9.参加者代表3人による「決意の祈り」

 

1)主よ、聞いて下さい、いま、兄弟に分かつ私の思いを。神を信じるよりも、教会を信じることの方が困難に思えることがあります。教会は苦しみ悶える人々の集まりです。たえず、貪欲な力に誘惑され、常に対立と競争が渦巻いています。教会に関わる、私たち信徒には、大きく分けて3つのタイプがあるようです。1.教会に積極的に関わり、自分の望みはともかく、困難があっても、新たな方向に向かって、絶えず一歩を踏み出し、何とかして一緒に歩んで行こうとするタイプ。2.洗礼は受けたものの、その後、教会に積極的に関わる事もなく、大概は幽霊信者といわれる身になられるタイプ。3.教会に積極的に関わるが、教会を「利用する」タイプ。利用できる場がない時は、黙ってしまって何もしないか、積極的に邪魔をするタイプ。聖霊の導きよりも、自分により頼み、自己実現の場として利用したりします。

 私の「荒れ野」は、ここにもあります。今、私は何処にいるのか?ホントに、1.番の信者であるのか、あり続けることができるのか?何の保証もありませんので、日々の信仰生活において、 いったい、何が大切なの? ”” 何処を目指して行くの ”” 誰と一緒に歩いていくの といったことに祈りながら絶えず、応え続けて行かなければならないと、思っています。
そのためにも、私の霊的生活にとって一人である事の大切さを痛感しています。安楽ではありません。絶えず誘惑は襲ってきます。不安や恐れが原因で、満たしてくれるもの、満足を与えてくれそうなものに、心を惑わされてしまう。自分のなかにある、依存性、怒りの感情、認めて欲しい、賛成して欲しい。欲望、あれや、これや、要求に出合います。こんな出合いは、もう沢山!なんです。そして、恵みを頂いて静かになります。一人でいる事の寂しさから、私たちが他の人々に近づこうとする限り、成熟した人間関係は育たないとも言えそうです。一人のかけがえのない存在である事の認識は、他の人々も、それぞれ独自の存在として、尊敬しあう。その時こそ、共同体を作り出していけるのでしょう。神の国の共同体。教会を訪れる、疲れている人、傷ついている人、全ての人々の痛みを、温かく受け止め共感させて頂き、側にいる事が出来るような。
 神様の「時」を根気よく待ちたいと思っています。目の前に起こっている出来事に注意をはらいつつ、マリア様に倣い心にとめ、思い巡らし」ながら。神の栄光の光が射し始めるのを、感謝の祈りを捧げながら、待ち続けます。

2)私達は現実の生活の中で思い悩んでいることが分かりました。すべての人の救いが必要と思います。イエスの教会がどのようであったらよいのか誠実に考え話合いました。成長する教会となるために私達は主を信頼し一人一人が自分を振りかえり、イエスの思いに立ち返り、希望を持って一歩から努力してゆくことが大切だと感じます。私達が互いに受け入れあい生かし合って共に歩んで行きたいと思います。聖霊導いてください。

 

3) 大きなエネルギーをもらいました。キリストの福音がよりよく伝えられるように私達自身が変わり日本の教会が変えられてゆくように問いかけて行くことは神様が望まれそれへ招いておられると感じました。私たち自らは弱いものです。さまざまな誘惑の中でとりわけ自分が動かないで他者を指図するだけでいきたい誘惑があります。学び合いの仲間や森司教はじめ日本の教会に献身的に働いている聖職者たちと心を合わせて共に取り組んで行きたいと思います。

 

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