り返ししかできない。」
 
A この地域の精神障がい者親の会と当事者たちも教会を利用しています。公民館の利用が難しくなっていく中で“場を提供していただける”ことへの感謝と“ミサ後の集まりで親の会のことを話すチャンス”が与えられたことへの感謝。また、信徒が地域で統合失調症に悩む娘の親をその集いに紹介し「宗教に引っぱり込まれる恐れが無いことを知る」と喜んで教会に足をはこんでいます。
B 「平和の集い」で、地域の憲法9条を守る会を招き、教会内でその活動の自由を保証しています。初めて教会にきた方が、ミサに参加し感動したり、憲法問題で意見の異なる人とも対話が出来たことで、教会に対する見方が違ってきたと話されました。
C ハンセン病療養所訪問では、参加者が信者でない方達が増えてきました。その方達から「教会は人権について活動している。教会にいけば本物を見せてもらえる」など職員研修や人権学習の場として利用したいなどの声がありました。

などですが、届かない地域の声に、私たちは聴く耳を持たなければならないでしょう。

5) 地域に頼られる教会となるための課題

年々社会の諸問題が複雑多様化しています。教会の中でも同じ諸問題が渦巻いています。(社会からはじきだされた人・精神的な問題・倫理の問題・在日外国人のこと・政治の問題 etc)それらとどう向き合うかを私たちは問われているでしょう。しかしこれらに目を向けず、使命を果たそうとしていない「教会自身の問題」があります。(私から見た福岡教区の場合)

イ) 多くの小教区が未だに秘跡やミサを活動の中心とした内向き姿勢になっていること。

ロ) 小教区に司祭が管理者として在住し、それが本来の司祭の役目を封じ込ませてい 

ること。

ハ) 小教区どうしで手をつなごうとしても“小教区の壁”があり動きがとれなくなること。

ニ) 教区にビジョンがなく、福音宣教に向かおうという姿勢が全体に感じられないこと。

ホ) 「日本カトリック教会」の立場に教区が立てない“教区の壁”の存在などです。

地域に目を向けると“私たちを必要としている”人たちが見えます。そこに手を出そうとしても一小教区では何も出来ない内なる現実にぶつかります。教会自身が作り出している閉鎖性です。これでは教会特有の光を発することは出来ないでしょう。教会に集まって来る人たちだけの場、神と自分だけの場、政治と無縁の場、自分の救いが大事で他者に目を向けなくてよい場、司祭の手伝いなら協力するが、…。このような姿は地域から見れば、司祭(社長)のいる教会(会社)に毎週日曜日お参り(出勤)している信徒(社員)だけの場と写っているのではないでしょうか。 少なくとも地域にとって教会が頼りになるには、自らの問題点を修正する必要があると思います。教区や小教区のシステムの変更は、司教団レベルのものだと思いますので簡単にはいかないでしょう。だからこそ私たちからシステムの是正を含めた“声を響かせること”をしてはどうでしょうか。これを行なうことが「司教も司祭も含めた私たち」の課題だと思います。

たとえば、「ナイスのうねりをもう一度起しませんか。この学び合いの合宿から声を響かせませんか。各地に帰って声を伝えませんか。各地の声をどこかで束ねませんか。」などです。せっかく学び合う場ですから、それを行動に移すことが求められていると思います。教会の在り方を見直すことは「地域にとって頼られる教会」に繋がると思います。考えてみませんか。

6) 故ヨハネ・パウロ二世のメッセージ( 1999.2.2)で発題を終ります。

◆ 地域教会(小教区)の語源は『気兼ねなく滞在できる家』であり、すべての人を喜んで迎え入れて、だれをも差別せず、だれにとっても部外者という者のいないところです。

パネラー二番目

ここから遠くない、少し田舎の感じでよそとの交流も少ない小教区に属しています。幼児洗礼です教会を代わったことはありません。参加の時点でアンケートに書いたのは 2件です。幼稚園があるということと、信者の一人が宣教のためにお店を経営していることを書きました。私自身もその幼稚園にお世話になりました。40数年の歴史があります。近隣の子供さん達がたくさん通ってきました。パリミッションの神父様でした。英語がおできになったので子供達に英語を教えて、評判をとりました。宣教のための幼稚園であったのが、段々経営が難しくなると、経営問題がおきてきました。司祭によっては母親達への信仰講座もありましたが長続きしませんでした。年に一回のバザーが地域社会との交流の場のようになっています。幼稚園の先生も信者も未信者もいらっしゃいますが、幼稚園自体が宣教目的を見失った感じがありますので、幼稚園の教育に関しても外部からの批判の声も聞かれたりするのは残念です。教会内でも幼稚園は教会の一部である意識は薄いです。幼稚園も独立的な意識を持っている感じがします。教会のお聖堂を貸したり、幼稚園の教室を借りたりするのも素直に行かない面もみられます。

 

信者さんがしているショップについてですが。 Kさんは退職金で宣教のための店として開店したのです。扱っているのは教会関係の書籍と聖具です。フィリピンの方達との交流もあります。フィリピンから雑貨も輸入して販売しています。それに喫茶と軽食です。それに委託販売的なこともしています。信者、未信者にかかわらず、手作りのお菓子とか小物を置いています。店を始めたのは7−8年前で、当時の主任司祭がこんな店はないかなと言ったのがきっかけだったようです。フィリピンの方も協力しますとのことで始まったと聞いています。現在ではプロテスタントの方達もKさんを頼って交流もあります。その他の外国人ブラジル人の交流の場にもなっています。近隣のカトリック教会の信者同士の交流の場にもなっている。求道者の方も書籍を求めて集まります。時々Kさん夫妻が信仰の話をされるようです。またその他の方達も癒しの場として活用されている。残念なのは信者の方達からの積極的な協力はあまり見られないことです。なんとなく他人事のように受け止めている信者が多いように思われます。教会の宣教のために何かをしようと考えている人は少ないと思われます。

 

パネラー三番目

このテーマをいただいたときに思い出したのは阪神大震災のときに教会が精神的にも物質的にも大変大きな貢献をしたということをマスコミで知り私達もしなければと思ったことです。この災害では地域にとってカトリック教会は頼れるものであったと確信しています。そのような面から見れば、それぞれの教会はそれぞれの地域で何らかの働きをしているのだと思います。

 

地域社会から見て教会はあったほうが良いと思われているとおもいます。このテーマを教会内部から考えるのではなくて、教会の外部から見てどうなのかということで理解しました。自分の体験をお話します。

 

定年間近になって以前いたことのある、ある所の教会を訪問してみました。「いまはどうなっているのかな」との思いで、出かけてゆきました。五つの教会を巡りました。町はビルの谷間になっていましたが、その中に教会のあった一角だけが何もかわっていませんでした。寂しく取り残された教会のお聖堂に入って見ました。五つの教会のうち三つは鍵がかかっていて入れませんでした。司祭館のベルを押しましたが誰もでてきませんでした。一つの教会はお聖堂に入れました。司祭に会えたのは一つだけでした。自分が住んでいた頃大変お世話になった教会もあります。夜にでもなれば誰か居るだろうと思い、出直しました。真っ暗でした。教会の入り口に近づいたとたんケタタマシイ警戒音が鳴り出しました。パトカーのような赤いライトが回り始めました。仰天してこれはまずいぞ、泥棒と間違われるぞ、と走り出して近くの交番にいきました。自分の弁護のために交番に行ったのです。おまわりさんにいきさつを説明したところ、おまわりさんはニヤニヤしてあそこは誰も居ません。日曜日には人もずい分来ているようですが普段は誰もいません。三回空き巣に入られてから泥棒よけの装置をしました。大丈夫です一分もすれば止まりますとの話でした。事情は後で分かりましたが、五つの教会に二人の司祭しかいないので三つは留守になるわけです。それは寂しい気がしました。

 

教会はいろいろな人が集まってきているので、かなりの潜在能力があると思います。医者も学校の先生も弁護士もいろいろな面で社会的に活動している人がいる。みなが力を合わせればかなりのことができるはずですね。ところが、退職後のわたしは食事をしてテレビをみている生活をしている。テレビ番組に「一寸聴いてよ、生電話」があります。悩みを打ち明けるのですが、たいした回答もないのに、みな満足しているようです。教会の潜在能力を一寸使えば凄く頼りに成る教会になるのではないかなと思います。神父さんがいてもいなくても、居れば尚いいが、みなが協力し合えるシステムを作れないのか、教会の当番制みたいなのができ、代わりばんこにやれば良いのではないのかなと思うのです。

 

長男の結婚の時も相手が信者ではないので、神父様から婦人会の方を紹介していただいて、その方が大変良く面倒を見てくださったことがあります。みなが一寸した心構えで何か役に立つことができると確信しております。自分も頑張りたいと思っています。

 

パネラー四番目 シェガレ師

頼りになれないおろかな神父の話ですがお聴き下さい。私は、今は小教区から離れて真生会館で生活しています。日曜日は、真生会館は閉鎖していますのでとても寂しいです。皆さんと同じように教会に行きたい、信者の共同体とつながりを持ちたくて、毎週ある教会に真面目に行っています。その教会を頼りにしているかと言われると全く頼りにしていません。頼りにするというよりも教会共同体との接点を持ちたいとの思いなのです。見えない教会の見える窓口である小教区を通して神の民である教会そして神さまとつながっていきたい。そのつながりがなければいくら神父だといわれても、自分の信仰は危ない。小教区との接点のない神父は危ないとおもいます。その意味で問題は「頼る」ではなくて「接点」だとおもいます。

 

地域と教会の関係も一緒だとおもいます。問題は地域の頼りになれるのかではなくて、教会と地域の間に接点があるかどうかでしょう。「頼りになるか」と言うテーマには少し抵抗を感じます。このような視点から考えるのに少し抵抗を感じるのです。ですからわたしは「接点」と言う視点から考えてみました。

 

「接点」があれば教会は地域に貢献ができると信じています。現在でも貢献していると思います。全ての教会には福祉団体のような活動があって、本当に良くやっているとおもっています。貢献できる分野はたくさんあります。主なものだけをあげると、子供の教育、家庭の支え、地域からはじき出された人への連帯、苦しむ人への相談相手になる、地域の市民運動への支え、若者達への支えなどでしょう。若者は現在飢え渇いています。人生の方向を見失って困っている。若者に対して彼らが人生の方向を定める助けができるのではないか。それに神さまとの出会いを求めている人たちの霊的な飢え渇きに対して教会はたくさんの貢献ができると確信しています。

 

教会はもう一つ最も貴重な宝をもっています。それはキリストの愛です。それに福音的な知恵です。素晴らしい典礼です。よき伝統。国際的なネットワーク、祈りの空間、素晴らしい建物をたくさん持っている。果たして教会は自分の持っている宝を地域の人々と分け合っているのかどうか。そこに問題があるような気がします。十分に分け合ってはいない現実を誰しも感じているとおもいます。

 

教会が地域の人々とその宝を分け合って行くための条件・課題があります。信者の意識の変化、受身の人ではなく与える人になると言う話が今朝ありましたが、その意識が大切です。そうなれば教会は自分にとっても生き生きしてくるでしょう。日本の教会は消費者です。自分が受け取るばかりで外に向かって与える姿勢があまり見られないようです。その辺が物足りないように思われます。第二の条件は身近さでしょう。教会が遠くにあるように感じている人が多いのではないでしょうか。敷居が高い。敷居を低くすることはとても大事です。ほとんどの教会の雰囲気には入りたいけれどもどうしたら良いのかわからないようなところが感じられます。それにいつも鍵が掛かっている。教会に鍵を掛けてしまうのは問題でしょう。祈りの空間がせっかくあるのに入れない。カトリックの人ではなくても一寸静かに祈りたい人はたくさんいるでしょう。第三は開放性です。冷たい閉鎖的クラブのような雰囲気があります。開かれていない。そのような状態を変えなければどうして地域に貢献できるでしょう。第四番目は普遍性です。個人の個性が宇宙や世界とのつながりにおいて生かされるものです。地域の人が教会に来れば全宇宙,全世界の人とつながっている実感を持てるという意味での普遍性です。最後に預言性でしょう。時代の変化に敏感に目覚めているのが預言者だと思いますが、教会が目覚めの場ではなくて、眠りの場になっているとすると、地域の人が来ても何の刺激も受けずにつまらない時間を過ごすことになるでしょう。それではもったいないでしょう。

 

パネラー五番目

皆様が大変良い話をされた後に、希望も出口もない話をすることになるのは心苦しいのですが、聖霊に今、助けを皆様方と願ったところですが、今回は勘弁して欲しいと仰るかもしれません。それにこれから皆様がお書きになる「教会への夢」にも参考にはならないと思います。私といたしましては、テーマをまじめに考え続けていたらここに行き着いてしまったので致し方なく話させていただきます。

 

初めに、「頼りになるか」と言う言葉の理解ですが、「生きる力支えが与えられるかどうか」またここでは「救い」と同じように考えたいと思います。これから「救い」と言った場合はその意味で理解して下さい。

 

「生きる力支え」となると人生の多様性と同じぐらい多様性があることになります。そうなるとその多様性の中のどの部分が教会は頼りにされるべき部分であるのかが問題になるでしょう。この話に入り込むと大変なので、言葉を直観的に理解したところで、このテーマ「教会は地域社会に頼りになるのか」に答えるとすれば、本当の核心的な部分で NOだと思います。なぜNOという答えになるのか感じているところをお話することにします。

 

よく言われるその答えの一つは、教会が現実の社会を良く理解しないからだと言うのがあります。教会には僕ら信徒全体を含めても良いかもしれませんが、この場合は司教さんとか教会の指導者の方達にポイントが置かれていると思います。もしこれが問題の核心ならば答えは簡単で、みなで努力して理解を深めれば良いだけのことになる。どうすればよりよく理解できるのかと言うことになってしまいます。しかし、もう一つ重大な問題があるのではないか。教会が述べる救いと社会が求める救いに差があるのではないかと言うことです。この辺のところを確り考えないといけないのではないかなと思うのです。

 

それでは「救い」が聖書的にどの様にとらえられているのか。詳しくやるとややこしくなりますが、イメージとして直ぐに思い出されるのは、「出エジプト」の出来事です。これは人生の具体的な状態、奴隷から解放された出来事でしょう。これが旧約時代の典型的な人間の「救い」の出来事ですね。神さまが具体的な生きる場から人間を救い出した。それによってイスラエル民族(教会)もできたし、我々もそこまで戻って「救い」を考えることができるわけです。このような「救い」は今でも救いであると思います。

 

もう一つは新約になってイエスが示された「救い」は何か。ここが一番肝心なところだろうと思います。説明するとややこしくなる話ですが、お互いに既に理解しているところですから、簡単に言えば、弱い貧しい者と連帯して、無条件の愛を示される、そして当時の教会当局、社会の政治の中心である政治団体と真っ向から対立しました。死刑になり十字架に掛かられた。貧しい弱い方々との連帯が無益ではなかった保証が復活の出来事であった。この構造の中に新約としての「救い」が理解され、教会が誕生したはずです。かなり「救い」のイメージは違っています。ここから見て現実の教会はどうなのか考える必要があるのではないか。

 

「出エジプト」的救いをこの 2000年間で私達に見える姿で示したのは、直観的なイメージとしては、聖職者と修道者達であった。そして信徒はエジプトに留まった。今も留まっているのではないでしょうか。いずれにしても、イエスご自身が行われた社会システムに対する戦いは、教会はしていないのではないでしょうか。それは教会の指導者も信徒もおなじです。

 

信徒の場合はこの巨大システムの被害者でもあり加害者でもあります。男の方は良くわかっていると思いますが、この社会の中で我々は抑圧状態にありました。しかしそのシステムの番人でもあった。このシステムをますます巧妙にしてゆこうと努力して 40年もやってきてしまった。それなのに教会に来続けている状態は何か。教会に留まっている我々は一体何者か。イエス様を取り巻いていた弟子達がイエス様を誤解して『救い主』と見たように。我々自身ももしかすると誤解してみているのではないのか。救われたと勝手に思っているだけなのかもしれない。もしそうなら大変なことだと思うのです。そうだといっているのではありませんが、もしそうならと言うことです。教会の中で我々は人生のかけがえのなさを実感しているのだろうか。教会に行ったからといってそれができるのだろうか。できないのだとすると現代社会に苦しむ人を招いて一緒にやろうよと言えるのかどうか。

 

もしイエスがこの社会の巨大システムにチャレンジすることを望まれているなら、教会はそれをどの様に説明してきたのか。最近言われているのは、私の理解するところですが、教会は秘蹟であるという言い方の中にあります。信徒達はエジプトで今も苦しんでいる仲間と共にいるのだから、その苦しみも分かっている。その中で信仰に生きるなら、それは「しるし」になるはずである。それで社会は変わるはずである。地の塩となり光となってパン種になってといった説明があるようです。聖職者達がなぜできないかと言えば、出エジプトしているからだ。冗談みたいな話です。イメージとしてかなり乱暴な言い方をしています。こんな話はあまりしたくなかったのですが、困っちゃいましたね。

 

最後に付け加えますが、今申し上げたことはわたしが勝手に考えたことだけではありません。ヒントはチャントあります。中川明さん、「妖怪の棲む教会」を書かれた司祭です。今回はそれを参考にしたわけではなくて、カトリック研究に 10年ほど前に彼が書かれた「現代日本の社会から教会は不必要とみなされている」という文章です。この文章はメッツという神学者をベースにしています。メッツという人は非常に口の悪い人の様ですから、今教会に行っている信徒達はブルジョワジーであって、社会に迎合した人たちで占められている。本当に教会にいるべき貧しく弱い人はどこにいるのか、といったようなことを云っています。確かに我々は社会と談合してうまくやってきた面があるのですね。このような面から見ていると出口がなくなってしまうので、私も忘れていたテーマなのですが、今回思い出さされてしまったので、話させていただきました。

 

< 10月10日(月)・3日目>

8.グループ発表:  

「教会は頼りになるのか−地域にとって」

第2グループ (Rさん)

私の小教区には幼稚園があります。日曜に集まる信者は約 70人です。東京にあるのに地方都市の教会のようです。ある地主さんが青少年育成のために修道会に寄付された土地にたてられた教会です。幼稚園ができてから教会ができボーイスカウト・ガールスカウトができた。幼稚園があって教会があるといったタイプの教会です。そのように始めから地域とかかわっている。信者の方の多くが幼稚園の父母で方々です。ボーイスカウト・ガールスカウトのリーダーが信者になっている。ですからこの教会は初めから地域に密着しています。ところが最近大事件が発生しました。この教会を担当している修道会が青少年の司牧から外国人の司牧に方針を転換しました。修道会も高齢化が進んでいます。司祭が足りない。活動を縮小せざるを得ない状態です。幼稚園を閉めることになりました。外国人も大切だが幼稚園も大切であるし、このような時どの様に考えたら良いのだろうか。

 

第 4グループ (Sさん)

グループで話された内容をお話します。@教会にしてもらうのではなく、今自分に何ができるか考える必要がある。A洗礼後の霊的フォローが欠けている。頼りになる教会になるために不可欠。B「地域と共に」をめざさなくてはならない。地域の活動に教会のバザーを持ち込む。C幼稚園の重要性。母親がかかわり入信の機会になる。D長崎等では教会を観光開発として利用するのはどうか。E組織としての各教会の活動を孤立状態においておくのでもなく、かつ統括管理するのではなく全体がハーモニーになるような状態を志向してゆくことが期待される。F教会活動が内向きの傾向への反省が少ない。G教会は地域社会の自治会の有力なメンバーになるべきだ。H地域への出前教会の発想はいかがか。外から来ることばかりを考えてきた。地域活動公的な場に教会の教えを伝える活動をしているところもある。 YMCAの中に場を借りてカトリック教会の話をしているところがある。

 

最後に、自分の考えは、建物があって信者の集まりがありそれを教会と考えるだけではなくて、地域ぜんたいに積極的に係わっていかなくてはいけない。すべてを包み誰をも除外しない意識を一人ひとりが持たなくてはいけない。司祭が信者を管理して、その管理下でままごと程度のことをしているのではだめである。地域社会を自分の心に大きく置くように。その時、時間的加速度性をもっと明確に意識して、社会の変化に追従し対応していかなくてはならない。変化の早い時代である 1−2年で変わっていかないといけない。それを意識する必要がある。

 

第6グループ (Tさん)

洗礼を受けて 5年目です。それまでは教会には入れなかった。聖書も読んだことはなかった。教会にカトリックとプロテスタントがあるのも知らなかった。紹介されてすぐに教会に毎日のように通うようになりました。教会が家のようになりました。2年勉強して信者になってからは日曜日にしか教会に行かなくなりました。教会に行く機会が欲しいと思って、掃除の手伝いとおにぎりの会のメンバーになりました。楽しみにして教会に行っています。  自分の住んでいる近くにも野宿している方におにぎりなどを配ることをしたいと考えました。調べたところ、プロテスタントの教会が同じことをしているのを知りました。それに直ぐ参加しました。そこでは牧師さんと市の職員と地域の母親や子供達も参加しているだけではなく、野宿の当事者も参加して一緒におにぎりを作って配っていました。自分達も同じものを食べながら話をしたりします。カトリックの教会でのやり方と少し違うところは、近所の人がかかわっているのと当事者が参加していることです。カトリックの教会でも同じようにやれたらと、その近くのカトリック教会の活動に参加したいと思っても入りにくいのです。プロテスタントは入りやすい。カトリックの小さい教会は鍵がかかっていて入れないところがほとんどですね。いつでも入れる教会だと地域にも開かれるし、自分で少し祈りたいときにも行けるのにと思います。

 

第7グループ (Uさん)

昨晩みなが話したことを報告します。 @教会が自治会の組織のようになっている。そこは地方色の強いところのようで、百姓さんの古い体質が残っている。新しくしたいので、自分はその古い体質に挑戦したい。地域に対しての働きかけは、自分ひとりでもできる。Aフィリピンや韓国の方達に対して教会はいろいろなサービスを開始している。 B祈りと霊性を高めつつ地域とかかわる教会をめざす。 C教育分野で長年活躍されて来た方は、1年の半分子供たちと泊り込みで聖書の話などをする。宗教色を少なくするよう努めたが出てしまったが、感謝された。職場を通じて教えを伝えていった。 D正しい価値観をそのまましゃべる。損得を省みないでそのまましゃべる。リフォームの業者であろうと、誰に対しても。 E自分のかんがえですが、今の時代に地域と教会を考え実行するのはむずかしい。カトリック教会の方が、開かれた団体のように思えます。わたしの所属する教会がある、 世田谷区 は開かれているほうですが、この地域の集まり自治会には限られた人しかでてこない。若い人は先ず出てこない。 PTAでも、ほんの限られている人しか役員にならない。非常に閉鎖的です。教会に属するものとして地域はもっと開かれていると思うとそうではない。宣教と言う意味で、カトリックの価値観で接してもうまくいかない。日本では巧く行かない。教会の目的や、役割を考えるためには、地域とどのようにかかわれるのか考えることだと思います。日本の社会に問題もあるけれども、良いところもある。その良いところを世界に伝える。ローマの教会、フリッピンの教会、韓国の教会、同じカトリックと言うことで日本のよさを伝えてゆく。外に対してアクションを起こす。地域のカトリックでない人たちの価値観を認めて、彼らの宗教も認めて、互いに仲良くやってゆく。そのような生き方を実践してゆくことが大切。教会の指導者が言われる、人間の尊厳、生き方を確立してゆく。普遍的生き方を地域の中で実践してゆく。そのようにしないなら教会と地域との接点はいみがないのでは。それは奇麗事で実際の教会は蛸壺のようで壁がある。教会の中にも教区小教区の壁がある。自分自身の所属する教区小教区のリーダーの方にリーダーシップを求めてゆくことが必要だと思う。宣教協力体はうまく言っていない。自分の教会を第一に考えているから仕方がない。いろいろなことをしているそれをパックアップするような宣教協力体が必要だと思う。 最後に、宣教をしてやろうとか、教会が良いからいらっしゃいとか、創価学会のようになってしまう。多様な価値観を認め他者の考え方を認めてゆく。いろいろな肌の人と同じ地域で楽しく生きてゆくようにすべきでしょう。カトリックは世界的にそれができると言うことは、日本人は頭がいいからわかるに違いない。 

 

 

9. ロールプレー:

「教会は頼りになりますか−日本の社会にとって」

全体司会解説:森司教   (文責は記録作成者にあります)

今までは地域にとって教会は頼りになるかをテーマにしてきました。ここで教区長の問題等も出てきました。これからは日本社会全体にとって教会はどうなのかというテーマに展開してゆきます。そのテーマに関してこれからロールプレーをはじめます。

 

この場面では都市型の教会をイメージしないで下さい。日本海側の教区が背景です。その教区では冬になると司教達も司祭たちも雪が降って殆ど動けないようなところに設定しました。

 

教区長を紹介します。O教区長です。今日は信者たちを集めて宣教司牧協議会を開催し教区の問題や生活について話し合いました。それが終わって解散されほとんどの人は帰っていったが、数人残ってビールを飲みながら懇談し始める場面からはじまります。酒が入ってみな少しずつ話に本音が出てきます。その本音の話が「教会は日本の社会にとって頼りになるのか」と言うみなが気がかりになっている問題の話に入っていきます。

 

配役の特徴を一人ずつ先ず、紹介しておきます。初めに、「教会は本当に日本の社会の役に立つのか」と問題を投げかけるのが、地方大学の教授です。彼は、日本文学に造詣が深く、地方で長年生活をしている。地方も閑散としてきているし、教会も閑散としてくる状態がある中にも、地方文化や伝統は豊かにあるのだから教会がなくてもつぶれても、人々は生きていけるのだから、教会がどうなるかなどと考える必要もあせる必要もない、と言った意見を持っている少しニヒリストの傾向がみられる教授です。

 

次に、発言するのが、40代のビジネスマンです。彼の視点は、今の日本の社会のシステムはあらゆるところに締め付けが厳しい、サラリーマンは無論、子供は学校で締め付けられている。さらに情報の影響力が加速的に増大している。情報の社会全体への影響は大きいのに、外の地域では普通は、信者は週に一回、司祭は月に一回しか教会には来ない。こんな状態の教会は社会に対して教会のシステムは力がなさ過ぎる。人材もいないし教会には無理であると否定的な立場に立つビジネスマン。 

 

次は、30代の女性。この方の考え方は、教会のなかには優秀な人は沢山いるのだが、教会に来ると萎縮してしまっている。教会の中にはいろいろな縛りがある。信徒は発言してはいけないとか様々な縛りがある。それだけでなく、神父達は司教のほうを向いてしまって、教区長は教皇の方を向いている。だから自由に発言できない。だから教会の魅力がなくなっているのだ。教会のシステムや聖職者主義を問題とする。だから現在の教会は魅力あるものになれないと考える。

 

次は 20代の女性です。この地方に生まれ育ち大学は都会のカトリック大学に学び、カトリックの様々な考え方から人生の価値観を学び、感激して洗礼を受けて、地方に戻ってきた。地方ではそのような素晴らしい価値観などは与えられていないから、教会は小数であろうが、積極的に語り続けてゆく役割があるのではないかと考えている。 

 

次に、 80歳の高齢者。先祖代々信仰をもっている。信仰の力は十字架と祈りと犠牲であると考えている。今の教会には十字架、祈り、犠牲がない。教会は十字架から誕生したのだから目先だけの成功を求めるのではなくもっと深いものがあるはずであるからそれを育てましょうと考えている。   

その中で教区長も酔っ払って居ますから、本音が出始めてくるといった場面設定です。それぞれは役者として役になりきって発言してもらいます。アドリブで発言されますので台本はありません。

 

ロールプレイ本番:

教授 : 一寸言わせてほしい。この間ある研修会に出席したんですよ。もっともらしい信者が集まったんですが。これからの教会は何とかなるよと言う人がほとんどなのね。わたしに言わせれば、甘い話ばっかりでね。現状を知らない人たちの議論、別世界の人たちの議論としてしか聞こえなかったんです。わたしの故郷でたまたま大学の仕事があって働いていますけれど、かつて洗礼を受けた頃は希望にもえて公会議の公文書を読んで、将来の教会はこうだ、世界を巻き込んでやると意気込んだのに、今こうして故郷に帰りますとですね、初めは一寸良いかなと思ったんですがいまや電気も消えかかった教会しかない。それなのに研修会に出たらね、現状を知らない人の議論ばかり、わたしはどちらかと言うと公会議後の教会の意味を見てある意味でこの状況そのものに教会らしいわけがあって、そのわけを見つけることが大切だと、これを曲げてどうしようとかいう議論には乗っていけない。ナンセンスだとおもいます。

 

サラリーマン : 矢張り日本の社会の現実を確りとらえないなら見込みがないですよね。

1964年に東京オリンピックがあって、その後の日本社会は高度文明社会ですよね。世界第二の経済大国にもなった。その中で企業活動は非常に活発でした。企業の中では人づくりに努めたのですね。それをしない企業はだめでした。人々は企業の中で育てら成長してきたのです。確かに企業の中では締め付けはあるけれどもその中で成長していった。それが日本社会の基本をなしてきたのですよ。 

 

30代女性 : 先生からよい意見を今も伺ったのですが、どうして教会の状況に反映しないのでしょうね。ガッチとした教会組織があってそれが動かないから、素晴らしい意見があっても生かされない。司教が同席しておられると、すべて司教様のおっしゃるとおり「ごもっとも」と言うことになってしまう。みなが良い意見を持っているのに司教様の前では何も言わなくなってしまう。みながイエスマン、イエスウーマンになってしまう。そのような状態はひどく気になります。私達の世代では司教様のお話だからと言うだけで「ごもっとも」とは思わないのです。

 

20代女性 : 皆様方頭の良い方ばかりで、教会のことを一杯考えていらっしゃるようですけれど、私は、この土地の公立の学校に通っていて、学校優等生でずっと来たのですが、何か違うなと感じていたのですね。大学に入った時に、そこで働く先生方やシスターの姿を見ていて、「これだ!」と言うものをみたのですね。それで洗礼を受ける気になりました。皆さんが頭で考えていることではなくて、身をもって証をしてくださっている方たちが居て下さる限り、それが光となって輝く時があると信じています。

 

80代女性 : 若い人たちの意見をお聴きしたのですがね、矢張り日本の教会は昔をたどれば、 400年前の時代に信仰の原点があるとおもうのです。その原点から伝わってきているものは何なのかと思うのですね。 教会に力を見出すのは、一人ひとりが自分の生活の中で苦しみや喜びや悲しみを体験し、そのことを神さまに「ありがたい」と思いながら、十字架の生活を考えなければいけないのです。十字架を考えなければだめですよ。神様は人々の罪のために十字架にかかられた。そして天国にいかれ今は神さまは上から見ておられるのです。自分たちの苦しみ喜び悲しみのたびに祈らなくては駄目なのですよ。それはとても大切なことなのです。そして、祈るだけでなく、活動を通して、個人を生活を犠牲の生活に変えて行くことはカトリック信者として大切ではないかと思います。

 

サラリーマン : 日本のサラリーマンの世界では、そんなぼやぼやしたことをしている人は全然いませんよ。日本人の多くは、キリスト教が世界の戦争や紛争の原因になっていると考えてもいるのですよ。企業の中ではキチット計画を立てて実行してゆくのが当たり前です。企業では日々のアクションに結びつく会議が開かれている。教会ではどうでしょうか集まって会議を開いても何のアクションにもつながらない。そんな教会では頼りにされないどころか相手にもされないのですよ。それが今の教会ではないですか。

 

30代女性 : 先輩の主婦のお話をうかがって、何十年も生きればその様な考え方になれるのかなとおもいますが、現実に生きるのは、祈っていれば良いとか、日々の苦しみをイエス様の十字架だから耐え忍ばなければならないとか、言われてもそれだけでは乗り越えられないのです。私たちの世代は、日常の子育てとか、中にはシングルマザーとして、一生懸命生きている人もいるのです。でも、教会に行くと、婦人会は行事に熱心で敷居がたかくなっているし、熱心な先輩の奥様方が教会の敷居を高くしているように感じるのです。

 

教授 : 教授としてはですね、もう少し論理的に考えたいのですが、教会がよい伝統を持っている事は認めますし、私は現代世界憲章を読んで感動したのですが、そこで言われているのは、所謂我々のことだけを考えずに、世界を視野に入れて、その価値を見直し、その中に我々自身が存在しているのだということを意識することが求められていることに刺激されてきたのです。大学の授業で生徒にも教えてきて、教会こそが我々の生き方社会のあり方を示しており、世界の将来を見据えているのだと、云ってきたのですが。生徒たちは、俺は教会を知っているよ、あのおんぼろのおばあちゃんたちの集まりだろうというのですよ。その現状と教会が言っていることとは合わないのですよ。わたしは考えさせられて、教壇からばかりでは駄目であると思って、地域の教会の現状をよくみることにしたのです。それで、わかったのですが、教会は一面的な決め込みで西欧かぶれで大上段にかまえてきた。東京で勉強したという人たちは足元を見ていない。しばらく沈黙の時が続きましたね。よくよく世間の人の話を聞いてみると、人々はわたしが考えるよりももっと深く考えもっと深く悩みもっと深く高いものを求めていると、やっと気づいたのです。大学だけがキリスト教を教えていると思ってしまった。とんでもないことです。大学はその片鱗をもっともらしく云っているだけだ。私自身がそれを手伝ってきてしまった。こんなキリスト教でよいのか。こんなキリスト教なら駄目だとショックでした。

 

教区長 : わたしの教区でこのような集いをするのは珍しいことで、この 3日間勉強させてもらいました。今回のテーマ「教会は頼りになるのか」であった。初めは自分にとって、次が地域にとって、最後が日本にとってでした。いろいろな意見をきかせてもらったのですが。どこの意見にわたしが答えるべきなのか、今回のテーマに即してお話するとすれば、いろいろ云いたいことはあるのだけれど、どの様に私達が社会に役立って行くのかと言うことは、教区長としては当然、考えておるのです。時間の流れが非常に速くなって、大変であるという、サラリーマンの方も、現代社会の締め付けが厳しくて、個人の個性が生かされないということをおっしゃる、わたしが考えますには、確かに物事は大きく変わってきてはいますし、そのことは、司教仲間や司祭たちも認識しておるのです。司祭の考え方も変わってきております。わたしの一代前の司教さん達は大変な権威があったのですよ。司教が一言云えば皆が聞いてくれたのです。ところが今は非常に民主的になりまして、司教はみなのいうことを聞かなくてはいかん。それに信徒の意見も聞かなくてはいかん。大変民主的にはなってきたが、司祭にもいろんな者がおるし、信徒もいろいろご意見をお持ちで、司教はそれをまとめてゆくことが大変なんです。人事も大変だけれどもそのようなことも大変なんです。一つ投げかけておきたいのは社会に役立つためには、相手の社会を知らなければいけない。今の社会がどのようになっとるか、どういう人が今の社会で得をしているのか、どういう人が今の社会で苦しんでいるのか、それを良く見なくてはいけない。それをみる視点としてはあなた方の心にある価値観が判断基準になるのです。誰が虐げられ誰が苦しんでいるのか誰が得をしているのかを知ることが先ず第一歩だとわたしは思う。 

 

サラリーマン : 社会を知るという非常に良いことをおっしゃるのですが、日本の教会はそれをキッチリとらえていますか。日本が少子高齢化社会になってきていて、福祉の充実の必要性を考えますし、近隣の助け合いの意識も非常に高まっているのですね。その辺のところに教会はあまりにも力がない。一般社会にはボランティアーも多いし、カルチャーセンターにも大勢の人がきていますね。今の日本は生涯学習社会ですよ。どんどん進んでいる。教会は自分達の価値観で社会を見なくてはいけないと言っているけれども、社会一般の価値観は金がありさえすれば何でもできると言うことが強いですね。その価値観がどんどん進んでいる。その辺の社会の状態をもっとキチンと見ないといけない。 

 

教区長 :私の言っているのもそのことなんですね。それと先ほど話に出てきた、時間の問題は考えさせられました。教会の時間と社会の時間が大幅にずれてきていると言うことですが。最近ははやり言葉でポストモダン等といいますが、その本質には気をつけなくてはいけない。わたしは古いタイプですから申し上げますが、大きな体系的なものは否定されて、非常に大きな体系的なものはもはや受け入れられない人が多い。そうすると刹那的に現象を追いかけることになりますね。そのようなレベルで良し悪しの判断をしてくことになる。しかしカトリックの教えはもっと大きな体系ですね。そのような体系を受け入れられるような社会にしなくてはいけない。つまりロマンがないのですよ。今のあなた方には。教えにはロマンを含んでいるのです。一つの例ですが、阪神タイガースファンが今一番問題にしているのは株を売り出すと言うことです。株を買う人は村上ファンドで今の社会でトップを走っている一つの考え方を持った人ですよね。お金儲けがうまく投資して、会社をうまくやって、もうけたら放り出すような人かもしれない。しかし、阪神タイガースファンにはロマンがあるのです。何があっても愛する。ところがファンドの方は愛情ではない。刹那的にその時得られるお金をもうける。これが今の社会の象徴的な出来事とわたしは思う。多くのサラリーマンの考え方はファンドのような考えに変わってしまっているのですよ。世の中全体がそのような状態になりつつあるのだけれども、わたしは違うと思う。わたしは阪神ファンのような心を大事にしなくてはいけないと思う。分かりますか。

 

サラリーマン : わたしも阪神ファンですよ。話をキリスト教に戻すとですね。日本人の心はどうなのか。いろんな本に書かれていますよね。そこで書かれていることは、日本人は宗教とイデオロギーには不信感を持っていると言うことです。そこには宗教を受け付けないような体質がある。宣教師として日本で 50年間働かれた方が書いた本によると、宣教師に取って、日本での宣教はローマ帝国時代の使徒達が体験した宣教の壁よりも高いことを知らなくてはならないと書いています。それほど日本人の心にはいり難い宣教を今までやってきたのですよ。教会もどの様にすれば日本の社会に対応できるのかという宣教方針を持たなくては伝えることはとてもできないだろう。

 

20代女性 : わたしは司祭やシスターの生き様に感動したわけです。村上ファンドには感動しませんでした。わたしの琴線にふれるものがあったのですね。ふっと触れたものです、たった一人でもいればよい。ひとりも信者に出来なくても掲げてゆけば意味があると思います。そうすれば教会は続いてゆくと思うのですね。

 

教授 : わたしも教会の伝統、宝に感動してそれを伝えなければと思うのですが、その伝えようとしていることは今のことではないわけ。わたしの生徒達が言ったおばあさん達がいる教会で話されているのは方言で日常用語であるわけ、息子や親戚の話でしょ、その中で自分の生き方を話しているから重なりがある。そこには新聞に出てくるような話しや、サラリーマンがどうとか、株がどうのとかは関係なくて、日本の伝統とか風習とか文化とまではいえないかも知れないが、その中で、存在があるわけですね。ところが大学の講義では新聞とかローマの情報とかを一生懸命整理して上っ面で講義してきたんです。現場は違うんですね。そんなことは今までも聞かされたことはないし。教会はこのような現実は敢えて語ろうとしないし、自分もこれまでの信仰に愕然としているのです。これは見せかけのものであった。神様が一人ひとりを救うためにいるのであったら、このオバアシャンたちの方言ですら共にしなかったら、何をいえるのか。大学教授なんかしょうがないんですよ。いかにもわかっているかのようにカトリックとはこういうものであると話してきたのですがそれは違うのではないかと思うようになったのです。このぼろ屋の貧しい教会が本物を残している。その中にこそ心静かに見つめないと隠された宝は見出せないのではないか。我々はまだ宝には出会っていないのではないか。そうであると教会がみすぼらしく衰退して行くことは、或意味で大事なものを指し示している。我々の傲慢を示唆している。そうみるべきだと言うのが、わたしの故郷から知らされたことで、これまで大学で語ってきたことが恥ずかしいような思いです。 

 

80代女性 : 今、皆様の話をきいていて、サラリーマンの方達や、それから偉くなって社会的地位を得た方々にもお願いしたいのは、最近の日本の現状を考えると、わたしらは年金生活者なんですよ、それも段々少なくなってくる、大変苦しい生活に成るのではないかと心配しているのですが、カトリック教会の一人として、矢張り、キリストの教えられた福音を一つ一つどんな苦しみがあっても悲しくてもそれを思い直して、もっと祈りと犠牲を神様に捧げる生活をしてゆくべきではないかと思うのです。韓国の方達のミサをあるとき体験したのですが、凄い感動を受けました。祈りの力を感じたのです、皆さんの後姿が光っていた。隣の国の教会の様子にも学びながら、日本の教会は一人ひとりが祈りと犠牲をはぐくんで行かなくてはならないと思います。

 

30代女性 : 直ぐに祈り祈りと言われると、私達は祈っていないように思われるのですけれども、わたしは婦人会には入っていません。あのような集まりには違和感をかんじるのです。母のはなしから聞いたところでも、いつも祈り祈りで、何か辛いことがあれば神父様に祈りをお願いしましょうということになる。一寸何か誤りをしてしまったと言っては、 母たちは直ぐ告解という。祈りや秘跡で簡単にチャラにしてしまうのは嫌なんです。私達は心がより大事で、カトリックの宝である秘跡はもちろん大事であるとは思いますが、それが心とどれ程に繋がっているのだろうかと思うのです。 

(このあとに質疑応答がありましたが省略します。)

 

ロールプレー役者本人のコメント:

20代女性役

すっかりカトリックの中で育ってきて、何か変だと思いながら 30代まで来ました。いろいろ勉強をさせていただいて、自分の足場から見直して、みなが実感できる教会を目指しています。根本的なところでは必ずカトリック教会には良いものがあると信じています。

 

 

サラリーマン役

日本の社会の人たちは教会のことを良く知っていると思うのです。けれども最近の教会が言っていることをキチット理解している人は少ない。ですから現実には偏見と誤解の中にあると思っています。私たちが教会というなら、地域との接点と云えば、それは私達の家族であり職場であり、地域社会だと思うのです。自分の接点を広げてゆく時に、そこにこそ自分の伝えてゆくものがあるのだと思います。

教区長役

自立したいということです。従順であり和を保つことは大切でしょうが、従順とか和を大切にする面で優秀な信者が多すぎるように思います。教区長や司祭からみたら自立した人が少ない方が楽です。多分従順とか和を大切にしていた方が楽なのではないか。最近ある神学者の本を読んだのですが、教会の中で自立できない人が、どうして社会の中で自立できるのか、と言っています。社会に目を向けようとしたときに、先ず自立することが大切だと思うのです。それはやたらに権威にはむかうことではないのです。このような集まりに参加して自分の考えを固めてゆくことが大切だと感じています。

 

30代女性役

基本的には祈りは大切だと思っています。一人ひとりが教会を背負っているように思います。洗礼を受けたときにいただいた個人の恵みと組織の教会との接点をいつも頭において、日々の生き方、人間の命の尊厳が大事なんだと言うところに軸足を置いて生きていけたら、カトリックの人達以外の善意ある人たちと共に命を何よりも大切にしていくという共通の目的を持って、連帯をしてゆけるのではないかと思います。

 

教授役

どんな教会の公文書も、信仰箇条も、小さな神体験の歴史的積み重ねによって支えられ、証明されているわけだと思うのです。神の命と言う言葉を使うならば、神が働かれるその根っこに目を止め、それに手を触れなければ、どのような素晴らしい文章を読んでも駄目だと思うのです。文章は地図のようなものですから、地図だけ見てもその場にいけるわけではないのです。町に住む人の現実は地図を見ても分からない。根っこの潤いに触れることによって、それが命とな

って、私達をも支えてくれると思うのです。

 

80代女性役

全ての人にはその人生のなかには光と影がある。両方体験していると思います。カトリック信者の一人として、目に見える成果もないし、信仰も見えてこないのです。教会の力は隠されているように感じられます。しかし、何か自分の心の中に、いつも神の民であると言うことを、繰り返し考えさせられて生活しています。わたしは第二バチカン公会議以前の信者です。死に近づいて行くのを考えるとき、カトリック信者として生きて来てよかったなと言える望みをもって、これからも信仰者として生活していきたいなと思います。 

 

以上 文責「学び合いの会」記録担当

 

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