1 「組織としての教会」

(はじめに)

私たちは、主日のミサのたびに「教会を信じます」と信仰宣言をしています。「教会」の何を信じているのでしょうか?幾つかのモデルが考えられていますが、今回はそのうちから三つを取り上げました。私の担当は「制度としての教会」です。

「組織としての教会」の特徴は「ピラミッド型」「教会法に規定される権威」「位階制度が教会」「人類を教えることが教会の役割」「教導職が正しい教えの源泉」「司祭は教会の役人・先生・管理者」「信徒は管理されるもの」等であると言った考え方です。

つい最近まで、そしてある意味では、現代でも多くの人が、現実には「教会は組織である」と考えています。第二バチカン公会議で教会は「信仰者の共同体」と言う教会観への転機が訪れたとはいえ、まだ完全な答えはえられていません。われわれへの「宿題」として残されているといわれています。

どんな人間集団でも制度・組織が必要です。教会が「信仰者の共同体」でもあると理解されても「教会」は「組織の教会」でもあり続けます。問題はどのような制度そしてどのような組織運営が「教会は信仰者の共同体である」という教会の本質的理解を生かすことになるのかということです。

現実の問題を挙げてみますと、例えば、結婚につて、避妊について、その他さまざまな倫理に関して、「制度としての教会」の中心をしめる教導職の「教え」と信仰者の共同体の大半を占める信仰者の「日常生活の体験」とはうまく合っていない、乖離している現実がありますが、それをどのように解決できるかということです。

現実の信仰者の生活は「非常事態宣言」のもといるようなものであるといわれています。このような状況であれば、社会一般の組織は継続できなくなるのが通常です。未解決の宿題は大きいのです。

それではなぜこのような強大な権力を持った「組織としての教会」が成立してきたのか聖書、歴史、政治的状況、問題点等を簡単に説明してみたいと思います。

 

聖書的源泉

制度の教会の源泉を聖書にもと基づいてたどってゆくと「牧会書簡」(1テモテ、2テモテ、テトス)に行き着くといわれます。「牧会書簡」が 2000 年の教会の歴史を支配して今日に至っているといえるでしょう。聖書にはさまざまな教会像がかかれています。ですからどの教会像が聖書的に正しいのか簡単には聖書から導き出すことは難しいのです。参考までに他の教会像に触れますと、「神の民」が1ペトロ、「キリストの体」がコロサイ、エフェソといったところを一応指摘できます。

「牧会書簡」の特徴は「(健全である)教えの徹底化」「使徒伝承の過度の重視」「権威への絶対服従」「監督長老任命条件を明らかにした」「組織を最重要課題とした」(「信仰概念の脱内面化」)点が挙げられます。

「牧会書簡」の教会像を強調したことは、歴史的に教会が危機に遭遇したときすばらしい薬効を示しました。しかし、現在の教会はその薬をもはや服用する状況にないにもかかわらず服用し続け、信者は依存症に罹り、それなしには何もできない状況に落ちていると指摘しています。明日朝の祈りのときに「テトス」から朗読しますので今日は先へ進みます。

 

歴史的背景

歴史的に振り返ると、時代の流れが大きく影響していますが、直接的には、トリエント公会議が 1563 年に終了した後、 16 世紀の後半にロベルト・ベラルニーノ枢機卿という方がプロテスタントに対する反論の文章を書きました「キリスト教信仰につての論争に関する現代の異端者に対する論争」(略称:デコントルベルシス)。この本の影響は大きく、ある意味でカトリック教会のその後の「制度としての教会観」に大きな影響を与えた書物であるといわれています。

 

背景となった思想

この書物の中では、「具体的な教会」「見える形」が強調され、「内的的徳」は要求されていないのです。人間の集まりとしての教会は「国家」とか「国家組織」とある意味で同じであるとされたのです。

人間は個人として生きていけない。社会の助けが必要である。生を全うするための必要なあらゆるものを提供する社会は当時の社会政治思想で「(自然的)「 完全社会 」《( natural perfect society 》といわれました。この国家観をベラルニーノ枢機卿は「見える組織としての教会」に持ち込んだのです。「教会の目的は超自然的命をはぐくむために必要なものをすべて備えたシステム」(超自然的)「 完全社会 《( suppernatural perfect society と考えたのです。「制度の教会はこのような思想的背景を持って形成されてきたということです。

 

政治的状況

ルイ14世(在位 1643 1715 )の定めたガリカニズム4か条というのがあります。フランスの国内のとは、教会のことでも、教皇ではなくフランス国王が決めるごとを要求したのです。つまりフランス司教団が最高権威であるとしました。ローマはそれを認めなかったのです。教皇と国王との間で政治的駆け引きが長年繰り返されていたのが現実でした。ドイツでもオーストリアでも同様でした。国家制度と教会制度の対立です。

時が進み、近代思想の流れに抵抗する教会は、 1864 年「シラブス」(近代主義者の誤謬表 80 の命題)を発表しました。統一運動でイタリアの統一が完成したのが第一バチカン公会議 1870 年の時期です。その年 1870 年に教皇領を失った。緊急時代の流れの中で、危機感を抱いた公会議では、教皇は単独で教義を確定できるとされました。これはフランスドイツの司教たちによる反対でトリエント公会議では否決されたものでした。

歴史的事情はあるにしても、その「組織としての教会」の頂点は「教会組織の一番上に教皇が位置づけられ教皇は不可謬であると定義した第一バチカン公会議であったといえるでしょう。

会議の間激しい雷雨があり一時間半にわたって稲妻と雷鳴が続いた、票決が教皇に手渡されたとき闇はますます深くなり、ピウス九世は裁可書をろうそくのあかりで読み上げなくてはならなかった」と「公会議史」に書かれています。

賛成 550 票、反対 2 票、殆ど満場一致で可決されましたが、フランスとドイツの反対派司教 55 人はすでに帰国していました。トリエント公会議と異なり、教皇主義者の勝利でした。最終的には文書でほとんどの司教はこの決議に同意しましたが一人だけはあくまで反対し破門処分をいけています。現代でも反対主義者の集団が存続していると言われます。

 

まとめ

経緯を簡単にまとめますと、トリエント公会議以降、第一バチカン公会議を経て、第二バチカン公会議まで、教会理解の基本は「組織としての教会」です。これが第二バチカン公会議までの教会の公式見解でした。「組織としての教会」はほとんどの現代神学者から疑問視されています。転機を与えたのは第二バチカン公会議です。

 

問題点

繰り返しになりますが、問題点を整理しておきます。

1)教会の本質を「 信仰者の共同体 」とするところに今日の教会論の出発点があります。しかし、「 組織としての教会 」といかに和合させるか、教皇職、その不可謬宣言、聖職位階制度、キリストによる教会制定、など『教会が過去になした自己主張との対決とその清算が求められているといわれます。

2)「教会の指導者の教」と教会の大半を占める信仰者の共同体の「日常の信仰体験」の対立は少なからずあります。そのとき「福音の真理はすべての信仰者の同意によってのみ明らかになる」という神学的真理とどのように整合性がたもたれるのか」と問われています。

『教導職の権威主義に立ち戻ることは何の解決にもならない。それを神学的に肯定する論拠もない。これはすべての信仰者に派遣と責任が委ねられているという真理に矛盾する。信仰の教会性はどのような形で実現されうるのか。』とカスパー枢機卿は述べています。

 3)組織面から見た教会の問題点はどこにあるのでしょうか?

 

現在の状況

教導職は「本来教会全体のものである不可謬性」を教会存立のため緊急性があるとき行使することができる。対話に基づいて真理探究ができる通常の状態を回復させることを目的としてのみ教導職は不可謬性に基づいて単独でも拘束的判断を下すことができるのです。

第二バチカン公会議では「不可謬性」を教会憲章 12 25 25 と三回三つの側面から触れています。「信仰者の総体としての教会」「司教団が全体として教皇とともに決定したこと」それに「教皇不可謬」の三つの「不可謬性」があげられています。しかし教会においてわれわれは事実上いつまでも憲法上の非常事態のもとで生活している。

 

教会の正統性の新しい形態 (教会はどのようにしてこれから教会の正しい道を見出して行けるのか?)

•  「信仰は教会を前提とする」とはいえ、「教導職に対する従順」を意味するものではない。
•  「信仰の教会性」は「教導職の教え」をただ平服して鵜呑みにすることにあるのではなく、「 互いに聞きあい、互いに確認しあうことのうちに現れる 」もの。
•  みな互いに耳を傾けて 互いに学ばなくてはならない
(「学び合い」の会ネーミングの由来はこの辺にあると推察されます)。教会における従順は決して一方的に規定されるものではなく相互的になされるべきことである。
 * 自分たちで学び考え話し合い判断し決断し責任を持ち実行してゆく大人としての信仰を身につけてゆく必要があるのではないでしょうか?

現教皇になってから多くの回勅や公文書が書かれています。教皇の回勅を軽視するわけではありませんが、回勅は「手紙」であり「教義」ではない。「教義」とは一端それが確定してしまうと、反対すると異端になる、それが「教義」です。第一バチカン公会議以降教義として決定されたのは「聖母の被昇天」だけです。(実際そのとき聖母に何がおきたかはわからない。マリア様は神が完成された方であるという意味であるといわれます。)

他の側面から見た教会の可能性は、次の方の「発題」と関連してきますので、一言だけにとどめますが、『『対話」に基づく活力に富む正統性が考えられるといわれています。 教会における真理はすべて (霊能と主張との) 「対話」の過程を通じて明らかにされなくてはならないという確信から出発する 』とカスパース枢機卿は言っておられます。

 

参考にした書物:「現代カトリック教会論」他(岩島)「現代のカトリック信仰」(カスパー)「公会議史」(イエディン)「人生にとって組織とはなにか」(加藤秀俊)「旅する教会」(レイモンドブラウン)       

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