四月十七日「学び合いの会」記録
司祭と信徒の関係
参加者: 26 名+(欠席年会費納入者 名)+司祭 2 名
4階の「新しい会場」「新しい椅子」で新たな雰囲気で「学び合いの会」 2 年目がスタートしました。ニコラス師はマニラ転勤が決まり、今回最後のご指導をいただきました。過去 3 年にわたるよき指導者、よき信仰仲間が去ってゆかれるのは誠に残念ですが、アジアのほかの地域でもニコラスさんを必要としている方々がたくさんおられます。ご健康とご活躍を祈りながら記録作成に入ります。
本日の課題
公会議で教会を「神の民」としてとらえてから 40 年の歳月が流れましたが、依然として「制度としての教会像」しか見えない。これが信者の実感だと思われます。「新しいかかわり」を目指して今年は年間を通して「司祭と信徒の関係」をいわゆる教会の民主化も踏まえ問い直してみることになりました。
キリストの教会にはどのような「信徒司祭の関係」が望まれるのか。現在教会に漂っている相互不信に似た状況を福音に照らして考えたいと企画しました。司祭からの発題も検討しましたが残念ながら実現しませんでした。 3人の参加者から発題をしていただきました。
集会は以下の順番で行われました:
@ 発題「教会の現状」( 3 人の参加者代表)
A 「グループの分かち合い」(時間の都合で直ちに全体の意見交換)
B 「聖書に照らされた司祭と信徒の関係」講話(ニコラス師コメント)
@ 発題「教会の現状」( 3 人の参加者代表)
発題1
教会の現状について実例を話します。今年の 1 月に教会役員の改選がありました。私は旧役員でした。制度上は委員会の推薦で新役員の候補が選出され委員長が推薦者を説得することになっていましたが、委員長の推薦ではだれも委員になってくれないので、委員会が推薦名簿を作成して司祭に提出して、司祭が推薦者を説得する慣例になっていました。今回もこの慣例に従って名簿を作成して 11 月初めには司祭に提出してありましたが、いくら待っても司祭からは何の返答もありませんでした。
どうしようもない状態の時、ある主日に突然、司祭から「来年は教会委員の改選があるから委員にしたい人の名前を書いて提出するように」との命令が出されました。委員会の推薦者と投票された人とがどのようになっているのか分からないので、委員長が司祭に問い合わせてもなんの返事もない状態が続きました。 12 月から 1 月に掛けてその司祭は帰国することになりましたが、委員は誰一人決まっていませんでした。帰国する前に少なくとも委員長と副委員長だけでも決めておかなくてはならないと言うことになりました。司祭にそれを求めると自分はこのことから手を引くのであなたたちに任せるとの回答でした。この司祭の無責任さを感じてもだれもそれを司祭に言える人はいません。
そこで推薦された人と選挙で選ばれた人が集まってその中から委員長と副委員長を選んでもらおうと言うことになりました。司祭の帰国数日前にそれが司祭から承認されて一件落着かに思われました。しかし委員の中から反論が噴出し「委員を選ぶのは委員長の責任ではないか、規則に従っていないではないか」との突き上げが起こり、信徒総会では旧委員長突き上げが激しくなり爆発しました。しかし司祭のやり方に対しては一言の批判もありませんでした。わたしは旧役員の立場からみて司祭の無責任さへの責めを旧委員長が一手に引き受けさせられたと思いました。二年前の改選のときに司祭は大変苦労したようでした。今回はその役割を引き受けたくなかったのだと言うのが本心のようでした。この司祭は信徒との人間関係をこつこつと日常作り上げる努力はしてきませんでした。説教壇からは威勢良く話しますがわたくしたちのところまでは決して降りてはきません。
信徒はこの司祭のために人肌脱いでも良いかどうか見ています。司祭の方も人の心を捕まえる努力をして欲しいものです。二年前に委員の引き受け手が居ないと言う苦い経験がありながら、それを肝に銘じて生かすことなく、二度同じ愚を繰り返した挙句の果てに信者に自分の不始末をさせて自分は逃げの一手で知らぬ顔をしている。司祭の立場に立って考えて見なくてはならないとは思うものの、それが冷静に出来ないほどの痛手を受けました。 2 月の大もめの信者総会にこの司祭は出席せず信者も司祭にそのようなことがあったと言いもせずに、何もなかったかのように日々が過ぎ去って行くことに、恐ろしいような、耐えられないような、どこかで叫び声を挙げられるものなら上げたいような心境でした。
何故これほど越えられない溝が信者と司祭の間にあるのだろうか。司祭には一言も言えないでただ従ってきた長い積み重ねの結果であろうと思います。宣教師として私達の共同体に根ざさない人が指導者になるのではなく、わたしたちの共同体はわたしたちで作り上げてゆきたい。これが正直な今の気持ちです。
発題2
主任司祭の他に助任司祭とブラザー全部で10名ほどという大きな教会で、ミサのあとには数人の司祭が聖堂の外に立ち皆さんと挨拶を交わされるが、特に重大な問題が無い限り、忙しい神父さんを煩わすこともない、というのが平均的な信徒ではないかと思われ、私もそのうちの一人。私の教会での立場はといえば、70ほどある活動グループの2,3に関わっているが教会委員の経験はない。
受洗してから30数年、導いていただき心から尊敬する司祭は何人もいらっしゃるが、教会でとなると、司祭との関係はきわめて薄い。 そのようなわずかな体験からではあるが、分かち合いたいことがある。
私はヨハネによる福音の21章が、大好き。一度だけだがイスラエルを訪れ、ガリラヤ湖畔を歩いたことがあるので、その情景が思い浮かぶ。そこで復活のイエスが「私を愛するか」と3度もペテロに問われる。今の私にはペテロのような答えができるとは言えないが、その人格的な結びつきに、私はキリスト教のユニークさとすばらしさを感じる。 あのイエスに惚れ込んで(という言葉を使った方があるが)、ついていきたいとヨタヨタしながらも見失わないように後を追っているのがキリスト者ではないか。
「すべての信者がイエス・キリストの祭司職に預かる」と私たちは習い、すべての信者間に福音的価値観をもとにした人格的結びつきがあってほしいと思うが、「司祭」と「信徒」という区別がある現在の教会で、その有無をミサの「説教」と「教会運営」に関わる体験からお話ししたい。
ずいぶん以前のあるミサの後で、前庭の司式司祭に、説教について一言申し上げたことがある。詳しい内容は忘れたが、「お母さんが家にいることがいかに大切か」というような内容の説教だったと思う。私も若かったのかもしれないし、言い方もとてもまずかったのだと思う。とにかく瞬間的に「言ってはいけないことを言ってしまった」と縮こまるほど怖かった、そのときの司祭の表情。経験を積まれた立派な司祭で、それ以降何度か聖書のお話を伺う機会もあり、私は理解しようと努めたが、私には深すぎて難しく馴染めなかった。私は大勢の信徒の一人だから覚えていらっしゃらないだろうと思っているのだが、挨拶を交わしても本当の笑顔で返してくださらないと感じるのは、こちらの思いこみだろうか。
1995年、司教団教書「平和への決意」が 出され、教会にパンフレットが置かれた。
「あらためて過去の歩みを反省し、キリストの光のもとに戦争の罪深さの認識を深めて、明日の平和の実現に向けて全力をつくす決意を新たにしたいと思います。」という呼びかけに共感し、あらためてカトリック教会を見直したが、身近に分かち合える雰囲気はなかった。そんなある日、ミサの説教にこの教書を取り上げた司祭があった。嬉しかった。 あまり見かけない方で、大学を退官され教会の助任として来られたばかりだった。もちろんすべてのミサに出ているわけではないので他にも取り上げた司祭があったかもしれないが。真生会館での学習会で一緒になった同じ教会の人を誘って、その司祭を訪ね、「平和を祈る」というタイトルでミサと分かち合い、教書を読む会を2回にわたってもった。その司祭は短期間で他に転任されたが、それが今も続く「メルキゼデクの会」(キリスト者として私たちを取り巻く様々な問題にどう向かうか)の前身となった。数少ない、ミサを通しての出会いだった。
信徒数が一万人を超え、施錠を必要とする鍵が何十とあり、70以上の活動グループがあり、知らない方の結婚式や葬儀が日常化している教会の運営がどれほど大変か、想像以上だろうと思う。私たちの教会では12人の教会委員と司祭団とが運営協議会を構成している。私はこの復活祭で5年目を迎えるグループのメンバーだが、活動が軌道に乗るまでには教会の中の様々な声にぶつかった。今でもあまり変わらないが。ミーティングの後の道すがら、グループ担当の若手の司祭に、「もっと司祭団でよく話し合ってください。」と、語気を荒げて突っかかったことがあった。恐いおばさんになってしまったようだった。担当は変わったが、その後は避けられているように感じる。これも単に私の被害妄想で、忙しいだけなのだろうが寂しい。心配も分かるが、運営に関しては防衛線が堅い。
ところで、自慢したいのは我らが主任司祭だ。といって彼がにこやかで能弁だとは言えない。とてもシャイな方に見える。必要なこと以外は言葉数も多くないようだ。
自分の参加しているグループは2〜3年の自主的な活動の後、教会の活動グループとして認められたが、主任司祭の理解なしには難しかっただろう。少なくとも私は大いに励まされ、その方向性に自信を持って歩んでこられた。特別応援する言葉をいただいたわけでもない。一緒に活動に参加されるわけでもない。しかし、しっかり見られている、困ってご意見を伺えば適切な判断を示されるだろうという安心感がいつもある。
その元にあるのは「私を愛しているか」と問われたあのイエスの方を一緒に向いている、共通の福音理解を持っているという信頼感。「民主的」な教会運営の手続きに従えば許可されない(間に合わない)戦争フィルムを平和旬間中に上映できたのは主任司祭が小教区の唯一の最終決定者だからだ。全く別のことで「彼が主任だからできた」と同じような思いを持つ人の話を最近聞いた。信徒の働きを押さえ込まない彼はやはり主任司祭として優れていると思う。
この先、教会のいわゆる「民主化」を取り上げるときに、「民主化」ということばに惑わされないようにしたいと思う。一般的に「非民主的」はよくないが、現実には「民主的」もほぼおなじくらい困ったものであることが多い。では「福音的」はどうだろう。これもすりあわせが要るように思う。イエス・キリストの名の下に集まった人々の「教会」で、あまりにも価値観が違うように思えるから。
発題3
申し上げたいことは沢山ありますが、二点に絞って話します。一番目は「現代の教会には古い教会と新しい教会が混在しているということ」そして二番目には「新しい教会に変わる為には視点を変えなくてはならない」と言うことです。最後に「司祭と信徒の関係」を考える上でのヒントとして最近のカトリック新聞の記事を見てみます。
一番目は「私たちは古い教会と新しい教会が交じり合っている現実の中に居る」と言うことです。「砦としての教会」「戦う教会」「教会の外に救いはない」のイメージは古い教会です。古いカトリック教会のアイデンティティーは「秘蹟中心・教義の遵守」であったし、聖職者至上主義で信徒は受動的立場に置かれていたことは先刻ご承知の通りです。そこには歴史的事情もあったでしょう。司祭は文化の担い手でもあったのも一つの原因でしょう。トリエント公会議以降、教会はピラミッド型の軍隊のようにヒエラルキーが確立した制度のなかで教区小教区制度が司祭中心で秘蹟中心として維持されてきたわけです。ところが 1962 年の第二バチカン公会議を分岐点として教会の自己認識は変わりました。「旅する神の民」はキリストに導かれキリストと共に生きたいと望む人々のグループです。そこではキリスト者同士の基本的平等性が再認識されて「信徒と司祭の上下差別はない」ということが教会認識の基本になったと思います。信徒の定義を消去法で「聖職者、修道者ではない信者」といった説明の仕方ではなく、「信徒そのものが教会である」との認識に変わったのです。信徒は教会に参加するものではなく、教会を構成する者である。このことは教会憲章とかその他の多くの公文書で言われています。ですから本来、第二バチカン公会議以降、教会は全く新しい教会の姿になっているはずなのです。
しかし、人間の社会の中にある教会は一挙にすべてを新しくすることは現実には出来ません。現実に今も聖職者を権威づける儀式や慣わしが継続されているわけです。盛大な司教叙階式や司祭司教の「様」付け呼称などにそれは表れています。そのほかにも沢山あるでしょう。そのような古い器のなかで理念だけは新しくなっているのです。「教皇の謝罪」、「いのちへのまなざし」、「共に喜びを持って生きよう」、と言った文章には新しい教会の理念や精神が示されています。神理解も聖書に基づいてとらえ直されて「慈しみのある、放蕩息子を待ちわびる姿として」受け取られ始めています。しかし毎週の小教区教会での祈りの中には古い表現が多く残されているし、また、そこでの行動様式や行なわれていることの中には古い教会の制度と体質が染み込んだままに続けられているではないでしょうか。この辺のことをきっちりと識別して、イエスの教会として「おかしい」ことは、変えていこうとの意識がなければ、新しい教会に変わろうとしても変わりえないのではないかと思います。
第二点目は「新しい教会は教会の中から見るのではなくて外から見なくてはならない」と言うことです。つまり「信徒の生活の場」から教会をとらえてゆく必要があると言うことです。「神は一人一人をかけがえのない者として創り、『石の心を取り除き肉の心を与え』神に向かう心を与えて一人一人を作られたのです。それらの信徒は、家庭生活、地域生活、職場、ボランティアー活動、教会活動、その他を実践しながら一人一人独自の生活を持っています。信徒は小教区教会の中だけではなく、生活の場で教会として信仰を生きているのです。
しかし教会組織の中ではミサと洗礼と叙階式は熱心に力を入れてやっています。聖週間などでも司祭はこの式を捧げる事こそ司祭の真髄であり、復活祭こそが自分を司祭にした原点であると大汗をかいています。またそこでは「司祭はフルタイマーで信徒はパートタイマーである」と言われています。小教区教会だけをみていればその通りでしょう、司祭はいつもそこにいる、信徒は日曜日にしか来ない。しかし信徒たちは自分の持ち場である生活の場で 24 時間信者をやっているのです。「パートタイマーの信者」ではないのです。信徒は家族に介護を必要とする人を抱え、面倒を見続けなければならない障害を持つ子供を抱え、そのかかわりの中に福音を見出すのです。それだけではなく生活全体の中で神を見出して生きているのです。この辺のところを確りと押さえて、小教区教会を人の集まりとして相対化して見る視点がないと、新しい教会にはなかなかならないと思うのです。
最後に、司祭と信徒の関係を考えるヒントとして、教会の現状に対する問いかけ・提案を最近のカトリック新聞の切抜きから見てみます。
《今、教会に望まれるもの》(酒井新二 03 ・ 1 ・ 5 )アジアの教会ではいまだに聖職者中心主義が続いており、聖職者と信徒の関係は未成熟である。信徒は聖職者に対して偏った尊敬と恐れを抱いて受身的である。
《福音宣教に跳び込もう》(後藤正史師広島教区 03 ・ 3 ・ 9 )福音宣教の最前線は人々の痛み、苦しみ、叫びの聞こえる場所ではないか。イエスが自分を置かれた場所が福音を告げ知らせる場所である。イエスは罪びとと共に食事をされました。「食べるもの着るもののない人・・・この私にしてくれたことである」。教会堂で、「さあー、いらっしゃい!」とばかり、デーンと構えているだけではダメなんだよ、ということでしょう。
《神に呼ばれた奉仕職》(平田豊彦師神学院長 03 ・ 4 ・ 13 )司祭とは神に呼ばれた奉仕職です。司祭職を自己実現の道具にしてはいけません。
《気になる権威の世界》(山元真師福岡教区 03 ・ 7 ・ 6 )司祭職は本来の意味でのサービス業であると思う。サービスの語源は仕えること。それがいつの間にか仕えられる者となってしまった。それを当然のこととしている。人々と普通の対話が出来なくなり、他者に耳を傾けることなく、上から下にものを言う。「神父様」と呼ぶのも場違いである。この呼び方のうちに呼ぶ方も呼ばれる方も何かしら「偉さ」を感じてしまうと思うのは私だけでしょうか。信徒は耐えている。
《キリストのメセージはもっと簡単なものではなかったか》(森司教 03 ・ 8 ・ 31 )キリストは一人一人の人間は尊くその上に神の暖かなまなざしが注がれていることを伝えるために来た。それがキリストのメセージである。その場は教会の中ではなく人々の住んでいるところにあるのは明らかです。
《社会の中にある教会》(山元真福岡教区司祭 03 ・ 9 ・ 14 )今までは教会が社会の中の中心であると思っていたが、教会の外の人から見れば単に一つの宗教団体がそこにあるに過ぎない。司祭も信徒も主日のミサに来ることにこだわっている。来る来ないで信仰に度合いをつけている。信徒の立場で考えない司祭が多すぎる。教会によく来る人にはサービスをするが来ない人を叱り付ける。
《司祭の養成のあり方を見直す時期に来ているのではないか》(森司教 04 ・ 2 ・ 1 )信徒たちと落ち着いて対話し、信頼関係を築いてゆく資質が求められる、小教区共同体の魂となってアニメーターになって、共同体全体を宣教司牧に向けてゆく役割が司祭にはある。秘蹟や祭儀の執行も大切ではあっても、他にも大切なことがある。信徒との信頼関係を築くには、対話の仕方、コミュニケーションの仕方、ディベートの仕方、チームワークの取り方、人と人との間で人は育つ、このような側面に配慮した司祭の養成が必要ではないか。//ちょっと拾っただけでも、このような問いかけや提案がなされているのです。
A「グループの分かち合い](時間の都合で直ちに全体の意見交換)
分かち合いの発言の中から
A 教会の中での自己実現の問題は司祭だけではなく、教会で活躍している信徒にもあるのではないだろうか。もっと生活の場を大切にしないといけないのではないだろうか。
B 結局のところみなが司祭依存型になっているように思えます。信徒としての自立自覚がもっと欲しい。それも司祭を無視するのではなく、互いにもっと近づいて信頼できるようになる必要があるのではないだろうか。これは一方だけの問題ではない。司祭に過大な労働と責任を持たされている。最悪なのは司祭を使って自己満足をする。「神父様」「神父様」を言いながら神父を奴隷のように使っている。そのようにしか見えないような状況も見られる。それは違うのではないか。司祭には司祭の立場とあり方がある。互いに立場を認め合って行く必要がある。司祭の顔を自分の方に向けさせることで競い合っているようなところがある。これが自己実現に重なっている部分かもしれない。教会共同体に居ることの満足を求めている。司祭が一言も声をかけてくれなかったと不満げに言う人がいる。信徒としての自覚と成長が求められる。古い教会と新しい教会の混在はその通りだと思う。 40 年たってもだめで 100 年かかると言う人もある。新しい教会は未だ見つかっていない。
C 「人は人の中で育っていく」同感です。司祭も信徒も共同体の中で一人の人間です。一人の人として接して行く中で「神様から与えられた自己の実現」なら良いのではないでしょうか。
D 私達に陥りやすいのは建前を先ず持ってきてしまうことではないでしょうか。この場合問題なのは自分が抜けてしまうことです。自分がぶつかっていることに真正面から悩む必要がある。悩み苦しむ中に「福音の光」を差し込んでゆくこと、そこらに新たな真実が見えてくるものではないのか。何年かけても良いから向き合うことによって自分が新しくなってゆく。先に立派なことが出てくると、空回りして、本当の出会いが出来ない。もう一つ大切なことは、自分のプリズムから見ると相手の良いところは見えないという点です。自分の姿も見えなくなる。教会は互いにイエス様の光を照らしあうところではないでしょうか。自分の弱く醜い部分に聖書と共に向かってゆく事が大切と思います。初めに立派なことを述べるのではなく、一人一人のこのような努力の積み重ねで新しくされてゆくと思います。
E 一人ひとりの司祭が良い司祭であるとか問題があるとかの話ではなく、無論良い司祭は多いのです。問題はそうではなく第二バチカン公会議以降、司祭にとっても叙階の秘蹟よりも洗礼の秘蹟の方が重要な秘蹟であると認識されているにも関わらず、教会の運営上は古いまま行われているところが問題なのではないか。新しく叙階された新任の司祭に関して、孫に祖母のことを、「おばあちゃま」と呼びなさいと躾けるかのように「神父様」と呼ぶように躾ける状況が続いている。新司祭の初ミサに際しても各小教区から招待して欲しいとの話があった。一般社会では新入りは自分から挨拶回りに行くのが普通です。一般常識とは違っています。この様な制度になっているのです。福音に生きるということと教会の行事に参加することとは別もののような感じです。信徒の生活の現場で信仰を確り生きることこそ大切なのだと言うことをもっともっと認識しないといけない。これが信徒と司祭の関係を理解する基礎である。
F わたしは結婚して男のずるさ卑怯さいい加減さとかを嫌と言うほど体験させられ苦しみました。それらの出来事を自分の中で折り合いをつけることが本当に難しかった体験があります。七転八倒し生きているうちに、彼の内面のうちにある弱さシャイな面とか弱さを隠すための虚勢とか悲しみがようやく分かり始めました。彼の悲しみを抱きしめられるのは自分しか居ないのだと気が付き始めました。そして彼の姿が自分の姿でもあると分かり始めたのです。彼の姿の中に自分の浅ましさを見出したのです。そして、彼と共に生きることがつらくなくなって来ました。
今の教会の主任司祭を見るときに自分の夫を見るときと同じようなものが彼の中にもあることが分かります。激しい怒りの中で許せないこともあるのですが、彼の一人の人間としての悲しみも抱きしめてやりたいという気持ちもあります。彼の姿もわたしの姿であることも分かります。ですから彼とも一人の人間としてかかわりあいたいと思うのです。
どのようにして教会の要職を得ようとか、司祭の気に入られようとか、自分の活動を認められたいとかいった浮ついた信徒が司祭を取り巻いていますから、信徒も司祭も自分を見つめられないと思います。自分の貧しさの中で司祭と向き合ってゆくことによって、司祭もそのてらいとか外見的形にとらわれないで、信徒と司祭の本当の関係が形成されてくるのかなと言った気持ちです。
G 司祭との関係で苦しんできたものの一人です。クリスチャンって何だろう。キリストと出会っている人は少ないのではないのか。司祭もそうです。
H 4 〜 5 年で司祭が交代するたびに信徒たちは新任の司祭の性格に合わせてきている。司祭のリーダーシップにはいろいろあるでしょうが、どれが本当のリーダーシップなのかと疑問に思うときがあります。聖体奉仕者を取り入れるかどうか検討していた時、採決を取ると 7 対 3 で賛成が多数でした。しかし最終結果は、声の大きい 3 のほうに引きずられて実施にいたらなかったケースがありました。そのとき司祭は何も発言しませんでした。自分が発言すれば強制することにもなる、みなの自発性を抑制することになる、との考えのようでした。しかし司牧と言うのはどういうことなのかと思いました。司祭が何も言わないなら何故そこに司祭としているのかと疑問にも思えます。われわれはどのように考え判断していったら良いのか分からないときがあります。司祭が黙っているとやりやすくてよいと言う人も居ます。本当の司祭のリーダーシップとは何でしょうか。
B 「聖書に照らされた司祭と信徒の関係」講話
ニコラス師コメント
テーマが複雑でいろいろな面が入っている、人が入っている、制度が入っている。先ほど発題者がカトリック新聞から取り上げた問題は重要です。制度は大きな問題なのです。いずれにしても、人物が中心ではなく、キリストが中心です。現在の制度に何か不自然さがあります。司祭にたいする姿勢には社会に無い特殊なものがあります。日本の場合は特に問題があります。世界の教会は変わりつつあります。司祭のイメージが膨らみすぎています。新約聖書には見当たらないのです。イエスはそのような司祭と対立しました。イエスを殺したかったのも祭司でした。「古い司祭」は相対化されているはずなのにまだまだですね。司祭の意識の養成にも問題もあるかも知れません。多くの場合には余り経験のない若い人にあんなに責任を与えるのは大きな負担になります。神学を学んでも、人の心が深く分かるまで時間と経験と苦しみも要ります。それに合う養成が必要でしょう。イエズス会にも同じような経験があります。第二バチカン公会議後の総会議では皆を落ち着つかせえるような文章が出来ました。すなわち「イエズス会は罪びとの集まりである」と言う文章でした。それを読んでみなが安心したのです。現実を見ながら初めなければならない。信徒自身が司祭をどのように見るのかも大切です。土井先生の「甘えの構造」から言えば、甘えは両方から起きます。
新約聖書の教会では聖霊が中心です。その中から奉仕の役割が起きます。みなが元気に使命を果たすために誰かが必要な役割を担って行くのです。「支え」「まとめ」一致のために働くこのプロセスは「人と神が一緒に働く」ようなものであると思われます。問題はわれわれがそのプロセスに入る前にシステムが与えられていてそのシステムをそのまま飲み込んでしまうことです。このシステムの強いところと弱いところを見定めないのです。「識別しないで受け入れなくてはならない現状」と言った面があるかもしれません。ともかくこのような状況が事柄を複雑にしてしまうのです。「制度」「司祭のイメージ」「司祭と信徒の自覚」「リーダーシップ」などが問題になると思います。その中でもリーダーシップの問題は大きいでしょう。
信者の多くの人にとって司祭がいることにはそれほど大きな抵抗は無いと思います。それにリーダーが必要であると言うことに対しても抵抗はあまりないでしょう。問題はどのようなリーダーか、或はどのようなリーダーシップかと言うことでしょう。教会のリーダーシップと社会、会社、軍隊などとは全然違っています。教会のリーダーシップは聖霊の下にあるのです。今日のために読み直してみた本があります。教会のリーダーシップは「み言葉の下にある」「み言葉の上には居ない」「聖霊に導かれている」「教会の中に生きている聖霊は多様性を支える」、つまり、多様な機能、多様な奉仕、多様な可能性、を支えるのです。新約聖書に共通しているのは、パウロのローマ書 12 章やエフェソでは言われるように、「聖霊の賜物」を強調していることです。
ここで注意することは賜物の順序です。リーダーシップはだいぶ低いところにあります。第一は「使徒の役割」です。キリストの信仰を伝えその純粋さを保つのがその重要な役割です。ついで預言者です。預言とは「神の心で現実を見て語る」ことです。いろいろな賜物があってその中にリーダーシップがあります。これがなければ共同体はばらばらになる。新約聖書から教会の姿を見ればこの二つは大事な柱になる。つまり「使徒の役割」と「リーダーシップ」が必要であると言えます。この二つの柱が確立されるためには、教会の歴史の中でも緊張があり、まとまるまで時間がかかりました。発題者が引用したヨハネ 21 章が新約聖書としてのまとめになるわけです。「聖霊の下に生きる教会」これが賜物の教会です。その教会(ヨハネの共同体)は自分の賜物を捨てないでペトロの教会のリーダシップを受け入れましたが、ペトロもヨハネの「愛のカリスマ」を受け入れた訳です。その交換において全てのよい点は生かされます。
電車の中で読んでいた本の見出しに『年寄りが夢を見ることが出来、若者がリスクをとることが出来る教会』と言う題名の論文が目に入りました。中身は読んでいませんがこれは良いなと思います。
以上
「学び合いの会」 2004 年の予定
6月12日
「信徒」は教会の活動に「参加」するのではなく教会の完全な欠けるところの無い一員であり 教会そのものを「構成」するのだという事実から考えます。
10月16日
現在の教会の状況の中には教会の「成長」を阻害している構造的欠陥があるのでは ないかと問います。
12月11日
教会は『誰とともに』歩むのか問うところから信徒と司祭の関係を考えてみたいのです。
「キリストの教会」となるためにどのような関係が必要なのでしょうか。