「学び合いの会-海外ニュース」 365号(160823)

 

† 主の平和

 

ジョン・ハーシーの「ヒロシマ」といえば、終戦直後の1946年8月、ニュー

ヨーカー誌に掲載されて、人々の原爆観を一変させたレポートと言われ

ています。わが国でも8月を迎えるたびに繰り返し紹介されてきましたが、

今回、アメリカの代表的なカトリック・メディア、NCRにも推薦記事が載り

ましたのでご紹介します。

また、この本に触れた朝日新聞のコラム記事(5月22日付)を、ご参考

までに添付します。

 

添付記事

1. 罪と徳の黙想 :71年目の広島 (NCR)

2. 原爆投下めぐる論争を超えて (朝日新聞)

 

 

 

罪と徳の黙想 :71年目の広島

マリー・アン・マッギヴァーン 2016/8/4 NCR(ナショナル・カトリック・リポーター)

 

 

この春、ニューヨーカー誌は、ジョン・ハーシーの「ヒロシマ」のデジタル版をネットで再版した。31000字に及ぶこのリポートは、ニューヨーカーの1946年8月31日号に掲載され、原爆投下に関する、それまでの通説の多くを覆すものとなった。わたしは、メモリアルデー(戦没将兵追悼記念日)の週末、空港で飛行機を待ちながら、コンピューターでこのデジタル版を読んだ。

わたしは、以前、これを読んだことがあったような気がしたが、もしかしたら初めてだったかも知れない。わたしは、原爆の製造と使用の決定について、また、目の眩む閃光を伴った衝撃の瞬間と、それに続く熱と雷鳴と揺れ動く地面についはて十分知っていた … それは知っていたのだが、ハーシーが追跡調査した6人の男女の、原爆を生き延びてからの数週間、および数ヶ月間の詳細な生活の記録は覚えていなかった。

 

われわれが原爆を投下してから71年が経った。まだこの物語を読んでいない人は、一読の価値がある。イエズス会のドイツ人司祭、メソジスト派の日本人牧師、二人の子供を持つ未亡人、事務員として働いていた女性、そして二人の医師が爆撃を生き延び、仲間と共に時間をかけて広島から逃れて行った。ハーシーのレポートは、その詳細にわたる記述と、これら民間の生存者らに対する敬意において驚くべきものがある。

 

ハーシーは日本文化と日本の生活様式にも触れている。すなわち、未亡人の仕事としての裁縫、キリスト教と神道の信者の共同体の実態、医療の仕組み、臨戦体制、救援活動である。しかしその主眼は、日本の生活様式の紹介ではなく、原子爆弾がどのようにその生活を断ち切り、そこに至るまでの想像を絶する苦しみと悲しみを引き起こしたかを伝えることに置かれていた。彼が取材した6人は、大惨事に巻き込まれた普通の人であり、周囲の人たちと同じように、隣人を助け、死に瀕している人に水を与え、彼らの家族を捜し、けが人の世話をした人たちである。

 

「ヒロシマ」は物語であり、反戦論ではない。それが物語るのは、特定の6人の人々の身の上に、特定の戦争の中の、特定の瞬間に起きたことである。別のケースで、生き残った人たちについて同じような物語を書くことはできるかも知れない。… しかし繰り返して言えば、この物語の主眼はわたしたちに苦しみと悲しみを覗き見る窓を与えることにあるのだろう。わたしたちの想像に手を貸し、恐らくは、わたしたちの想像の中にあるその苦しみと悲しみを、現代都市の銃の暴力、ドローン戦争、パイプ爆弾、化学兵器などを生き延びた人たちに重ね合わせる狙いが隠されているのではなかろうか。

 

このいのちの物語の根底に流れるのは、この惨事が人間によって造り出されたものだということだ。これは洪水や竜巻とは別の体験だ。これら生き残った人たちは、人間による暴力を生き延びた人に見られるように放心状態で、混乱し、そしてまた英雄的でもある。その一方でわたしたち読者は、この悲劇が起こる必要のないものだったことを知っている。

 

ハーシーは、トルーマンが原爆を投下すべきであったかどうかを分析していないし、わたしもそれに触れるつもりはない。この物語は、わたしたちの目に戦争がどのように映るのか、人間が起こした戦争、人間が犯した暴力がどのように見えるのかを問いかけているのだ。もしあなたが、罪と徳についてのよい黙想を望んでいるなら「ヒロシマ」を読むといいだろう。

 

◇◆◇

 

“A meditation on sin and goodness: Hiroshima at 71”

 

デジタル版(英文)は下記のURLで読むことができます。

http://www.newyorker.com/magazine/1946/08/31/hiroshima

 

◇◆◇

 

<書籍情報> 

ヒロシマ 〈増補版〉 

法政大学出版局; 増補版; 新装版 

発売日: 2014/5/30(旧版は2003/07 発売)

¥ 1,620

 

A meditation on sin and goodness: Hiroshima at 71

Mary Ann McGivern  |  Aug. 4, 2016 NCR

 

In the spring, The New Yorker republished "Hiroshima" by John Hersey on its digital edition, online. It ran in the magazine on August 31, 1946, 31,000 words, displacing most of the regular content. I read it on my computer in an airport over Memorial Day weekend, waiting for a plane.

I thought I had read it before, but maybe not. Although I know a lot about the making of the bomb, the decision to use it, the moment of impact with its blinding flash followed by heat and thunder and the ground shaking -- I know those things, but I didn't remember the details in the lives of the six men and women Hersey follows through that first several weeks and months after they survived the bomb.

 

It's 71 years* since we dropped the bomb. If you haven't read this essay, it's worth the read: a German Jesuit priest, a Japanese Methodist minister, a widow with two children, a woman working as an office clerk, and two doctors survived the blast and made their way slowly out of Hiroshima with their fellows. Hersey's reporting is astonishing in its detail and its respect for these civilian survivors.

 

Hersey catches Japanese culture and lifestyle too: the widow's work as a seamstress; the practices of the Christian and Shinto faith communities, medical procedure, war preparedness and rescue operations. But the point isn't the Japanese way of life but how the atomic bomb interrupted that life, causing heretofore unimaginable suffering and sorrow. These six people were ordinary participants in the catastrophe who, like those around them, carried on, rescuing neighbors, giving water to the dying, searching for their family members, caring for the injured.

 

"Hiroshima" is a story, not a polemic against war. It describes what happened in a particular moment in a particular war to six particular people. One could write a similar article about survivors anywhere -- but again, the point is to give us a window into suffering and sorrow, to help us imagine it and perhaps to transfer that suffering and sorrow in our imaginations to the survivors of urban gun violence, drone warfare, pipe bombs, chemical weapons.

 

Underlying the account of these lives is that the catastrophe was man-made. It's a different experience than experiencing a flood or tornado. While those survivors may be just as dazed and confused and just as heroic as the survivors of human violence, we the readers know that this misery did not have to be.

 

Hersey isn't analyzing whether Truman should have dropped the bomb, and I don't mean to go there either. This is what war looks like, any war, any violence perpetrated by people. Read "Hiroshima" if you are looking for a good meditation on sin and on goodness.

 

 

*The original version of this article stated the wrong amount of years it has been since the bombing. 

https://www.ncronline.org/blogs/ncr-today/meditation-sin-and-goodness-hiroshima-71