教会の現状を示唆している、聖職者中心主義、近代社会との遊離、等と言った現在の教会にある、偏った教会イメージの源泉を、歴史的にたどり、トリエント公会議と第二バチカン公会議を大きな分岐点として、教会像の変化を捉え考察してきたといえると思います。
その考察の中で、「これからの教会のイメージ」をどのように捉えたのかを簡単に述べて見ますと以下のようにいえるのではないかと思います。
教会とは「キリストに出会い人生を変えられた人達の集まり」である。神学的違いはあるとしても、コイノニア(交わり)の原点に立ち、神の言葉によって生かされるキリストの者として、イエスに従い生涯をイエスに捧げる人たちの交わりの場が教会である。
キリスト者の特徴を仲介、聖別、奉献でとらえている。その意味で、全人類がキリスト者の奉献を必要としている。奉献のあり方は多様であるとしても、歴史的に大切にされたのは「ミゼルコルディア(慈悲の業)」の実践であるとキリシタン史の話の中に出てきました。また神の目で物事を見、言葉として表現し、それを公にする「預言的役割」も指摘されたところです。
この世に信仰者として生きるということは、この世の内部から変革する「神の再創造の業に参与していく」ことである。そのためには我々自身が変わらなくてはならない。聖変化は我々が変わる「しるし」である、とも言われました。
一方組織の面に関しては、我々が互いに励まし合い支えあって「信仰者として生きる」ためには良い理念だけでは不十分であり、「集まる場」は良い構造と良い組織を持たなくてはならない、と指摘されました。
信仰者が集まるその「場」の特徴としてあげられたのは、列挙すると:
1)「それでよいなだ」と全てを包み込む「場」であって、
2)あらゆる問題が現実にそこにあり、「自分の問題」に心から傾聴してくれる同じ問題を抱えている人がその場にいて」癒し合える、
3)さまざまな現実のニーズに応える「運動体」が生き生きと活動し、
4)「次の世代をになう若者」が尊重され重要な意思決定の中心に居て、時代の様々な問題と真剣に取り組んでいる、
5)全ての人のカリスマが生かされ、
6)聖職者も教会管理者もその他の人々も男も女もなく、みなが互いにその役割を尊重し合い、
7)パートナーシップを発揮して、
8)この「集まり」がこの世のあらゆる人間集団のモデルとなるって居るような「場」である、ということになります。
かなり贅沢で理想的な姿が描かれたのではないでしょうか。
そして最後に、そこで執り行われるミサは儀式ではなくキリストと真に「交わり」があり生きた現実の場となっていて「交わり」の共同体全体の、喜びの再現の「場」であるはずである、といわれました。
以上が、一人の参加者が捉えた、2年間の学びあいの大筋です、それぞれみな異なった視点で捉えたと思います。