教皇フランシスコの改革 SynodalityとCollegiality 要 点
1. 彼は普遍教会の統治方法の変化を望んでいる。
2. メディアは「民主化」‘democratisation’ とか 「分権化」‘decentralisation’の用語による変化を報道することになろう。しかし、これらの概念とこれからの改革の間の類推があるかもしれないが、それらの概念は、解明するというよりもいっそう不鮮明にする。
3. この変化を理解するためには、教会自身の用語で理解される必要がある。
4. ‘Collegiality’(司教協働性) と ‘Synodality’(司教会議性)という教会法と神学上の意味をかなり帯びた2語がある。
Collegiality 司教の協働性 それぞれの固有自治権を尊重される地方教会の司教たちとの協働(collaboration)においてする教皇の教会統治を意味する。
Synodality 司教会議性 普遍教会の統治における審議機関を通しての地方教会の参加についての実際的表現である。
5. ただし、この2語は過去数十年に議論の多い、時に激しい意見の相違のある用語である。
(1)教会統治における「交わり」 公会議とSYNOD
6. 「交わり」は「キリストの神秘体」についての神学的考察から導かれる隠喩である。
7. 司教は教皇や教皇庁の官僚の代理者ではない
8. 教皇庁は司教団に仕えるものである。
9. 古典的形式では、教会は“cum et sub Petro”(ペトロと共にかつその下にある)司教たちによって統治される。
10. 司教団体の普遍的権力は、実際問題としては、教皇が召集する公会議(ecumenical council)に制限され、教皇の同意を得てするときのみに、行為することになる。
11. 約300人の代表者が出席する世界代表司教会議Synodは、「協議的」(“consultative)および「諮問的」(“advisory”)会議である。教皇が招集し、バチカン(教皇庁)が運営し、「教会に関する多様な主題の真正な協議」の提議が意図されている。
12. Synodがこれまでに直接発行した唯一の教理文書は、1971年の「世界における平和」(“Justice in the World”)である。過重に管理されているとの不満の声がしばしば聞かれる。
(2)教皇Francisの “collegiality”および “synodality”の呼びかけ:
13. Synodの議長経験のある最初の教皇でもある。
14. ‘collegial’の役割でのBergoglio枢機卿の傑出したパーフォーマンスこそが、教会内の世界的注目を彼にもたらし、本年3月のコンクラーベで彼を選出するのに同僚の枢機卿を納得させる助けとなった。
15. 彼は、ローマの教会についてローマの司教は、全ての教会を思いやりにおいて、また同胞愛、愛、人々の間の信頼の旅路において導く者として語りつづけた。
16. 近代教会におけるcollegialityをめぐる討論について知っている人びとには、この教皇の言葉の意味するものに気づくことができた。
17. なぜなら、collegialな表現では、ローマ教会は地方教会を「愛において」統括するからである。
18. この教皇はcollegialな流儀で教会統治を意図するのである。
19. 一方では、このことは用意周到なやり方で教皇の権威を執行する教皇を意味する。
20. 他方で、それは普遍教会の統治において地方教会の声を増加する具体的な歩みをとっていることを意味するのである。
(3)教皇Francisのcollegial的アプローチの事例:
21. ローマに居るときは、普遍教会の王としてよりも、ローマ司教としての彼自身の考えを強めたいとしてイタリア語にこだわる。
22. 第2の兆候は、同性結婚法制化のような課題への回答を拒絶する。そのような課題に対する声明は、本来、その関係する地方教会の司教が述べるべきで、地方教会の司教たちが彼ら自身の意見書を出すべきであると彼は考えている。
23. 教会全体にとってのガイダンスが必要な場合には、それはローマでの司教と枢機卿の集会が出すべきと考えているだろう。すなわち言い換えれば、synodalityの問題であると。
(4)Synodの強化:
24. 「第バチカン公会議の実りの一つである」と彼は述べそれは恒久的な方法でcollegialityの表現として、教会の使命と一致の役にたっている。」と言った。
25. 彼は、Synodは「新しい進路をとっている。それはペトロの司牧権と一つになるとき、そのユニークさを表している。」と述べ「これは大きな挑戦である。」と付け加えた。
(5)その他の教皇Francisの発言:
26. 34人の新大司教の着衣式で、こう述べた。「わたしたちは、Synod を、教皇の首位権との調和の下に、発展させ、synodalityにおいて、首位権との調和の内に成長する必要があります。」
27. ラテンアメリカ司教会議)の代表者たちに向けての講話で、「地方の、地域的な要素へのより大きな認識が必要なのです。中央集権的官僚主義は、教会統治にとって十分ではありません。そこには、collegiality
と solidarityに対するより大きな必要があるのです。必要なことは全員一致ではなく、多様性における豊かさの中の真の一致なのです。」と述べた。
教皇フランシスコの改革はどのような改革を目指しているのか (筆者の理解するところによる)
彼は普遍教会の統治方法の変化を望んでいる。メディアは「民主化」とか 「分権化」の用語による変化を報道するだろうが、それは違う。教皇の改革は教会自身の用語で理解される必要がある。‘Collegiality’と
‘Synodality2語である。
Collegiality 司教の協働性 固有自治権を尊重される地方教会の司教たちとの協働(collaboration) においてする教皇の教会統治を意味する言葉である。
Synodality 司教会議性 審議機関を通しての地方教会が参加し統治する、実際的表現と言える。
世界代表司教会議Synodは、「協議的」および「諮問的」会議である。Synodがこれまでに直接発行した唯一の教理文書は、1971年の「世界における平和」である。過重に管理されているとの不満の声がしばしば聞かれる。
Synodの議長経験のある最初の教皇でもある。‘collegial’の役割でのBergoglio枢機卿の傑出した行動こそが、世界各地の司教の注目を引き、コンクラーベで彼を選出する結果につながったといえる。
ローマの司教は、全ての教会を、思いやりにおいて、また同胞愛、愛、人々の間の信頼の旅路において導く者である、と語りつづけた。collegialな表現では、ローマの教会は、地方教会を「愛において」統括するからである。
結論的に言えば、教皇はcollegialな流儀で教会統治を意図する、と言える。
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