教皇フランシスコの 100 日間と第九 演奏会欠席の

 

信仰年のためのベートーベンの交響曲第 9 番のコンサートでの、教皇フランシスコの突然の欠席は、解読困難な彼の教皇職のスタートを象徴する出来事であった。マスコミにおける彼の成功には、それなりの理由があると同時に、課題も残されている。それは、妊娠中絶、安楽死、同性結婚といったきわめて重大な政治的問題について、彼が沈黙を保っていることだ。

サンドロ・マジステル( Chiesa Espresso

 

筆者のサンドロ・マジステルはミラノ生まれの作家・ジャーナリスト。 l'Espresso 誌に主にカトリック教会とバチカンに関する記事を執筆している。 WWW.CHIESA というネット誌も主宰。世界に多くの読者がいる。

 

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<ローマ発、 2013 年 6 月 24 日> 教皇フランシスコの教皇職の最初の 100 日間については、多くの観測筋がこぞってその評価を試みている。

しかし、ホルヘ・マリオ・ベルゴリオが教皇に選出されたその日から、一身に集めてきた大きく揺るぎない人気の中に、既に評価の要素がある。彼が公式の場に現れたときは、いつもあふれんばかりの群衆が彼を迎えている。すべての世論調査は、この教皇に送られる喝采が最高レベルに達しており、それがカトリック教会への信頼の増大にもつながっていると分析している。更に驚くべきことは、ベネディクト 16 世の在位の間、特に教皇と教会に対して攻撃的であった一般世論が、好意を持って新教皇を見ていることである。

 

教皇フランシスコは、成功の統計的数値を信じてはいない。彼は「神が数値を決めるのです。」と、おそらくは自らのビジョンを最もよく表した演説の中で述べている。それは、 6 月 17 日、オーディエンスホールとその周囲の広場を埋め尽くしたローマ教区の数千人の信者を前に行った 30 分間の即興の講話である。

 

「わたしは福音を恥としない。」 (訳注: ロマ1:16)

 

しかし同時に、教皇フランシスコは、自分も普通の人間の一人でありたいと願っており、そのためのやり方を知っている。集団との関わり方に特別に熟達していた教皇カロル・ヴォイティワ(ヨハネ・パウロ 2 世)とは違い、教皇ベルゴリオは、個人を魅了する方法を知っている。群衆の中を進むとき、彼は全体を見ることはせずに、その道筋で出会う人と次々に視線を、身振りを、言葉を交わしていく。仮にわずかの人としかそれができなくても、全ての人が自分にも同じことが起こり得るのだと知るのである。教皇フランシスコは、すべての人に自分を近づける能力を持っている。

彼の説教は、さらに人々に近づいたものである。少ない基本的な真理で構成され、その真理を絶え間なく口にし、先に引用した 6 月 17 日の講話で行っているように「すべては神の恵みである。」という励ましの言葉によって自分の明確な意図を要約している。それは即ち、たとえ罪人のままであっても、すべての人々をどこまでも赦し、その結果「人間の歴史における最も偉大な革命」を実現するキリストの恵みを指し示している。

 

教皇フランシスコの説教には独特の様式があり、準備した演説の草稿よりも、その場のアドリブの方が多い。しかし、アドリブのように見える内容は、実はじっくりと練り上げられたものなのだ。それは、彼が教皇に選出されたその日の夕刻、聖ペトロ大聖堂のバルコニーに初めて顔を出したときから直感的にうかがうことができた。

彼の演説の中身は、その振る舞いと同様に、じっくりと熟考を重ねられたものである。そこには、沈黙や省略も組み込まれている。そして、ことによると、教皇フランシスコが非信者( partibus infidelium の間で、あるいはマスコミや一般世論の間でこのように好意をもって受け入れられているのは、まさに、彼の「話すこと」および「話さないこと」の中にその理由があるのかもしれない。

 

 

そもそも、「 貧しい 人々による 貧しい 人々の ため の」 教会を求める姿勢が、教皇フランシスコの人物像として定着し、それが、彼の質素な日常によって裏付けられるところとなった。理由はいろいろあるにせよ、この点については誰もが認めざるを得ないだろう。

 

またこれも異議のないところだろうが、教皇は、世界経済の支配者たちに対して、しばしば激しい非難を浴びせている。支配者たちを一般論的に、曖昧な形でとりあげて非難している分には、真の「強権者」あるいは「強権者」と見なされる人々は、誰も実際に自分が攻撃されているとか、反撃するよう挑発されていると感じることはないだろう。教皇フランシスコはまた、明白な腐敗とまでは言えないにしても、教会共同体のうちに存在する出世欲と金銭欲を執拗に非難している。

 

そういった非難の最近の例は、数日前のことだ。教皇ベルゴリオは 6 月 21 日、教皇大使らとその関係者を迎えて、彼らの主要な責務の一つである司教候補者の選出を毅然として遂行するようにと、次のような注意を与えた。


「司教指名のための調査という細心の注意を要する仕事に際しては、候補者が人々に近い司牧者であるかどうかという点に注目しなければなりません。第一の基準は次のようなものです。(仮に)その人が偉大な神学者で優れた頭脳の持ち主ならば、大学に行かせなさい。その人はそこで大いに役立つことでしょう。 司牧者! わたしたちが必要とするのは司牧者なのです。父親となり兄弟となり、柔和で辛抱強く、情け深く、貧しさを愛し、主に向かって解放された内面と、簡素で質素な外面を持ち「原理原則」に囚われない司牧者が必要なのです。

その人たちが野心的でないか、司教の地位を求めていないかを注意深く見極めなければなりません。福者ヨハネ・パウロ 2 世が、司教省の長官である枢機卿と共に臨んだ最初の謁見のうちの一つで、長官が教皇に、司教の地位につくべき候補者選抜の基準を尋ねました。すると、教皇は、その独特な声でこう言いました。『第一の基準は、 volentes nolumus 訳注:自ら望まないこと です。 』司教の地位を求める人々、これはだめです。また、一つの教会をよく管理し、いつも別の教会に目移りするようなことのない人でなければなりません。」

 

教皇はまた、 5 23 日にイタリア司教たちと初めて会見した際の訓示の中で、理想的な司教の像を描きながら、積極的な調子で次のように続けた:

「司牧者は、羊たちに道を示すために群れの先頭に立つことが出来なければなりません。また羊たちをまとめるためには群れの真ん中に立つ必要があり、さらに後に置き去りにしないために群れの後ろに立つことも出来なければなりません。羊たち自身、道を見つけるための、いわゆる“嗅覚”を持っているからです。」

 

そしてここでも、教皇フランシスコが、至極当然のように人々の共感を勝ち得ていることがうかがえる。教皇は彼が非難する対象とは明らかに異質な存在であること。新しい司教の選任はもっと注意深く行い、ローマの官僚機構を改革すべきであるとの意向を表明していること。これらが指し示す教皇の人物像は、人々の共感をいっそう増大させる要因になっている。

 

それ以上に、この点(教皇庁の改革)に関しては、教皇への共感があまりに強固なために、非難の対象になっている「被告」さえも口を封じられた形だ。官僚たちは沈黙を守り、抗議する司教は一人もいない。教皇ベルゴリオはこれまで、「どんな方法で、誰を攻撃しようとしているのか」を明らかにしたことはない。バチカンでもっとも危惧されている二つの現実(実状)について、教皇は機会あるごとにはっきりと指摘してきた。それは「ゲイロビー」(同性愛)と「 IOR 」( 宗教事業協会 : ローマ教皇庁の資金管理と運営を行う組織)である。その上、 IOR について 教皇は既に 6 15 日に 「監督者」として Monsignor Battista Ricca に全権を与え、その職に当たるように手配した。

訳注:「ローマ・カトリック教会総本山、バチカン法王庁には同性愛者のロビー活動が存在する」とローマ法王フランシスコが 2013 6 月初め、南米・カリブ海修道院関係者との会合の中で漏らした、と報じられた。独週刊誌シュピーゲルの最新号は、ホモ雑誌「男たち」の編集長ダニエル・ベルガー氏(カトリック、保守派)とのインタビュー記事を掲載し、フランシスコ法王の「同性愛者のロビー」発言が事実であることを裏付けている。( http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52037031.html

訳注:バチカン銀行として知られる「宗教事業協会」( Istituto per le Opere di Religioni/IOR )は、ローマ教皇庁の資金管理と運営を行う組織。ローマ教皇から指名された枢機卿が総裁となり、総裁のもとに各国の民間の投資銀行を通じて投資運用し資金調達を行っている。なおバチカンが公表する「国家予算」には、「宗教事業協会」の投資運用による利益は入っていない。 1929 年のラテラノ条約締結後にイタリア王国から支払われた 9 4000 万ドルの賠償金を資本に、第二次世界大戦中の 1942 6 27 日に、ピオ 12 世によってそれまでの「宗務委員会から改組され設立された。なお 1945 8 月に終結した第二次世界大戦後にドイツの戦犯容疑者の南アメリカ諸国やスペインなどへの親ドイツ、反共カトリック国への逃亡ほう助に、宗教事業協会の資金(ナチスの金塊)が流用されたと指摘された。 1999 11 Alperin v. Vatican Bank て知られる集団訴訟が始まり現在も継続中である。黒いうわさが多々囁かれている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99%E4%BA%8B%E6%A5%AD%E5%8D%94%E4%BC%9A
 

彼( Monsignor Ricca は、バチカンの書記局の第2セクションに居たとき、金遣いが荒く虚栄心の強い教皇大使たちに非常に厳しく接し、清廉潔白な人物との評判を得ており、教皇の信頼の厚い人物である。

訳注: Monsignor Ricca については、本記事の発表後に、彼が南米(ウルグァイ)駐在時にマフィアと関係を持っていた事実が明るみに出て教皇の信頼に陰りが出ていると言われる。 7月3日 Chiesa Espresso 誌に、本記事の執筆者 サンドロ・マジステルの、 この件に触れた 記事がある。
http://chiesa.espresso.repubblica.it/articolo/1350551?eng=y

 

そのような教皇大使たちの中で、特に教皇ベルゴリオ自身が嫌悪の念を抱いているのは、 2003 年から 2011 年まで駐アルゼンチンのバチカン大使だったアドリアーノ・ベルナルディ大司教である。フランシスコは、ベルナルディが現在、駐イタリア教皇大使であるにもかかわらず、これまで彼との会合を避けてきた。

 

しかしながら、教皇フランシスコに対して世界的な一般世論が抱いている好意を一番よく説明する要因は、彼の、政治的分野における沈黙、特にカトリック教会と中心的な文化との間で一触即発の大きな対立が起きている問題に対する沈黙である。

妊娠中絶、安楽死、同性婚は、教皇フランシスコがこれまで、意図的に説教で触れることを避けてきた言葉である。

 

妊娠中絶、安楽死を否定するヨハネ・パウロ 2 世の力強い回勅「いのちの福音」( "Evangelium Vitae" 1995 年)を記念する 6 16 、教皇ベルゴリオは確かにそれについて語りはしたが、それは拍子抜けするほど手短で当たりさわりのない表現が用いられていた。それは、回勅が出された 1995 年に、教皇カルロ・ ヴォイティワが戦った地球規模の壮絶な戦いや、その伏線になった前年( 1994 )のカイロにおける国連「国際人口開発会議」での論争と比較すると、実に拍子抜けするようなものであった。

訳注 国際人口開発会議  1994年にカイロで開催された国際人口開発会議は,約180カ国の参加に加えて,約1400のNGOが参加した。NGOを含む大勢の意見は、妊娠中絶についての寛容な考え方を支持したが,カトリック諸国とイスラム諸国が反発し,激しい論争があった。

http://members.jcom.home.ne.jp/devplansite/devplan090.htm

http://m.wol.jw.org/sv/wol/d/r7/lp-j/102000772

 

ヨハネ・パウロ 2 世と次のベネディクト 16 世は、 膨大なエネルギーを費やして、誕生と死に関する近代的イデオロギーや、神が創造された男女の二元性の崩壊などに象徴される新時代の挑戦に立ち向かった。

ジョセフ・ラッツィンガー(ベネディク 16 世)は、昨年のクリスマスイヴに教皇庁職員に向けて行った最後の偉大な説教を、この後者の問題に捧げている。

 

二人の教皇は、いずれもこれらのきわめて重要なテーマに関する指導者として行動し、カトリック信者の「信仰を強める」ことへの義務感をより強く感じていた。それはまさに、あまりにも多くの人々の信仰が不確かであり、幾つかの国々の司教会議が機能不全に陥っているからである。その中では辛うじて、カメロ・ルイニ枢機卿とアンジェロ・バナスコ枢機卿率いるイタリアの司教会議と、フランシス・ジョージとティモシー・ドラン率いるアメリカの司教会議、そしてアンドレ・ヴァントロワ枢機卿率いるフランスの司教会議が、わずかな例外と言える。

 

フランスでは最近、同姓結婚の合法化をめぐり、知識人や、カトリック信者とそうでない一般の人々から異常なまでの反応 (訳注:賛否両論) があり、ここは教皇フランシスコのコメントがもっとも期待される場面であった。

 

しかし教皇は、フランスの教会の行動を支持する言葉を一言も発しなかった。 6 15 日、 Group of friendship France - Holy See (フランス/教皇庁友好グループ)の国会議員がバチカンで謁見したときでさえも一言もなかったのである。

 

教皇フランシスコはこれからも、政治的な分野に関係する問題について発言を自制する姿勢を保つだろうと予想される。この自制はバチカン国務省の言論自由をも抑制することになる。しかし、そのような発言は各国の司教団の責任領域であるというのが教皇の確信である。彼は、イタリアの司教団に対し、間違えようのない言葉で次のように語った。「政治的なグループとの対話は、皆さん方の役割です。」

 

教皇ベルゴリオが、世界の司教たちの平均的資質に悲観的な評価を抱いていることを考えると、この「委任」には大きな危険がある。今度は、司教たちが、信頼の置けないままに信徒に決定を委ねたくなるのではないだろうか。それは司教の身分という刻印のついた人々に課せられたリーダーシップの役割を放棄することになる。しかし教皇フランシスコは、恐れずそのリスクに立ち向かおうとしている。彼がこれまでに言ってきたように、もしも司教が不確かだとしても「羊の群れ自体が道を見いだす嗅覚を持っている」ことを確信しているからである。

 

 

そして、最後に、教皇フランシスコの最初の 100 日を 特徴付けるもう一つの沈黙がある。

それは、第 2 バチカン公会議についての沈黙である。これまで彼は公会議を引き合いに出すことは滅多になく、ごく稀にしか言及してこなかった。一方、ベネディク 16 の場合は、それが最後の最後まで中心的な要素となっていた。それを知るには、教皇職辞任の数日前にローマの司祭たちに行った臨時の講話のことを考えれば十分だろう。


ここでも、信じられないことであるが、ラッツィンガー教皇の時にとりわけ熾烈な議論が交わされていた第 2 バチカン公会議の解釈と適用に関して、今は、教会内部のほぼすべての論議が沈黙してしまったのだ。

 

教皇フランシスコになって、ル フェーブル派 (ピオ 10 世会 )はおとなしくなり、その解決は遙かに遠のいてしまったかのようである。しかし、その一方で、教会の民主化を支持する人たちは、新しい教皇を褒め称えている。

訳注:ルフェーブル派・ピオ十世会: 1970 年フランスのマルセル・ルフェーブル大司教が創立。カトリック教会の伝統主義の擁護を標榜し、第 2 バチカン公会議に伴う変化に反対するローマ教皇庁未認可の組織。 1988 年にヨハネ・パウロ 2 世が無断人事のかどで破門した聖ピオ十世会の 4 人の司教に対して、 2008 年ベネディクト 16 世が破門を解除した後に、その内の一人、リチャード・ウィリアムソン 司教 のホロコーストに関する発言がユダヤ団体から反発を生んだことは、ローマ教皇最大の失態などと報じられ禍根を残すことになった。詳細は、次のサイトを参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E3%83%94%E3%82%AA%E5%8D%81%E4%B8%96%E4%BC%9A
 

しかし、ジュゼッペ・ドセッティ、ジュゼッペ・アルベリーゴ アルベルト・メローニの 3 人が、 1978 年の 2 回のコンクラーベのときに枢機卿たちに送り、 2005 年と 2013 年のコンクラーベのときにも再版された進歩的な「最初の 100 日のプログラム」と比較すると、教皇フランシスコの「最初の 100 日」は少々違っていて、むしろ伝統を守る「昔気質」のイエズス会の総長といった感じを受ける。

訳注: 1978 年は、ヨハネ・パウロ 1 世が在位わずか 1 カ月余で急死したため、次のコンクラーベが年内に行われ、ヨハネ・パウロ 2 世が選出された。
 

 

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追記 教皇になって正確に 100 日目の 6 22 日、教皇フランシスコは、彼にもっとも信頼を置く崇拝者たちでさえ困惑するような行動に出た。


その日、謁見ホールの中央に置かれた教皇の椅子は空席のままだった。謁見の直前に発表された欠席の理由は、内容不明の「緊急かつ延期不可能な業務」のためとされ、公式の機関誌 オッセルヴァトワーレ・ロマーノ さえも知らされないままであった。

教皇は謁見ホールで、信仰年にちなんで演奏されるベートーベンの交響曲第 9 番を鑑賞することになっていたが、結局は教皇不在のまま演奏が行われた。

 

「わたしは、働く代わりに音楽を聴くようなルネッサンスの王族とは違う。」

これは、教皇庁内部にいる教皇絶対主義者の誰かが、彼に言わせてしまった言葉である。

その人たちは、それが教皇にとって悪い結果しか生まないことに気づかなかったのだ。

 

教会史学者アルベルト・メローニに言わせれば、この行為には教皇フランシスコの革新的なスタイルを裏付ける「謹厳で厳格な響き」を伴う気高さがあるという。しかし、現実にはその行為が彼の教皇職の始まりをいっそう解りにくいものにしている。教皇フランシスコの福音宣教への衝動、すなわち、人間社会の「周辺にある存在」( “existential peripheries” に手を差し伸べたいという欲求は、実は、偉大な音楽という言語の中にこそ、並外れて効果的な伝達手段を見いだせる筈だったのではないだろうか。

訳注:「周辺にある存在( existential peripheries )」について教皇のことば 「 The future of the Church is on the existential peripheries where humanity is in sin, pain, suffering injustice, ignorance . 」 ( http://protectthepope.com/?p=7245

 

ベートーベンの交響曲第 9 番の中で、その言語は崇高なまでの高みに達し、信仰のすべての垣根を越えて理解され、比類ない喚起力を秘めた「異邦人の中庭」となる。ベネディクト 16 世は、どの音楽会においても出席者の心に触れる感想を述べて、自らの公式出席を意義あるものにした。

訳注:「異邦人の中庭」とは、エルサレム神殿の一番外の庭で、ユダヤ教徒以外の人の祈りの場所とされた。 また聖書では、イエスがそこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒された場所。(マタイ 21.12 ) 

 

一年前、ミラノのスカラ座で他ならぬベートーベンの交響曲第 9 番を聴いた後に、教皇ジョゼフ・ラッツィンガーは次のように結んだ。

「このコンサートの後、多くの人々が聖体礼拝に行くことでしょう。わたしたちの苦しみの中に浸り、今も浸り続けておられる神のもとへ……、わたしたちと共に、またわたしたちのために苦しみ、それによって全ての人々が他者の苦しみを分かち合えるようにし、それを愛へと変える神のもとへ……。わたしたちがこのコンサートによって『呼ばれている』と感じるのは、まさにこのこと故なのです。」

 

 (英訳: Matthew Sherry

 


The Hundred Days of Francis and the Enigma of the Empty Chair

 

His sudden refusal to listen to the Ninth Symphony of Beethoven offered for the Year of Faith is the seal on the beginning of a pontificate that is difficult to decipher. The success that he enjoys in the media has a reason and a cost: his silence on the crucial political questions of abortion, euthanasia, homosexual marriage.

By Sandro Magister

 

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ROME, June 24, 2013 ? The first hundred days of the pontificate of Francis have led many observers to attempt an assessment of it.

But there is already an element of evaluation in the immense and enduring popularity that Jorge Mario Bergoglio has enjoyed since the day of his election as pope. At
every public appearance he is met with teeming crowds. In all of the opinion surveys the applause for this pope reaches the highest levels, which is also translated into a growth of trust in the Catholic Church. And what is even more astonishing is the benevolence with which he is looked upon by secular public opinion, which was particularly aggressive toward the Church and the pope during the pontificate of Benedict XVI.

Francis does not believe in the statistical measurement of success. “God does the statistics,” he said in what is perhaps the address most representative of his vision among those he has given so far: the half-hour improvised talk that he gave on June 17 to the many thousands of faithful from his diocese of Rome who were packed into the audience hall and the surrounding square:

 

"Io non mi vergogno del Vangelo"

But at the same time he wants to be of the people, and knows how. Unlike pope Karol Wojtyla, who was extraordinarily adept at relating to the masses, pope Bergoglio knows how to win over individuals. When he makes his way through a crowd, he does not look at the whole but exchanges glances, gestures, words with one or another person whom he meets on his path. And if this happens only for a few, everyone knows that the same could happen for them. Pope Francis has the ability to make himself close to everyone.

His preaching is even more of the people. Made up of a few elemental truths, which recur incessantly on his lips and in a definitive sense are summarized - as he did in the cited discourse of June 17 - in a consoling “all is grace”: the grace of Christ who incessantly forgives even though all continue to be sinners, and thereby realizes “the greatest revolution in the history of humanity.”

The preaching of Francis is original in its form, in which the written text is greatly superseded by spontaneous speech. But what appears to be the fruit of improvisation is in reality carefully studied, as can be intuited from his first appearance on the loggia of the Basilica of St. Peter, on the evening of his election as pope.

 

The contents of his discourses, just like his actions, are all carefully pondered, including in their silences and omissions. And perhaps it is precisely in what he says and about what he is silent that there lies the reason for the favor that Francis enjoys also “in partibus infidelium," or in the media and secular public opinion.


In the first place, the call for a Church that is “poor and for the poor” - which has become almost Francis's identification card and is confirmed by the simplicity of his everyday life ? is one of those which all are inevitably compelled to appreciate, albeit for the most diverse reasons.
      訳注: “ How I long for a poor Church for the poor!” With these words spoken after being elected pope,

Jorge Bergoglio underscored a theme that continues to be front-and-center of his papacy.”


Also impossible to contest are the frequent invectives of the pope against the potentates of global finance. As long as they are evoked in a generic and vague form, none of these real or presumed “strong powers” will feel actually attacked and provoked to react. And then there are Francis's
insistent reprimands against the career ambitions and desire for wealth - if not outright corruption - present in the ecclesiastical camp.

The latest of these reprimands came a few days ago. Receiving the pontifical nuncios and delegates on June 21, pope Bergoglio cautioned them to carry out with the greatest rigor one of their key responsibilities, the selection of candidates for bishop:

 

"In the delicate task of carrying out the investigation for episcopal appointments, you should be attentive that the candidates are pastors close to the people. This is the first criterion: pastors close to the people. [If] he is a great theologian, a great brain, let him go to the university, where he will do so much good! Pastors! We need them! That they may be fathers and brothers; that they may be meek, patient, and merciful; that they may love poverty, interior as freedom for the Lord and also exterior as simplicity and austerity of life; that they may not have a psychology of 'principles.'

You should be attentive that they are not ambitious, that they are not seeking the episcopate. It is said that in one of the first audiences that Blessed John Paul II had with the cardinal prefect of the congregation for bishops, the latter asked him about the criterion of selection for candidates to the episcopate. And the pope said, in his distinctive voice: 'The first criterion: volentes nolumus.' Those who seek the episcopate. . . No, it's no good. And that they may be husbands of one Church without being constantly in search of another.”

 

The pope then continued in a positive vein by drawing a portrait of the ideal bishop, with exhortations that he had also addressed to the Italian bishops he met with for the first time last May 23:

 

"Pastors should be able to stand before the flock in order to show them the way, in the midst of the flock to keep them united, behind the flock to prevent anyone from remaining behind and because the flock itself has, so to speak, the scent in finding the way."

So then, here as well it is entirely natural that Pope Francis should enjoy a general consensus, increased by his personal profile, which is visibly alien from the object of his denunciations, as also from his declared intention to proceed with a more careful selection of new bishops and the reform of the Roman curia.

 

More than that, the consensus that surrounds the pope in this regard is so extensive as to silence even the “defendants.” The curia is mute, no bishop is protesting. Bergoglio has not said how and whom he wants to strike. At the Vatican, the two realities most in alarm are the only ones to which he has alluded specifically so far: the “gay lobby” and the Institute for Works of Religion, IOR, where moreover on June 15 he has already seen to placing a "prelate" of his own endowed with full powers, Monsignor Battista Ricca.

 

Who enjoys the pope's trust precisely because of the reputation as incorruptible that he earned when he served in the second section of the secretariat of state, because of his great strictness with spendthrift and vainglorious nuncios.

 

One of these nuncios particularly distasteful to Bergoglio himself is Archbishop Adriano Bernardini, the Vatican ambassador to Argentina from 2003 to 2011. Pope Francis has avoided meeting with him so far, in spite of the fact that Bernardini is now the nuncio to Italy .

 

 

The element that, however, explains better than any other the benevolence of worldwide secular public opinion toward Francis is his silence in the political camp, especially on the minefield that sees the greatest opposition between the Catholic Church and the dominant culture.

Abortion, euthanasia, homosexual marriage are terms that the preaching of Francis has so far deliberately avoided pronouncing.

 

John Paul II and Benedict XVI after him exerted immense energy in opposing the epochal challenge represented by the modern ideology of birth and death, as also by the dissolution of the created duality of male and female.

 

To this latter question Joseph Ratzinger dedicated his last great discourse to the curia, last Christmas Eve.

 

And both of these popes felt even more keenly the duty of acting as guides and "strengthening the faith" of Catholics on these crucial themes precisely because they were aware of the uncertainty of so many faithful and of the sluggishness of some of the national episcopal conferences, with the few exceptions of that of Italy, as headed by cardinals Camillo Ruini and Angelo Bagnasco, of America, as headed by Francis George and Timothy Dolan, and of France, as headed by Cardinal Andre Vingt-Trois.

 

The recent case of France , with the extraordinary reaction of intellectuals and of the people, Catholic and not, to the legalization of homosexual marriage, was the one on which Pope Francis was most anticipated to comment.

 

But he did not say even a single word in support of the action of the Church of France , not even when on June 15 he received at the Vatican the members of parliament of the “Group of friendship France - Holy See."

 

It is to be expected that in the future Francis will continue to adhere to this reserve of his on questions that concern the political sphere. A reserve that will also gag the secretariat of state. It is the pope's conviction that such statements are the preserve of the bishops of each nation. He has told those of Italy in unmistakable words: “The dialogue with political institutions is your affair.”

 

There is much that is risky in this delegation, given the pessimistic judgment that Bergoglio has on the average quality of the bishops of the world. Who are in turn tempted to delegate the decisions to laymen also of dubious reliability, renouncing the role of leadership that belongs to those who are marked with the episcopal character. But it is a risk that Francis is not afraid to face, convinced as he is - he has said so - that if the bishop is unsure, “the flock itself has the scent in finding the way.”

 

 

There is, finally, another silence that has characterized the first hundred days of Pope Francis.

It is the silence on Vatican Council II, which he has cited so far only rarely and marginally. When instead for Benedict XVI it was a central element right to the end: it should suffice to think about the extraordinary account that he gave of it to the priests of Rome a few days before his resignation of the pontificate.

The miracle, here as well, is that almost all of the intra-ecclesial controversies on the interpretation and application of Vatican II have fallen silent, which had been particularly virulent with Pope Ratzinger.

 

With Pope Francis, the Lefebvrist schism has gone to sleep and its resolution seems very remote. While on the other hand the supporters of the democratization of the Church are singing the praises of the new pope.

But if one compares the first hundred days of Pope Francis with the progressive “program of the first hundred days” delivered by Giuseppe Dossetti, Giuseppe Alberigo, and Alberto Melloni to the cardinals of the two conclaves of 1978, and reprinted on the occasion of the conclaves of 2005 and 2013, it will be discovered that the current pope resembles, instead, a superior general of the Society of Jesus of the old school.

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POSTSCRIPT - Precisely on his hundredth day as pope, on June 22, Francis did something that bewildered even some of his most convinced admirers.

For the sake of an unspecified “urgent and non-postponable task" announced only at the last minute and after having kept in the dark even “L'Osservatore Romano,” he left empty his chair in the center of the audience hall where he was about to be given a performance, on the occasion of the Year of Faith, of the Ninth Symphony of Ludwig van Beethoven, which was then performed in his absence.

 

“I am not a Renaissance prince who listens to music instead of working”:this is the phrase that was put into his mouth by some of the “papists” of the curia, unaware that they were only doing him harm with this.

訳注: Papist is a term, usually disparaging or an anti-Catholic slur, referring to the Catholic Church, its teaching, practices or adherents. It was coined during the English Reformation to denote a Christian whose loyalties were to the Pope, rather than to the Church of England. Over time, however, it came to mean one who supported Papal authority over all Christians and thus became a popular term, especially among Anglicans and Presbyterians. The word, dating from 1534, derives via Middle French from Latin papa, meaning "Pope".

 

For Church historian Alberto Melloni, the gesture has the grandeur of “a solemn, severe peal" that confirms the innovative style of Francis. But in reality, it has made the beginning of this pontificate even more indecipherable. The evangelizing impulse of Pope Francis, his wanting to reach the “existential peripheries” of humanity, would in fact seem to have precisely in the language of great music a vehicle of extraordinary efficacy.

 

In Beethoven's Ninth this language reaches sublime heights, makes itself comprehensible beyond all boundaries of faith, becomes a “Courtyard of the Gentiles” of incomparable evocativeness.

Benedict XVI followed his public attendance at each concert with reflections that touched the minds and hearts of those present.

 

One year ago, after listening to none other than the Ninth Symphony of Beethoven at the theater of La Scala in Milan , pope Joseph Ratzinger concluded as follows:

"After this concert many will go to the Eucharistic Adoration, to the God who immersed himself in our suffering and continues to do so, to the God who suffers with us and for us and thus made men and women capable of sharing the suffering of the other and transforming it into love. It is precisely to this that we feel called by this concert."

 

English translation by Matthew Sherry, Ballwin, Missouri, U.S.A.

 

 

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