教会の預言者的働き=奉仕者としての姿:

 

教会の預言者的働き=奉仕者としての姿:

(1) 仕える者(=Servannt)−キリスト自身の言葉と模範から−

・「主であり、師であるわたしがあなた方の足を洗ったのだから、あなた方も互いに足を洗いあわなければならない。」   (ヨハネ13-14)

・「異邦人の間では、王が民を支配し、民の上に権力を振るうものが守護者と呼ばている。しかし、あなた方はそれではいけない。あなた方の中で一番偉い人は、一番若いもののようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい」 (ルカ22・25-26)
 
(2) 人々の解放(=Liberation)イデオロギーを含む抑圧と不正に対しての奉仕でる。

(3) 教会は、人々に影響を及ぼす悪に対する社会的な悪魔払い=祓魔師である。悪に対して「批判的」であり、声なき者のための声であること。教会は、資本主義、社会主義、国粋主義(national security)、共産主義など全ての政治的イデオロギーに対して悪を取り除く主張をする。

(4) 教会の使命は、キリストにおいて、キリストと共にある「全人類の解放」(Total human liberation)という語句において理解される。

(5) 教会の使命は、非キリスト教を含む「他の人々との協力」の下に行なわれる。その協力すべき人々とは正義、愛と奉仕、あわれみの良心に従うすべての人々である。

(6) 「教会の任務は多様」(Ministry is diversified)であり、共同体全体で分かち合われる。

(7) 預言者−奉仕者としての教会では、「司祭」は全ての業と任務に付いての「助け手、奉仕者」(a helper, a servant)である。また、そのニーズ、与えられた賜物、カリスマなどに応じてアニメーター(活性を与える者)、コーディネーター(調整役)として働く者とみなされる。
  

(8) 司祭は、「貧しく、人々に近い」存在であるべきである(has to be poor and be close to people)
  

(9) 司祭の共同体に対する指示は、「預言者的ことばと証」(prophetic word and witness)を通してなされねばならない。

(10) 教会の「信徒」はキリストの「主たる代理人」である。なぜなら、信徒は社会の現実と課題の真っ只中に生きているからである。かくして信徒は、教会の「識別、意決定、社会的変化に関わる事柄」に関して、分かち合うように招かれている。
  

(11) 教会は、人々の「信心業」(popular religiosity)に対しては,時代遅れの用法(archaism)と迷信は浄化しつつも、信心には開かれたものでなければならない

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