ONLINE CATHOLICS  2006.4.12 http://www.onlinecatholics.com.au/issue107/news1.php

 

Staunching the clergy haemorrhage

司祭の急減(大出血)現象を止めるには

 

オーストラリアの司祭不足問題について事態を 根本的に変えようとするな ら、

成行きに任せなさい。

                                                              Eric Hodgens エリック・ホドゲンス

 

 

カトリック教徒は、今日の司祭不足の状況が深刻なことを承知しています。しかし近年の司祭の減少傾向が、今後 20 年間に起こる「急減現象」(大出血)の前触れに過ぎないことに気付いている人は僅かです。

 

四つの世代にまたがる学生たちがメルボルンの神学校を卒業していきました。第1次大戦世代 * は 1920-30 年台に学び、沈黙の世代は 40-50 年台、ベビーブーム世代は 60-70 年台、そしてジェネレーションX世代は 80-90 年代に在学しました。

( * 原文は「第 2 次大戦世代」だがそれでは計算が合わない。)

 

私たちがこれまで受けてきた司祭の指導と司牧の水準を維持するためには、信徒 4000 人に一人の活動できる司祭が必要です。そして、そのためには、信徒 10 万人に対して一人の司祭が毎年叙階されなければならない計算になります。

 

1930 年から 1975 年にかけては、司祭叙階数が必要数を上回りました。沈黙の世代では必要数の 3 倍、ベビーブーム世代でも 1.5 倍に達しました。問題なのは、ジェネレーションX世代になると、それが僅か 5 分の 1 になったことです。 そして、その(比)率は、1975年以来30年間変わって(変化して)いません。つまり、 1975 年まではせっせと司祭を収穫して貯めこみ、その後に深刻な旱魃を迎えたことになります。 1975 年を境に、その後 2 年間で司祭の叙階は「バブル」から「破産」へと変ったのです。

 

概算では、メルボルン大司教区には 300 人の司祭がいますが、そのうちの 216 人、つまり約 75 パーセントは 55 歳以上です。その人たちは皆、今後 20 年の間に引退するか天に召されるかでしょう。これが「空洞化現象」(大出血)なのです。

 

この状況は、オーストラリアのすべての大司教区に共通しています。神学生勧誘の掛け声は盛んですが一向に効果が上がりません。深刻な人材不足は既に 30 年続いています。以前の良き時代はもう帰ってこないでしょう。

現在、わが国では信徒 4500 人に1人の司祭が働いています。 20 年後、大空洞化現象が過ぎ去った後には、信徒 12000 人に 1 人の司祭を確保するのが精一杯でしょう。

 

わたしたちはいま、現状の 5 倍の司祭を必要としています。それはすなわち神学校に 5 倍の入学者が必要ということになります。 Corpus Christi College は毎年 30 人を受け入れなければなりません。 Good Shepherd in Sydney は 50 人、 Holy Spirit in Brisbane は 23 人の入学者が必要です。

そんなことが不可能なことは判り切っています。では、どうしたら良いのでしょうか?

 

ある司教たちには、外国から司祭を招く試みをしています。その国に必要数以上の司祭がいれば、問題はありません。しかし世界規模で見れば、わが国は、信徒に対する司祭の数において最も恵まれた国と言えるのです。気の毒な例として、ナイジェリアの首都ラゴスの大司教の下では、 2 百万人の信徒に対して教区司祭 82 人、修道会司祭が 60 人、つまり 14000 人に 1 人の司祭しかいません。しかも司祭の中には特別な仕事を持っている人もいるでしょうし、引退する人もいるでしょう。

コンゴのブラザービルではよくて1万人に 1 人。ホンデュラスの首都でも同じ数字です。こうした国から司祭を奪い取ることはできません。彼らにも司祭が必要です。

仮に外国から司祭を連れて来たとしても、大空洞化現象を抑えるための人数を確保することは困難です。それは、その場しのぎの手段に過ぎず、かえって苦しい状況を作り出し、また、外国人司祭との文化的なギャップに悩むことにもなります。では、どうしたらいいのでしょう。

 

見方を変えて考えて見ましょう。聖ペトロと聖パウロは、初代教会でこの問題に直面しました。仲間の反対を抑えて、異邦人にも宣教活動を許すために、彼らは至聖なるユダヤ教の掟のいくつかに手を加えたのです。これは実行可能なモデルです。

 

 

仕事の分担。これはもう始まっています。小教区のスタッフは、既に教区の運営事務の多くを受け持っています。司祭協力者(雇用ベース?)は、自分の働く小教区で司牧活動の調整業務を行っています。こうした協力活動は、より広い範囲で当たり前のことになっていくでしょう。

 

訳注:  *Parish secretaries = 小教区のスタッフ *Pastoral Associates = 司祭協力者 とそれぞれ訳したが確信なし。日本にはこのような職制があるのだろうか?

 

問題は、ミサを捧げるのは司祭だ、ということです。

 

なぜ、この仕事が、 1975 年までは人材が余っていたのに、いまではこのように深刻な人材不足になったのか。これについてはさまざまな推論がなされています。

以下に挙げる司祭叙階に不可欠な四つの条件も、その理由の一部です。@男性、A独身、Bフルタイム、C終身職。 

これらの条件は、司祭の仕事がもはや終身職ではないと人々が認めるまで、変更されることはないでしょう。ベビーブーム世代の司祭の 3 分の 1 が、やめて別の職業につきました。司祭をやめる率は、この 40 年間変っていません。

 

そこで、パートタイム司祭というのは? あるいは、週末司祭というアイデアはどうでしょうか?

 

教区スタッフや司祭協力者に小教区の運営を任せ、週末のミサは、回数に応じてパートタイムの司祭の担当表をつくり、対応してはどうでしょうか。信徒のスタッフは自分の職業に就いたまま、時間制のコースで祭儀の司式を学びます。彼らが説教をするのは無理というのなら、能力と適性を備えた人を選べばいいのです。

 

この方法は、必然的に、司祭職と教区組織のあり方に変化をもたらします。とはいえ、わたしたちは既にその路線を歩み始めているのです。それへの批判や批難は自由です。

でも、それなら代案を示してください。問題は目の前に立ち塞がっているのです。私たちの提案は、毎週行われるべきミサが時折にしか行われないことに比べれば、はるかに控えめな内容ではないでしょうか。

一方で、もし事態の急激な変化を望むなら、全てを成行きに任せたら良いでしょう。

 

 
エリック・ホドギンス( Eric Hodgens ):  1960 年司祭叙階。 1973 年メルボルン大学刑事学修士課程修了。その後オーストラリアの神学校・聖職者に関する統計論文を発表。7年間メルボルン大司教区の司牧人事担当。メルボルン・カトリック司牧計画調査事務局の創立メンバー。カトリック聖職者教育のための全国組織創設時の委員長。現在まで司祭報酬基金と司祭退職基金の委員長。中でも後者の仕事は将来の司祭退職に備えて徹底した統計学的調査が必要。現在メルボルン大司教区の教区司祭。
 

 

c Copyright ONLINE CATHOLICS Ltd (ABN 63 107 718 703) Issue 99, 12 April 2006

 

 

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