「教会の民主化を考えるための民主主義の概説」
新しい何かを言ことは出来ない。これから述べることは、誰かが既に言ったことである。ともかくテーマが大きすぎてうまく整理が出来たとは思わないが、この間に調べ直したことを以下に出来るだけ簡潔に述べるよう努めたい。( この資料は「学び合いの会」の一員が「21世紀の教会」を考える一参考資料として作成したものです。政治思想史の専門家ではありませんので誤りや重要事項の欠落があるかもしれません。気が付いた方はご連絡下さい。)
T.何故「教会の民主化」が叫ばれたのか
第二バチカン公会議が打ち出したものは何か
過去と異なりこの公会議が打ち出した新しいことは「権威主義」のスタイルの変更であり、「権威の機能の仕方の再定義」と言えそうである。あり方、スタイルの変化としては、トップダウンから「協働」「パートナーシップ」への転換であり、この範囲は全教会のあらゆる階層間に及ぶ。そして教会を「支配」「統治」ではなく「奉仕」「僕」と言う言葉で再定義していると言われている。この公会議自体は、教皇の権威を再確認し、その意味で、制度としての教会の民主化を望まなかったと言われる。
スーネンス枢機卿やカスパー枢機卿などが、教会の改革を「民主化」という言葉でとらえた理由は、明らかにこの公会議の打ち出した「権威の再定義」に関してだと思います。良かれ悪しかれ現代と言う時代を「民主主義」と言う言葉で象徴的にとらえて現代人の感覚に合わない現在の教会を現代人の感覚に合わせる必要を感じたのだと思われる。
繰り返しになるが、教会の現状、中央集権的で専制主義的な教会のあり方に対して、その改革の必要性を訴えたかったのだと思う。司祭中心主義、対話説得(説明)の欠如、命令的姿勢、支配的態度、人権無視、権限の集中、責任の不明確さ、チェック機構の欠如、一方的人事権、その他さまざまな非福音的構造と運営のあり方などを問題にしているのでしょう。これらの言葉の中身を拾ってゆくと、女性差別、身分制度、一方通行的専横、秘密主義、などさまざまな問題に広がって行く可能性がある。
政治思想としての「民主主主義」と「福音」の共通点と差異
政治思想としての「民主主義」と「福音」の共通点があるとすれば、「人は皆神によって創られ神の前に平等である」と言うことにあるようにおもわれますが、「民主主義」が現実にめざしたのは「神様を可能な限り放擲して政治体制を実現しようとした」と言われています。民主主義を批判する政治学者は「神さま抜きの政治体制が本当に可能なのかと問い、一方民主主義社会で荒廃した「理性」の復権を主張しているようです。「国民主権」の根拠も「神の民」の根拠も「神によって創造された人間」と言う、一見同じところにあるようです。民主主義でも「権利主張の根拠」を神に作られた人間においていますが、国民一人一人が神に従うという義務が欠落していると指摘されています。一方教会の目指す「神の国」は一人一人が神に従うことによって実現するものです。
どのような社会でも、支配と被支配の関係は避けられないと言われます。民主主義では支配者の独裁を抑制する装置として不完全でもさまざまな工夫が試みられてきている、選出・任期・分権・チェック・リコール・議会制度・司法制度などなどが考案されてきていると思います。これらの装置は殆どが民主主義社会の発明ではなくて以前から存在していたようです。
政治制度と教会制度の決定的差
しかし、教会は支配・被支配の関係に基づく秩序ではなく、信頼と僕としてのリーダーシップによる秩序であることが求められているのではないかと思うのです。民主主義の制度としてではなく、「僕」「奉仕」としての「権威の再定義」の下に、これらの装置を取り入れることがどの様にすれば可能なのかが問いであるように思われます。
「神の国」の実現を使命とし、それを願い、それに向けて努力しようとしている教会が、福音から言っても本質的に正しいと思われる「支配被支配の関係を排除した権威」を共同体の中に実現しようと真に願うならば、現実の教会制度を真正面から見直して一歩一歩勇気を持って相互信頼のうちに、多くの人間的努力をする必要があると思われます。
過去の教会は現実社会の支配・被支配の政治制度を大幅に導入して今日に至っていますが、現実社会で支配・被支配の制度の下で喘ぎ苦しむ多くのこの世の人々が、カトリック教会を模範としたいのは、如何にすれば「支配・被支配ではない社会制度が可能かどうか」にあると思います。「これこそが“神の国“のこの世での建設ではないでしょうか。
教会の使命を共有するために
何はともあれ信徒の立場からすれば、意思決定への参加が必要であるということではないかと思うのです。全く「意思決定」に参画していないならば、決定を共有することは非常に困難ではないでしょうか。基本的に信徒が教会の運営意思決定に参画しているという実感が抱けるような教会の運営がなされていないならば、その方針は共有されるものとはなりにくいでしょう。
共同体には共通の目標が存在しその目標自体が「共同体のリーダー」となり、一人一人の忠誠心はその目標自体に対する忠誠心であるという経営学の考え方があります。この目標設定のプロセスから信徒が排除されている現状では、この「見えざるリーダー」が不在であると言えるのではないでしょうか。
誰が権力を握るとか平等とか権利といった問題ではないのです。参加意識、当事者意識を確りと抱けるようになるためには制度をどの様に変える必要があるかではないでしょうか。生きた共同体ではすべての人、大人もこどももそれなりに共同体の出来事に生きたかかわりを持って共同体の出来事を自分の問題として実感できないならばその集団は共同体ではないといえるかもしれない。意思決定、目標形成、問題処理の過程に全員が何らかの形で参加し、自分のこととして協働してゆくことが大切でしょう。「共同体」自体がこのようにして形成されるのではないだろうか。先に「共同体」が存在するのではない。真の「協業」を目指すならば、このプロセスを抜きにしては、「協業」の実現は不可能であると思われる。
現実の教会の動きを見ていると「信徒の位置づけ」に際して、「現代では教会の使命を遂行するためには信徒の参加が不可欠であり、聖職者にはもはや出来ないから信徒の教会内での位置づけを見直す考え方が生まれたかのように説明されることがあるが、これは誤りであると思われる。聖職者でやれなくなったから信徒の出番と言ったことではないだろう。教会の本来の姿として「神の民」を前提にしたとき「信徒の正しい位置づけ」が必然的に論議されたのではないのか。
U.民主主義とは何か
「民主主義」と言う言葉を聴いて何を連想するだろうか。
アメリカの独立宣言「人民の、人民による、人民のための政治」かもしれない。また、毎日のニュースを通じてアメリカがイラク戦争の正当化に使われているのを承知している。少し歴史に通じている人なら「フランス革命の自由と平等」、政治に興味があれば「三権分離」「多数決」「選挙」「国民主権」「対話・説明・説得」といった「民主主義実現のための装置」をあげるだろう。それにもう少し詳しい人は「ナチス」「共産主義」も「民主主義運動から生まれたことを思い出すかもしれない。議論好きな人なら、「民主主義」と言う言葉が第一次世界大戦までは疑わしい言葉であったが、戦勝国が不承不承参戦させられた民衆への説明としてこの戦いは正義の戦いであることを「ドイツ軍国主義に対する民主主義の戦い」として主張したのだ、それ以来「民主主義」は良い意味を獲得した」と言うかもしれない。また「デモクラシー」の意味は「民衆による支配」であって、現在でも警戒を要する言葉だと歴史的背景を詳しく説明したがるかもしれない。「神なしの政治制度は可能なのか」と投げかける人もいるでしょう。
民主主義の独自の理念
「自由・平等」は「民主主義」独自の理念である。しかし、この理念実現のために取り入れられた装置自体に民主主義独自のものを見出すことは難しい。
長い間「民主主義」は否定的な意味合いで使われていた
「民主主義」が良い言葉として使われだしたのは第一次世界大戦後であり、民主主義国としてのアメリカの参戦により、連合国の戦争理由を正当化するために用いられた「戦争はドイツ軍国主義に対する民主主義のための戦争である」とされた。その流れは現代でも続いている。イラク戦争を正当化するためにも「民主化」を旗印にしている。
ヨーロッパでは民主主義という言葉は一貫して「君主制に反対する」意味を持っていた。その時代までは民主主義が正当な言葉、良い意味を持つ言葉であったのは米国であった。他の国では民主主義を唱えること自体危険思想を意味していた。「民衆が権力を奪って身分制を徹底的に打ち破る政治運動・思想・イデオロギー」として使われたのである。ナチズムも共産主義も民主主義から生まれたものである。
民主主義の理念形成の根拠は何か
「国家」は「主権」という観念の上に形成された。「主権」とは他が犯すことの出来ない「最高の力」と言う意味である。国王の強権によって人工的に政治社会の枠組みが作り上げられた。その国家の最高権力を「主権」といった。従って、「国民主権」とは「王権」に代わり「国民」が最高の力を持つ国政に他ならない。
「君主制王政」を支えていた思想は「王権神授説」であった。「王権神授説」は王の権力に対して神法・自然法から来る「正しさへの義務」と「根拠付け」とが対になっている。その意味からすると「国民主権」においてはその根拠付けが明確ではない。「平等」の根拠として、神の創造の平等性はうたっているが「国民」の上に置ける神の存在が眞に希薄である。
「民主主義」であっても人による人の支配には違いない、理念からすると、「自治」ということになる。民主主義では「治めるものと治められるものが同じである」ところに特徴がある。「民主主義」は思想であり民衆の解放運動であった。共通の原理は「自由」と「平等」であるとされる。
民主主義の思想の根本的な特徴は一体何なのか?民主主義になって初めて「人間が単に人間であると言うだけの資格で『自由権』を主張できる」と言われた。これは民主主義固有の特徴である。思想の自由・言論の自由・出版の自由・集会の自由・結社の自由と言ったものは、単に権力からの自由、民事上の自由として意味するばかりではなく、権力への自由、政治的な自由の前提条件として意味を持っている。
「自由」として何が主張されるのか。その中身を見ると、実際は中世以来の身分的な特権を引き継いだものが多いと言う。民主主義と自由は実は激しい対抗関係にあった。「良心の自由」の要求をさかのぼれば宗教改革にさかのぼれる。「権力からの自由」、権力の干渉を許さない聖域としての自由として、積極的価値になった。この自由は平等の理念と不可分のものとなったのである。「国家からの自由」は「国家への自由」にならざるを得なかった。具体的には「国政に参加する権利」の主張となったのである。
民主主義と「平等」、この関係は直接的である。近代国家で制度的に確立されたのは、「法の前の平等」であった。この観念は「神の前に平等が世俗化されて出てきたものである」。平等に扱うと言う約束ごとであって、現実の不平等が存在していることを妨げるわけではない。米国における平等観念は実質的平等ではなく機会の平等である。いわば不平等になるための平等である。
民主主義の理念を実現する装置の源泉
「権力分離」はもともと「混合体制論」という中世以来の伝統を近代の国民の権力に転用して作られたものである。「混合体制」は国王が家臣の合意によって支配すると言う要求であった。議会と言う機構は合意調達に使われた。さまざまな身分のものを集めて国政に参加する。身分制議会の機構であった。軍人貴族、高位聖職者、富んだ平民、13世紀の終わりにイングランドで開かれた「議会」、これが両院性の起源である。
代表を「選挙」するのが今では民主主義の原理ということになっているが、これはギリシャでは民主主義となんらの関係も無かった。代表を選ぶ選挙は古代ギリシャ人が警戒するものであった。選挙とは裏を返せば民衆の支持と後押しが束ねられてその力が一人の人間に握られることであったからである。多くの僭主が選挙によって選出されたものであった。
「多数決」は代表の原理よりは強く民主主義と結びついている。多数決は合議体の意志を決定する方法である。ヨーロッパでこの制度が確立したのはローマ教皇の選挙であった。これは民主主義とは関係ない。すべての人間の自由と平等と言う価値原理と矛盾しないようにするには多数決は満足な解決ではない。その要求を満足させるなら全員一致しかない。「民意」とは何かの問題も残される。
身分制と差別と民主主義
王、貴族、聖職者、戦士、平民、の階級制度の中に長い間教会が存在していたことは歴史的事実だろう。そして、この身分制度が近代に至り崩壊してゆく、国民主権とはそのようなことを意味しているのだろう。しかし一方教会は政教の分離を認め民主主義を肯定したものの自分自身の内部の制度は身分制を維持したままで今日に至っている。民主化を論じるならばこの教会内の身分制である「位階制度」を問うてみる必要があるのではないだろうか。「『仕えるもの・僕』としての立場」と「現在の『身分制』の色濃い位階制」とどの様に整合性を持たしえるのか。
民主主義の装置が機能するための条件(前提)
民主主義が有効に機能するためには、「討論」と「説得」が不可欠であると言われる。多数決の決をとる前に十分な討論と説得の過程を経なくてはならない。討論と説得の過程をぬきにしたら多数決は単なる専制にすぎない。民主主義本来の要求は、そもそもすべての成員による自発的な秩序であり、治めるものと治められるものが同一であるところにある。
( この資料は「学び合いの会」の一員が「21世紀の教会」を考える一参考資料として作成したものです。政治思想史の専門家ではありませんので誤りや重要事項の欠落があるかもしれません。気が付いた方はご連絡下さい。)
V.教会関係の参考資料
「今日の教会における共同責任」スーネンス枢機卿(あかし書房)
「教会における司祭の役割」カスパー(神学ダイジェスト 31 号)
「現代カトリックの信仰」カスパー(南窓社)
「正義と自由(カトリック社会要論)」ブロイニング(上智社会事業団)
「支配しないリーダーシップ」ロービンガー(松田清四郎私訳)
「21世紀が求めるキリスト者の生き方」(参加的共同体とリーダーシップ)」
山田経三(新世社)
「組織とリーダーシップ」山田経三(上智大学経済学部)
「教会と女性、そして民主化」弘田しずえ(カトリック京葉宣教協力体)
「民主主義とカトリック教会の関係を考える」オリビエシエガレ(福音と社会207号)
「来日講演記録」レナードスイドラー
「信徒中心の教会」レオナルドドーハン(女子パウロ会)
「旅する教会」レイモンドブラウン(ドンボウスコ)
「教会その本質と課題を学ぶ」百瀬文晃編(サンパウロ)
「第二バチカン公会議40周年」増田祐志(神学ダイジェスト96号)
「カトリック教会会憲」 ARCC (神学ダイジェスト96号)
「 My Hope for the Church 」 Bernard Haring ( LIGUORI TRIUMPH )
「教会内の暴力」カミロ・マチッセ( Testimonio )(学び合いの会私訳)
「教会における男女の協働」(カトリック司教協議会)
「聖書と差別」(日本カトリック部落問題委員会編)
「教会、カリスマと権力」レオナルドボフ(エンデルレ)
一般参考書籍
「近代民主主義とその展望」福田観一(岩波)
「民主主義とは何か」長谷川三千子(文芸春秋)
「正義論自由論」土屋恵一郎(岩波)
「デモクラシー」千葉真(岩波)
「イデオロギー脱イデオロギー」佐伯啓思(岩波)
「現代民主主義の病理」佐伯啓思(岩波)
「自由主義の再検討」藤原保信(岩波)
「秘密と嘘と民主主義」ノームチョムスキー(成甲書房)
「世界を語る」ノームチョムスキー(トランスビュー)
インターネット URL (アメリカ)
Voice of the Faithful ( www.votf.org )
注:
教会関係でも一般参考書籍でもまだまだいくらでも良い本があるでしょうが資料作成者の手元にあり参考に出来た本だけをリストしました。
W 民主主義を支えた思想家たち
ジャンボダン 1530−96:16世紀後半フランスのジャンボダンが始めて近代的な「主権概念」を明確にした。「主権」は国政を実現するための必要不可欠の第一の条件とされた。 1576年 「国家論」であった。「主権とは国家の絶対的で永続的な権力である」、「主権」とは市民や臣民に対して最高で、「法律の拘束を受けない権力」である」とした。絶対君主国家の理論的根拠を提供した。国家を他のさまざまな社会集団から区別するのは「主権」があるかないかの違いであると述べる。国政を行うに当たり他からの権力に従うことなく独立して行いうる。対外的主権と国内的主権が同一な「主権」概念として表裏一体として定義されている。教皇からの干渉を排除するフランスの実際的意図があった。この「主権」は世界のすべての国に認められる。国内主権としては市民や臣民に対して最高で法律の拘束を受けない権力であるとした。法律の拘束を受けないと言う部分は危険な定義づけである。しかし彼の国家論では僭主容認論ではない。狭義の法律の意味で一国の危機に対応して機敏かつ適切に舵取りするためである。最高権力者も神法には従わねばならない。正しさへの義務と根拠付けが一対になっている。しかし神法に従わない場合には危険なものとなる。暴走がおき闘争的な概念に変身する。
トマスホッブス 1588-1679 :「人権」概念を最初に提示した人。「リヴァイアサン」(レビアタン) 1651年 イギリス革命の時出版された。ボダンと同じく「主権」の確立で危機を克服しようと目指していた。スコラ神学の概念を排除して「神」と絶縁した理論を作り上げる。「神に頼らず」「古来の法」にも頼らない既存の国家理論に頼ることなくかっこたる「国家」を設計しようとした。社会性工学といったものであった。人間を「力を求め続け、死によってのみ消滅する、永久不断の意欲」としてとらえる。これを人類の「自然状態」と呼ぶ。
「人間は誰でも人を殺しえる殺されうる」状態を現実と見る。人間の悲惨な自然状態を生み出す原動力を「自然権」として語る。この「自然権」が続く限り人間は生命を脅かされることになる。従って、安全に秩序正しくこの「自然権」を放棄するには「理性」への道を開くことである。これを「自然法」と彼は呼ぶのであり、神学的「自然法」ではない。「政治理論から神を締め出した彼が一番「神なき世界」の悲惨さを知っていたのである。この状態を克服するために「国家」は建設されなくてはならないとした。各人は自らの権利と力を譲り渡し、代わりに安全福利を確保してもらう。「自然権」は破棄し捨て去るべきものでそのプロセスが「社会契約」に他ならない。ホッブスの「自然法」は安全に秩序正しく自然権をどの様に放棄するかの法である。人間が幸福な人間らしい生活を送るためには何よりも傲慢を克服することが不可欠であるとした。各人の自然権が止め処も無い相互破壊の泥沼に陥るのを防いで自然法が見出され、人間相互の安全保障契約が結ばれるプロセスを最終的に保証するのが「主権」である。
各自は自らの力と権利を譲りわたしその代わりに自分たちの安全と福利を「共通の」立場から確保してもらう。「社会契約説」は自然権を放棄して捨て去るプロセスである。正しくホッブスを理解したならば「独立宣言」の前文は違ったものでなくてはならないだろう。「人間は平等に出来上がっている。どんなに強く賢い人間でも、他の人間に殺されうる。各自が自然権を保持している限り生命自由幸福は保証されない。このような状態を解消するために政府が設立される。」これが社会契約説に基づいた「独立宣言」となるはずである。取り違えた原因はジョンロックである。
エドワードクック :「権利請願書」 1628 年国王の権限と国民の権利について習慣法、古来の憲法として論じられている。先人の知恵を尊び、現代人の傲慢を抑える伝統の上にある。
「習慣法」と「均衡」の原則:王権と土着の慣習法との均衡と調和を柱とする王権の制限は英国の国政の柱となった。17世紀初頭ジェームズ一世が王権の制限を踏みにじりチャールズ一世のとき激化し1642年イギリス革命が起きた。「名誉革命」1688年によって克服された。貴族と庶民の古来の自由と権利が再確認された。「混合政体」「立憲君主制」:英国の制度は「民主政」でも「王政」でもない。実質的政治の権限は国民投票で選ぶ。エドワードクックは習慣法の本質と正しさ、過去の無数の英知と体験の結晶であるそれを捨て去るのは歴史そのものを捨て去ることになると言う。国王の権限の制限と国民の権利、自由が宣言された。
ジョンロック 1632-1704 : 1690年にホッブスの理論を歪曲した論文「市民政府論」を書いたそれが「独立宣言」の一節に再現されている。ロックの哲学的立場は人間を支えている文化や慣習の役割を低く評価し、機械的な説明によってそれを解体してしまおうという立場である。自然状態の理解がホッブスとは全く違う。あたかも自然法を持ち出したかのようである。人間は神の創造である神の僕であるという。しかし神に従う義務については触れない。労働が所有権を設定したと言う。ホッブスの社会契約説をなぞった部分では自然状態で持っている人間の権力が放棄され人類の生存に適当と考える一切のことをなしえる権利と処罰の権利が社会の手に委ねられるとする。ロックの言うのは悪者に対する処罰のことである。ホッブスとは違う。生命自由資産を守ると言うだけならあらゆるまっとうな政府が目標としていたことである。「絶対的恣意的権力からの自由」を謳ってしまうと、「公的な権力」から何がしかの束縛を受けて暮らしている社会状態に暮らす者は、いつでも誰でも当然の「公的束縛」をさして自由を脅かしていると叫ぶことが出来るようになってしまう。
モンテスキュー 1689−1755:法服貴族、「法の精神」 1748 年、三権分離説、立憲君主論、自由主義思想家、反絶対王政、フランス革命の思想的土台、革命の進展と共に影響力を失う、 1793 年の政治思想には殆ど影響なし。
ルソー 1712-78 :人民全体が主権者である時の、その人民全体の意志という意味である。個別の利害を追求するのではない。常に公の利益をめざす。「一般意思」に導かれる主権者の行為は自動的にすべての国民のための政治を実現することになる。神とか慣習の歯止めを持ち出す必要がないとする。しかしこの論理はもしも「国民主権」と言う政治原理を立てるならばそのようになるしなるようにしなければならないと言う。その意味で「公衆の啓蒙」が不可欠であるとする。国民主権に必要なものとして提示されたのが「一般意思」である。「一般意思」が常に正しいという条件は「理性」の働きが不可欠である。神に代わるものとしての「理性」と言える。「克己心」と「知的謙虚」による「公共の福利」である。
トマスペイン 1737 − 1809 :イギリスの急進政治論者、独立宣言の思想的根拠を与えた。 1792 年「 The Right of Man 」アメリカ革命フランス革命の基礎原理を展開。
シェイエス 1748 − 1836 : 国家の政治権力は第三身分のみに属するべきである。国民とは第三身分のことであった。一第身分貴族、第二身分僧侶に対する第三身分国民の反抗であった( 1789年 「第三身分とはなにか」)。 この点で、ボダンの主権概念とは異なっている。
国民はすべてに優先して存在し、あらゆるものの源泉である。その意志は常に合法であり、その意志こそ法そのものである、とする。これは「憲法」制定の根拠に答えるために考えられた理屈である。「国民の意思」によって作られた憲法は至上至高なものとなる。ボダンの言う主権論には主権者には立法権があるとされていた。「国民主権」にもこれが適用されている。その意味でボダンの延長線上にある。「国民の意思」の上には神法は無い。人間は神ではない。「共同意志」多数の願望が常に一般の福祉と一致するように仕組みにしなくてはならないという。「主権者が複数の時、主権者の意志の決定は難しい問題になる。ルソーの「一般意思」と異なる。理性の問題ではなく「仕組みの問題」とする。その仕組みとして「徒党を組むことの禁止」だけが提案されている。粗雑で乱暴な議論の原因はこのパンフレットが革命前夜に革命を扇動するために書かれたためである。
トクヴィル 1805−59 : 「アメリカの民主政治」 1835 アメリカの見聞報告の中で、アメリカの国民主権の相違点を「地方自治」の尊重においていた。各地の自治的共同体が「人民主権」の実質を担っていた。それは人権という原理に結び付けられている。しかし「得体の知れないもの」として「民主主義の洪水」を未来にも見ている。 1871 年には預言どおり「持たざるもの」の革命が起きる(パリコミューン 8 日間のプロレタリアート独裁)。フランス革命では 60 万人、第一次世界大戦では 850 万人が犠牲となった。ナチズムも「抑制なき民主主義」である。
「すべての人間は平等に創られている」誰にも譲ることの出来ない権利が与えられている、それを確保するために政府が設定された。この権利を人権と呼ぶ。権利を根拠付けるものは何か。権利とは相対的な概念である。権利と義務は背中合わせになっている。前提に契約が存在しなければならない。それを支えるとか慣行が必要である。権利とは争いや対立のあるときに発せられる言葉である。権利を根拠つけようとすると義務が生じるはずである。
トマスジェファソン: 「独立宣言」 1776 年「すべての人間は平等に造られている、創造主から誰にも譲ることの出来ない権利が与えられている、生命、自由、幸福の追求の権利である。この権利を確保するために政府が設立された。政府の権力は被治者が同意を与える場合にのみ正当化される。この権利を現代人は人権と呼ぶ。
パトリックヘンリー :アメリカ革命の標語「われらに自由を、しからずんば死を」 1775 年 は優先順位をつけて「生命」をないがしろにしている。独立宣言の「生命、自由、幸福の追求」の権利のうち「自由」のみが革命の暴力を肯定してくれるものだからである。
注:今回は残念ながらアメリカの現在の民主主義と資本主義の関係を入れる余裕がありませんでした。多分現代の民主主義を考えるためにはこの辺のことが重要であると思われます。
教会と近代民主主義年表
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世界政治 |
教会の出来事 |
近代民主主義の歴史 |
十六世紀 |
1516 スペイン王カルロス一世、 1519 マゼラン世界一周出発、 1543 コペルニクス地動説 1556 皇帝カール5世即位 1588 スペイン無敵艦隊撃破
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1517 ルター95条 1534 イエズス会創立 1545 − 63 トリエント公会議 1549 ザビエル来日 1563 英国国教会39条成立 1597 長崎26人殉教 |
1513 マキアベリ「君主論」 1576 ボダン「国家論」 1579 「暴君に対する自由の援護」(著者不詳)抵抗権の正当化(オトマン、ブキャナン、アルトジュウス、マリアナ等) 1588-1679トマスホッブス“自然状態” 1598ナント勅令(信教の自由) |
十七世紀 |
1600 イギリス東インド会社、 1602 オランダ東インド会社、 1616 − 48 三十年戦争 1620 メイフラワーアメリカへ、 1642 イギリス革命 、 1643 ルイ 14 世即位、 1650 デカルト死、 1683 トルコ軍ウイーン包囲、 1687 ニュートン万有引力、 |
1609 ガリレイ望遠鏡 1615 フラン公会議受容 1816 ガリレイ裁判 1626 聖ペトロ大聖堂献堂 1650 デカルト死 1664 パスカル
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1615 ホッブス「リヴァイアサン」 1628 クック「権利請願」 1632-1704 ジョンロック 1678 ホッブス死 1689 ロック「寛容に関する書簡」、 1688 イギリス名誉革命、 1689 信教自由、権利憲章 1 1690ロック「市民政府論」 、 |
十八世紀 |
1701 プロシア帝国成立、イタリアサルヂニア王国成立、 1715 ルイ十五世即位 1772 イギリス産業革命 1727 ニュートン死、 1742 フランクリン電気発見、、 1776 アメリカ独立 、 1778 カント理性批判 1783 アメリカ合衆国独立 1789 フランス革命 1792 − 1804 フランス第一共和国 1793 ルイ十六世ギロチン 1795 ナポレオンイタリア征服、 1798 マルサス人論、 1799ナポレオン統領 |
1717 中国キリスト教禁止、 1725 御受難会創立 1728 聖務日課全教会に 1732 レデンプトール会創立 1758 クレメンス 13 世、 1769 クレメンス 14 世 1775 ピウス 6 世、 1773 イエズス会解散総長投獄 1786 韓国キリスト教禁止 1790 「聖職者民事基本法」 1791 教皇「民事法」批判、フランス教会分裂 1794 民法上結婚離婚法令 1799 シュライエルマヘル宗教講話
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1704 ロック死 1748 モンテスキュー「法の精神」 、 1748-1832 ベンサム 1751 − 1836J マディソン 1755 ルソー「人間不平等起源論」 1755 − 1804A ハミルトン、 1762 ルソー「社会契約論」 1767 − 1835W フンボルト 1776 スミス「国富論」、 1776 ジェファソン「独立宣言 」 1789 ランス革命、人権宣言 、 1789 シェイエース「第三階級とは何か」 1789 ベンサム「道徳および立法の原理序説」 1791 トマスペイン「人権論 」 1793 五月革命、
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十九世紀 |
1804 カント死 1804 − 1814 ナポレオン一世 1806 神聖ローマ帝国滅亡 1807 ヘーゲル「精神現象学」 1808 奴隷貿易禁止 1814 蒸気機関車 1814 − 24 フランスブルボン朝 1818 マルクス生誕 1819 イギリス紡績工場法 1825 イギリス商業恐慌 1831 へーゲル死 1848 − 52 フランス第二共和国 1848 − 52 大統領ルイナポレオン 1952 − 70 皇帝ナポレオン三世 1861 イタリア王国建設 1864 − 76 第一インタナショナル 1870 − 1940 フランス第三共和制 1897 イギリス労働者保護法 |
1808 アメリカ司教座増大 1814 イエズス会再建 1839 韓国大迫害 1845 ニューマン改宗「キリスト教教理発展論」 1854 聖母無原罪教義 1859 教皇領縮小 1860 教皇軍敗れる 1864 「シラブス」誤謬表 1865 大浦天主堂、切支丹発見 1867 イタリア反教権法 1869 − 70 第一バチカン公会議 1878 社会の現状、社会主義、回勅 1881 公民の権力回勅 1885 国家と教会回勅 1888 自由の意味回勅 1891 社会に関する回勅「レールムノヴァールム」 1894 アメリカニズム論激化 |
1806 − 73J ミル 1810 フンボルト「国家政策の限界」 1814 − 76 バクーニン 1817 リカード経済原理 1818-83 マルクス、 1819 コンスタン「自由について」 1820-95 エンゲルス 31 ヘーゲル死、 1835 トクヴィル「アメリカの民主政治」 1837 人民憲章 1837 フーリエ死空想的社会主義、 1840 サンシモン等社会主義思想、 1842 社会主義思想広まる 1848 マルクス共産党宣言 1857 世界経済恐慌、 1859 − 1952J デューイ 1859 マルクス「経済学批判」 1861 ベンサム「代議政治論」 1862 スペンサー「第一原理」、 1867 マルクス「資本論」 |
二十世紀 |
1900 ニーチェ死、 1903 ライト兄弟、 1905 フランス政教分離法制定 1914 − 18 第一次大戦、 1917 ロシア革命、 1920 ILO、 1922 ソビエト、 1926 ムソリーニ、 1927 ハイデガー存在と時間、 1929 バチカン市国 、 株式市場大暴落、 1934 ヒトラー総統、 1939 独ソ不可侵条約 1939 第二次大戦、 1941 スターリン、 1943 ムソリーニ失脚 1945 第二次世界大戦終了 1949 中華人民共和国 1957 EEC、 1964 フルフチョフ失脚
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1909 教皇庁聖書研究所設立 1917 新教会法典 1925 カトリック労働者連盟 1931 社会に関する回勅「クアドラゲシモアンノ」 1937 ナチズム批判回勅、共産主義批判回勅 1939 人類社会の一致回勅 1943 キリストの体回勅 1947 典礼に関する回勅 1950 聖母の被昇天教義 1951 第一回信徒使徒職世界会議 1958 ヨハネ 23 世即位 1961 社会の発展に関する回勅 1962 − 65 第二バチカン侯会議招集 1968 メデジン総会 1968 避妊に関する回勅 1978 ヨハネパウロニ世即位 1979 プエブラ文書、 1983 新教会法 |
注:教会史の項目です 1901 キリスト教民主主義回勅 カトリック社会研究連盟設立 1906 政教分離回勅 1907 近代主義弾劾「パスケンディ」 1912 労働組合に関する回勅「シングリアクアダム」
注:民主主義関連 1910 イギリス総選挙、 1911 イギリス国会法制定、 1939 − R スキデルスキー 1950 朝鮮戦争 1965 ベトナム戦争 1973 中東戦争 1982 イラン・イラク戦争 1991 湾岸戦争
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注:「学び合いの会」の検討参考資料として専門外の一メンバーによって作成されたものです。誤りがあると思います。