F「私の望む教会」(シェガレ師)

  人々と共に、目覚め、希望、共に感じたい。仲良しグループはだめです。周りの人と一緒に、叫びを聞きながら。3ッのキーワード、聖書のキーワードでもある、「振り返る」、「目覚め」、「希望」です。教会はその様な場であったほしい。過去出来事を振り返る、目覚めは現在のこと私の生きる今、希望は未来に向かって。教会は歴史の中を生きてそれを越えようとしている。もっともっと歴史の中に入っていかなくてはならない。振り返り場。

 

 教会に行くと昔は良かったと言う人が必ずいる。昨日の話は、昔は良くなかったといったといった話でしたが、それを強調しすぎると問題です。昔は良かった、昔は悪かった、のどちらかでもない。昔にも良いものも悪いものもあった。よき知恵もよき伝統もあったと思う。誤りもあったと思いますが。

  どちらにしても教会は過去の出来事をゆっくり振り返る場ではないかと思います。振り返りは神の業、イエスさまのなさったことを常に思い出して振り返ってゆくことは大切です。先輩の残したよきものを大切にして伝える事がなければ若い者はどうして信仰を継承させることが出来るのか。今の若い人は教会の伝統的なことが好きです。そこに戻ってゆく。私達は良くなかったと言う。若い人は逆で不思議なことです。教会のよき伝道を伝えてゆく場である。自分の振り返り、自分の人生の中に起きたことを振り返る。1週間1年間10年間の出来事。ゆっくり振り返って神様の呼びかけ招き振り返るのが教会ではないか。自分の生活を振り返って聖書に照らし合わせて行動を起こす。これが信仰のプロセスです。

 今の教会ではなかなか出来ない。教会を牛耳っている人は熱心で教会を愛しているのですが彼らは過剰な責任感を持って教会のメモリーを操作している。発展性がなく守るだけではだめで、伝統の番人ではない。目覚めが大切で信仰は一種の目覚めです。すでに自分の中にあるものに目覚めることでしょう。神様の存在に心を開く。果たして今の教会は目覚めた信仰を持っているのだろうか。生き生きとした信仰をどのようにして支えてゆくのか。居眠りの場になってしまっている。

 若い人たちが求める教会を調査していますが、ほとんどの人が何か感じたいと思っている。目覚めて希望を持ちたいと願っている。教会に行っても自分の心が満たされないし希望がない。神様との深いつながりだけではなく他者が苦しんでいるということを感じる目覚め。自分自身への目覚め。現在の時への目覚め。

「目を覚ましていなさい」という聖書の言葉はいつも心にあります。

 今の社会は心のボケがある。これは年齢と関係ない。信仰のボケ。ボケがどんどん進んでいる。何を信じてよいかわからない。どうして教会に行くのか。意識を高めないといけない。意識改革という言葉よりも目覚めと言う言葉の方が好きです。ほとんどの教会は行事中心。飲み会だけ。寂しさをまぎらわすだけ。福音を聞かなければならない。聖書研究会でも目覚めがない。知識だけを分かち合っている。知識勉強は大切ですが。大切な福音を聴けない。教会には学者が多すぎるとカトリック新聞の声の欄にも出ている。目覚めて活動し祈り分かち合う霊的な刺激心の目が開いてゆく場所がほしい。目覚めた信仰の可能性は少ない。

教会の組織もネットワークのような中央集権的でないものを望んでいる。いろいろな多様性のあるグループが生かされている教会。自分のタレントが認められないと目覚めも個性もでてこない。認められてはめて目覚める。個性を尊重する組織。さまざまなグループが作られてゆく教会でありたい。

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