「学び合いU期」 しめくくり 森一弘司教 2005-2-5 (土)
私たちの信者として生きているという原点というのは、いったいどこにあるのかということを、それを典礼と結びつけてお話してみたいと考えました。
この問題を最後にお話したいと思ったのは、もう一つは、キリスト教の独自性というもの、他の宗教と比べてみる場合、例えば仏教では、浄土真宗というのがありますし、それから座禅などというのがあります。また、新しい新興宗教というようなものもどんどん出てきている。そういうものと、私たちキリスト者として生きていくということの違いというのは、どこにあるのかということを明確にしてみたい。
もう一つは、典礼について、べき論というのはとても多く、典礼について語る人がとても小さなことにこだわってしまって、典礼の持っている本当の深いダイナミズムと本質というものを見失っている面があるという気がするのです。だから、そういう点でも、典礼の本当の姿というものをお話して、皆さんで分かち合っていただきたいなと思います。
まづ、キリスト教の独自性:
キリスト教が他の宗教と根本的に違うものがある。それは、神がイスラエルの具体的な歴史の中に働きかけて、自らを顕わして、人間の救いに導いて下さった。そこですね。
これを、ある神学者はこう云っています。「キリスト教が特別なのだ。他はだから、むしろ自然なのだ。」と云っているのです。例えば、お釈迦様が諸行無常を感じて、出家していろいろと苦行をしたり何かして、光を得ていく、それは人間の本質から来ている。だから、そちらの方が自然なのではないか。
むしろ、神が具体的に手を伸ばして、具体的に歴史の中で苦しんでいる人に関わってくる。そこで、神がどういう存在であるか、或いは人間がどういう形で救っていくかと示していくのは、考えてみれば特別のことなのだ。カール・ラーナなどは、キリスト教は特別宗教なんていう言葉を使っていたと思います。他は人間の本性に基づく自然なものだろう。
これは、どういうことかというと、例えば、イスラエルの人がエジプトで苦しんでいる、その苦しんでいる姿を神が見て、動かされてモーゼを遣わして、手を差し伸べていく。
モーゼをリーダーとして、エジプトから脱出していきますね。そしてシナイ山での契約を結ぶ。そういう具体的な出来事を通して、人々は神の優しさとか、神の力強さとか、神の神秘性とか、或いは、神が何を望んでいるかということを、具体的な出来事を通して捉えて行っている。それに結ばれること以外に、キリスト者としての誕生はありえない、ということです。キリスト者は、そういう具体的な出来事の中に示された神を見て、それでつながることによって、キリスト者として誕生するのであって、それ以外ではない。
自らが考え、苦行して修行して、何かを体験したというものでは、全然ない。その辺を忘れてはならないのではないか。第一のポイントなんですね。
これをもう少し分かりやすく云うと、例えば、 信濃町 の慶応病院の前の横断歩道のところで、お年寄りが向こう側に渡ろうとするが、なかなか渡りきれない。その時にオートバイが向こうから飛び込んできてしまった。そこで、茶髪の一人の青年が、わっと飛び出して、お年寄りを助けて、自分はオートバイに跳ねられて、足を骨折したとしますね。
この青年は、外からみたら、茶髪で、何だというような服装の青年ですが、この出来事を通して、この青年のいざとなった時の心の表現、それから人柄、というのはわかりますよね。この青年が例えば、結婚式をして、披露宴の時に、仲人あるいは友人が「こいつは、普段はぼーとして、何を考えているかわからない男だけれど、こいつは、いざとなったら自分のことも忘れて、人のためにかかわっていく非常に誠実な男なのですよ」と紹介するとしますと、そうすると、語っていくことによって、明確に見えてくる人柄というのがありますよね。
聖書の世界、或いはキリスト教の世界は、神はたしかに遠い方で、目に見えないのだが、神は私たちが、エジプトで苦しんでいた時に、飛び込んできてくださった方なのですよ。神は、こういう方なのですよと、語ることによって、神が明確になるでしょう。これが、聖書の世界だろうと思うのです。ですから、私たちは、それに繋がることによって、はじめて神と結ばれていくというのが、キリスト教の独自な姿だという気がするのです。
だから、例えば、エジプトから脱出して救われた人達は、直接体験ですよね。後の人はどうなる。後の人は、子ども達、孫たち、それに続く人たちにとっては、直接体験ではなくなる。だから、この直接体験を子ども達に語り継がなくてはいけなくなるわけです。
(かなり、古い時代に、そういう形が出てきているのです。そこに引用した)
シナイ山に達した時に、モーゼに神が命じたことがある。イスラエルの人々にこう告げなさい。「あなたたちは見た。私がエジプト人にしたこと、また、あなたたちを鷲のつばさに乗せて私たちのもとに連れてきたことを、それを見た。」直接体験しているのだよ。あなた方にとって、こういう出来事を通して、神はどんなことかは分かった筈だ。神の愛とか、力強さ、そして神はどんなにあなたたちのことを考えてあなたたちを助けようとしているかを分かったでしょう。だからあなた方も神に心を開きなさいよ。という説得をしなさいと云っている。その出来事を、その孫たちに語り伝えなさいという言葉が頻繁に出てくる。
出エジプト:あなたたちの子供がこの儀式はどういう意味があるのですかと尋ねるとき、こう答えなさい。「これは、主の過ぎ越しの犠牲である。主がエジプト人を打たれた時、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎこし、我々を救われたのであると。」だから、孫たちと言うのは、直接体験をしていませんね。でも、孫たちも神とつながっていくためには、この出来事をもう一度語ってあげないといけない。親たちが語ってくれる出来事を通して神様がどういう方なのかを理解し、神と結ばれていく。
ヨシァ記参照: 出エジプトだけでなくて、こう書いてあるのです。あなたたちの先祖、アブラム ・・・昔、ユーフラテス川の向こう側に住み、・・・
すべては、神がなさったとことであり、それをあなたたちは見た。体験したのだ。だから、心をもう一度自分の人生のいき方を振り返ってみて、神を主として選ぶかどうかを決断しなさいというような呼びかけがあるのですね。
面白い表現: アブラムからのずっときたすべては、神のお陰である。今、あなたたちが幸せなのは、すべて神様のお陰だから、神様以外のものによって、あなたたちが今、幸せだなどということはないのだから、だから、“真心をこめて、真実を持って”、彼に仕え、彼を選び、(“心を尽くして、力を尽くして”と同じ言葉)
そういう決断をうながすために、今までの歴史のことをずっと語り続ける、それが大事なのだよという。出エジプト記では、「記念としてこれを行いなさい」という言葉になっている。忘れてはいけないのだよ、語り伝えていきなさい。
この記念というのは、例えば、結婚記念日がありますね。例えば、東京教区の100周年記念日なんてありますね。記念日というのは、今から20年とか25年前の結婚式から、今の私たちの新しい状態が始まっているのですね。それをもう一度思い出すよ、というのが振り返ることですね。いろんなことでお世話になってきたのだから、もう一度感謝しましょうね、というのが記念ですね。
聖書の場合に、アナムネシス=思い起こすというだけではなくて、その出来事を再現しなさい、いまここにある事柄であるかのように、現存化しなさいねというような意味がでてきている。
詩篇136: (一番はっきりしている例だから、ここに取り上げた)
神殿に大群衆が集まってくる
恵み深い神を賛美せよ その慈しみは永久に
英知をもって
大地を
大きな光を作られた方を賛美せよ その慈しみは永久に
天地創造
出エジプト
約束の地を獲得するまでの神の働きを語る
これを人々の前に語って、再現しようとしている、と考えて良いと思います。今の時代であれば、映像と音響で再現させることが、出来ますが、今から、2000年前、3000年前では、神殿で朗々と語る以外になかったのですね。
そこにいる人たちにとっては、今、自分たちの目の前で、神が天と地を荘厳に創られている、或いは、今、自分たちの目の前で、神は私たちをエジプトから導いていってくださっているのだ、というような、再体験をする。昔の自分たちの先祖が体験したことを再体験する、再体験することによって神の愛と力強さを自分たちで、もういちど腹の底から感じ取って、自分たちも神に心を開いて、神に結ばれていくと言う形をとっている。
だから、イスラエルの中での典礼は、過去の救いの歴史の中の出来事を今、ここにあるものにするという意味があった。別の言葉で言えば、再現化し、現存化させるものであった。
これを、典礼学者は、メタストリカという性質があると、メタは超える、歴史、時間と空間を越えて、一回限りの神の歴史の中での力と愛を、今もう一度この世界に現存化させる。だから、時間と歴史を越えて、今、ここに再現するという意味で、メタストリカという言葉を使う学者たちもいます。
詩篇136は、完璧な形をとっていますが、バビロンから帰ってきて、神殿を再興して、新たな、もう一度神に向かっての信仰を育てようとする人たちにとって、こういう詩篇の形は、非常に大事になってきた。これが基本だからです。
これ以外に、神様とつながる道はないのです。彼らにとって。修行したからとか、苦行したからとか、祈ったから、何かしたから、神様とつながっているのではなくて、神様が具体的な歴史の中で触れた、顕わしてくださったその神様とつながることは、自分たちのアイデンティティなんです。それを忘れてはいけない。だから、バビロンから帰ってきた祭司たち、リーダーたちはこういうものを非常に大事に育ててきた。詩篇136を全部読み返してください。過去の歴史、過去の神のなさったことを非常にはっきりと語っているのはとても多いのは、そういうことなのですね。だから、後代の人たちは、こうした祭儀を通して、過去の救いの歴史を追体験する、そしてそれによって、救われた民の一人になって、神の民の一人になっていった。これは同時に何を意味しているかと言えば、自分たちは、こういう具体的な歴史の苦しみを経てきたのだけれども、自分たちはそういう中に飛び込んできてくださった神によって、救われたんだという信仰告白なんです。共同体の信仰告白、信仰宣言である。「私たちは、天と地を創られた神を賛美します」とありますね。これは彼らの信仰告白であるわけです。共同体の信仰告白で、私たちは、こういう神を信じ、こういう神に現実的に救われてきたんですよ、という信仰告白、信仰宣言だと考えてよいと思います。
もうひとつ、ここに、影に隠れているものを引っ張り出さないといけないのですが、バビロンから帰ってきた祭司たちが、中心になって、このような詩篇などをだんだんに育てていったのですが、これは、僕個人の解釈なのですが、「祝福の詩篇」と考えても良いかもしれません。神が、この世界に手を差し伸べて、人々を救って、その人たちの可能性を引き出そうとする。神の一方的な働きを語るわけですから、これを「祝福の詩篇」と云ってもいいかも知れません。でも、この背後に、現実の歴史の中で痛みつけられて、叫びを上げている人々の群れというものがあるわけです。それが、具体的には例えば、エジプトの奴隷状態とか、バビロンの奴隷状態というのがあるわけですが、詩篇を見ますと、詩篇は155編あるわけですが、その2/3は、嘆きの詩篇といわれています。嘆きの詩篇というのは、何を嘆いているのかといいますと、非常に具体的です。例えば、ある人は熱が出て、夜中に汗びっしょりで頭が痛くてどうしてよいかわからない。もう孤独で夜眠れなくなって不安で、ベッドで涙を流している。そういうことを歌っている嘆きの詩篇もあれば、自分が年老いて誰も相手にしてくれない、道行く人は自分を見ると顔を背けてしまう。今の高齢者社会を迎えた日本人と同じような状況の中に生きるお年寄りの寂しさを歌っている歌もあります。仲間に裏切られた、仲間に騙されて財産を取られたというようなことを歌っている嘆きの詩篇もあります。それから、さらに詐欺にあった、今のオレオレ詐欺、振込み詐欺と同じように自分の財産をなんか、狙われて取られてしまった、それを今から裁判に行くんだと云って、これから裁判に向かって裁判官がワイロで、自分に不利な判決をしないように祈っている嘆きの詩篇もあります。非常に具体的なのです。
もう少し、大きなことになると、他の大国が侵略してきて、自分たちは踏みにじられたから助けてくださいねという叫びもありますね。これらの嘆きの詩篇というものをずーと読んでいくと、人間の現実の悲しさがばあーと見えてくる。そういうものが集められてこの詩篇というものにまとめられているのです。この今、お話した詩篇136の背後には、前提になるのは、人間の悲しい姿、この生きることがどんなに厳しいことで、残酷なのかと言うことを体験している人たちの叫びがあるわけです。そういう叫びを神にぶつけながら、神が具体的に歴史の中に手を差し伸べてきて、私たちと共に歩んでくれた。私たちに希望を与えてくださったとかいうような信仰告白なのです。この詩篇の背後にあるのは、そういうことなのです。だから、一人ひとりの現実が、こういう神殿での祭儀の中に汲み取られ、吸い上げられている。単に壮大な典礼があるのではなくて、典礼の背後には、こういう現実の中で傷つきながら生きる人たちの叫びを吸い上げながら、それに応えてくれる神というものを見つめようとしている。だから、そこに行くことによって、一人ひとりが自分の現実と結び付けている。神がエジプトから私たちを救ってくださったあの偉大な愛と力は、自分の今の年老いた状況の中に、具体的に働きかけてくるというような結びつき方があったということなのです。ですから、言い換えると、ここで僕が言いたいことは、これは、まだミサには入っていませんが、ミサの典礼とか何かの背後には、神の愛と力強さを再現しながら、それに支えられてきた人々の信仰告白であると同時に、そういう現実を生きてきた人たちに、神が入っていく、そういう道を開いているのが、本来の典礼の姿だっただろうなという気がします。ですから、典礼の細かいことがどうであるとか、こうであるとか何とかということよりも、本質的に、わかっても分からなくても、典礼の前に身を置くことによって、自分の現実に深く入ってきてくださる神の愛と力を我々は捉えているということです。わかってもわからなくてもということです。
詩篇の136が完成されたものであるということは、救いの歴史のポイント、ポイントが明確に出ている。天地創造、エジプト脱出、約束の地の獲得、でこれが、新約にはいってくると、キリストの十字架の死と復活ということになり、私たちの典礼というのが出てくるのです。
この救いの歴史につらなる出来事を、日本語に翻訳された奉献文のうち、一番完成された形で触れているのは、第四奉献文です。第四奉献文は、天地創造の業から始まって、人間の創造、人間の罪、そしてエジプト脱出から始まって、キリストの十字架と復活までのことを非常に丁寧に語っています。ただ、長すぎるものですから、私たちはあまり使っていないだけです。内容的には非常に完成されたものだと考えていいと思います。
そうすると、典礼とは、私たちを救ってくださった、つまり具体的な歴史的な中で救ってくださった神の愛と力に生かされた人々の共同体の信仰告白であり、信仰宣言であると同時に、それを現存化するという意味があった。すべての典礼はそこにあり、私たちの信仰の源泉もそこにしかないのですから、それに触れるということはとても大事なことになってくるわけですね。だから、典礼はキリスト教の教会にとっては、本質的なことだと、僕は思います。これが、さらに新約になってから、具体的にどのように発展したのかということをお話します。
キリストは最後の晩餐の席で、「これを私の記念として行いなさい(アナムネシスという言葉を使いました)」、それが、初代教会の信者たちにどう捉えられたかというと使徒言行録ですね。「彼らは(信者たちは)、使徒の教え、相互の交わり、パンを割くこと、祈ることに熱心であった」と書かれている。
「使徒の教え、相互の交わり、パンを割くこと、祈ること」はミサの骨格になったという感じがします。つまり、今のミサの骨格というと、入祭の部分は別として、み言葉の祭儀=聖書朗読、これは使徒たちの教え、キリストのことを語るですね。
相互の交わり、お互いが財産を持ち寄って、お互いを支えあった、或いはお互いが食べ物を持ってきて、貧しい人に配るとかいうような相互の交わり、助け合いですね。
これは、本来の奉納の部分の意味だったと言われます。あそこで、ミサ中の献金などがなされますね。あれが相互の交わり、助け合うためのものだった。
そして、真ん中にパンを割く儀式があります。これは、まさに「記念としてこれを行いなさい」ということだったと思う。で、その後に、「天にまします・・・」から始まって交わりがあります。これはお互いが祈りあっていくということになっていくのだと思います。
初代教会の集まりから、ミサの骨格はじょじょに誕生していったよと考えて良いと思います。
その後、ミサはどのように展開したのか。
ミサの行われた場というものに注目していくと、少しづつ、ミサがどんな風に変わっていったのかがわかるのですが、初代教会の場合は、だいたい家庭ですね。家庭の中だった。
4世紀、5世紀になって、ローマ帝国からの迫害・弾圧が終わって、ローマ社会の中で教会活動が出来るようなると、バジリカ様式の聖堂が作られるようになります。そこにミサが行われ、そこに信者が集まるようになります。そうすると、だんだん典礼が様式化され、多様化されていきます。この時期にたくさんの奉献文がでてきます。コクト典礼とか、エジプトの方の典礼とか、シリアの典礼など、いろんな豊かなものがあったと思います。ところが、だんだんにローマのペトロの座というものがカトリック教会の中心になるわけです。そうなると正統な典礼とか、正統な教えという発想がだんだんだんだんに強まってくるわけです。中央集権化が始まるのです。そうすると、教皇とか司教のミサが中心になり始めて、一般の生活からは離れ始める。
だから、遊離が少しづつ始まっていったのだと考えて良いかも知れません。
典礼が荘厳になりしっかりとした形を取り始める。それを聖職者たちが中心になって行うとなると、確かに本質的なものは伝わっていると思われるが、先ほどのお話したような嘆きの詩篇とか、現実の自分たちの苦しみ、エジプトで自分たちが苦しんでいたというような、苦しみの吸い上げというものが、非常に弱まってしまったわけです。たとえば、ローマ時代だって、考えて見れば、たくさんの奴隷がいたわけだし、たくさんの人がローマによって支配されていたわけだし、たくさんの難民が出ていた筈でしょうね。職業がない人だってたくさんいたでしょうし、そういう人たちの生きた姿が徐々に典礼からは離れていくわけです。つまり、聖職者が中心、つまり司教のミサなんかが中心になると、そこでいう典礼と現実の生活との遊離が起こってしまう。で、典礼というのは、グノーシスの影響もあったのですが、本当に深くわかった本当の信者さんたちが、神の神秘にあずかる場というような意味の方にだんだんなっていってしまった。
9世紀ぐらいになると、さらに、ラテン語がもう一般の人にはわからなくなっていきますから、ますます人々から理解されなくなっていくような典礼になっていってしまった。
その間に、グレゴリアン聖歌などが、修道院の中で育ってきて、一般の人々の現実的な悩み、傷ついた姿からは遠い典礼が作られていった。
そして、中世期になると、中世期の後半になると、聖トマス・アキナスなどが出るちょっと前ですが、「ご聖体の中にキリストが現存する」と云うことに対して、疑義を持つ人がたくさん出始める。神学が、一方では大変盛んになると同時に、その神学的立場から、「キリストがパンとぶどう酒の形態の中におられるなどということは、おかしいよ」という異端がたくさん出始めてきます。そうすると、だんだんに聖体礼拝が強調されるようになった。聖体そのものが強調されるようになっていった。トマス・アクイナスの聖体降福式の時にタントウ・エルゴなんて歌うでしょう。あれは、トマス・アクイナスが作ったのですが、聖体の本質についての完璧な表現がありますけれども、人間の現実に神が救いの手を伸ばしたということよりも、聖体そのものにアクセントが置かれはじめててしまうのですね。そこから聖体礼拝が強調される。ミサというか、典礼の本質から離れて、聖体そのものが独自の歩みを始めてしまった。
それは、さすがに第二バチカン公会議以後は、それを少し、ご聖体というのは、ミサとの関係の中ではじめて大きな意味をもってくるのだよという軌道修正をしました。けれども、今また、国際聖体なんとかというので、(これは、本当は口をつぐんでいないといけないのですが)、70年代の日本の教会と同じパターンをやっているなという印象が強いのです。70年代の日本の教会の司教たちは、物を考えない人たちでした。
バチカン公会議が終わって、例えば、ローマで福音宣教についての司教のシノドスをやりましょう、或いはその後、家庭について、或いは福音宣教について、司祭についてのシノドスをやると、日本の司教たちは、右へ習えをして、日本の教会でも福音宣教について考えましょうと、或いは司教について考えましょうと、そういうようなパターンをやっていたわけです。だから、日本の教会の問題がどこにあって、日本の社会で現実に生きている人々がどんな問題を抱えて、どういうような苦しみを負って、そこにどういう光を投げかけていかなければならないのかというようなことは、考えようとしない。これは、本当に日本の教会の欠陥のような気がします。どうしても中央集権的なあちらの方にまなざしをおいて、そこから流れてくるパターンを追っているだけ。だから、絶対に浸透しないです。上の方では、浸透しているつもりで、スローガンを掲げますが、現実には、“とんちんかん“です。
仕方ないですね。今度は、国際聖体なんとかと云って、いろいろな司教がいろんな文章を書いていますが、しかし、人間の現実に触れていく典礼の本質からすると、じゃ、この典礼というのは、神が救いの歴史の中に下ってきたという、神がこの歴史を見て動かされたと言う必然性があるわけですから。だったら、ご聖体の中にいるキリストは、日本の人々の人生の救いの歴史の中には、どうかかわっていくのか、というそこまで踏み込んで考える必要があるような気がするのですね。非常に倫理的にとらえてしまう。キリストが足を洗ったのだから、奉仕の心を養いましょうね。それは“ごもっともです”と誰も文句は言わないです。しかし、それは、例えば、外国人でもいいし、いじめられている人、ドメスティック・バイオレンスに苦しんでいる人にとって、リストラに合おうとしている人にとって、そんなことは全然届かない。身内の発想です。もっとダイナミックなえぐり方が必要なのですが、なんかそれが、今の教会から見えなくなってしまっているので、誰かが声を上げなくてはいけないなあと思います。それは典礼の本質からもいえます。典礼というのは、そういう人間の現実から離れた典礼内部の会話になってしまっていると響かない。だから、典礼をもっと深いところで、典礼本来の姿から捉え直そうとすると、私たちは、もっと頭を柔らかにして、本質を捉えて、本質から語っていくということが必要な気が致します。これは中世期だったのですね。だんだんだんだん聖体というようなところに動いていった。
そして、トリエント公会議は、秘蹟を否定するプロテスタント運動が頭にありますから、典礼秘蹟の正当性を固持した。そしてそれを守らせることに腐心した。ですから、この後、トリエント公会議の後、司祭が唱える言葉を一言でも抜かせば、司祭は大罪だよ、地獄に落ちるよというような厳しさが、一言一言についてまわった。「守らせる」ということに重点が置かれ、典礼の本質論にはいかなかった。トリエント公会議の限界は、本当に神学的に深くは行こうということはやらないで、むしろ自分たちが考える正統な理解を守らせる、そこから、さらに典礼秘蹟の執行に携わる司祭が中心になってしまいますから、司祭中心主義が徹底して、ますます今お話してきたような救いの歴史の中に典礼が位置づけられるというような発想がなくなってしまった。むしろミサに日曜日に来ることを「掟」として提示してしまった。こういう流れ・・・
そして、第二バチカン公会議、
それぞれの民族、それぞれの現実の中に即して表現されなければいけないということで、それぞれの言語に転換し、司祭だけが中心にならないで、人々ともコミュニケーションしながら、典礼をするようにというように方向転換をしました。
それは、トリエント公会議の流れを受けて対応してきたわけですから、それなりの意味はあったと思うのですけれども、いわゆる「世界に開かれた教会」というメッセージの中で、典礼が意味づけられたと、僕は思っている。それが第二バチカン公会議の限界かなと思います。教会は今まで閉じていたから、「開こう」という掛け声はかけたんだけれども、じゃ、この典礼を世界に開かれた、つまり、本当に苦しんでいる人たちの中における典礼として、どう展開していくかという発想は、なかなか育たないままにきてしまっている。
それが、今の限界だろうと思います。
こういうことを踏まえながら、まず、カトリック教会全体の秘蹟に対して云うことは、「すべての秘蹟の源泉は、『十字架と復活の出来事を私たちに伝える、私たちを結びつける』ということ」です。つまり、十字架と復活の出来事を、今ここにあるものにしてくれる。
で、これは、「洗礼」を、まさにキリストの十字架と復活の再現というように捉えるべきだと思います。ところが、神学の方では、長い間、「洗礼の恵みとは、アダムとエバの原罪と自罪による罪とその償いを赦し、人間を神の子とする聖性の恩寵が与えられる」というように説明してきた。神学的に、ひとつの説明としては間違いとは僕は思いませんが、そういう人間の罪の問題とかなんとか言うよりも、一人の人間が、キリストの十字架と復活に触れるのだ、それに結ばれて生きるという決定的な出来事だ、それをもっと強調すべきだろうと、僕は思います。
で、聖トマス・アキナスはこう言っています。「すべての秘蹟は、キリストの十字架と復活から生まれ、すべての秘蹟の目指すところは、キリストの十字架と復活への参与だ。」
これは、正しい、僕は正しい捉え方だと思います。
彼は、堅信の秘蹟も、ミサの秘蹟も、許しの秘蹟も、病者の秘蹟も、結婚の秘蹟も、叙階の秘蹟も、すべては「このキリストの十字架と復活」という観点から捉え直さなければいけないということを、はっきりと言っています。
ところが、初代教会から、ギリシャ、ローマの世界に広がっていった教会は、この秘蹟をシンボリズムとして説明するようになってしまった。例えば「水は、洗う、清める、いのちを育む」というシンボル。そういう意味で、水、「洗礼」だと魂を清めて、罪の汚れを洗うのですよというようなシンボリズムです。本来は、水に浸る、そこから再生するという十字架の死と復活なのです。これはパウロは言っているのです。「あなたたちは、キリストと共に葬られ、キリストと共に復活したのだ」とそれを洗礼の中に見ています。
それから、「パン」もだんだんに、食べ物、縦のシンボルというところにアクセントが置かれるようになってしまっています。そうすると、養う、養われる、人生の旅の糧としての聖体という側面が強く出てきてしまっている。これは、シンボリズムとしては悪いとは思わないが、本質的には違うと思うのです。私たちを絶えず支えてくださっているキリストの十字架と復活に支えられながら、私は生きるわけで、そういう観点から私はご聖体をいただいて、キリストと一つになっているのだということです。
ヨハネ福音書で、「私の肉を食べ、私の血を飲まなければ、・・・・」という表現は面白いのです。
人の子の肉を食べと言う時の、「食べ」は、タゲイン
私の肉を食べと言う時の、「食べ」は、トロゲインになっている。
日本語では、同じ「食べ」になっているので、違いはわからないのですが、人の子の肉を食べと云うときは、神の子であるにもかかわらず、僕の姿となって人となった、キリストの弱さを強調しています。それを食べという「タゲイン」は殺される、生贄の意味があります。だから、キリストが十字架上で殺されているということにつながらなければ、という意味が非常にはっきり出てくる。
私の肉、トロゲインと云う時は、咀嚼する、よく噛んで食べる、言い換えると、キリストを本当に自分のものにしなさいということです。自分のものにしてキリストと共に一緒に行きなさい、キリストの心を心として、自分の人生を送るというのが、「私の肉を食べ、・・・」という意味なのです。この点、日本語の翻訳というのは難しい。
ところが、多くの典礼学者たちは、典礼のシンボリズムにとどまっている。本質を見ていない、見えない。典礼学者というのは、時には本当にやっかいな存在だなあと思います。一生懸命、ミサとか典礼を、良くしよう、良くしようと、少しでも皆んなに分かり易くなるようになさっている、それは評価するのですが、もっと、人間の現実を見て、神が救いの歴史に飛び込んできてくださったのだというダイナミズムを失ってはいけないだろうと思うのです。
だから、ミサにあずかった時に、そこに歌うことも出来ないし、みんなと一緒になることもできないけれども、そこに苦しんでいる人が来て、そこに皆の共同体の中に“ただ居る”ということだけで、非常に大きな意味があると僕は思うのです。そこに救いの神の愛と力が現存して、再現されているわけですから、それが一人ひとりの人生と触れているわけで、一人ひとりがそれを支えていくわけですから、そこに、管理的な発想で「皆んな一つになりましょうよ」とか、「皆んな手をつないで歌いましょうよ」とか、それも悪くはないですが、あまり人間が一致するなんていう幻想で動かされない方が良いと思います。「皆んな一つになりましょう」なんてことは、これは幻想だと僕は思っています。
だから、小教区の中で、「分かち合いをうまくやりましょう」なんて、現実には無理だと思います。いろんな人の人生があり、共有するところはないのですからね。あるとするならば、「キリストを見つめて、キリストから光を得たい」というそこで繋がっているだけであって、分かち合い共有するものは、一般の生活のレベルで、共用するものは違うのですから、小教区の中で、あんまりあせって、一つになりましょうとか、分かち合いましょうなどということは、あまり求めすぎない方がいいし、それがないからと云って、幻滅するのもなんかおかしいような気がしますね。
ダイナミズムを見る必要があると思うわけです。
結論としては、最終的には無難なことしか云えないのですが、最終的には、
こういう根本的な側面を念頭に置きながら、2000年の教会の歴史の中で、発展し展開されたシンボリズムを含めた秘蹟、典礼の側面を十分に生かしていく、しかし、忘れてはいけないのは、本質ですね。カトリック教会の本質というのは、「救いの歴史の出来事によってひとりひとりが生かされていく」ということですから、この本質は忘れてはならない。
私たちは、座禅とか他の宗教と違って、ここにシスター方もおられますが、誓願を立てて、なんか立派な生き方をしようというわけではなくて、現実の中に、こういう現実を神が共に居てくださる。その“共にいてくださる”私たちを本当に支える場が、本来の典礼の意味だっただろうなと思います。
これで、私の話を終えます。
ご自分の今までの、典礼とかミサの理解、今までの典礼に関して、教会の中でいろいろ司祭との関係もあったと思いますが、お互いに話し合いながら、私たちの信仰生活、カトリック教会の本質を支えるものとしての典礼の理解の仕方を深めあっていただければなあと思います。
ありがとうございました。
(グループの分かち合いの後で)
問題点:
現実的には、主任司祭が替わると典礼が変わってしまう。引っ張られてしまう。これをどうしたら良いのかということ
一致を求めるのはむりなのではないかと云ったことに対して、引っかかった方はたくさんいたようですね。
(3) 典礼を軽視して、奉仕活動とかボランティアに熱心にかかわっていくのと、この典礼とのかかわりをどう考えるかということ
(4) 教会制度、組織、教会法と教会のあり方という問題
(4)から、ある時期には、ミサの前には前の晩から水さえも飲んではいけない、−教会法で決めていました。司祭たちに対するミサを立てる時の、“しばり”というのは、ひどかったですね。それをやると大罪、地獄にいく、だから「地獄には、司祭が多い」というのは冗談ですが、それが、どんどん変わってきた。教会法とか、制度のしばりが出てきたのは時代背景の中から理解しなければいけない面があります。つまり、プロテスタントとの分裂運動が非常に強くなった時には、守ろうとする発想から、縛りが、もっと明確にしなければというのと、19世紀、20世紀になって、近代の自然科学、合理主義、民主主義などの運動が出てきた時に、教会は「違うんだよ」ということを明確にするために、非常に明確な縛りが出てきた。ピオ9世なんかは、すべての小教区に険邪聖省に準ずるものを置くようにというような指導があったのです。つまり、ちょっとおかしなことをいう司祭とか神学者を縛るようにということでした。すべてが教区長の意向の下に、教皇の意向の下に統一するようにとの指針が明確に出た時期がありました。まだその遺伝子が残っていますが、それらは、時代背景、状況があったと思うのです。それは、ある意味では時代の産物として、柔らかくとらえていけばよいと思います。
教会法というのは、ローマ法と結びついて、非常に基本的なものを云っているだけなのです。だから、ローマ帝国が広がって行き、いろいろな異文化、異民族、いろいろな違う言語の世界を統一していく時に、ローマ法というもので、普遍的に統一したわけでして、彼らは、それぞれの民族の特徴や自主性を非常に尊重したもので、非常に賢明な法律なのです。教会法はそれを受け取ったわけですから、教会法というのは、大らかな縛りであって、決してそれぞれの民族やそれぞれの地域の特徴を押さえつけるものではなく、生かすもので基本的なルール作りを出しているだけですから、教会法というものも、大らかに理解していく必要があるのだろうと思います。
そういう中で、それぞれの地域がどうして行けばよいかということになるので、やはり本質をしっかりとらえてないと混乱してしまうということになる。教会法も本質をとらえるための支えとして位置づけていくことが大事なのだろうという気がします。教会法の中で、一番最後の方の結びに、「この教会法のすべては、救いのためですよ」ということが一言は入っている。その点からすべてを解釈していく必要がある。
(3)ミサを軽視するというか、ミサなんかじゃなくて、具体的に人とのかかわりの方を大事にしていくのだということは、ほっとけば、それは、ヒュマニズムです。私たちの一番根底にあるのは、私たちは、御一人子をお与えるになるほど、私たちを愛された神の愛、或いはキリストを通して表されたそれに結ばれて私が生きているのだ、私のすべては、そこからあふれ出てくるものであるという常にこの原点、自分の信仰の原点に戻って、そこからあふれ出てくるという感性、感覚が必要だろうと思うのです。そういう意味では、常に自分なりにミサ、典礼にあずかるということを、自分の生き方の中に常に位置づけていくという謙虚さがあってよいのだろうと思うのです。そういう典礼にあずからなくても、ヒューマニズムというのはありますかね。それはそれですばらしいことだと思う。それは否定する必要はないと思うのですが、でも、自分のアイデンティティ、自分の信仰のアイデンティティと自分の人生のアイデンティティの源泉が私にとっては、キリストの十字架と復活、そこにある神の愛と力であり、それは洗礼から始まって、ミサにおいて私は生かされているのだよという意識というのは、カトリック者としては基本だろうと思う。
もう一つは、今まで「ご聖体」を本当に大事にしてきた方々にとっては、ちょっと躓く、とげのあるような話だったかなあと、私は十分わかっています。でも本質を理解しながら、聖体を本当に深めていくことは大事なことだろうと思うので、そこから、もう一度、聖体の秘蹟の意味づけをしっかりと捉え直すための参考にしていただければよろしかったかなと思います。
もう一つの皆さん疑問に思ったことは、「そんなに一致をしなくたって、一致を求めること自体が無理なんだよ」と僕の発言なのですが、どこにおいて一致すれば良いのということで云えば、皆が共通するものは、「キリスト、つまり、神が御一人子を送って、それによって私たちは救われたんだ」、常に私たちの救いの泉はそこにあるのだということは、これは一致しているわけなのです。その点での一致ということだろうと思うのです。
後は、もう聖人たちだって、すごく罵り合っていますからね。アウグスチヌスがヒエロニモを“かぼちゃ”って、言っている、怒鳴っている。文書で言っています。また、片一方も言い返しています。“お前、罪人じゃないか、汚い奴とか何とか”罵り合っている手紙が残っていますから、聖人たちだって、死ぬまで喧嘩していたと思う。仲直りなんかしていない。でも、「基本においては、自分たちはキリストにおいて救われたよ」というところに立っているわけですから、その辺で、最終的にはそこだろうと思います。
ただ、この点で、皆さんどう思っていらっしゃるでしょうね。
もう一つは、だから、神がこれほどまで愛してくださったんだ、人間を大事にしているのだ、人間の現実を理解し、その痛みや悲しみを大事にしてくださっているそういう神のまなざしを自分が受けて、お互い同士がそういう目でしっかりと寄り添っていくという点においては、僕は「一致すべきだ」と思います。
具体的なことに関しては、僕は「あまり期待しない方が良い」というのが僕の人生経験なのですが、この点については、いかがなんでしょうか。
(参加者意見:)
たくさんの人がいて、一致するのは大変難しいことなのですが、いろいろな人がいて一致するところも多くあるのではないでしょうか。自分が一致させようとかということでなくて、“自分が”というところを皆が捨てれば、多分、一致してくるのではないでしょうか。そう思いました。一致かどうかわからないのですが、すごく昔の体験で、女性の全国集会を毎年やっているのですが、20年ぐらい前ですが、九州の司教さんのところへ、「女性の全国大会をする」ということを話しに言ったら、「女性がそんなことをするのは、けしからん」と言われた。それから、時代が変わって、同じ司教が、「是非、うちでやってください」という話で、すごく腹が立ったのですが、聖職者もお変わりになることだし、私たちも変わりましょうということがありました。それも一つの一致だったのかなと思い出しました。
教会が、もし、イデオロギーとか全体主義的な共同体なら、ある方向性でしばって、これについてこない奴は、もう共同体の仲間じゃないよとやれば、一番分かりやすいかも知れませんが、教会というものは、そういうものではないのだろうと思います。
もう一つ大きな問題は、主任司祭が替わると典礼が変わってしまう、そうすると、今まで司祭のために合わせて一生懸命にやっていたのが、別の司祭が来ると、典礼がまた逆方向に向かってしまう。こういうことが現実的にある時に、皆さんだったらどうなさるのかな。
神学校では、典礼神学などというのは、同じ指導者から教育を受けているのだけれども、それにもかかわらず、現場に立つと変わってしまう。それぞれの個性が出てしまう。司祭が全権を持っているというような雰囲気になると変わってきてしまう。皆さんは苦労するわけですが、こういう時にどうしたら良いのという生活の知恵、大人としての皆さんの具体的な方法はどのようにするかというのは、問題になりますね。
この点については、皆さんの方が声を上げて、教区長の方に、司祭の典礼についての勉強、理解をもっと積極的にやってくれというように、現実の声を伝えると言うことが大事かも知れませんよ。ねちねちとやることをお勧めします。
ミサ典礼書には、たくさんの奉献文があります。日本は 4つの奉献文しか許されていませんから、それだけでも日本の教会というのは貧弱になっています。それも司祭の再教育が優先されるべきだと思います。
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2月26日は、これまで2年間の学びをそれぞれがどう受け止められたかという分かち合いと、今後、これをどう育てて行ったら良いかということをもっと深く話し合いたいと思います。第一期の方は、卒業した後、自分たちなりの「学び合いの集い」かな、何かを何ヶ月毎にやっていて、自分たちで主体的に動いているわけです。このグループがそこに加わって、一緒になって卒業したあとの自分たちの養成に生かしていくという方法も可能ですし、逆に皆さんが独自なものを考えても結構ですけれども、そういうことも、今日なんか本当は午後に「学び合いの会」の方の人が集まって二期の方の答えをもってきて欲しいというようなこともちょっと出てきているのですが、一方的にすぐ、今までのものに繋がっていくという結論は僕としては出したくない。皆さんが考えて、十分に話し合った中で、ある結論を出していくならば、僕はそれを尊重したいと思いますので、これもじっくりと話し合うのは、2月26日にやりたいなあと思っています。
最後ですので、食べながら飲みながらということを考えています。お互いに深く交わりながらということでやりたいと思いますので、よろしくご参加ください。
ありがとうございました。
以上