共同宣教司牧の試み失敗と成功

 

マルコ・アントニオ・デラロザ師

1996 年から共同司牧が始まったが、歳をとった神父は受け入れに困難を感じ信徒にも理解しない人たちが多かった。司教が方針を決めたが、司祭の中でもかなりの批判があった。 2 年もかかり 1998 年にやっと 2 箇所で動き出した。共同宣教司牧も南米のケースとは文化的経済的な違いもあって日本では異なっている。宣教司牧の考え方も違う。共同宣教司牧の意味はなにか。これは信者でない人のためにするのだと言う点を忘れてはいけない。司牧だと信者だけが対象になってしまいます。それでは十分ではない。

 

共同宣教司牧体制になってから、夕飯後 10 時半ごろまで仲間の 3 人の司祭と話し合った。共通理解が 3 人の司祭の間にないと信者からも批判が起きる。単なる情報交換では意味がない。共通理解を得るには 7 年もかかっている。各教会の状況が違っている。新しい体制になるのを信者が受け入れないで反発する人が多い。共同司牧とは、宣教とは、等説明しなければいけない。説明に勤めた結果、だんだん信者も受け入れ始めてきたが、最も大切なのは司祭間の協力であった。

 

共同宣教司牧体制を作るのは司祭が少なくなるからではない。この体制を機能させるためには信者の養成をしなければならない。すべてのことを司祭に任せてしまう従来のあり方ではだめである。経済問題も信者が引き受けることに慣れていない。 1996 から 7 年まで、司祭の打ち合わせは毎回 3 時間もかかった。説教に関しても打ち合わせをした。先週の出来事、今週のやるべきことを打ち合わせた。司祭間の考え方が違う。

 

信徒のリーダーの養成も必要だが、神父の中にも聖体奉仕者の必要性を理解しない人もたくさんいるので彼らを説得する必要があった。集会祭儀に聖体を出すのかの問題も起きてきた。モデラトール(主任司祭)の役割はなにか司教の所に出かけて相談し連絡係となることか。

 

1998 年には 3 人のローテーションの問題から司祭側も信徒側も落ち着かなかったが、新しい試みに対して説明不足からおきてきた問題もだんだんに少なくなってきた。

 

共同宣教のプラス面は、司祭間で何でも話し合って行くことが出来ることで、先週の出来事や今週のスケジュールや司牧面、宣教面、個人的側面も含めて問題点を話し合い、共通理解が深められてきた。また小教区の壁が取り払われたため司祭の個人的限界を他の司祭が補えるので司祭が孤立することがなくなってきた。共同司牧でないと司祭は勉強しない。司祭も勉強が必要だ。時間的にも出来るようになってきた。信徒の理解を深めるためにも、共に学ぶ機会を作ることが必要だと思われる。

 

共同司牧は「神の民」としての教会、第二バチカン公会議の決定を、実現するのだという理解が必要です。共同宣教司牧なくしては「神の民」としての教会は実現できない。信徒中心の新しい教会つくりの一つのステップであると思います。共同司牧は大事です。そのためには信者のリーダー養成が必要です。 50 歳過ぎの司祭にとっては難しいと思います。日本の教会は日本人だけを対象にしていたのではだめです。

 

 

浜崎真実師

2 1 日付けのカトリック新聞に司祭批判の記事がありましたが、そのまま自分に当てはまります。私は 95 年に 30 歳で叙階を受けました。奄美大島に行きすぐに一人で6教会を 5 年間担当しました。ぼろぼろの教会でした。金もない。何もない。ここは日本の教会の最先端にいたと思いました。それを望むのではないが、奄美大島は日本の将来の姿です。ひどい状況でした。ミサだけ。土日でミサをがんがんやって後は葬儀だけ。何のために司祭になったのか。司祭と信徒の関係は暴力的だと感じました。

 

司祭と一緒に食事をするのが一番つらかった。話が通じない。ともかく当時はミサさえすればよいと言った感じであった。疲労困憊でつかれきっていた。教会は骨そしょう症の状態だと思う。ミサに穴を開けないための協力体制であった。これがイエスの望まれる教会なのか。

 

釜が崎から帰ってきた司祭と話していた時、その先輩の司祭が「ミサばかりしていたら共同体は破壊されてしまうよ」と言われた。「主任司祭なら命令して教会に来させてよ・・・」と要求する信者が一杯。自分も気に食わない人には顔を背ける。会いたくないそんな気分にさせられる。教会には司祭のDVがあると思いました。権力があるのでつい行使する。

 

そのうちに、 96 年から教会外の人と交流するようにしてきた。友人には、「福音で信徒を鞭打つのが嫌で」神父を辞めた人がいる。「教会には神様はいないぜ」とやめていったものもある。奇麗事として共同体、共同体と言われるが、共同体とはなにか。今でも分からない。教会はファミリーを作ったが共同体は作らなかったと言う人もあります。

 

現在は静岡に来て共同宣教司牧をやっている。 3 人で住んでいる。1人は別のところに住んでいて。4人がチームになっている。聖堂としての建物がやけに近いところにあるところもある、これも教会の負の遺産かもしれない。 1 人でやりたいために距離を考えずに聖堂を立てる。神父が足りないと言われているが、ミサだけやるなら足りないだろうが、実際には、神父はあまっている。司祭の召命が不足しているのは神様の祝福かもしれない。そうなれば信徒の出番がますます出てくることになる。

 

共同宣教司牧が2000年に始まった時には2名2名でやったのであまりあちこちにミサには行かなかった。祭儀収入はプールして均等割りに今でもしている。出来るところから始めていった。パンフレットを作り、「祈り」「学び」「活動」を共同でやっていこうと訴えた。講座もいろいろなところにいって開いた。

 

信徒と話が通じない。「教会」「共同体」と言ってもイメージさていることが違う。教会のイメージがまちまちで話が通じないので、短期養成コース12回を始めた。若手の司祭と信徒と行ったほうが良いかもしれないが話が通じないのだ。

 

「社会から見捨てられた日本の教会」という論文を神学生時代に書いた中川神父に相談役になってもらって、プログラムを作っていった。それを本にしたのが「妖怪のいる境界」となった。信徒は司祭の手伝いをするのではなく司祭が信徒の手伝いをする発想の転換が必要だ。教会が教会としてあり続けるためには『祈り』『信仰が伝えられていること』『小さくされた人との連帯』がなければ教会とはいえない」と言った趣旨の文章を出した。

 

共同宣教司牧で成功と失敗と言うと何を基準にするかが問題となります。効率と言う点からは悪い、一人の方が効率は良い。司祭間の連絡を良く取っていても信徒から文句が出てくる。効率からは共同宣教司牧は良くない。司祭不足の解消と言う人もあるがどうか。信徒が司祭の手足になると行った発想は過去には多くの活動体がそうで、例えば、レジオマリエなどはその様な発想です。その様な活動がある間はどうなのかなと思う。共同司牧の良い点は、信者と喧嘩が出来るのが良い点だろうか、「僕の考えは違う、他の司祭に聞いてみたら」と突っぱねられる。

 

野宿者のためのパトロールをやっている。市民グループの中には現状に対応する運動がおきている。あいている教会を一般市民に開放しようとした時には一番初めに反対したのが信者たちであった。マイナスからゼロにするまでに多くのエネルギーが必要な状態だ。イエスのビジョンを果たしてゆくためには教会自体が足を引っ張っているところもある。そんなことを考えていると共同司牧も役に立つところもありそうです。

 

教会の病は深いどうしたらよいのか?静岡も奄美大島も変わらない実感がある。若者がいない若者がいない。希望につながるものがどこにも見えない。どうするのか、一歩踏み出して行く。先ず体を動かしてから聖書とかで確認してゆく。いくら講座をしても「学ばない」「実践しない」「学べば学ぶほど偏見が深まることも多い」今では講座もやっていない。ボランティアーかなにかやって見てから、声をかけてほしいと思っている。

 

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