改革派の教皇候補マルティーニ枢機卿死去   世界キリスト教情報 2012 年 09 月 11 日

 

 

 【CJC=東京】

バチカン(ローマ教皇庁)の改革派で、教皇候補にも挙げられたイタリアのカルロ・マリア・マルティーニ枢機卿は持病のパーキンソン病が悪化し 8 31 日、療養先のミラノのイエズス会修道院で死去した。 85 歳。葬儀は 9 3 日、ミラノの大聖堂(ドゥオーモ)で行われ、約 2 万人が集まった。イタリア内外にテレビでも中継された。


 率直で分かりやすい語り方で、市民に広く愛され、葬儀前の 3 日間、遺体が置かれた大聖堂にはマリオ・モンティ首相を含め、約 20 万人が訪れた。


 バチカン放送(日本語電子版)によると、同枢機卿は聖地を愛し、 2002 年ミラノ教区長辞任後、長年の希望通りエルサレムに居を移し、祈りと聖書研究の日々を送っていた。しかし、パーキンソン病の悪化に伴い 2008 年からは治療に専念するためイタリアに帰国、療養生活をしていた。

 

マルテイーニ枢機卿は 1927 年、伊北部トリノ生まれ。 17 歳でイエズス会に入会、 25 歳の時に司祭に叙階。 80 年、教皇ヨハネ・パウロ 2 世によりミラノ教区教区長(大司教)に任命された。


 ミラノ教区教区長になる前に枢機卿は、ローマの教皇庁聖書学院および教皇庁グレゴリアン大学学長を歴任した。

ミラノ大司教在任中、多くの人々を神のみことばである聖書に導くために「みことばの学校 と呼ばれる一連の聖書講座を教区内で開き、神のみことばに耳を傾けながらそれを黙想し、そして実際生活に生かしていこうとする、いわゆる「レクチオ・ディヴィーナ」を人々の間に浸透させるべく努力した。


 生殖医療や離婚の是非、避妊具の使用に柔軟な姿勢を示し、他宗教との対話にも積極的だった。
 聖書学者、教育者としても知られ、バチカンでの様々な会議では改革派の騎手的な役割を果たした。著書も聖書釈義から詩、祈りの手引きなど数多く、イタリアでベストセラーになったものもある。


 伊紙『コリエーレ・デラ・セーラ( Corriere della Sera )』が 8 月に収録したインタビューでは、「教会は 200 年ほども時代から取り残された。官僚組織が肥大化し、儀式と服装ばかりが仰々しい」と現在のバチカンを厳しく批判していた。

 

 

 

 

 

 

 

(以下は 8 8 日、エルサレムで行われたラスト・インタビュー。 コリエーレ・デラ・セーラ( Corriere della Sera )には 9 1 日掲載。 枢機卿はこのインタビューの書き起しを読み、内容を承認したと注記がある。)


 

" 教会は 200 年遅れている " マルティーニ枢機卿、最後のインタビュー

 

 

Q 教会の現況をどのように見ておられますか?

 

M  教会は、ヨーロッパやアメリカで、その存在に疲れています。 私たちの文化は円熟し、私たちの教会は偉大であり、私たちの教会の建物はがら空き、教会の官僚組織が肥大化し、私たちの儀式や装束は仰々しい。 これらのことは、私たちの現状を表しているのではありませんか。恵まれていることの重荷。イエスがご自分の弟子にしようと声をかけた時に、悲しげに去っていった金持ちの若者のように、そこに私たちは立っているのです。 私は、それを簡単に手放せないことを知っています。 しかし、少なくとも私たちは、その束縛から自由になることができます。ロメロ司教とエルサルバドルのイエズス会士の殉教者のように。私たちを鼓舞する英雄たちはどこにいるのでしょうか。私たちは、理屈抜きに、制度化されたものによる強制を制限する必要があります。

 

Q  誰が現在の教会を助けることができるのですか?

 

M  カール ラーナー師は、灰の下に隠れた残り火のイメージをよく使いましたが、私は、現在の教会は、石炭の上に沢山の灰が積もっているように感じ、しばしば無力感を覚えてしまいます。愛の炎を取り戻すため、残り火から灰を取り除くには、まず、その火のありかを見つけねばなりません。 誰が、良きサマリア人のような心の広い、誠実な人なのか、誰がローマの百人隊長のような信仰を持っているのか、 誰が、洗礼者ヨハネのような熱情をもっているのか、誰が、パウロのように恐れを知らない進行を持っているのか、そして誰が、マグダラのマリアのように忠実なのか。

私は、教皇と司教たちにこう助言したい。教会の監督業務から自由だった12使徒を目指せと。貧しい人々のそばにいて、若者たちに囲まれ、新しい体験をするように。 私たちは、炎を燃やし、いたるところに霊を広める人のようになる必要があるのです。

 

Q 教会の疲労に対してどのような具体策がありますか?

 

M 3 つのことを強く提案します。

まず、教会が自からの過ちを認識し、教皇と司教たちが先頭に立って、根本的な変革を進めなければなりません。聖職者の青少年に対する性的虐待は、変革の変換の旅に出ることを私たちに強く求めています。性と身体にかかわるすべての問題は、一つの例証です。 これらは、誰にとっても重要であり、時には重要すぎる問題です。 人々はまだ性に関する問題について、いまだに教会の指示を受け入れているのか、私たちは自らに問わねばなりません。 教会はまだこの分野での権威なのか、メディアの風刺の対象になっているだけなのか。

 

次に、第二バチカン公会議の神の言葉が、聖書をカトリック教徒に返したということです。心から神の言葉を受け止めた人だけが、教会の刷新を助け、正しい選択によって個々の人々の問いに答えることが出来るでしょう。神の言葉は簡潔で、友人の話を聞いているようです。聖職者も教会も、人間の内面に置き換わることはできない。あらゆる外面的な規則、法律、教義は、内なる声と霊の識別を明確にするための手立てにはなりません。

 

秘跡は誰のためですか? 最後に、それは癒しの手立てです。 秘跡は規律のための道具ではなく、弱さや人生のあゆみの助けとなるものです。秘跡は、新たな力を必要とする人々に授けるものでしょうか。 私は、離婚し、再婚したカップル、家族すべてのことを考えます。彼らは、特別な保護を必要としているのです。 教会は、結婚は解消すべきでないことを支持します。結婚して家族ができることは、恵みです。しかし、家族が教会の外に置かれ、教会の支持を得られないと感じるならば、教会は次の世代を失うでしょう。教会は、どのように複雑な状況に置かれた家族に秘跡の力を持って助けることができるでしょうか。

 

Q  あなた個人は、何をなさいますか?

 

M 教会は、 200 年遅れています。 なぜあなたは震えているのか。 私たちは何を恐れているのか。勇気の代わりに恐れを抱いている? しかし、信仰は、教会の基礎。 信仰、信頼、勇気。私は年老いて、病いに倒れ、他の人に面倒を見てもらっています。 私の周りにいる善良な人々は、私に愛を感じさせてくれます。 この愛は、ヨーロッパの教会に対して感じる不信感よりも強い。愛だけが、疲労に打ち勝つ力です。 神は愛です。 あなたは教会のために何ができるか? それをあなたに問いたい。

 

 

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How do you see the situation of the Church?

 

The Church is tired, in prosperous Europe and in America . Our culture is out of date; our

Churches are big; our religious houses are empty, and the Church's bureaucratic apparatus is

growing, and our rites and our vestments are pompous. Do such things really express what we

are today? ... Prosperity weighs us down. We find ourselves like the rich young man who went

away sad when Jesus called him to become his disciple. I know that it's not easy to leave

everything behind. At least could we seek people who are free and closer to their neighbors, as

Bishop Romero was and the Jesuit martyrs of El Salvador ? Where among us are heroes to inspire

us? We must never limit them by institutional bonds.

 

Who can help the Church today?

 

Fr. Karl Rahner liked to use the image of embers hidden under ashes. I see in the Church

today so many ashes above the enbers that I'm often assailed by a sense of powerlessness. How

can the embers be freed from the ashes in order to rekindle the flame of love? First of all, we

have to look for those embers. Where are the individuals full of generosity, like the Good

Samaritan? Who have faith like that of the Roman centurion? Who are as enthusiastic as John

the Baptist? Who dare new things, as Paul did? Who are faithful as Mary Magdalene was? I

advise the Pope and the bishops to look for twelve people outside the lines for administrative

posts [posti direzionali].people who are close to the poorest and who are surrounded by young

people and are trying out new things. We need that comparison with people who are on fire so

that the spirit can spread everywhere.

 

What means do you advise against the Church's weariness?

 

I have three important ones to mention. The first is conversion: the Church has to

recognize its own errors and has to travel a radical journey of change, beginning with the Pope

and the bishops. The scandals of pedophilia are driving us to undertake a journey of conversion.

Questions about sexuality and all the themes involving the body are an example of this. They are

important for everyone, at times they're even too important. In this area is the Church still a

point of reference or only a caricature in the media?

 

The second is the Word of God. Vatican II restored the Bible to Catholics. ... Only

someone who receives this Word in his heart can be among those who will help the renewal of

the Church and will know how to respond to personal questions wisely. The Word of God is

simple and seeks as its companion a heart that is listening. ... Neither the clergy nor Church law

can substitute for a person's inwardness. All the external rules, the laws, the dogmas were given

to us in order to clarify the inner voice and to discern spirits.

 

For whom are the sacraments? They are the third means of healing. The sacraments are

not a disciplinary instrument, but a help for people at moments on their journey and when life

makes them weak. Are we bringing the sacraments to the people who need a new strength? I'm

thinking of all the divorced people and couples who have remarried and extended families. They

need a special protection. The Church maintains the indissolubility of marriage. It is a grace

when a marriage and a family succeed. ... The attitude we take toward extended families will

determine whether their children come near to the Church. A woman is abandoned by her

husband and finds a new companion who is concerned for her and her three children. The second

love succeeds. If this family is discriminated against, not only the woman, but her children, too,

will be cut off. If the parents feel external to the Church and do not experience its support, the

Church will lose the future generation. Before Communion we pray: “Lord, I am not worthy...”

We know we are unworthy. ... Love is grace. Love is a gift. The question whether the divorced

can receive Communion would have to be turned upside down. How can the Church come to the

aid of complex family situations with the power of the sacraments?

 

What do you do personally?

 

The Church is two hundred years behind. Why is it not being stirred? Are we afraid?

Afraid instead of courageous? Faith is the Church's foundation.faith, confidence, courage. I'm

old and ill and depend on the help of others. The good people around me enable me to

experience love. This love is stronger than the feeling of discouragement that I sometimes feel in

looking at the Church in Europe . Only love conquers weariness. God is Love.

 

I have a question for you: “What can you do for the Church?”

 

 

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