説教(要約)
今日の福音は教会を作ってゆくときの教会の誘惑について語られています。
旧約聖書が書かれた[ アラマイ人 ] は滅び行く言語ですが、教会も滅び行くと心配している人もいます。昨日も若者が来ない教会の心配が語られました。
アブラハムも神に導かれて歩み続けたのであり、イエスも聖霊に導かれて歩んだのです。
今日の福音でイエスは40日間誘惑に遭います。福音書が書かれた 80 年代に教会が体験してきた誘惑と同じです。石をパンに変えるたとえは[
教会が ] 自分を中心することです。エゼキエルの中でも本物の羊飼いは自分を捨てると書かれています。他人と共に歩まないなら教会はしるしにはなれない。物質は必要ですしイエスはパンを増やしたこともありました、がそれはいつも自分のためではなくて人々のためでした。
優越感や権力は教会の歴史で教会の弱い部分でした。教会は武力で広がるかもしれなくとも力では福音は広がらない。コンスタンチヌス以来権力の利用がありました。教会を伝えるのでありません。神に信頼して謙遜に小さなことの中に生きて神の福音は広がるのです。人間の力ではないのです。福音の力で心から心に伝えられる。
エルサレム神殿から飛び降りるのは自分のために特権を利用し、人に相談せず計画も立てずに自分だけの考えで行動を起こすような無責任なリスクを犯す事です。自分の考えで特権的に動くエリート主義やファリサイ主義は現代でもあります。神を試す。これは誘惑です。福音は貧しい人のためのものです。
信者を無視し、相談せず、協力をあおがない教会は失敗します。すべてはみ言葉を聴くことから始まります。「学び合い」は経験だけではなく皆さんの心にある言葉を宝として行くことが大切です。誘惑はどこから来るのか見張っている必要があるのいです。