「学び合いの会」記録

2004年12月11日

参加者:総数 32名 

  「教会は誰とともに歩むのか」

 

本日のテーマとこれまでの流れ

今日のテーマは、今年の年間テーマ「司祭と信徒の関係」シリーズの第4回目になります。「教会は誰とともに歩むのか」を問うことになっています。これは誰とともにというばかりでなく、「どこで、誰と、どのように」ということも考えあうことになろうと思います。

 

これまでの流れは、4月は、キリストの教会はどのような「信徒と司祭の関係」が望まれるのかが問われました。現実の教会では、制度、司祭のイメージ、司祭と信徒の自覚、リーダーシップなどのあり方が問題であり、多くの人が教会に来て、傷ついたりしている事実もあり、日本の社会に伝わっていかない教会の姿や特に司祭のリーダーシップのあり方やそれを許す信徒のあり方が問われました。カトリック新聞の「展望」欄にもたびたび教会のそのようなあり方の見直しが、司祭や司教自らが呼びかけておられる事実も確認致しました。ニコラスさんのコメントでは、新約聖書の教会では聖霊が中心であり、パウロのローマ書 12章やエフェソ書で言われているように、ひとりひとりに対する「聖霊の賜物」が強調されていること、賜物にはいろいろありますが、リーダーシップはだいぶ低いところであることが確認されました。「聖霊の下に生きる教会」=これが賜物の教会です。

 

6月は、「信徒」は教会の活動に「参加する」のではなく、教会の完全な欠けるところのない一員であり、教会そのものを「構成する」のだという事実から考えました。

教会といえば、多くの人が小教区の教会、聖堂教会をイメージする。各種の権力構造と主従関係であるかのような司祭と信徒の関係が存在することも事実で、司祭と信徒双方の意識改革が先決である。教会の課題として、司教・司祭・信徒すべての信者が向き合って話し合える環境を作り上げることの必要性が確認された。そのためには、「学び合いの会」のようなところで自分で発言していくことは大切である。「なんとなくおかしいなと思っても、それを話し合って祈り識別していく場は新たに作らないと存在しない」「自分たちの考えを声に出して言うことはひとつの文化を創るということです」とは、当日参加のシスター弘田のコメントでした。

 

10月は、教会の状況の中には「成長」を阻害している構造的欠陥があるのではないかと問いました。小教区を担当される現場の司祭が発題されたこともあり、司祭の立場からの意見を聞くことが出来、いろいろな問題と意見が交換されました。お互いに聞きあうこと、ユーモアを持って学びあうことの必要性が、語られました。それは現実には不足していることの確認だったと思います。また、教会像のイメージが発言者によって異なり、組織としての教会の構造的欠陥を指摘しようとしているのか、もっとダイナミックなキリストに出会った人たちの群れを共同体と言っているのか、ここがきっちりと認識されていなければ、話がぼやけてしまうことのもどかしさがあると、森さんからも指摘されました。

 

共通理解として「学び合いの会」というような教会、インターネットで結ばれた教会などを含め、社会の中に生きる私たちの一人ひとりが教会という神の民の教会をイメージしたダイナミックな教会を「教会」ととらえていければ、教会は「どこで、誰と、どのように」生きるのかを、分かち合いやすくなるのではないでしょうか。

 

 

 

発題1

私たちは教会に連なっていますことを心から神さまに感謝いたします。さて社会は弱い立場の人たちが余儀なく苦しい人生を送っていますが、そうした人たちが増えているのは確かではないでしょうか。

 

私も20代、職場に適応できず、徐々におかしくなっていきました。大変なことになると、大学病院の内科を受診しました。親切な医師で「精神安定剤を出しますが、あなたはなるべく飲まないようにしなさい。安心のために持ち歩きなさい」。私は飲まないことが治療の一環だと思い、どんなに苦しくても薬に手を出すことはありませんでした。入院もしましたが、私の場合は振り返ると、薬に頼らなかったことが快復を早めたように思います。すでに洗礼を受けていましたから、牧師ご夫妻のお世話にもなりました。牧師館での食事の時に牧師は私にこうおっしゃいました。「あなたの目を内側でなく、外に向けなさい」。こうもおっしゃいました「あなたはね、人を相手の仕事をすると健康になりますよ」と希望を与えてくださいました。自分に手こずっている私はぼんやりと聞きました。

 

ノイローゼの症状が進んで、生きる力が湧いてきません。死を意識するようになりました。ふと、死ぬ前に一度礼拝に出よう、それで決めようと思い立って朝、教会へ向かいました。電車のホームでは飛び降りたい衝動を抑えました。ちょうどその日の礼拝説教は「美しい門」使徒言行録 3:1~10でした。施しを乞う足の不自由な男に対するペテロの言葉が、歩けない、全身がダメだと思っていた私の心にはっきりと入ってきました。

「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」

そうだ、生きる力のない私はそれでよい。イエス・キリストの力で生きようと思った瞬間、本当に治ったことに気づきました。礼拝後牧師にお礼を申し上げ、医師には後日、事の次第を説明いたしました。自覚症状は続きましたが、治ったと思っていましたから、数か月のうちにずっと消えていきました。苦しんでいる人は自分が何を求めているかも分からなくなりますが、イエス様はすごい。

 

教会というところはこういうところだと思うのです。だから私は心も体も弱っている人に、教会にいらっしゃいと申し上げたい。しかし、教会の空気に馴染めるかしらと思ってしまうのです。なぜなら教会の人は明るく健康的で、自信を持って生きているのです。少なくとも表面的には成功している方が多いのです。ところが弱っている人は這う思いで生きているので、それがまぶしいのです。通常の状態では決してその人の心に触れることができません。人を愛することの難しさがそこにあると思います。自分の持つ奢り、価値観、好みなど自分を支えているものが人との関係を邪魔しています。そこで激しい葛藤を繰り返し、なぜ、なぜ、と自分に問うて、大切と思っているものを剥ぎ取っていく。自分も神さまの憐れみ以外、生きる道のないことに気づき、ようやく人の孤独の深さ、その人の苦しんでいる様子が伝わって、心から共感し合えるようになるのではないでしょうか。苦しんでいる人はストレートに自分を出してきません。でも奥に素晴らしいものを持っています。それが柔らかい関係になると出てきて、少しずつ人間関係が回復してくるのです。

 

教会は人をそのまま受け止めることのできる唯一のところだと思います。イエス様は今も「疲れた者、重荷を負う者は誰でも私のもとに来なさい。」マタイ伝 11:28と呼びかけておられます。弱っている人が教会に行こうと思える優しい雰囲気の教会を望みます。

 

発題2

イエズス会の英です。

「誰と共に歩むのか」ということで思い出したことを2,3話します。しばらく大阪にいましたが、大阪の鷹取教会はご存じのように震災で焼け、その後まち作りのためにボランティアセンターができいろいろ発展を遂げた教会です。主任司祭の神田神父が地震の当日は何をしていたかという話をしてくれたことがあります。地震でつぶれて火事が起きたとき、彼は何とか聖堂を守ろうとしたが水は出ないし火は迫る、主任神父として考えた一番大事なものは洗礼台帳、これがなくなると後々不都合なことが起こるので、それをリュックに入れて待ち、もう駄目だというときに退き、教会は丸焼けになり、ご存じのように十字架のイエスさまだけが残ったわけです。その後彼は町の人とボランティア活動に専念していったのですが、1、2か月月後に町の人たちと「当日何をしていたか」という話になったそうです。町の人はみんなガラッと潰れたから、「あそこのおばあちゃんが埋まってるから火がくる前になんとか助け出さんといかん」と、皆必死にやっていた。神田神父は「一番大事なときに結局俺が当日したことはただの紙切れ守っただけや」。つまり彼の意識の中は「教会の建物を守らなアカン」、「洗礼台帳守らなアカン」で、たった一人の いのち も救わなかった、ということなんです。

 

いままで「開かれた教会」とか「教会は社会の人と共に」と言ってきたのは何だったのか、「一番大事なときに守ったのは紙切れだけやった」というのが彼の回心の出発になったし、彼が教会をまち作りのセンターとしていった根本になった。教会に来た人とだけつきあって、まわりに誰が埋まっているかも知らない、「開かれた教会」といえばバザーに近隣の人を呼びましょか、というだけ。それが出発点になって鷹取教会には NPOが5,6個できている。「誰と共に歩むのか」と言ったときに個人の意識だけでなく、教会がまわりにいる社会の人々の苦しみにつながっているかが大きなポイントになるかと思います。

 

でも一方で、そういう教会のあり方に反発する信者もいっぱいいるわけです。なぜかと言えば、仕事で日頃ゴチャゴチャしているから、教会でゆっくり祈りたい、ところが来たら NPOの仕事でゴチャゴチャしていて静かに祈る場もあらへンやンか、と言うわけです。教会は社会福祉する場なのか、祈る場なのかという彼らの気持ちも分かる。だから、教会がホームレス支援とか病んでいる人と共に、と言ったときにそこにはいつも緊張関係がある。静かな祈りがいらないとも思わない、社会活動ばかりしたらいいか、と言えばそうではなく、その緊張関係をいつも自分の中でも感じている。かといって、今黙想の家にいて、いつも神さまと真剣にむきあっているのも…。

 

もう一つは中学生くらいで発病して15年くらい 統合失調症 になっている人のこと。中学は形だけ卒業したが、高校は行けず仕事もできない、ひどいときは歯磨きや着替えることもできないので汚い格好しているが、ものすごく信仰があつい。彼はしょっちょう入院する精神病院で福音宣教していて、何人もの人を教会に招いた。本当に素晴らしい信仰を持っている。ただ、彼の悩みは教会に自分の場がないこと。日曜日のミサにすら行けない。何年も前から行っていても、教会の中で彼はつまはじきなんですね。確かに人間的にはむちゃくちゃなところがあるが、僕からみると彼はまさしくダイナミックな教会の最先端で働いているのに、小教区の中ではまったく無視されている。悩みを聞いてくれない。教会の中で誰とともに歩むのかと言うことがある。ホームレスにおにぎりを配ることはできるけれど、その人と教会の仲間になれるかどうかがいつも問われています。大阪でつきあっていたあるホームレスの人が行っていた教会はホームレスの人専用の礼拝の席が決まっていて、教会に場はあった。彼がカトリックの方がいいということで私が洗礼を授け、その後末期ガンでなくなったんですが、残念ながらカトリック教会には彼の来る場がないんですね。傷ついたりして教会に来られない人たちがいっぱいいますが、そういう人と共に歩めないって何なのかなという気もする。

 

今週、5年ぐらいつきあっている信者さんがカトリックをやめると宣言した。いろいろ問題がありメールでやり合ったが、そういう結論を出した。彼女も教会に場がないわけです。普通は人知れず去っていくんでしょうが、そのプロセスをつぶさに聞かされ、すごい痛みです。神父として何もできない。大阪なので一生懸命メールを出すけどドンドン先に行って、昨日来たメールによると、メールでノンクリスチャンも含めたみんなに「カトリックやめる」と流したら、なんと 42通「おめでとう」というお祝いメールが来たと、いくつか送ってきました。5年間カトリック教会の中で、共に歩める人がいなかったわけです。どれくらいの人が教会に来れなくなっているのか。怖ろしいくらいの数かも知れません。

 

奈良の青年と友だちで、その妹が統合失調症になったんですが、この前家族に会ったら大分よくなったといいます。なぜかというと教会で病気の人を対象の喫茶店をシスター等が始めた。そこでお茶飲んでいるうちにだんだん元気になってきたというので、ちょっとした試みがあったらいいのかも知れないと思います。

 

結局はキリストと共にどう歩むかだと思います。「キリストをどこに見いだすか」で、苦しむ人の中にキリストを見いだせたら、それは信仰の次元ですが、やっていける。社会の中にキリストを見いだせるかどうか。お祈りが嫌いな人はお祈りの中にキリストが見いだせないからお祈りしないわけです。お祈りの中にどうキリストが見いだせるか。ではどこにキリストが見いだせるか。ホームレスの中にキリストが見いだせなくて、ミサの中にキリストを見いだすとなれば、じゃあホームレスは教会に来てくれるな、となるわけでしょう。ホームレスを教会に入れるかどうかで大騒ぎがあちこちであるようですね。

 

異質な人とどう歩むかは難しいんですね。仲良しこよしでいきたいという気持ちがどこかにあって。でも合わない人と共に歩めるかどうかというチャレンジが引き受けられるかどうか。そこにキリストが関わってくるんじゃないかと思うんです。

 

 

発題3 

「学び合いの会」の今年のテーマは「『新しい共同体的かかわり』を目指して、『司祭と信徒の関係』を『いわゆる教会の民主化』を踏まえた視点から問い直したい」と云う内容です。今回、その最終回にあたり『教会は「誰とともに」歩むのか』とのテーマをいただき、発題する内容をずっと考えてきましたが、「どのような事を話せばよいのか、ここで話している今も、しっくりと来ない」「いわゆる自分自身のなかで落ちていない」状態ですので、「トンチンカンな発題で」みなさんにご迷惑をお掛けするかもしれません。お許しください。

  私は、1990年のクリスマスに洗礼を受けた信者生活10年余りの新米信者です。

私の所属する小教区は、登録信者450名、主日ミサ参加者は60名程、小規模な幼稚園を併設した、「修道会」に司牧委託された教会です。私のこれまで関わってきた小教区の4人の「主任司祭」と「信徒」の関係をお話しすることで、私からの発題といたします。

 

  私が受洗したF神父はスペイン人で「ミサ」とロザリオなどの「信心行」以外は全く興味のない神父でありました。月に一回の「教会委員会」も開会だけ出席して「後はみなさんよろしくお願いします」と言って席を立ってしまいました。ちょうど「ナイス」の頃で「カトリック新聞」や「教区ニュース」では盛んに「ナイス」が記事になっていましたが、ミサ中の説教でも一度も話されたことはありませんでした。F神父に「ナイス」のことをたずねても「私には関係のないことです」「修道会管区長から聞いていません」と言うだけでした。毎日のように来る郵便物も自分の修道会から来るものや、自分宛以外は封を切ることもなく司祭館事務所に置いてあるだけで教会委員が処理をしていました。信者の間でも「ナイス」が話題になったことはほとんどありませんでした。ミサで「香」を使うことや、「ラテン語ミサ」「ラテン語聖歌」には熱心で、毎週金曜日の「ロザリオ」やお年寄りや病人への「ご聖体」配りなどもきちんとやっていました。ミサの後や、ロザリオの後に司祭館で信者達とワインを飲んで楽しんでいました。私はまだ他の教会のことを知りませんでしたので教会とはそんなものだと思っていました。「ラテン語」もそれなりに楽しかった思い出です。

  3年ほどでベルギー人のD神父に替りました。D神父も60歳を越えていましたがF神父とは全く逆で「ご聖体」を口で貰おうとする人には渡しませんでしたし、「信心行は義務ではありません」と、毎週金曜日夜の「ロザリオ」も「お聖堂」の鍵を掛けられてしまいました。勿論「香」や「ラテン語」もなくなりました。「古いタイプの信者」の多い私の教会ではいっせいにD神父の排斥運動が起こり修道会菅区長への投書や直訴がたえず、ギクシャクした関係が続きました。私にとってD神父は、F神父との違いによる戸惑いはありましたが、聖書の話や、カトリック新聞にあるような世界中のカトリックの話題なども話され結構楽しく過ごしました。阪神大震災では真っ先に長田地区に飛んでベトナム人信者の世話をされておられました。ただ日本滞在が40年以上にも関わらず、日本語の表現が上手でなく、私たち日本人には誤解も多かったと思います。

 

  教会では以前から建替の計画を持っていましたが、丁度、修道会も建替に真剣になり、建設委員会が設置されスタートしましたが、D神父と信者の関係が今述べたとおりですから上手く進むはずもありません。修道会管区や建築設計者との話し合いの段階で修道会管区も異動を決意した模様です。

 

  私にとって初めての日本人O神父が登場します。O神父で教会はまた活気(?)を取り戻します。神学生やシスターも教会に来るようになり、日曜学校や聖書の勉強会なども活発になりました。2年ほどで教会の建替も完了し白柳枢機卿を迎えての献堂式を終えることが出来ました。

O神父も教会内のことでは信者と共に、信者の意見も取り入れてやっていましたが教区の集まりや、近隣のキリスト教教会のエキュメニカルな集まりなどには出ようともしませんでした。信者たちのボランティア活動にも口を挟むこともありませんでした、悪く言えば自分の教会外のことには「無関心」でした。

 

  また4年ほどして現在のイタリア人F神父(以前のF神父とは違います)になります。イタリア人F神父は「教会委員会」に必ず出席しますし、教区の集まり、東京教区の宣教協力体の例会にも必ず出席します。何時の頃からか「香」も「ひざまづき」も「口でご聖体をもらうことも」復活しました。いずれもイタリア人F神父が積極的に復活させたわけでありませんが、信者の希望があれば基本的には何でもOKです。「信者のやりたいようにさせている」、悪い言葉で表現すれば「毒にも薬にもならない」神父です。ミサだけが自分に与えられた仕事だと思っているように思います。

 

  私の短い信者生活でかかわった4人の主任司祭について話しましたが、この10年余りの間で神父が替わるたびに、教会を離れていく信者、戻ってくる信者などいろいろありました。

私の教会の信者達にとって「教会は誰とともに」の「誰」は「主任司祭」です。信者の側からの「司祭中心主義」です。一方で司祭の「司祭中心主義」には反発します。「司祭中心主義、対話説得(説明)の欠如、命令的姿勢、支配的態度、独善的判断、人権無視、権限の集中、責任の不明確さ、チェック機構の欠如、一方的人事権、ローマ官僚の独裁、その他さまざまな非福音的構造と運営のあり方、ここから広がっていく女性差別、身分制度、恐怖行政、一方通行的専横、秘密主義など」には敏感に反発します。

今日のテーマである「誰とともに」で考えた場合。「何が」「何は」の主語が「教会」であるわけですが、今話しました教会では「○○教会は誰とともに」ということでしかないと思います。今年のテーマが私にとって「どうもしっくりこない」「自分に当てはめてみて」あるいは「自分の教会でどうアクションを起こせばいいのか見えてこない」、そのわけは「教会」という言葉の頭に「○○教会」の自分の教会名の固有名詞でしかみえなかったからではないかなと気づき始めました。

「それならどうすれば」という問いかけが出てきますがその答えはまだ見つかっていません。まもなく来年度がスタートするわけでありますが、来年度の基本テーマ「交わりの教会」でも多分私は「教会」の頭文字に混乱することだと思います。

「学び合いの会」での内容を自分の教会でどのように「アクション」を起こすのか、私の課題です。終わります。

 

意見交換

発言者の趣旨からそれてしまうかもしれませんが、要点だけを極簡単にまとめさせていただきます。

 

* 司祭と歩むだけでも、信徒と歩むだけでも、教会に来る人と歩むだけでもすまない。教会から外に派遣されてゆくところを考えることが大切ではないか。いろいろ難しいことは多いが、心の病のある方と歩むのはとても大変なことである。異質という話が出てきましたが、これは大きな問題で、自分にこんなことは出来るのかと思わされてしまう。さまざまな生活状況、考え方の違いがある中で共に歩むのは大変なことである。
•  誰と共に歩む時の主語はどの様に考えたら良いでしょう。
•  「教会は」でも言いし「私は」でも良いのではないでしょうか。
•  どうして弱い立場の人とかそうでない人とか区別する必要があるのでしょうか。主語についても区別しがたいのではないでしょうか。
•  フイリッピンの方たちとどの様に歩まなければならないのかと言う現実の問題が突きつけられている。彼らと教会の中でどうやってゆくのか。いろいろな問題はあるでしょうが、いまの教会が抱えている一番大きな問題だと思う。
•  「主語」の問題としては、「主の祈り」にもあるように「わたくしたち」ではないかと思います。私たちの範囲は、小教区なのか司教区なのか、あるいは地域社会なのかいろいろ考えられるでしょうが、どこまでなのでしょうか。私にとっての私達とはどこまでなのでしょうということです。それに関係には濃淡があります。大切なのはその範囲を広げてゆくことではないかという気がします。
•  教会の建物を建てるとき教会は何のためのものかと言う議論があった。いろいろの議論の中で、教会は誰にでも分かるところになければならないという話がでた。誰と共に歩むかの話が広がってしまい社会性の問題になっているが、焦点を絞るとすると、教会の建物に集まってくる人々を考えたい。社会性の問題に広げすぎると建物が要らないといったような話にもなる。しるしでありそこに共に歩もうとする人が集まるのだということを忘れてはいけないのではないか。
•  教会に神さまを求めて、救いを求めてくる人があります。私自身も求めているものがある。神さまに呼ばれたのだということがあります。難病を患い数ヶ月の命と診断されて教会に来られた方と現実に起きた体験を申し上げます。お会いする度に身体状態は悪くなります。日ごとにいままで出来たことが出来なくなってくる。死は怖くはないけれど、これからどの様になってゆくのか分からないのが怖いといっておられました。数回お目にかかって、どのような話を希望されるのですかと伺いました。すると、教会に来たい、聖書の話も聞きたいとおっしゃって、聖書を二人で読み始めました。
初めは、ヨハネの手紙の4章の神さまの愛、神さまは私達がそれを知らなくても先に愛していて下さる。神さまの方ではあなたが教会に来られたのを見て「やっと来たの」と思っておられるに違いないと申し上げました。そのほかの話もしました。その方は次に来られた時の「洗礼を受けるには勉強しなければいけないのですか」と質問しました。「勉強が必要なのではなくて神様を信じられるかどうかだと思います」と答えますと、その方は、「私には神さまが必要なのです」「いなければこまる」とおっしゃいました。ただし自分が信じているのかどうか分からないとつけ加えられました。そこで私はその方に「それでは、その心、その思いをそのまま祈ってください」毎日「私にはあなたがいないと困るんです」と祈っていてくださいと申し上げました。
次の時に会った時に、ヨハネ福音書の3章のニコデモの話と4章のサマリアの女の話のところを読みました。「渇くことのない水」のところをその方のほうから話されました。この方は神さまと既に出会っていると確信しました。この方は求めてきたのではなく招かれてきたのだと思いました。招かれてきた方と共に歩むのだと思います。求めてきた人に応えるのではなくて、招かれた人に応えてゆくのではないか、と思うのです。
•  教会には神という共通するところに集まってきています。人との関係がそこでは大切でしょう。精神や肉体を病んでおられる方などさまざまな方々がおられます。そこに手を差し伸べてゆく。いろいろな方と教会の中で歩むのだと思うのです。また教会の外の人々との関係とのバランスがいると思います。神様はすべての人のためですから、「われわれ」とではなくて、すべての人を考えて良いように思えます。
•  私の教会という話がでましたが、私は生まれてからこれまで同じ教会に所属しています。この学びあいに参加して、いろいろな教会があるのだなと感じました。今日のテーマはいろいろなところから考えられますが、所属する教会として誰と共に歩むのかをもっともっと掘り下げる必要を感じます。自分だけの思いではなく皆で学び合ってゆく必要があるとおもいます。「学びあい」に参加したのも「私が」ではなく「私の教会」が誰と共に歩むのかを学ぶために来ました。教会の施設の使い方についても誰と共に教会は歩むのかに関係しているので、司祭が決めるというのではなく、皆で話し合う必要があると思うのです。
•  教会に自殺した方が出て、司祭が葬式を教会でしないというので、司祭の転任問題にもなる大騒ぎになったことがあります。異質を感じる人は教会にもいます。教会ですべての人と関わる一人一人にキリストがおられるということではないでしょうか。キリストは何故この世に来られたのか考えると社会にある価値観に対して視点を変えるようにというのがキリストのメッセージだと思うのです。関係が難しい人に対しては、キリストはこの人にどのように接するのか考えることが必要であると思うのです。ミサの中でも厳粛な雰囲気を壊す人とどの様に調和をとるのか。キリストの視線で考えてゆけば良いのではないか。ここから一つになることとは何かを考えることと今日のテーマは重なっていると思います。
•  異質の人という言葉が出ていますが、どういう意味でしょうか。皆同じではないでしょうか。
•  それぞれの人にとって「誰は」それぞれではないでしょうか。教会のことばかり出ましたが、本来は切ることの出来ない絆の中にいる家庭を忘れることは出来ないでしょう。それから、誰だけではなくて「どのように」も重要なポイントと思います。

 

コメント         

英師:

わたし自身は小教区に1年くらい協力司祭という形で関わり、お話にあった○○教会の「○○」に縛られている人が多いことは分かるんですが、私にとっては○○教会の「教会」、神の民みんなというか、小教区を超えたところ(を大事にしたい)。引っ越しがない人は一つの小教区に30年とか50年とかいるわけで、数年で替わる神父さんに比べ、「自分の教会」にものすごく執着を感じるのでしょう。だから建て直しとか、ホームレスの問題にしても、自分の庭に入れるかどうかで反発も強いわけで、自分の庭にホームレスを入れられない人は教会にも入れられない。教会は自分の家なので、そこに土足で入ってこられるような感覚になるのでしょう。ただ、少なくともこういう集まりに出てこられる方は、いろんな意見を聞いて、小教区を超えた大きな視点で話し合えるところが、こういう会のすばらしさであり、「神の民」という大きな観点から自分のところを相対化して見られることが大事なのではと思います。

 

「異質さ」について一言いうと、いろんなレベルがあるでしょう。たとえばホームレスが来たら、臭くて臭くてここに座られたらいやだ、教会に来たら自分の子どもに何かされるんじゃないかという恐怖感もあるでしょうし、少し話したりつきあってそういうところは抜けたとしても、日雇い労働をずっとしてきたその人の趣味が演歌とバクチと競馬しかなかったら、話していても話題がないんです。そういう文化基盤の違いみたいなものが異質さとして迫ってきて、どう乗り越えたらいいんでしょう、というような問い。あるいは教会の中の仲良しグループでも、だんだん時がたつと悪口の言い合いになって、お互いの異質さに耐えられなくなることもある。そのような「異質さとどう共に歩むか」で最近思うのは、痛みや弱さやゴチャゴチャさとどう共に歩めるかが一人ひとり問われていて、その人の中の心の闇にどう光を見いだしていけるかが最終的には問われているのではないか。

 

私の尊敬するジャン・バニエという人が理想的な共同体についてこう言っています。何も問題がないのが理想的な共同体なのではなく、それは問題が隠れているだけだ、出てきたその問題と共に歩めるかどうか、痛みを伴いゴチャゴチャしているけどそこにどう聖霊の光が働いているかを感じ歩んでいけるか。それは家族もそうだし、小教区も同じ。一人ひとりがそこから光をもらいながら行けたらいいんじゃないかと思う。

 

私は小教区の教会は「幕の内弁当」だと言うんです。つまり「ウナギ弁当」ではうなぎが嫌いな人は食えないから。「幕の内弁当」でいろんなものがあれば、ここだったら食べられる、ウナギもちょっとあるけど卵焼きもあり梅干しもあります、というように。カトリックの良さは何でもあることで、神父さんの中にも信者さんの中にも極端右翼から極端左翼まで。それで喧嘩しながらでも日曜日のミサにみんな参加するところが、多様性の中で一応平和の挨拶ができるところがええかなと。もちろん「もっとおいしい幕の内弁当になっていくにはどうしたらいいか」の工夫は絶え間なく。「ここが腐っているからどうしようか」はあるんですが…。

 

最近評判の悪いマタイ福音書ですが、マタイの教会の苦しみは何かといえば、「異邦人をどう受け入れるか」で、現代人の問題と何も変わっていない。ユダヤ人だけでやっていきたかったが、異邦人が来たので仕方なしにどうやって教会をつくれるか。そこでできたものがマタイの福音書です。私たちも自分たちの共同体の福音書をつくっていかないとアカンのでしょう。またパウロの手紙では、問題の多かったコリントの教会では偶像礼拝の肉を食べていいかどうかで大議論しています。異教徒が捧げたものだから食べたらアカンという派と、信仰が大事なんで別に食べてもいいという派との喧嘩です。パウロの結論は、強い信仰があるから食べても食べなくてもどっちでもいい問題だ。でも信仰の弱い人がいて、それを食べたら大問題だという人がいるから自分は食べないと。なるべく弱い人に合わせて物事を考えましょうと言うのがパウロの原則です。「異質性」もそうですが、わたし自身誰に対しても異質性が強いので、「共に生きる」のは実際あまりできないと思っているんです。でもなるべく弱い立場の人を基準に、つまずいている人の立場に立って考えられたらいいかなといつも思っています。ラテン語ミサにしても、なくて悲しんでいる人がいたら、年に一回ぐらいいいじゃないかと思っています。こうじゃないといかんと思っている人も「幕の内弁当」に一つぐらいあったらいいんじゃないかと。僕は神の民の教会の方に関心があるので、こういう集まりがそうなんですが、小教区を超えた集まりを持っている方が便利だと思ってます。一つの教会で迫害されたらこっちでやる、そこが駄目ならこっちでやるというように。

 

また神父さんでもいい加減な人もいっぱいおるでしょうが、それは構造的に次の公会議を待たないと変えられない。今できることは信徒が大人になって、ヘンな神父さんも受け入れながら生きていける体制をどう取っていけるか。適当にわがままも許しながら、 言いたいことは言っていくとか。それでもだめなら 、あとは何年間か別の教会に避難して、大人の態度で、「この人も弱い人や」と……。実際その神父さんの過去を、神学生の時から見たらキズの歴史なんですね。傷ついて傷ついてこうなっているわけです。モンスターのようになっていることもありますが、その教会に来たときに、そのキズがちょっとでも癒える手助けを信者ができたらベストではないでしょうか。

 

増田師: 私も小教区の経験が殆どありません。勉強が終わって司祭になったら直ぐに大学で教え始めました。教会論を教えているで、小教区の体験が無いのは問題があると考えることも出来ますが、そうではなくて逆に、小教区の経験があるとそれにとらわれてしまうことにもなるとも考えられるので、知らないから、「教会とは何か」と原則をぶつけられる面もあるのです。それそれとしまして、今日感じたことを話します。

 

教会とは「神の民」で「キリストの体」に招かれているのです。しかし、誰が招かれているのかいないのかは分からないのです。キリストの体に参与するのですが、ここでしっかり確認しておかないといけないのは、われわれはキリストではないということです。教会はキリストではない。救い主ではない。われわれや教会が誰かを救うのではない。間違うとメシア症候群になる。私がいないとこの人は救われないのではない。教会がなければこの社会はだめなのではない。私も傷を持ったものとして救いを与えられる者として招かれている。

町のセンターとして機能する教会もいいのですが、教会は社会福祉で良いのかと反発する人も出てきます。教会はこの世の施設とは違う。超越的次元がある。神との関係がある。これがなければ教会ではない。超越的な次元を保証するものは何かといえば、礼拝とか、命の分かち合いとか、いったことになってくる。この辺を忘れてはいけない。教会の信徒同士の関係にもそういう次元がある。

 

教会のうちと外といった関係はありますが、そのボーダーを構成しているものは何なのか。はじくものか、吸収できるものなのか。洗礼受けているものといないものは違う。その境目を構成する材質は何かです。現在の教会ははじく感じが強い。倫理的に裁く場になっている。救われようとしてやってきて裁かれてしまう。同性愛の人など社会の中ではじかれて教会に来て更に追い討ちを掛けられたということになる。神様が招かれていることを認めることから始めないとだめである。その辺のところを心得ていないとこの世のほかの組織と同じになってしまう。

 

神父が変わると教会ががらっと変わる話がありましたね。ある意味で分かります。それは司祭もそれぞれ違うということです。それぞれ違う賜物を持っている。それは裏返しに言えば違う限界をもっているということです。それは教会共同体に与えられている賜物です。初めにニコラスさんの話として出てきましたが、それぞれに賜物が与えられている。その人にはない賜物もある。ホームレスにかかわれる人もいればそうでない人もいるということです。自分の賜物をキチンと見ないでやると苦しんでしまうことになります。冷静に判断しなければならない。しかし自分にない賜物は関係ないというのではない。私たちの仲間ではありえる。教会共同体の中でいかに賜物を出し合うのかということです。司祭が変わると教会の様子が変わってしまうのは教会が司祭の賜物しか生かせない状況になっているからでしょう。皆が賜物を生かしあっていればそのようなことにはならない。ある程度は司祭が変われば変わるのは仕方がない。あまりにも大きく変わるならば教会に与えられたさまざまな賜物が生かされていないからということになります。

 

福音宣教の最前線に立てるのは信徒だと思います。司祭には無理です。今の教会の中では司祭は秘蹟を執行する人です。あの箱の中にいなければいけないということになっている。むしろ信徒のほうはさまざまのところでさまざまなレベルで自由に働ける。教会は建物ではなく、人が集まるところが教会です。人々の交わりが教会です。この学び合いの場は教会といってよいでしょう。

 

世話役   完

 

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