神の御言葉が家族を聖化する
聖家族 ( A 年) 聖書黙想 2010/12/26 トマス・ロシカ師
聖家族の主日の聖書朗読は、権利と義務の緊張関係を取り上げます。聖書のテキストは、義務は権利に優先することを断言します。このことから推して、真に人間的な、本当のキリスト者の優先順位は自分のために他の人にしてもらうことよりも、自分が他の人々のためにできることにある、といえます。仕えられるよりもむしろ僕の役割の中に身を置くならば、自分優先の考え方は、棄て去られるべきでしょう。 仕えることと自己を捨て去ることは、本当の家族生活の中心です。
紀元前 2世紀初頭の、今日の第一朗読シラ書 ( 3:2-6,12-14 ) の著者である Ben Sira は、短いが、計り知れない価値のあるコメンタリー(注解)を第四の掟「あなたの父母を敬え。」について書いています。
この著者は、自分の父母を尊敬する者が受けるこの世での報いを述べます。年老いて、弱々しい両親でさえも、この尊敬は当然のこととされる。それを通して、子供たちの罪は容赦される。尊敬を払わぬことは神への冒涜であり、神の呪いに値する。 ( 3:16 )
訳注:第 4 の掟:出エジプト記 20:12 「あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。」
訳注:シラ 3:16 「父を見捨てる者は、神を冒涜する者、同じく/母を怒らせる者は、主に呪われている者。」
キリスト者の家庭における生活:
第二朗読のコロサイ ( 3:12-21 ) は、キリスト者の家庭に望ましいキリスト者としての生活を取り上げます。信じる者の家庭の特質は、キリストの自己犠牲に倣う、互いの赦し、愛、平和と感謝にあります。
聖家族のための主日である今日の福音 ( マタイ 2:13-15,19-23 ) と、来週( 1 月 2 日)の「主の公現」の主日の福音 ( マタイ 2:1-12 ) の両方で、わたしたちは、マタイの語るイエスの幼子の物語が、子ども向けのお話とは全く違う、悲劇的な大人向けの物語であることに改めて気づきます。死をもたらす権力が支配するのと同じ時に幼子は生まれます。ヘロデ王は、賢人たちに旅の目的を裏切らせ、将来の可能性と新しいいのちへの関わりをやめさせるために、彼らを取り込もうとします。この著しいコントラストを見せる物語全体の中心に、喜びである幼子が横たわっています。ヘロデは、この「全ての民の大きな喜び」を怖れるのです。
マタイ ( 2:13-15,19-23 ) は、神の言葉への忠実さにしっかりと根差しているイエスの家族を示します。
ヨセフはイスラエルを去れとの命令を受け入れ、やがて後日(命令に従って)再び帰国します。ヨセフは、まず自分の義務を大切にします。イエスこそが家族の生活の守るべき中心でなければならないという義務です。聖家族は、人の尊厳と美しさ、家庭生活のすばらしい模範です。イエスが、どのように貧しく、孤独な、無防備の人々に手を差し伸べるかを学んだのは、ここナザレの家なのです。マリアとヨセフから息子イエスに何か美しいものが伝えられたのは、ナザレにおいてでした。
正義の人、ヨセフ:
家族に捧げられるこの主日にあたって、クリスマス物語の沈黙の証人ヨセフについて黙想しましょう。ヨセフは、イエスの生物学上の父ではありません。イエスの父は神おひとりです。しかもヨセフはその父の役割を十分に、そして完全に果たします。ヨセフは、キリストの栄光とマリアの純粋さの前で影が薄くなりがちです。しかし、ヨセフもまた、神が彼に語りかけるのを待ち望み、そして従順に応えました。ルカとマタイは双方とも、ヨセフをイスラエルの最も偉大な王ダビデの後裔として記録します。 ( マタイ 1:1-16 、ルカ 3:23-38 ) 聖書は、ヨセフについての最も重要な理解、「ヨセフは正しい人であった」 ( マタイ 1:19 ) という言葉を残しています。
ヨセフは、憐み深い、思いやりのある人でした。婚約後にマリアの妊娠を知って、彼はその子が自分の子ではないことは知っていましたが、マリアが宿しているのが神の子だとは気づきませんでした。
ヨセフは律法に従ってマリアを離別しようと考えましたが、彼女の苦しみと安全を気遣いました。ヨセフはまた信仰の人で、神が求めることは何でも、その結果を知ることなしに従順に従いました。天使が再び来て、家族が危険にあるとヨセフに告げた時、彼は一切の持ち物と、自分の親兄弟、友人をも擲って、若い妻と幼子を連れて見知らぬ国に逃れました。彼はエジプトで、天使が、帰国しても安全と告げるまで待ちました。 ( マタイ 2:13-23 ) .
聖書は、ヨセフは大工(より近い意味では建築業)であり、家族を養う男であったと語ります。ヨセフは金持ちではありませんでした。なぜならば、イエスの割礼とマリアの清めのために二人を神殿につれて行ったとき、犠牲として山鳩ひとつがいか家鳩の雛二羽(ルカ 2 :24 )を捧げようとしました。それは羊をささげることができない貧しい人にだけ許されたことでした。
ヨセフの父親としての役目:
ヨセフは神の真理を言葉と行いで示す父親たちのユニークな役割を彼の人間性の中に現しました。「イエスの養父」という彼の逆説的な状況は、父親の役目についての真理に注目させます。そしてそれは、生物学的な親子関係を超えるものです。人は、子供の霊的、倫理的人間形成に尽くそうとするときに最も父親らしくなります。彼は、全ての父親がそうあるべきであるように、父である神の代理者としてその役割を果たそうとしました。
確かに福音書は、沈黙のうちに役目を果たすヨセフの言葉を何も記していません。神が自分の配偶者になされた神秘を見出す以前にも、またこの神秘を意識して、その誕生にマリアと共に立ち会っている時にも、いずれの時も、それがヨセフの全存在を特徴づけるスタイルなのです。その聖なる夜に、ベツレヘムで、マリアと幼子と共に、ヨセフは居るのです。その彼に天の父は、地上における御子の日々の世話を、謙虚さと沈黙のうちに果たすよう委託したのでした。
忠実で、賢い僕、ヨセフ:
ベネディクト 16 世 が我々に教えるように、「大切なことは、役立たずの僕でなく、『忠実で、賢い僕』であることです。この二つの形容詞の組み合わせは偶然によるのではありません。それは、忠実さなしの理解、知恵のない忠実さは、共に不十分であることを示唆します。その一方だけで、他を欠くときには、神が我々に委託される責任を果たすことはできないでしょう。」
ヨセフにおいては、信仰は行動と離ればなれではありません。彼の信仰は、彼の行動に決定的な影響力を持っていました。逆説的にいえば、彼が脇に避けて神が自由に行う余地を設け、何らの邪魔もしなかったことが、実は、彼の行為であり、自分の責任を果たすことだったのです。ヨセフは「正しい人」 ( マタイ 1:19 ) です。なぜなら、彼は、神の御言葉に「合わせた」存在だったからです。
主の「養父」ヨセフは、父親の役目が、生物学的な親子以上のものであることを現します。人は自分の子供たちの霊的、倫理的な人間形成に尽力するときに最大に父性を現します。現実の父親たち、そして現実の男たちは、父親の力と思いやりを通わせる人々なのです。苦難との戦いのさなかにも、彼らは理性の男たちです。違った考えに対して誠実な対話にいつも開かれている信念の男たちです。他の人々がリスクをとらないとか、苦労をしないなどとは決して言わない男たちです。ヨセフは、純潔で、忠実な、よく働く、単純で、正しい男です。彼は、家族、家庭、共同体、小教区(教会)が、権力や所有権ではなく、善性の上に築かれることを、また豊かさや富ではなく、信仰、忠実、純粋、それに互いの愛の上に築かれるということを、わたしたちに思い起こさせます。
聖ヨゼフよ、神の御言葉に注意深く耳を傾け、御言葉の通り行い、幼子イエスの賜物を慈しむナザレの聖家族に倣うよう、わたしたちを強め、助けて下さい。聖家族はいつも、御言葉が肉となりわたしたちの間に住まわれる模範です。
家族生活の中の神の御言葉:
わたしたちは、ベネディクト 16 世 の使徒的勧告 "Verbum Domini" (主の御言葉)を引続き読むのですが、今日は #85 、 「神の御言葉、結婚と家族について」がよいと思います。
「今回の司教会議はまた、神の御言葉と結婚、それにキリスト者の家庭の三者の関係を強調する必要を感じました。実際に、 『 神の御言葉の宣言を以て、カトリック教会は、キリスト者の家族に、彼らの真のアイデンティティ(独自性)とは何か、また、それはどうあるべきかを、神のご計画にしたがって示します。 』 それゆえ、神の御言葉が結婚のそもそもの起源であることを決して忘れてはなりません。 ( cf. 創世記 2:24 ) そしてイエスご自身が結婚を彼の王国のしきたりの一つになさったこと、また、人間の本性に最初から刻まれていたものを、尊い秘跡にまで高めてくださったことを決して忘れてはなりません。 ( cf. マタイ 19:4-8 )」
訳注:創世記 2:24 「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。」
訳注:マタイ 19:4-8 :(イエスはお答えになった。)「 “ あなたたちは読んだことがないのか。創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。 ” そして、主はこうも言われた。 “ それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。 ” すると、彼らはイエスに言った。 “ では、なぜモーセは、離縁状を渡して離縁するように命じたのですか。 ” イエスは言われた。 “ あなたたちの心が頑固なので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない。 ” 」
「(結婚の)秘跡の儀式の中で、男女は交互に自己犠牲の預言的言葉を述べます。それは「一体」であること、すなわちキリストと教会との一致を表す神秘のしるしです。 ( cf. エフェソ 5:31-32 )
訳注:「 “ それゆえ、人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。 ” この神秘は偉大です。わたしは、キリストと教会について述べているのです。」
神の御言葉に忠実であろうとすると、今日、この(結婚)制度が多くの方法で、今日のメンタリティの攻撃を受けていることに気がつきます。顕著に見られる感情面の混乱や、身体的・性的差異を卑小化する考え方の拡大を目前にして、神の御言葉は、男と女に創造され、互いに忠実で、与え合い実りある愛に招かれた人間の、原初の美徳を改めて確認します。」
「結婚の偉大な神秘は、子供に対する両親の本質的な責任の源泉です。真の親の役割のひとつは、キリストにおけるいのちの意味を伝え、その証人となることです。互いの忠実と家族の一致を通して、 両親がまず なすべきことは、子供たちに神の御言葉を 宣言す ることです。(信者の集いとしての)教会共同体は、家族で祈り、神の御言葉を注意深く聞き、聖書を学ぶことについて、両親を支え、助けなければいけません。
この目的のために、司教会議は、それぞれの家庭が聖書を持ち、それを適切な場所に置いて、読んだり祈ったりするように促しました。これについての助けが必要ならば、何であれ、司祭や助祭、あるいは、そのことに詳しい信徒に頼むことが出来ます。司教会議はまた、幾つかの家族による小さなコミュニティ(家庭集会 ) を設けることを勧告しました。そこでは、聖書の一節を選び、それについて共通の祈りと黙想をすることが奨励されます。配偶者は『結婚と家庭生活の中で起こる困難のさなかには、神の御言葉が貴重な支援となる』ことを忘れないようにしましょう。」
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聖書朗読
シラ 3:2-6, 12-14; (略)
コロサイ 3:12-21; 3:12 あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。 3:13 互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。 3:14 これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。 3:15 また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。 3:16 キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。 3:17 そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。 3:18 妻たちよ、主を信じる者にふさわしく、夫に仕えなさい。 3:19 夫たちよ、妻を愛しなさい。つらく当たってはならない。 3:20 子供たち、どんなことについても両親に従いなさい。それは主に喜ばれることです。 3:21 父親たち、子供をいらだたせてはならない。いじけるといけないからです。
マタイ 2:13-15, 19-23 : 2:13 占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」 2:14 ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、 2:15 ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。 2:19 ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、 2:20 言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」 2:21 そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。 2:22 しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、 2:23 ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。
The Word of God Makes Families Holy
Biblical Reflection for Dec. 26, Feast of the Holy Family, Year A, By Father Thomas Rosica, CSB
TORONTO, DEC. 22, 2010 ( Zenit.org ) .- Today's readings for the Feast of the Holy Family take up the tension between rights and obligations. Our Scripture texts maintain that obligations have primacy over rights. Hence the truly human, genuinely Christian priority is not so much what others can do for me but rather what I can do for others. Preoccupation with self must be set aside as we cast ourselves in the role of servant rather than served. Serving and selflessness are at the core of authentic family life.
Honoring fathers and mothers
Ben Sira, the early second-century B.C. author of today's first reading from Sirach ( 3:2-6,12-14 ) , offers a brief but invaluable commentary on the fourth commandment: "Honor your father and your mother." The author describes the earthly rewards that belong to those who revere their parents. Even to old and infirm parents this respect is due; through it, the sins of children are pardoned. Failure to render respect is blasphemy and merits a curse from God ( 3:16 ) .
Life in the Christian Home
The second reading from Colossians ( 3:12-21 ) , deals with the Christian life as it is to be lived in the Christian home. The characteristics of the believing family are mutual forgiveness, love, peace, and gratitude modeled on the self-giving of Christ.
A tragic adult story
In both today's Gospel for Holy Family Sunday ( Matthew 2:13-15,19-23 ) and next Sunday's Gospel for the Feast of the Epiphany ( 2:1-12 ) , we realize once again that far from being a children's tale, Matthew's infancy narrative of Jesus is a tragic adult story. A child is born at the same time as a death-dealing power rules. King Herod tries to co-opt the wise men to betray their journey, to end their commitment to future possibility and new life. At the center of the whole story of striking contrasts lies a baby who is joy. Herod is afraid of this "great joy for all the people."
Matthew ( 2:13-15,19-23 ) shows the family of Jesus to be clearly rooted in fidelity to God's Word. Joseph accepts the command to leave Israel and then return again at a later date. Joseph places the accent on obligations first. Jesus must be the cohesive center of family life. The Holy Family is a wonderful example for us of the dignity and beauty of human and family life- it is here, in the house of Nazareth that Jesus learned how to reach out to the poor, lonely and defenseless. It was at Nazareth that something beautiful was transmitted from Mary and Joseph to their Son, Jesus.
Joseph, the righteous man
On this Sunday dedicated to families, let us reflect on the silent witness of St. Joseph in the Christmas stories. Joseph is not the biological father of Jesus, whose Father is God alone, and yet he lives his fatherhood fully and completely. He is often overshadowed by the glory of Christ and the purity of Mary. But he, too, waited for God to speak to him and then responded with obedience. Luke and Matthew both mark Joseph's descent from David, the greatest king of Israel ( Matthew 1:1-16 and Luke 3:23-38 ) . Scripture has left us with the most important knowledge about him: he was "a righteous man" ( Matthew 1:18 ) .
Joseph was a compassionate, caring man. When he discovered Mary was pregnant after they had been engaged, he knew the child was not his, but was as yet unaware that she was carrying the Son of God. He planned to divorce Mary according to the law, but he was concerned for her suffering and safety.
Joseph was also a man of faith, obedient to whatever God asked of him without knowing the outcome. When the angel came again to tell him that his family was in danger, he immediately left everything he owned, all his family and friends, and fled to a strange country with his young wife and the baby. He waited in Egypt until the angel told him it was safe to go back ( Matthew 2:13-23 ) .
We are told that Joseph was a carpenter, ( more likely a builder ) , a man who worked to provide for his family. Joseph wasn't a wealthy man, for when he took Jesus to the Temple to be circumcised, and Mary to be purified, he offered the sacrifice of two turtledoves or a pair of pigeons, allowed only for those who could not afford a lamb.
Joseph's fatherhood
Joseph revealed in his humanity the unique role of fathers to proclaim God's truth by word and deed. His paradoxical situation of "foster father to Jesus" draws attention to the truth about fatherhood, which is more than a mere fact of biological generation. A man is a father most when he invests himself in the spiritual and moral formation of his children. He was keenly aware, as every father should be, that he served as the representative of God the Father.
The Gospel, as we know, has not kept any word from Joseph, who carries out his activity in silence. It is the style that characterizes his whole existence, both before finding himself before the mystery of God's action in his spouse, as well as when -- conscious of this mystery -- he is with Mary in the Nativity. On that holy night, in Bethlehem, with Mary and the Child, is Joseph, to whom the Heavenly Father entrusted the daily care of his Son on earth, a care carried out with humility and in silence.
Joseph, faithful and wise servant
As Benedict XVI has taught us:
"What is important is not to be a useless servant, but rather a 'faithful and wise servant.' The pairing of the two adjectives is not by chance. It suggests that understanding without fidelity, and fidelity without wisdom, are insufficient. One quality alone, without the other, would not enable us to assume fully the responsibility which God entrusts to us."
In Joseph, faith is not separated from action. His faith had a decisive effect on his actions. Paradoxically, it was by acting, by carrying out his responsibilities, that he stepped aside and left God free to act, placing no obstacles in his way. Joseph is a "just man" ( Matthew 1:19 ) because his existence is "adjusted" to the word of God.
Joseph, the "foster-father" of the Lord reveals that fatherhood is more than a mere fact of biological generation. A man is a father most when he invests himself in the spiritual and moral formation of his children. Real fathers and real men are those who communicate paternal strength and compassion.
They are men of reason in the midst of conflicting passions; men of conviction who always remain open to genuine dialogue about differences; men who ask nothing of others that they wouldn't risk or suffer themselves. Joseph is a chaste, faithful, hardworking, simple and just man. He reminds us that a family, a home, a community, and a parish are not built on power and possessions but goodness; not on riches and wealth, but on faith, fidelity, purity and mutual love.
May St. Joseph strengthen us and help us to imitate the Holy Family of Nazareth, who listened attentively to God, acted upon his Word, treasured the gift of the Child Jesus, all the while modeling to us how the Word becomes flesh and dwells among us.
The Word of God in Family Life
As we continue reading Benedict XVI's apostolic exhortation "Verbum Domini," today it is good to consider the section #85 on "The word of God, marriage and the family":
"The Synod also felt the need to stress the relationship between the word of God, marriage and the Christian family. Indeed, 'with the proclamation of the word of God, the Church reveals to Christian families their true identity, what it is and what it must be in accordance with the Lord's plan.' Consequently, it must never be forgotten that the word of God is at the very origin of marriage ( cf. Genesis 2:24 ) and that Jesus himself made marriage one of the institutions of his Kingdom ( cf. Matthew 19:4-8 ) , elevating to the dignity of a sacrament what was inscribed in human nature from the beginning.
“ In the celebration of the sacrament, a man and a woman speak a prophetic word of reciprocal self-giving, that of being "one flesh," a sign of the mystery of the union of Christ with the Church ( cf. Ephesians 5:31-32 ) . ” Fidelity to God's word leads us to point out that nowadays this institution is in many ways under attack from the current mentality. In the face of widespread confusion in the sphere of affectivity, and the rise of ways of thinking which trivialize the human body and sexual differentiation, the word of God re-affirms the original goodness of the human being, created as man and woman and called to a love which is faithful, reciprocal and fruitful.
"The great mystery of marriage is the source of the essential responsibility of parents towards their children. Part of authentic parenthood is to pass on and bear witness to the meaning of life in Christ: through their fidelity and the unity of family life, spouses are the first to proclaim God's word to their children. The ecclesial community must support and assist them in fostering family prayer, attentive hearing of the word of God, and knowledge of the Bible.
To this end the Synod urged that every household have its Bible, to be kept in a worthy place and used for reading and prayer. Whatever help is needed in this regard can be provided by priests, deacons and a well-prepared laity. The Synod also recommended the formation of small communities of families, where common prayer and meditation on passages of Scripture can be cultivated. Spouses should also remember that "the Word of God is a precious support amid the difficulties which arise in marriage and in family life."