第一回「開催趣旨説明」

2001年9月29

<信仰を深め、教会理解を深める>

 

1.趣旨説明

開講の動機

幾つかの動機があるが、その一つは、名古屋にあった研修センターが10年で閉鎖されたことである。1987年に(ナイス1)司教団のイニシアティブで信仰教育を実践する意図で設立された。それなりの役割は果たしたが、名古屋と言う地域的限界があり、参加できる人は大阪・京都近郊の人たち中心であった。プログラムも司教団の期待通りにはいかなかった。そこでどこかでその役割を引き継ぐ必要があった。このプログラムで司教団が願ったのは、日本の教会の発展であった。其の狙いは三つあった。

 

司教団が養成を進める目的は以下の通り:

1)        意識改革

内側だけのものにしないで日本の現実の社会の中で育てる。司教が率先する。司教がもっともっと社会の現実を知る繋がりを持つ点にあった。

2) 信仰の養成

司教、信徒、司祭、修道者、を含めた信仰の養成が大切。これまでの捉え方では限界がある。カトリック要理中心では、生活に根ざした信仰を生きる発想は出てこない。「教会の教えはこれこれですからこうして下さい」と言った縦のかたちの訴えが多かった。生活の中で力のある信仰の捉え方が大切である。今回は、信仰「養成」と言う言葉も避けた。「生活を通して育てられる信仰」がもう一つの柱であった。「養成」には形にはまったものがすでにあってそれに合わせる感じがある。生活の中に根ざして“キリストのように生きる”捉え方への転換である。

3) 構造改革

87年のナイス、14年前にこの発想があった。

教会制度の抜本的改革を行なう。現在信徒は小教区に属しそこを中心として組み込まれているために、良い面もあるかもしれないが問題も多い。司祭の個人に依存しているとダイナミズムが見えない。この制度下では他の司祭の協力は得られない。教会法上から小教区主任は権限をもっていて他の司祭の介入を許さないし、司教の介入も現実には出来ない。現実の必要に一人の司祭では対応できない。全てが出来る司祭など少ない。限界がある。それに教区制度にも限界が見える。地域区分のあり方では意識が蛸壺になってしまう。今の社会の問題にダイナミックに対応できない。

 

公会議で「世界に開かれた教会」と言われたが、意識改革は行なわれたが構造上は今までと変わらなかった。司教のあり方も司祭の制度も変わらないで、以前の構造の中で意識が変わっても、現実と意識のずれが起こってきた。それでは如何したらよいのか考えて行くコースがあっても良いのではないかと考え今回の講座を始めることにした。

 

2.学び合い

一緒になって考えるので、講師の話を承ると言う姿勢ではない。講師は自分の考えとして発題してもらう。そして其の問題提起にたいし、参加者の経験や思いを分かち合って行くことを目指して「学び合い」と命名した。主催者側の体験している教会の姿や信仰のあり方と参加者の体験はそれぞれ独自の物である、それを出し合いながら一緒に考えて何か光をうけてゆこう。

 

注意事項

愚痴のこぼしあいはだめ。

小教区ではいえないような話にしない。

個人的な司祭の悪口にならないように。

個人名は出さない。

意識を広げ、基本的ゆがみ、構造上の問題、信仰上の問題、司祭と信徒の問題は何か等背後にあるものを提出すること。

 

 

3.学び合いの内容

「教会共同体」と「信仰を生きる」の二つある。第一回全国会議の投げかけと同じ問題である。日本全国の生の声を集め分析した結果共通点として「信仰と生活の遊離」「教会と社会の遊離」が出てきた。今回のテーマとしても取上げ、前半が「教会共同体」教会と社会の遊離の克服を目指している。


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