資本主義の許容できる顔   

クリフォード・ラングレイ   

Tablet誌 2008/8/23

すべてを征服するグローバルな自由市場(主義)は、競合する全ての社会・経済的イデオロギー(思考様式)を打ち負かす状況なので、倫理的、実際的な枠組み(縛り)がますます必要になっているように見える。 カトリックの社会的教理はこのギャップを埋めることができるだろうか?


「Observer」誌6月号に1ページを割いて掲載された記事で、英国の経済ライターの長老であり、Work Foundationの理事長でもあるウィル・ハットン(Will Hutton) は、バチカンが、政治家たちの不作為にあえて問題を提起したことを大いに称賛した。 政治が、「資本主義とその市場経済のダイナミックスを、単に富裕層だけのためではなく、いかに万人の益に役立てるべきか?」といった問題提起をしないのはなぜかと、バチカンはあえて問いかけたのである。


ローマにおけるCentesimus Annus Foundation*1主催の会議に出席して、Huttonは、カトリックの社会的教理と彼自身の経済理論、とくに彼が熱心に唱道する利害関係責任論(stakeholding)との間に共通点を見つけて驚いた。 「現代の経済システムにどのように人間の顔*2 を具えるか」は、提示された課題の一つであった。 もしも、Gordon Brown英首相が、同じような基本的質問を提起したとしたら、とハットンは考えた。いや、しかしこの労働党の首相は、シティを混乱させるよりは、自分の指掌を失う方を選ぶのではなかろうか?


(訳者注) *1 Centesimus Annus Foundation: 「Centesimus Annus」は「100周年」の意。 教皇レオ13世が1891年に出した回勅「Rerum Novarum(労働者の境遇)」から100年後の1991年、教皇ヨハネ・パウロ2世が出した回勅の名前で、「第2のレールム・ノヴァルム」とも呼ばれ、社会主義の弊害と資本主義の幻想が主なテーマになっている。この回勅の名を冠した基金が Centesimus Annus Foundation である。                     *2 1968年の「プラハの春」において「人間の顔をした社会主義」という表現が使われた。
「英国の実業人の多くはこれらの懸念を分かち持つが、われわれの論議はほとんどこれを取り上げない。 飽くなき利益追求と「フレキシブル」賃金を是とする一部の上流階級に逆らって、このような課題を提起する政治家は、「反実業的」という嘲りに満ちたレッテルを貼られる恐れがある。」と彼は書く。


カトリックの社会的教理、または、よりビジネスに特化したアメリカ的表現としての「カトリック社会思想」の分野には、さらに根本的な問題が存在する。その一つは以外に単純なものだ; 「カトリックの伝統的な社会思想に示された経済的・文化的な基準は、万人にとっての持続可能な繁栄への有効な道を提供できるか?」
これは、最近ロスアンゼルスで開催された、USC(南カリフォルニア大学)付属のカトリック高等研究所(the Institute for Advanced Catholic Studies)による4日間の会議の中心的議題であった。(わたし、Clifford Longleyはこの会議の主催者の一人で、基調講話を書いた。)


こうした疑問を呈することは、カトリックの社会的教理を援用して他の経済システム、特に自由市場主義やマルクシズムを批判する(従来の)ありふれた方法から、ギヤを入れ替えることを意味する。 それは、実質的に、自身(カトリックの社会教理)の正義に基づくシステムとして推し進めることを意味するとともに、経済的・社会的進歩への信頼できるルートとして、(万人のために)伝統に基づいた、富の創造(手段)についての慎重な判断を下すことを意味する。 「万人のための持続的繁栄」は、経済政策の聖なる究極の理想であり、これまで、あらゆる経済システムが、達成を約束しながら、結局は全て失敗に終わっているのである。


経済システムというものが、いつかは必ず自壊する運命にあることはよく知られているが、西欧経済はそれを再び証明するつもりのようだ。 基準となる人間性のモデルに誤った概念を用いるのは彼らの致命的な欠陥ではなかろうか? 彼らが基準とするホモエコノミクス(或いは以前には、マルキスト)という人間の抽象概念は、現実経済の中で働く現実の人間とはほとんど共通点が無いのではないか? 

                                                    人々の行動を理論に合わせるよう強制したり、理論に外れた行動をとる人を締め上げたりする代わりに、正しい人間性の評価に基づいたシステムを構築すべきではなかろうか? これこそが教皇ヨハネ・パウロ2世の切実な願いである。 教皇は、マルクス主義の犯した過ちとともに、彼が「野蛮な資本主義」と名づけたものの失敗をも、はっきりと見つめてきた。それらの理論の失敗の原因は、(誤った)人間学にあった。


「真の国富論」(True Wealth of Nations)と我々が呼ぶ、カトリック高等研究所のプロジェクトの最初の着想は、現在はヨーロッパに住むアメリカのビジネスマンPaul Caronによるものだ。 彼は、西欧、とりわけアメリカで広められた経済理論に関して、ノーベル賞受賞者のAmartya Sen とJoseph Stiglitzのような近代経済学の思想家が、どのように倫理的見地から批判したかに注目していた。


アナリストたちの倫理的評価に落第したのは、単にこれらの経済システムがもたらした結果だけではなく、彼らの内的な方法論、とくに、人間性についての決定論的な前提に原因があった。 その前提とは、よく知られているように、「理性的な人間は、全面的に自分の利益のために行動する。」というものである。 Paul Caronは、独自の意見を持つこれらの経済学者の言葉と、カトリックの社会教理の伝統が述べてきた言葉との間には大きな違いがないと考えた。 それはまた、100年前、1891年のRerum Novarumから(1991年の)Centesimus Annusに至る、教皇たちの社会問題についての回勅に述べられてきた言葉でもある。 これも、それほど驚くようなことではない。人間性は共通の要因(common factor)である。


トマス・アクイナスの教えを中心に据え、聖書的洞察によって補完されたカトリックの自然法の伝統を通して、カトリック教会は、人間が持つ全ての長所と欠点についての深い理解を発展させてきている。 一方、啓蒙的西洋の伝統による人間性の観察者であるSen とStiglitzのような経済学者たちも類似の結論の到達していた。 Caronの提唱は、これらの二つの思潮を一つにまとめ、経済学者には、神学者との対話によってどこまで意見の一致が得られるかを測らせることであった。 (USCにおける)四日間の議論が終わっても、彼らの相違を語るのは困難であった、といわねばならない。


他の人々も、当然Will Huttonを含め、この二つの思潮の関係に気づいている。 ロスアンゼルス会議の主要な参加者の一人で、ボローニャ大学の経済学教授Stefano Zamagniは、カトリック正義と平和評議会に近い人物である。 1991年、Centesimus Annusが発令されるのに先立って、彼は、Amartya SenとJoseph Stiglitzを含め、多様な経済学者をバチカンに引き合わせる役割を果たした。 彼は、ベネディクト16世が準備中の社会問題の回勅を担当している教皇の側近たちとも親しい。


真の国富論会議(the True Wealth of Nations conference)が、アメリカのカトリック思想の主流を代表している一方で、the Acton Instituteと呼ばれる右翼のシンクタンクもこの分野で活躍している。 このシンクタンクの本部はMichigan州Grand Rapidsにあり、彼らの主張は、共和党のネオコンサーバティブ(新保守主義)が考えるアメリカ資本主義はカトリックが承認できる資本主義モデルとほとんど同一のものとなり得る、というものである。 それは、米国内の一定の富裕なカトリック・ビジネスマンに大いにアピールする考え方であり、また、ネオコンが促進する「アメリカニズム」のイデオロギー全体に合致する考え方でもある。


Actonのやり方は、Centesimus Annusの中の幾つかの企業寄りの個所のように伝統的な事柄を強調する一方で、例えば、ネオコンの経済紙Wall Street Journalが「マルクシズムの焼き直し」と評した1987年の回勅「真の開発とは-」(Sollicitudo Rei Socialis)の或る部分のような、好みに合わない個所は無視することで成り立っているようである。 そのためバチカンの一部に、Centesimus Annusがアメリカでどのように受け取られるだろうかと言う懸念があった事は確かだし、バチカンは、右翼ロビイストたちの拠りどころになっている。


Actonは個人的、経済的自由を最高の理想にかかげ、「大きな政府」を究極の敵として非難するが、フリ−ドリッヒ・ハイエク(Friedrich Hayek)が説く反社会正義のレトリックから大きく外れる事は無い。だからそれは、結果的に反福祉、反課税、反公益である。それは、貧しい人々にとって大きな打撃となるジョージ・ブッシュの減税戦略を批判したアメリカ司教協議会の姿勢とは相容れないものである。 この論議は、単に理屈の上だけの話ではない。 11月の来るべきアメリカ大統領選挙の中心にある諸問題が含まれている。 今こそ、アメリカの情況の中で、カトリック教会の社会問題に対する明確な考え方を示す理想的な時ではなかろうか。


(Wikipedia) フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク(Friedrich August von Hayek 1899/5/8 - 1992/3/23)は、オーストリア生まれの経済学者、哲学者。オーストリア学派の代表的学者の一人であり、経済学、政治哲学、法哲学、さらに心理学にまで渡る多岐な業績を残した。20世紀を代表するリバタリアニズム思想家。ノーベル経済学賞受賞。その思想は、後の英国のマーガレット・サッチャーや米国のロナルド・レーガンによる新保守主義・新自由主義の精神的支柱となった。ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは母方の従兄弟にあたる。


現在はリバタリアニズムの思想家の一人とみなされているが、本人は古典的自由主義者(classical liberal)を自称し、エドマンド・バークに倣いOld whigと呼ばれることを好んでいた。 またハイエクの「自由」に対する考えは、単に経済学にとどまらないものがあった。ハイエクは集産主義と計画主義には市場のどの参加者よりも一部のエリートの方が賢明であるという前提があると考えた。だが実際においては市場の情報や知識をすべて知ることは不可能であり、部分的な情報を熟知する参加者達が参加する市場こそがもっとも効率のよい経済運営の担い手であると説いた。
さらにハイエクは特にフランスに見られるような「理性」に至上の地位を与えるような合理主義には常に反対していた。人間は現存の秩序をすべて破壊し、そこにまったく新しい秩序を建設できるほど賢明ではないとし、既存の秩序、つまり「自然発生的秩序」の重要性を説いた。彼の自由主義は、あくまでイギリス・アメリカ的経験論に基づくものである。コモン・ローなどがその代表例としてあげられる。彼は理性の傲慢さのもたらす危険性を常に問題視していた。


(アマゾン) 「社会正義の幻想―法と立法と自由」 ハイエク著
出版社コメント: 社会にとっての正義は存在しない―「結果の正義」「分配の正義」の危険性を厳しく糾弾し、自由を保障する「カタラクシー」としての社会像を説く。近代最大の神話を突き崩す問題作。


ロスアンゼルス会議の始まりは数年前に遡る。 Paul Caronは、既にカトリック高等研究所に関与していた。 この研究所は、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の間の神学的対話の促進といった、カトリック思想の先端的なテーマに関するプロジェクトに取り組んでいる。 この団体は、独立ではあるが、カトリック大学協会の前理事長James Heft神父の考案で生まれ、ロスアンゼルス教区のRoger Mahony枢機卿の支援を受けている。


この経済学プロジェクトの発足に当たりCaronはわたし(Clifford Longley)を招いた。 わたしはそれまで、イングランドとウェールスの司教会議のための1996年の文書「公益とカトリック教会の社会教理」の草稿作成に加わり、また2005年には英国およびアイルランドの教会のための報告「目的をもつ繁栄」の作成でも同様の役割を果たしてきた。 Caronはまた、理事会に、ミネソタ州聖ヨハネ大学のDaniel Finn教授を加えた。 この人は、経済学者であり、また神学者でもあって、当時アメリカ・カトリック神学協会の会長であった。


Caronは、「Centesimus Annus 基金」との独自のコネクションをもち、また、同基金と「真の国富論」プロジェクトとの間の合同プロジェクト設置が懸案となっていた。 そこには、良い目的のためには市場の諸勢力の活動を制御してもよい、との共通の見解が存在する。 そして、しばしば発生する市場の失敗(混乱)に政府が介入することは正しいことであり、また、貧しい人々を優先することは、福音に示された大切な義務であることも共通の認識となっている。 様々な要素が複雑に働く中での「富の創造」は、人間の喜びであり、人間の義務でもある。 それは、神によって始められ、人類の始祖に託された創造の御業の一部を受け継ぐことである。


我々の会議に必要な人材は十分だった。カトリック社会思想は、アメリカのカトリック大学において活発な研究分野となっており、そこでは、宗教を隅に追いやることのない知的環境が整っている。 わたしの考えでは、マルキシズムや社会主義的の伝統の目立った影響が見られないということが、アメリカのカトリックの社会的教理に特別な強みを与えている。 かつてヨーロッパをはじめ世界各地を風靡した頃のマルキシズムや社会主義は、自由市場資本主義に頑強に挑戦する一方で、西欧資本主義の行動様式を形成した(影響を与えた)イデオロギーである。 このような競合するイデオロギーを出発点とするヨーロッパ社会には、手に負えない市場の力の釣り合いをとる平衡錘として、カトリック社会教理のようなものも必要なのだとWill Huttonは考えているようだ。


そして、その結果は? 「カトリック社会思想の基本理念は、持続可能な繁栄への道を見出すのに有用ではないか。」という我々の中心的提言に対して、問題視する意見は何も出なかった。 多くの未解決の課題(のリスト)が確認されたが、その中で最後まで結論が出なかったものの一つが、「公益」 (“common good”) の定義であった。 参加者全員が、そこに現れた理論の一貫性に魅了されたと述べた。 実際、会議の(諸論文の)内容には書籍として出版するのに充分な理論の一貫性があり、国際的な出版社が求められた。


われわれの作業は何らかの変化をもたらすだろうか? それは、われわれのアイデアが今の時代の要求に応えるものなのか、あるいは、僅かな数の知識人だけが、少々興味をもつだけのものなのか、による。 わたしは、それが前者であると予感している。 1776年発行のアダム・スミスの「国富論」は、今日我々が知るように、政治経済学の主題を提起した。 この著作に匹敵するインパクトを西洋文化に与えた本は稀である。 「真の国富論」プロジェクトは、議論を先に進める地道な試みである。 もしも、それが必要とされるならば、成功するだろう。

              〔了〕 訳文は試訳です。疑問な点があれば下記の原文をお読みください。


2008/08/23 Tablet
“An acceptable face for capitalism”  by Clifford Longley
With the all-conquering global free market seeming to trounce all competing social and economic ideologies, a moral and practical framework looks increasingly necessary. Could Catholic social teaching fill the gap?
In a page-long article in The Observer in June, Will Hutton, a doyen of British writers on economics and chief executive of the Work Foundation, heaped copious praise on the Vatican for daring to ask the questions that politicians are refusing to ask - questions such as: how can capitalism and its market-driven dynamic be made to serve the good of everyone and not just the wealthy?
Hutton had just taken part in a conference in Rome convened by the Centesimus Annus Foundation, and was clearly taken by surprise to find how much overlap there was between Catholic social teaching and his own economic ideas, especially his passionate advocacy of stakeholding. How you give modern economic systems a human face was one of the questions posed. Would that Gordon Brown was asking equally fundamental questions, he mused, but, rather than upset the City, this British Labour Prime Minister would prefer to lose one of his own fingers.
"A lot of businessmen and women in Britain share these worries," he wrote, "but our discourse rarely allows them to surface. Any politician who dares to voice them rather than be a cheerleader for the superclass, rampant profit-making and ‘flexible' wages risks the ludicrous sobriquet of being anti-business."
In the field of Catholic social teaching - or "Catholic social thought", to use an American expression for the more speculative side of the business - there are even more radical questions around than these. One of them, a little surprisingly perhaps, is simply this: "Could the economic and cultural criteria identified in the tradition of Catholic social thought provide an effective path to sustainable prosperity for all?"
This was the central proposition round which a four-day conference took place in Los Angeles recently, organised by the Institute for Advanced Catholic Studies, which is attached to the University of Southern California. (I was one of the organisers, and wrote the keynote document that set the stage.)
Just to ask the question represents a change of gear from the more usual method of using Catholic social teaching as a tool for critiquing other economic systems, free markets in particular but also Marxism. It means in effect putting it forward as a system in its own right, and adopting the tradition's careful endorsement of wealth creation - subject to the common good - as a reliable route to economic and social progress. "Sustainable prosperity for all" is the holy grail of political economy, which all systems boast they can produce while none has done so.
The tendency for economic systems eventually to self-destruct is notorious, as economies in the West seem determined to demonstrate once more. Is their fatal flaw the fact that they are using a wrong model of human nature, an abstraction called homo economicus (or in an earlier period, Marxist man) which bears little resemblance to the real people who work in real economies? Instead of bullying people to behave more like the theory says they should and wringing one's hands when it all goes wrong, why not design a system around a true appraisal of human nature? It was a thought dear to the heart of Pope John Paul II, who saw the failures of Marxism and of "savage capitalism", as he called it, all too clearly. It was their anthropology that let them down.
The initial inspiration for the Institute of Advanced Catholic Studies' project, which we called the True Wealth of Nations, came from an American businessman who now lives in Europe, Paul Caron. He had noted how some of the leading modern thinkers in economics, such as Amartya Sen and Joseph Stiglitz, Nobel Prizewinners both, had criticised prevailing economic theories in the West, America in particular, on ethical grounds.
It was not just the results of these economic systems that failed these analysts' ethical criteria, but their internal methodology, especially the deterministic assumptions these systems made about human nature - that we are all fully informed, rational individuals who act entirely in our own interests. Caron saw these dissenting economists as saying things not far from what Catholic social teaching tradition had been saying in papal social encyclicals stretching from Rerum Novarum of 1891 to Centesimus Annus 100 years later. Nor is this so surprising. Human nature is the common factor.
Others have noticed the connections too, including of course Will Hutton. One of the leading participants at the Los Angeles conference was Professor Stefano Zamagni, Professor of Economics at the University of Bologna, who is close to the Pontifical Council for Justice and Peace. He was instrumental in bringing various economists, including Amartya Sen and Joseph Stiglitz, to the Vatican prior to the publication of Centesimus Annus in 1991. He is also close to those in the Curia who have been handling a new social encyclical to be published by Benedict XVI.
Through its natural-law tradition largely focused on the teachings of Thomas Aquinas and augmented by biblical insights, the Catholic Church has developed a profound understanding of human nature in all its glories and all its flaws. Economists such as Sen and Stiglitz, observers of human nature coming from an Enlightenment Western tradition, had reached similar conclusions. Caron's proposal was to bring these two schools of thought together, to let the economists talk to the theologians to see how far they would agree. I have to say that by the end of the four days it was difficult to tell them apart.
While the True Wealth of Nations conference was representative of much mainstream Catholic American thought, there are other players in the field, notably the right-wing think tank called the Acton Institute. The main message of that institute, which is attempting to spread its presence worldwide from its base in Grand Rapids, Michigan, seems to be that American capitalism as conceived by Republican neoconservatives is as close as it is possible to get to a model of capitalism that Catholicism could approve of - an idea that greatly appeals to certain wealthy Catholic businessmen in the United States and indeed to the whole ideology of "Americanism" that the neocons promote.
The Acton method seems to consist of emphasising bits of the tradition, such as several pro-business passages in Centesimus Annus, and ignoring those bits that were uncongenial, for instance, parts of Sollicitudo Rei Socialis, published in 1987, which were described by the neocon Wall Street Journal as warmed-up Marxism. That has undoubtedly made some in the Vatican nervous about how any new pronouncement might be received in America, and the Vatican has become a regular port of call for right-wing lobbyists.
Acton, which elevates personal and economic freedom to one of the highest ideals and condemns "Big Government" as the ultimate enemy, has not moved far from the anti-social-justice rhetoric of Friedrich Hayek. It is consequently anti-welfare, anti-tax and anti-common good. It has pitched in against the American bishops' conference, which has criticised George Bush's tax-cutting strategy as highly damaging to the poor. This debate is not just theoretical. Issues at the heart of the coming American presidential election are involved. It is an ideal time, one might think, for some clear exposition of the Church's social thinking in an American context.
The origins of the Los Angeles conference go back some years. Paul Caron was already involved with the Institute for Advanced Catholic Studies, which has a number of projects at the leading edge of Catholic thought, such as promoting Muslim, Christian and Jewish theological dialogue. The institute, though independent, is the brain-child of Fr James Heft, former chairman of the board of directors of the Association of Catholic Colleges and Universities, and it has the support of the Archbishop of Los Angeles, Cardinal Roger Mahony.
To kick-start the economics project, Caron recruited me, as someone who had helped draft the 1996 document "The Common Good and the Catholic Church's Social Teaching" for the Bishops' Conference of England and Wales, and played a similar role in the production of the report "Prosperity with a Purpose" for Churches Together in Britain and Ireland in 2005. He also brought on board Professor Daniel Finn of St John's University, Minnesota, who is both an economist and a theologian, and at the time was president of the Catholic Theological Association of America.
Caron has his own connections with the Centesimus Annus Foundation, and joint projects between it and the True Wealth of Nations project have been mooted. There is a common view that market forces can be harnessed to good ends, that it is right for Governments to intervene when markets fail as they often do, and that a preferential option for the poor is an inescapable obligation of the Gospel. Wealth creation in all its complexity is both a human delight and a human duty, part of the continuation of the work of creation begun by God and entrusted by him to mankind's earliest ancestors.
We were not without human resources for our conference. Catholic social thought is a lively academic discipline on American Catholic campuses, which are intellectual environments where religion has not been marginalised. My theory is that what gives Catholic social teaching an extra edge in America is the absence there of any significant Marxist or socialist tradition, ideologies which in their prime in Europe and elsewhere offered a robust challenge to free-market capitalism and shaped its behaviour. With the departure of those competing ideologies, European societies may also need something like Catholic social teaching as a counter-weight to run-away market forces - as Will Hutton seemed to see.
And the result? Nobody took serious issue with our central proposition that the foundations of Catholic social thought could be used to find a path to sustainable prosperity, though a long list of loose ends was identified - a definition of the "common good" being among the most elusive. All the participants expressed themselves fascinated by the coherence that emerged. Indeed there was enough of it to justify turning the conference papers into a book, and an international publisher is  being sought.
Will it make any difference? That depends on whether it is an idea whose time has come, or a byway of interest only to a few intellectuals. My sense is that it could well be the former. Adam Smith's The Wealth of Nations, published in 1776, launched the subject of political economy as we know it today, and few books have had greater impact on Western culture. The True Wealth of Nations project is a modest attempt to take the argument further. If it meets a need, it will succeed.

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貧困について経済学者と神学者が取り組む: 

「眞の国富論」プロジェクト−USC(南カリフォルニア大学)カトリック高等研究所は、富の産出のための倫理的条件を探求する国際会議を主催する。 パメラ・ J ・ジョンソン  2008 年 6 月 

 

カトリックの社会思想の大きな転換の中で、教皇ヨハネ・パウロ 2 世は、市場(駆動)経済−または資本主義−の下における「富の創造」は、一定の条件の下で、全人類の公益を促進するだろうか、との問題を提起した。

故ヨハネ・パウロ 2 世教皇の信念に基づいて、 USC のカトリック高等研究所( IACS )は、数年にわたる、国際研究プロジェクトを開催することとした。このプロジェクトは、カトリックの社会的教理の長所と欠点を、複雑な資本主義の諸問題との関連において探求するものである。

複数の専門分野にまたがるこのプロジェクトは、世界中から多くの宗教の社会倫理と経済理論および政治哲学の専門家が一堂に会して論じる作業である。これは、研究論文が論議される会議を含み、貧困との戦いの助けとなる諸文書を出版することを含む。

USC (南カリフォルニア大学) で宗教学を教え、 IACS の理事長である James Heft 神父は、「『貧者への富の分配』。多くの人々は、シナゴグやモスクや教会に行くと、日常的にこの訓戒を耳にする。」と語る。

「しかし、資本主義の発展とともに過去 300 年間に起こってきたことは、新しい現象である。 今や、持つ物に寛大であれという訓戒に留まるのではなく、富を創造する必要がある。」  そこで、「資本主義は貪欲に過ぎないか? 資本主義は単に貧困者を利用するだけなのか?」という課題になる。

「または、富を創造する能力と資源のある人間にとって、貪欲の枷から逃れ真に大きな共同体の利益となること可能だろうか?  Heft は求めた:  このプロジェクトの目的は、富の生成についての倫理的条件を探求することにある。

「眞の国富論」プロジェクト( the True Wealth of Nations project )の第一段階は 2008 6 18 日から Davidson Executive Conference Center で行われた 4 日間の会議で着手された。    そこでは、神学者、経済学者、社会学者および実業家が一堂に会し、「持続可能な繁栄についてのカトリックの社会的教理からアフリカが学びえるものは何か」 から「眞の国富論プロジェクトについてのエコフェミニズム的アプローチ」 にいたる種々の発議についての学術的論議が行われた。

USC C.L. Max Nikias 総長は、ユニバーシティ・クラブでのスピーチの中で、海外からのゲストを歓迎し、眞の国富論プロジェクトが、公的政策と私的企業から大きな期待を寄せられていると述べた。 そして「このプロジェクトは、 USC の社会を築く使命の中心となる一種のインパクトを与えることができる」と述べた。  USC には約6,000人のカトリック学生がいることに注目し、 IACS はそのような会議に最適な場所である、と Nikias 学長は述べた。 ロスアンジェルス大司教区は、 Ventura Santa Barbara 地区を含み、 5 百万人の信者を擁する米国最大の司教区であり、「カトリックの世界的な十字路である」と彼は述べた。

「わたしは IACS が、それぞれに考え方の違う、かくも多数の領域から、多数のリーダーたちを集めたことに敬意を表する。それは、新しく、驚きのある、それでいて古来の、不動の展望、人間の体験の最も深い部分に根ざす展望、そして、今日の慣習的な知恵を超越する展望から利益をえることになろう。」

USC カレッジの学長 Howard Gillman も、 IACS とその努力を称賛した。              「この会議は、信仰諸共同体の寄与、経験および伝統を真剣に語ることによって、いかに卓越した大学の核心的学術上の使命を、高めるかを示す、活気に満ちた重要な事例である。」

このプロジェクトは、 1776 年に経済学の祖アダム・スミスによって書かれた有名な著作「国富論」( The Wealth of Nations )からその名前を取った。 「眞の」が追加されたのは、まさに「富」が意味するものが何かについて熱心に論議されるからである。

「我々はカトリックの社会的教理と社会倫理に貢献することを希望する。 より貧困な開発途上国にとって必要な事柄と、アメリカ合衆国にとって必要な事柄は同じものではない。 そこで〔カトリックの社会的思想〕は、ある意味で普遍的諸原理を持つという利点はあるが、一方では、全く異なる事情にあって応用が必要なローカルの状況への配慮に欠ける。」 と Heft は述べた。

「そこで、我々は継続的な話し合いの中に、それぞれのローカル事情の違いに通じた一級の経済学者を、一般原理を明晰に語れる倫理学者、神学者とともに加えたいを望む。」

眞の国富論調査プロジェクトの代表者 (directors) には、 Heft Paul Caron (ベルギーとスイスの JP Morgan 銀行の元頭取)、 Daniel Finn (ミネソタ州 Collegeville St. John's University の経済学と神学の教授)が含まれる。この全員は、 USC のカトリック高等研究所( IACS )の理事会メンバーである。これら代表者たちは、また、 Clifford Longley (* 添付別項の筆者 ) (英国の作家、放送ジャーナリスト)と共に、会議の舵取り委員会のメンバーとして働く。諸論文は、会議で討論された後に修正され、 2009 年初めに出版される本に納められることになると、共同編集者の Longley は述べた。

「世界各地で、経済学者は、経済成長の人間的側面を無視しているとの批判・挑戦を受けている。そして世界中で、人々は、経済成長を調節する原理となるべきものは何かを質問している。この調節原理は、経済成長が、富裕者だけではなく、貧困者を含めて、人間を取り扱う方法を、人道にかなった( humene )ものとする原理である。

「われわれは、本を出そうとしており、この本は、最後には、そのような知識を必要とする人々の手にわたるように希望している。 カトリックだけではなく、キリスト教諸派に限らず、経済をいかに人間的にしようか、と同じような関心を抱く人々に渡るように望んでいる。         

USC の歴史と政策・企画・開発学の教授であり、 IACS 理事会メンバーの Kevin Starr は、 ローマ・カトリックの展望に基づく国際的な富の創造論は、学界でも事実上未着手の領域である、と述べた。

2002 年の創設以来、 IACS はこの他に、3つの国際会議を開催している。それらは「カトリッシズムと科学」、「宗教の名の下の暴力」、「次世代のおける宗教的アイデンティティ」についてである。後者の 2 つの 会議はユダヤ教、キリスト教、イスラム教の学者を集め、広く読まれている 2 冊の本にその結果を集約している。

USC におけるカトリック高等研究所は、再度、総合大学を基盤とする研究が、社会、文化、経済の諸問題に幅広い多様性を生み出すことを立証している。」と、アメリカのカトリックの経験について本を書いている Starr はいう。

「これから先の年月、この種の必要に応えていく中で、この研究所は、カトリックの伝統を幅広い多様な問題に適用してゆくことになる。 それらの問題は、科学ばかりでなく、社会科学や人文科学ばかりでもなく、信仰の偉大な伝統―とりわけカトリックのそれを必要とするようになるだろう。

(了)

 


Economists and Theologians Tackle Poverty :                 The Institute for Advanced Catholic Studies at USC College hosts international conference exploring the moral conditions for the generation of wealth. By Pamela J. Johnson July 2008

In a major shift in Catholic social thought, Pope John Paul II argued that the creation of wealth in a market-driven economy ? or capitalism ? could under certain conditions promote the common good for all of humanity.

Building on the late Pope John Paul's belief, the Institute for Advanced Catholic Studies (IACS) at USC College has launched a multiyear, international research project exploring the strengths and weaknesses of Catholic social teaching as it relates to the complex issues of capitalism.

The cross-disciplinary project will bring together social ethicists and economists, and political philosophers of many religions from around the world. It involves conferences in which scholarly papers are debated, and will publish books to help in the fight against poverty.

“Distributing wealth; giving to the poor. Most people hear those exhortations regularly when they go to synagogues or mosques or churches,” said Father James Heft , Alton M. Brooks Professor of Religion in the College, and president and founding director of the IACS. “But what's happened in the last 300 years with the development of capitalism is that we have a new phenomenon. Now there's not just the exhortation to be generous with what you have. There's the need to generate wealth.” So the questions become: Is capitalism just a ticket to greed? Does capitalism simply exploit the poor? “Or would it be possible for a person with talent and resources who generates wealth to escape the clutches of greed and truly benefit the larger community?” Heft asked. “What we're doing with this project is exploring the moral conditions of the generation of wealth.”

The first phase of the True Wealth of Nations project was launched June 18 with a four-day conference held at the Davidson Executive Conference Center, where theologians, economists, sociologists and businesspeople met to debate scholarly papers on topics from “What Africa Can Learn From Catholic Social Teaching About Sustainable Economic Prosperity” to “An Ecofeminist Approach to the True Wealth Project.”

USC Provost C.L. Max Nikias welcomed the international guests during a speech at the University Club. In his speech Nikias said that the True Wealth of Nations project holds immense promise for both public policy and private enterprise and “can make the kind of impact that is central to USC's mission to build up our society.” The IACS is a fitting setting for such a conference, Nikias said, noting that some 6,000 Catholic students attend USC. The Archdiocese of Los Angeles, encompassing Ventura and Santa Barbara and including about 5 million members, is the largest diocese in the United States , he added, and is a “global crossroads for Catholicism.” “I salute the IACS for having brought together so many leaders from so many disciplines who think in so many different ways in order that we might benefit from a perspective that is new and surprising yet also ancient and steadfast, a perspective that is grounded in the deepest parts of the human experiment ? and a perspective that transcends today's conventional wisdom.”

USC College Dean Howard Gillman also praised the IACS and its efforts. “This conference is an exciting and important example of how the core academic mission of a great College is enhanced by taking seriously the contributions, experiences and traditions of faith communities,” Gillman said. The project was named after the famous magnum opus, The Wealth of Nations , written in 1776 by the father of economics, Adam Smith. “True” was added because exactly what “wealth” means is hotly debated. “We hope to make a contribution to Catholic social teaching and social ethics,” Heft said. “What you would say in a poorer developing nation about what needs to be done and what you would say in the United States are not the same thing. So [Catholic social thought] has the benefit in one sense of having universal principles, but it lacks the attention to local situations that differ greatly, necessary for application. “So we want to bring into sustained conversation first-rate economists who have more insight into local differences with ethicists and theologians who often articulate the general principles.”

The True Wealth research project directors include Heft; Paul Caron , retired head of JP Morgan banks in Belgium and Switzerland ; and Daniel Finn , professor of economics and theology at St. John's University in Collegeville , Minn. All are IACS Board of Trustee members. The directors also served as conference steering committee members along with Clifford Longley, an author, broadcaster and journalist in Britain .

After the papers debated at the conference are revised, they will be included in a book to be published in early 2009, said Longley, who will act as co-editor.

“Everywhere in the world, economists are under challenge for ignoring the human dimension of economic growth,” Longley said. “And all over the world, people are asking questions about what ought to be the principles that regulate economic growth to make more humane the way it treats people ? not just rich people, but poor people.

“We're going to produce a book we hope will end up in the hands of those who need that kind of knowledge. Not only Catholics. Not only other Christian denominations, but people with similar concerns about how to make economics human.”

Kevin Starr, University Professor, professor of history and policy, planning, and development, and IACS Board of Trustee member, said the topic of global wealth creation from a Roman Catholic perspective is virtually unexplored territory for the academy.

Since its creation in 2002, the IACS has hosted three additional international conferences addressing Catholicism and science, violence in the name of religion and religious identity in the next generation. The last two conferences brought together Jewish, Christian and Muslim scholars and resulted in two widely read books.

“The Institute for Advanced Catholic Studies at USC is once again demonstrating the contribution that university-based research can make to a broad variety of social, cultural and economic issues,” said Starr, who is writing a book about the American Catholic experience. “In the years to come, the institute, in fostering this line of inquiry, will help apply the Catholic tradition to a wide variety of topics that require not only science, not only social science and the humanities, but also the great traditions of faith ? and especially that of Catholicism.”

http://college.usc.edu/news/2008/07/iacs.html

 

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