ニコラスさん総長就任記念講演を聞いて
12月22日にイエズス会員の終生誓願式のために日本に戻られ上智大学の学生に向けた総長就任記念講演会が開催されました。「学び合いの会」の或る方の計らいで学生さんと共に久しぶりにニコラスさんの声を聞くことができました。お話の骨子とささやかな感想をお届けします。
講演の骨子:
* 1961 年来日以来の活動概要 1961年来日1964−8上智神学部で学び卒業しました。学生として真剣に勉強しました。先生に厳しく当たる生徒でした。・・・
* 上智大学は始めから国際的な交流ネットワークでつながっています。イエズス会は全世界に227の高等教育施設があります。大学は約 80 校、 640 万人が学んでいる。上智大学は大学院を合わせて 12,000 人で2%を占める。
* 教皇様に挨拶に伺ったときに、直ぐに教皇様のほうから、日本の話と上智大学の話が出されました。日本で私が35年以上活動してきたこと、上智で長年教えていたことをご存知でした。
* 私はその後 CITIC で4年間活動しました。日本の外国人の問題にかかわってきました。 難しい問題を多く体験した。全世界には 2 億人の難民がいる。ローマにも多くのフィリッピン人がいる。 8 万人ぐらいが厳しい状況にある。
* 上智大学の設立の経緯は 100 年前にピオ 10 世の「日本にカトリック教育大学を設立した」いと言う願いをイエズス会に委任されたところから始まります。
* 日本におけるカトリック教育はザビエル時代のセミナリオから始まったといえます。教育理念はその延長線上にあります。カトリックと言う普遍性、人類共同体の価値観にねざした教育です。教育の目標は「他者のために」ということです。
* 最近アマゾンの奥地に行った。最も貧しいところです。そこには喜びと生きるエネルギーが満ちていました。なぜか、人間がギリギリの崖淵に生きるとき、他者の苦しみが分かる、不安、恐れの中に生きている他者が分かる。自然に一致することが出来る。人間そのものの深み、愛情、哀れみ、が分かるのです。
* いい人たちが集まってきても、95%でとどまっている。自分の安全のために5%残すが、アマゾンでは105%までゆく。ギリギリの生き方の中に全てをかける人間性を教えられました。
* NHK の特集で、若者が海外で奉仕活動に参加した経験のある 50 人の若者が出演した番組を見たのを思い出します。キレイゴトで自分を隠さない。はじめは好奇心で参加したが、体験して自分が変わった、他人のため、家族のために生きる・・日本で、外国で得たエネルギーをどう活かすか・・・当たり前なところから出て・・・奉仕をする・・・ちいさなことでも・・・。イエズス会にはそういう人が来てほしいものですね。
* 学生に望むこと、日本は世界に何で貢献するのか。西欧世界はアジアからの「知恵」を求めている。世界に発信してほしい。ロボット技術ではなく「生きるとはなにか」について。それがいま一人ひとりに問われているのです。
* 現代の人類の最大の関心は貧困、暴力、失業、人間の尊厳の欠如、・・・。 21 世紀の人類の第一の問いは、「何のために生きるのか」です。世界の中に存在するわれわれは、一人ひとりは限界がある。「ネットワーク」の時代にどう生きるべきか・・・・。是非、日本人の知恵、人間はどのように生きるべきなのかについて世界に向けて発信してください。西欧の人びとは東洋には「知恵」があるのではないかと、それを求めています。
* 大きなチャレンジがもとめられている。壇上から言うだけなら簡単です。行うのは大変難しいことですが・・・@ 社会的には「貧困をどう解決するか」―現状を体験的に知って、今生きている世界の現状を知ることが必要です。「・・について」知ることではありません。インターネットやテレビで情報を集めて知識として知ることではありません。体験に基づき「知る」ことです。貧困問題は「人間の尊厳」の問題です。「知って」絶望に共感 compassion する。体験がなければ「知る」ことはできない。体験したらどうする。徹底的に分析し研究することです。原因はなにか?他者のためにいかなる計画が必要か?他者への奉仕によって自己実現する場、全ての人が其の実りを受けられる経済活動はどうすればよいのか?次に、社会にでて、学んだことを実践する。それぞれの生き方、やり方で実践する。より良い社会へと一人ひとりが自分の出来ることを行い、すべての人が「人間としての尊厳」を取り戻せるように、「学んだことの全て」を使ってください。A 自然に対しては「エコロジー」をどうするか。B 文化的には「世界のすべてのこどもたちをどのように教育するのか」 C 倫理的には「生き方のもんだい」「人間として生きる意味」「人間関係をどのように生きるか」・・・・
「現代社会で神学をすることの意味・・」と言った質問がありました。現代社会をわすれて、「神学」そのものは存在しません。人生の「苦しみ」「悩み」にどのようにこたえるのか。自分の存在の意味について問いかけてゆく。神の息吹、光、・・それが生きるためにどのようにたすげになるのか。はじめにどのような体験があったのか、なぜこのようなテーマについて話すようになったのか、話さねばなりません。数百年かけてそれが知恵になっていったのです。
以上はメモから断片的な単語やフレーズからつなげて書いたもので、言葉使いの違い、別の表現であったり、重要な部分が抜けていたりします。ご了解ください。
感想
A さん:この講演会は上智大学の学生のために企画されたもので、学生への語りかけを意識して準備されていますが、「学び合いの会」は生涯学び合うものとして「生涯学生」でもあるますので、ニコラスさんの語られた内容はそのまま私達へのメッセージだと感じています。私達と共に歩んで同伴してくださったニコラスさん、総長に就任されても全くかわらないお話のされ方でした。
B さん:学び合い 2 年間コースで、Fr.ニコラスのお話の中から頂いた多くのキーワードが、今も私の信仰の支えになっています。「心の中の動かない場」、「 still point 」をいつも意識するようになりました。今日の講演会でも多くのキーワード、キーフレーズが詰まっていました。「現代社会で神学を学ぶ事に意義があるのか」という質問に対する応答で、『現代社会、生活を忘れたところに「神学」そのものは存在しない。人生の悩み苦しみにどのように応えるか・・・』、とのお答えがありました。教会の趨勢は、まだまだ知性中心のヨーロッパ型カテキズムが中心で、アジア人の体験に基いた体験重視の福音が余り語られていない現状の中で、明快なお答えを頂いたと感じました。
C さん:講演会の壇上に掲げられた横幕に、「お帰りなさい!ニコラス先生 − 第 30 代イエズス会総長就任記念講演会」とありました。主に上智大学の学生が参加するように企画された講演会だったのですね。私たち「学び合いの会」の仲間にとっても、2001年から2004年5月まで3年余にわたって親しくご指導を受けた懐かしい先生なのです。(仲間が入場整理券を確保してくれましたので、喜んで出かけました。)
今回、先生は、最初に「自分の人生は日本人によって育てられた」と1961年の来日以来の話を懐かしい思い出として語られました。先生は 25 歳から68歳までの間に、35年間の長きにわたって日本で生活されたとのことですから、そのような感慨を持たれているのでしょう。誠実で真摯に生きてこられた人柄が表れているようなエピソードもユーモアたっぷりに語られました。上智大学の先生として、“一時的に、「鬼のニコラス」”というあだ名があったと笑わされました。
イエズス会の総長というさらに広い全世界的な視野に立たれて、それでも“ローマから見て”と謙虚に前置きして、人間世界の課題を4つ挙げられた後、学生たちにこれらの現場を知って、机上の空論や読書による知識でなく、現場を体験して自分で考え学んで、その克服にあたって欲しいと望まれました。西欧世界は「東洋からの知恵」、「日本からの発信」に期待しているとのお話でした。内容はよく整理されていて、聞くものにわかりやすいうえに、飾り気のない語り口に、会場はしばしば暖かい笑いにつつまれました。
他人の話すことが信ずるに足るものかどうか、信憑性の判断は、語られる内容よりも、そのことを誰が語るかによると学んだことがありますが、まさに先生の言葉はすんなりと納得できるものであると感じました。そして、このような人がローマ、教皇のお膝元で東洋からの風を期待して働いておられることを、日本の教会の関係者のみならず、今日話された課題に関わる多くの人々が知り、ネットワークを通じてつながっていければいいだろうなあと思いました。
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