「聖人をひとり送ります。」 モントリオール の聖アンドレを想う トマス・ロシカ師
2010 年 10 月 17 日日曜日にバチカンで教皇ベネディクト 16 世により列聖される(された) 6 人の中にカナダ聖十字架修道会のブラザー・アンドレ・ベッセッテ( Brother André Bessette )がいます。
アルフレッド・ベッセッテは、 1845 年にケベック州の寒村 Saint-Grégoire d'Iberville のカトリックの大家族に生まれました。この新生児は非常に虚弱であったので父のイサク( Isaac )は、とても一日も生きられまいと感じたほどでした。
ベセッテ一族は、悲劇に囲まれていました。アルフレッドが 10 歳の 1855 年に父が木材伐採の作業中の事故で亡くなりました。こどもたちの扶養のために、母は、アルフレッドの兄弟姉妹を親戚の家にバラバラに送らざるを得ませんでした。アルフレッドは虚弱だったので母のもとにとどまりました。母は、その2年後に結核で亡くなりました。
アルフレッドは孤児となり、叔母の家で暮らすことになりました。彼は少年の頃からよく病気がちで、学校を休みました。 10 歳のころから腹痛に悩まされ、それは一生治りませんでした。
18 歳になる前に、彼はいろいろな職業に就こうとしました。それから、米国に出かけましたが、そこで彼は多くの French-Canadians が味わってきた道を通りました。 New England でアルフレッドは職を転々と変えました。農場や工場、紡績工場などで働きました。米国滞在の 4 年間、彼は虚弱で病気がちであり、ずっと本当の召命は何かを探し求めていました。
1867 年にアルフレッドは、カナダに帰り、 Sainte-Césaire に落ち着くまで、いろいろな職を転々としました。その村は、母の死後に、彼が初聖体に与かった場所でした。彼は、村の教会の司祭 André Provençal 神父の雑用を手伝い始めました。彼は、次第に多くの時間を祈りのうちに過ごすようになり、とりわけこの教会の聖ヨセフ像の前で祈りました。
Provençal 神父は、アルフレッドの心の中の祈りがほんとうに正しいことを悟りました。 1870 年に若者が神の召命を受けていることを確信したので、神父はアルフレッドに聖十字架修道会に入って修道生活を送らないかと尋ねました。自分がそれに値するか、適性に危惧を抱きながら、アルフレッドは司祭の勧めに従って聖十字架修道会の formation program の中での識別を受けに、しぶしぶ出かけました。アルフレッドはその時 25 歳、 Provençal 神父は、聖十字架修道会の上長たちに「あなた方に一人の聖人を送ります。」と書いたのでした。
不幸なことに、アルフレッドの虚弱な健康は、ほどなく、修道会の誓願への召命を検討していた聖十字架修道会の指導層にとって障害になり始めました。彼の修練年の終わり近くに、アルフレッドは、臨時の誓願を申請しました。
彼の宗教上の上長は、彼の虚弱な健康が、清貧、純潔、従順の宗教上の誓願の恒久的聖職を果たす上での支障となるであろうとして、彼を受け入れられないと決定しました。アルフレッドは悲しみに打ちひしがれました。
この運命を決する決定の数週間後に、モントリオールの Ignace Bourget 司教はノートルダム大学を往訪しました。そこはまた修練共同体でもありました。アルフレッドは、この司教を探しだして、彼に「わたしのただ一つの熱望は、最も謙虚な務めの中で神に仕えることなのです。」と言って、聖十字架の上長たちに執り成してくれるよう願いました。
彼の懇願に司教は深く心を動かされ、上長たちもこころを和らげて、聖十字架の入会を許されるブラザーとしての誓願を認めました。 1874 年 2 月2日に、ベッセッテの宗教上の名前アンドレ( André )が上長たちによって協議されました。アルフレッドは彼を聖十字架に送った小教区の司祭のためにこの名前を選んでいたのでした。修練の上長は、在俗ブラザーとしてブラザー・アンドレを受け入れるときこう述べました。「もしこの若者が働くことができなくなっても、少なくともよく祈る祈り方を知ることになるだろう。」
聖十字架修道会の会員のほとんどは、司祭か教師でした。在俗ブラザーは、この学校を維持するのに必要な労働を果たすことで、この修道会の働きに貢献しました。ブラザー André は、モントリオールの近郊 Côtes-des-Neiges にある Notre-Dame-du-Sacré-Coeur 大学の雑役夫として 40 年近く働きました。ドアマンの仕事について彼は、「わたしがこの共同体に加わったとき、上長たちはこのドアをわたしに示したものです。」と茶化して言ったことがありました。
大学の雑役夫としてブラザー・アンドレは、正面玄関の近くの小部屋に住み、そこを仕事部屋としても使って暮らしました。彼は、床掃除や、ランプの清掃、暖炉への薪配りなど、多くの下僕の仕事を職としました。毎日、起床の鐘を鳴らし、部屋掃除、郵便局に出かけ、そして毎週、寮生たちの部屋から洗濯物を集めたり戻したりしました。そして、素晴らしい会話の機会となったに違いないもう一つの役割は学生たちの理髪でした。
ブラザー・アンドレは、彼のところにくる人々に、神の御旨に心を開きながら、深い信頼と忍耐をもって祈ることを促しました。彼は、癒しへの道を信仰へのコミット(確約)と謙遜な心を以て、告解と秘跡(聖体拝領)に立ち戻って始めるように諭しました。彼は、病人に医者によく診てもらうよう励ましました。彼は、苦しみの中に、キリストの苦しみに参与する価値を見ました。
彼は、他の人々の悲しみに全く一緒になって悲しみながら、いつも喜びとよいユーモアを忘れませんでした。時々、悲しみと困難を詳しく話す訪問者と共に彼が泣いている姿が見られました。彼が祈った人たちの多くが癒されたとき、その言葉は素早く広まりました。ブラザー・アンドレが奇跡の働き手として知られるようになると、彼はますますこう言いました。「わたしは無に等しい、・・・摂理の御手の道具、聖ヨセフに仕える一介の道具に過ぎないのです。
この雑役夫のもとに多くの病人が来て、ノートルダム大学の中で緊張が高まると、学校当局は、ブラザー・アンドレの癒しの司牧の禁止を決め、彼は、大学内ではなく、近くの路面電車の駅で病人と会うようになりました。
彼の評判が広まると、ブラザー・アンドレは問題人物になりました。彼を支持する聖十字架修道会の多くの聖職者、教師、学生の両親たちがいましたが、他の人々は彼に反対し、彼をシャラタン(いかさま師)とみなして、大学の評判を傷つける危険があるとさえ考えました。また他の人々は、ブラザー・アンドレのところによく通う病人が病原菌を広める可能性を怖れて、子供たちの健康管理に懸念をもちました。
ブラザー・アンドレは聖ヨセフに仕える強い心をもち、 1900 年に聖ヨセフの礼拝堂を建てるための資金募集の許可を受けました。最初の建物は 1904 年に建てられました。聖十字架修道会の当局はこの礼拝堂に一部屋を付設し、そこにブラザー・アンドレが住むように命じました。そこで彼は巡礼者をこの場所で受け、彼らのために祈ることができるようになりました。彼は路面電車の停留所をやめて、礼拝堂となる聖ヨセフの小堂で巡礼者を受けるようになりました。
1909 年に、ブラザー・アンドレは、この礼拝堂の管理人に任命されました。彼は自分のところに来る病人を診る日々を過ごし、夕方には、礼拝堂に来ることのできない病人を訪問しました。聖ヨセフ礼拝堂として知られることになるこの礼拝堂の建築は 1914 年に始まりました。 1,000 席の地下聖堂は 1917 年に完成し、 1920 年代までに、礼拝堂には年間百万人以上の巡礼者を迎え、毎年何百人という人々が彼の祈りで癒されたと言われています。
1937 年 1 月 6 日に、ブラザー・アンドレは、彼の夢の実現を見ぬままに、モントリオールで亡くなりました。彼の死後1週間に、百万人を超える人がここを訪れて弔意を表しました。彼は、教皇ヨハネ・パウロ 2 世により、 1982 年 5 月 23 日にローマの大聖堂のサンピエトロ広場で列福され、 2010 年 10 月 17 日、最初のカナダ生まれの男性聖人として列聖されます。
彼を列聖に導く奇跡は、 1999 年に起こりました。その時、 9 歳の男の子が交通事故に遭い、深刻な頭蓋傷害を負い、死に向かう回復不可能な昏睡に陥りました。その子に親しい人々の祈りは、ブラザー・アンドレの執り成しと共に、意識を回復させました。これは、科学的に説明できないと医学専門家が認めました。
“Pauper, servus et humilis” (貧しい小さな僕)
マウント・ロイヤル( Mount Royal )の丘の中腹にある小さな礼拝堂からの眺めの中に、ブラザー・アンドレの努力、苦しみと信仰を通して、モントリオールの丘とカナダの霊的風景の中にそびえる大聖堂が現れます。
聖ヨセフ礼拝堂( St. Joseph's Oratory )は、ブラザー・アンドレ・ベッセッテの夢から建てられた、聖ヨセフにささげられた世界最大の聖堂です。この聖十字架会の病弱なブラザーを通して、神の力が世界に啓示されました。 “Pauper, servus et umilis” とは、ラテン語で、モントリオールの礼拝堂にある彼の墓の上に記されている言葉です。その意味は「貧しい小さな僕」です。
この言葉は、貧しい小さな僕である、聖体についてのすばらしい讃美歌である「パーニス・アンジェリクス」( Panis Angelicus )の中で歌われます。どうしてアンドレが選ばれたのか、と問える(疑える)人がいるでしょうか。 2010 年初めの聖十字架会の回覧書簡の中で、総長の Hugh Cleary 神父は、こう述べています:「・・・たぶん、マリアやヨセフのようにアンドレは選ばれたのです。なぜならば、この世の目から見ると彼は何でもない人だからです。何も持たず、何ものにも所有されず・・・神は彼を所有して、彼が最も心にかけているもの、彼の心の底からの願いを実現しました。」
宗教的在俗ブラザーの聖職:
1996 年の使徒的勧告「奉献生活」( Vita Consecrata )の中で、神の僕教皇ヨハネ・パウロ 2 世はこう述べました。「聖別された人たちには、真の交わりの専門家であること、神に従って歴史の中心に立つあの親密な交わりのご計画の証人、熟練者として、その霊性を実践することが求められます。」 ( VC 46 )
宗教的な修道者たちの働きは、教会の中でも比較的知られない奉仕なのですが、神の民への非常に貴重な奉仕を提供しています。信仰の旅路の仲間として、ブラザーたちはわたしたちのさなかで生き、働く、同じふつうの人たちだという圧倒的な感覚があります。彼らは、わたしたちの日常生活そのものがいかに聖なるものになり得るかという模範なのです。
ブラザー・アンドレ・ベッセッテは交わりの本当の専門家・熟練者でした。彼はわたしたちのさなかで生き、働きました。そして多くの人々にとっての信仰の旅路についての仲間でした。彼の在俗ブラザーとしての召命の働きは、神の麗しい、神秘的な賜物でした。彼の証しは、預言者的、根源的、目に見える、効果的な、信じることのできる、喜びにみちた証しの業です。
成人として、ブラザー・アンドレは、 5 フィート(約 150cm )の低い背丈でしたが、信仰と霊性の上では巨人でした。彼の影響( shadow )は、モントリオール、そしてカナダ中の空で力強く羽ばたいています。彼はわたしたちに信仰と愛を通して達成できるものを示します。「アーティストがもっとも美しい絵を描くのは、最も小さな絵筆です。」というのはこの謙虚な雑役夫アンドレの言葉です。
わたしたちの心と教会の扉を開くこと:
御父にとって、キリストは扉です。御父は、わたしたちの心の戸口、わたしたちの家庭の戸口、そして教会の戸口で扉を叩いています。教会、とりわけモントリオールの聖ヨセフの礼拝堂は、救いの扉、神の国の入り口です。ブラザー・アンドレは、あの祝福された場所の雑役夫でした。主は、彼の疑念、病弱さ、強さと人間的な創意とを通して働かれ、教会を築かれました。
日々、わたしたちは気づきもせずに、多くの扉を通り抜け、通り過ぎて生きています。わたしたちは、皆、自分の祖父母の時代、「だれも扉に鍵をかけない」時代の物語を覚えています。それが、今や、わたしたちは、特殊な錠前と警報機のシステムの時代に生活しています。
家の扉はいつでも開き、親戚、友人、隣人とたやすく交われた、あの、わたしたちが一度は知っていた日々は去ってしまいました。わたしたちの家、そして教会の扉は、昔のようにはたやすくは開かなくなったようです。(せめて)わたしたちは、自分の家、心、教会の扉を、自分たちを必要とする人々に開く方法を見出そうではありませんか。
ブラザー・アンドレは、彼の時代に、モントリオールの雑役夫でありました。そして今や彼は、天国の特別な門番です。彼は、主ご自身がそうなさるように、わたしたちが一人ひとりの人々に挨拶を送る大切さを教えています。ある人たちは喜びながらわたしの戸口を訪れ、またある人たちは怖れながら扉を叩き、そしてさらにある人々はあの(ブラザーのような)癒しを求めてやってきます。
聖アンドレは、自分の家の扉を叩く全ての人々を、豊かな感受性で歓迎するように教えます。
主よ、どうかあなたが毎日わたしたちのもとに送ってくる人々、とりわけ病気、悩み、貧しさ、孤独のためにやってくる人々のために扉を開き、架け橋を築くよう、いつも励ましてくださいますように。
モントリオールの聖アンドレの執り成しにより、わたしたちが、いまの時代における癒し、友情、喜びと平和の道具になりますように。
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以下は、カナダの「トロント日系カトリック信者会」のサイトです。
http://www.torjcc.ca/JPNnewsAndEvents.html
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【英文】
“I Am Sending You a Saint” A Reflection on St. André of Montreal
By Father Thomas Rosica, CSB dailyhtml@list.zenit.org<dailyhtml@list.zenit.org >;
TORONTO, OCT. 16, 2010 ( Zenit.org ) .- Among those to be canonized by Benedict XVI on Sunday at the Vatican is Canadian Brother André Bessette, of the Congregation of Holy Cross. Born アルフレッド Bessette into a large Catholic family in 1845 in the Quebec village of Saint-Grégoire d'Iberville, the baby was so frail as a newborn that his father, Isaac, didn't expect him to live for more than a day.
The Bessette family was besieged with tragedies. In 1855, when アルフレッド was 10 years old, his father died in a logging accident. In order to provide for her children, アルフレッド 's mother was forced to separate them from each other and sent them to live with various members of their extended family. Only アルフレッド was able to stay with his mother due to his own delicate health. Two years later Madame Bessette died of tuberculosis.
After Alfred was orphaned, he lived with his aunt's family. He was frequently sick as a young boy and rarely attended school. At age 10 he began suffering from painful stomach problems that would stay with him throughout his life.
He tried various jobs before turning 18 years old. He then set out for the United States where he followed the path of many French-Canadians before him. Alfred moved from one job to another, laboring on farms, in factories and in textile mills in New England. Throughout his four years in the United States, Alfred remained frail and sickly, searching for his real vocation.
In 1867, Alfred returned to Canada, taking up various jobs before finally settling in Sainte-Césaire, the village where, after his mother's death, he had made his first holy Communion. He began helping Father André Provençal, the local pastor, with chores around the church. He was also spending more and more time in prayer, particularly before the statue of St. Joseph in the parish church.
Father Provençal realized that Alfred's interior prayer was genuine and authentic. In 1870, convinced that his young parishioner was surely being called by God, the kind and perceptive priest asked Alfred to consider religious life within the Congregation of Holy Cross. Despite misgivings over his worthiness and suitability, Alfred reluctantly agreed to allow his pastor to present him to Holy Cross for further formal discernment in their formation program. Alfred was 25 years old. Father Provençal wrote to the superiors of the Congregation of Holy Cross: “I am sending you a saint.”
Unfortunately Alfred's frail health soon proved an obstacle for the Holy Cross authorities, who were evaluating his call to vows within the Congregation. Toward the end of his novitiate year, Alfred applied for temporary vows. His religious superiors decided they could not accept him knowing that his poor health would be an impediment to his perpetual profession of the religious vows of poverty, chastity and obedience. Alfred was devastated.
A few weeks after that fateful decision, the Bishop of Montreal, Ignace Bourget, visited College Notre-Dame, which was also the location of the novitiate community. Alfred sought out the Bishop and begged him to intercede with the Holy Cross superiors, saying “My only ambition is to serve God in the most humble tasks.”
The Bishop was deeply moved by his plea. The superiors relented and admitted Alfred to vows as a consecrated brother of Holy Cross. On Feb. 2, 1874, Bessette's religious name, André, was conferred on him by his superiors. Alfred had chosen the name in honor of his parish priest who sent him to Holy Cross. The Superior of Novices, upon accepting Brother André as a lay brother, wrote: "If this young man becomes incapable of working, at least he will know how to pray very well."
As porter of the College, Brother André lived in a small room located near the main entrance that also served as his office. He was also occupied with many menial tasks such as washing the floors and windows, cleaning lamps, and bringing in the firewood. Every day he rang the wake-up bell, cleaned rooms, picked up mail at the post office and, weekly, couriered laundry to and from resident pupils' houses. Another task that must have given him the opportunity for wonderful conversations was his role as barber for the students.
Most members of the Congregation of Holy Cross were priests or teachers. Lay brothers contributed to the work of the order by performing the manual labor necessary to keep the school running.
For nearly 40 years Brother André worked as a porter at the College of Notre-Dame-du-Sacré-Coeur in the Montreal neighborhood of Côtes-des-Neiges. Speaking about his assignment as doorman, he once quipped, "When I joined this community, the superiors showed me the door."
Brother André urged people who came to him to pray with confidence and perseverance, while remaining open to God's will. He admonished people to begin their path to healing through commitments to faith and humility, through confession and a return to the sacraments. He encouraged the sick to seek a doctor's care. He saw value in suffering that is joined to the sufferings of Christ.
He allowed himself to be fully present to the sadness of others but always retained a joyful nature and good humor. At times he was seen weeping along with his visitors as they recounted to him their sorrows and difficulties. Word spread quickly when many of those with whom he prayed were healed. As Brother André was becoming known as a miracle worker, he insisted all the more, "I am nothing ... only a tool in the hands of Providence, a lowly instrument at the service of St. Joseph."
As the tensions increased at the College with so many of the sick coming to see the porter, the school officials decided that Brother André could no longer continue with his ministry. He was permitted to receive the sick in the nearby tramway station rather than the College.
As his reputation spread, Brother André became quite a controversial figure. There were many religious in the Congregation of Holy Cross, teachers and parents of students at the College who supported him but many others opposed him and even considered him dangerous to the well-being of the school's reputation because they regarded him as a charlatan. Others were concerned for the good health of the children, fearing the possibility of contagion in the school spread from diseases carried by the sick who frequented Brother André.
Brother André always had a strong devotion to St. Joseph, and in 1900 he received permission to raise money for a shrine to St. Joseph. The first shelter was constructed in 1904. Holy Cross authorities allowed for a room to be added to the Chapel and Brother André was assigned to live in that room where he could readily receive pilgrims and pray for them. He abandoned the tramway station and began receiving pilgrims at the Chapel of St. Joseph that would become the Oratory.
In 1909 Brother André was assigned full-time as the caretaker of the Oratory. He spent his days seeing sick people who came to him, and spent his evenings visiting the sick who could not make it to the Oratory. Construction on what would become known as St. Joseph's Oratory began in 1914. A crypt church seating 1,000 was completed in 1917. By the 1920s the Oratory hosted over 1 million pilgrims annually, and hundreds of cures were attributed to his prayers every year.
Brother André died in Montreal on Jan. 6, 1937, without seeing the completion of his dream. It is estimated that over a million people visited his body during the week following his death. He was beatified by Pope John Paul II on May 23, 1982, at St. Peter's Basilica in Rome. On Oct. 17, 2010, Brother André Bessette will be canonized, becoming the first male Canadian-born saint.
The miracle leading to his canonization occurred in 1999 when a 9-year-old boy had been the victim of an automobile accident, leaving him with a serious cranial injury and putting him in an irreversible coma leading toward death. The prayers of the people closest to him, along with the intercession of Brother André, brought him back to consciousness and health, and this was deemed scientifically unexplainable by medical experts.
“Pauper, servus et humilis”
Through Brother André's efforts, suffering and faith, from a little chapel on a hillside of Mount Royal came forth a great Basilica that now dominates Montreal's mountain and Canada's spiritual landscape.
St. Joseph's Oratory is the world's largest shrine dedicated to St. Joseph, built from a dream of Brother André Bessette. In this frail Brother of Holy Cross, God's strength and might were revealed to the world. “Pauper, servus et umilis” are the Latin words written above his tomb at the Oratory in Montreal, meaning poor, servant and humble.
They are also the words that are sung in the Panis Angelicus, the magnificent hymn about the Eucharist: poor, servant and humble. Who can say why was André chosen? In a beautiful circular letter to the Holy Cross family earlier this year, former Holy Cross Superior General Father Hugh Cleary wrote: “…perhaps André was chosen, like Mary and Joseph, because in the eyes of this world he was no one; he possessed nothing, nothing possessed him. … God possessed him giving him what he cared for most, giving him fulfillment to the deepest longing of his heart.”
Vocation of a Religious Lay Brother
In his 1996 Apostolic Exhortation Vita Consecrata, the Servant of God Pope John Paul II stated: “Consecrated persons are asked to be true experts of communion and to practice its spirituality as witnesses and artisans of that plan of communion which stands at the center of history according to God” ( VC 46 ) .
Religious brothers offer invaluable service to God's people, though theirs is one that is lesser known in our Church. There is also an overwhelming sense that religious brothers are our peers, living and working in our midst as companions on our journey of faith. They are men who are examples of how the actions of our daily lives can in themselves be holy.
Brother André Bessette was a true expert and artisan of communion who lived and worked in our midst and was companion to so many people on their journey of faith. His vocation as a religious lay brother was a gracious and mysterious gift of God. His witnessing was prophetic, radical, visible, effective, credible and joyful.
As an adult, Brother André stood just five feet tall. But he was a giant of faith and spirituality, whose shadow still hovers mightily over Montreal and Canada. He shows us what can be achieved through faith and love.
In the humble porter's own words, “It is with the smallest brushes that the artists paint the most beautiful pictures.”
Opening the doors of our hearts and Church
Christ is the door to the Father, who knocks at the doors of our hearts, our homes and our Church. The Church, and especially St. Joseph's Oratory in Montreal, is the door to salvation, the portal of the Kingdom of God. Brother André was the porter of that blessed place. The Lord worked through his doubts, infirmities, strengths, perseverance and human ingenuity to build a Church and build up the Church.
Each day we enter and leave by so many doors without ever noticing. We all remember the stories of the days of our grandparents when "no one locked their doors." We now live in an age of deadbolts and alarm systems.
Gone are the days we once knew when the doors of our homes would open regularly and easily to relatives, friends and neighbors. The doors of our homes and churches don't seem to swing open quite so easily or as often as they used to. We must find ways to open the doors of our homes, our hearts and our churches to all who need us.
In his day, Brother André was Montreal's Porter and he is now one of Heaven's special gatekeepers. He teaches us the importance of greeting each person as the Lord, himself. Some will come to our doors rejoicing, and others in fear; some will come healed and others to seek that healing.
St. André teaches us to be sensitive and welcoming to all who knock on our doors. May he continue to inspire us to open doors and build bridges to the people whom the Lord sends us each day, especially those who are sick, broken, poor and lonely. May St. André of Montreal make us instruments of healing, friendship, joy and peace in our day.