「学び合いの会-海外ニュース」 362号(160728)

 

† 主の平和

 

昨年の家庭シノドスを受けて公布された、教皇の使徒的勧告

「愛のよろこび」に対して、その内容に「異端」の恐れがあると

いう告発文書が、先々週、世界中の枢機卿に配布されました。

 

この文書に賛同した聖職者や神学者の名前が伏せられたまま、

アメリカのカトリックメディア National Catholic Register誌で報じら

れたため、別のライバルメディア National Catholic Reporter誌

の記者がこの報道にかみついて、反論記事を掲載しました。

今回はこのNCR の反論を添付します。

 

なお、この記事には「続き」があり、NCRは今週、告発文書に署名

した人物のリストを明らかにしています。この「続報」は、翻訳が

出来次第お届けする予定です。

 

添付記事

1. 反フランシスコ勢力の臆病な姿勢(NCR)

 

反フランシスコ勢力の臆病な姿勢

ミカエル・ジーン・ウィンタース 2016/7/12 NCR

 

このほど、45人の「学者、高位聖職者、司祭」らのグループが、世界中の枢機卿にアピールを送り、教皇フランシスコの使徒的勧告「愛のよろこび」の中に「間違った意見」があると思われるので、訂正を願い出るよう求めた。下記は、National Catholic Register 誌のエドワード・ペンティン によるリポートのあらすじである。

 

ペンティン・リポート(要約):

「わたしたちは、教皇を異端呼ばわりしているのではない。」と、アピールの署名者の一人で、仲間のスポークスマンでもあるジョセフ・ショーは語った。

「しかし、わたしたちは、『愛のよろこび』の中に、普通に読めば異端と受け取られる可能性のある意見が数多くあると考える。さらにその付記は、権威ある立場から別の神学的批判を受けるだろう。たとえば、スキャンダラス、誤った信仰、曖昧な表現、といった非難である・・・。」

 

ふう! 彼らが教皇を異端とは考えていないこと、少なくともそう決めつけてはいないことを大変嬉しく思う。ただし、それは教皇が問題の箇所を取り下げたらという条件つきだが。

少なくとも、「スキャンダラス、誤った信仰、曖昧な表現」なのは、教皇フランシスコの使徒的勧告の全部ではなく、その一部だけなのだ。

 

ペンティンが選んだところだけでなく全文を読む方がよいだろう。例えば、これらの学者、高位聖職者、司祭たちは、教皇フランシスコの使徒的勧告がシノドスで作成された合意文書にきわめて厳密に従ったものであることを知っているのだろうか? この合意文書は、一つ一つの段落のすべてについて、シノドスの出席者の2/3の多数票を得ているのだ。

 

ペンティンによると、このアピールは枢機卿たちに「文書にリストアップされた誤りを、決定的、かつ最終的な方法で撤回するようにという要求を携えて教皇に接触するよう」求めている。そして、「だれも『愛のよろこび』を信じたり、あるいは真理であるかも知れないと考えたりする必要がないことを、権威をもって宣言するよう」求めているという。わたしが思うには、教皇はこの文書を今年書いたばかりなのだから、問題の箇所は「真理である」と考えているはずだ。では、教皇がそれを撤回することはあり得るのか? このアピールを書いた学者、高位聖職者、司祭たちは、教皇が嘘をつくことを望んでいるのか。嘘は本質的な悪ではないのか。彼らが教皇に罪を犯すように求めているのなら、それ自体がスキャンダラスな罪ではないのか。

 

彼らは名前を公表しないだろう。アピールのとりまとめ人の一人は、仲間が名前を明かさないことを選択するとペンティンに伝えている。それは、「報復行為への恐れ、あるいは自身の信仰共同体に及ぼす影響への懸念、さらには学術的なキャリアや家庭を持つ者が仕事を失うことを恐れているからだ。」これは贅沢な話だ。最近、カトリックの体制の中で職を失った人々は、ヨハネ・パウロ2世の「身体の神学」を信奉していた人々ではなかった。

訳注:「身体の神学」(Theology of the Body) : 教皇ヨハネ・パウロ2世が1979年以来提唱した「性」に関する考え方。「性」は神からの賜物であり、現代の誤った性のあり方に対してその尊厳を明示しなければならないとする。パウロ6世の回勅「フマネ・ヴィテ」の精神を発展させたもので、教会内外の保守的な人々に支持されている。

 

ペンティンが、先日の教皇の意思表明に異議を申し立てなかったことは注目に値する。

つい先週のことだが、教皇は、あからさまに教皇に反対する枢機卿たちをなぜ排除しないのかと問われて、いわゆる「首切り」はしないと述べた。(海外ニュース358号「教皇のスポークスマンは一人だけ」参照) 言い換えると、教皇は自身と対立する人たちさえも、教会にその全生涯を捧げてきた人たちであり、貢献する何かがあり、教皇への個人的な忠誠が欠落しているというだけで解雇されるべきではないと認めているのだ。わたしはどう思うか? わたしは、教皇がもう少し厳しい言葉で糾弾(sharpen the blade of the proverbial axe)したら良いと考える。

 

教皇の言葉や行いに疑問を持つカトリック信者の気持ちは理解できる。特に、教皇の言葉や行いが物事を変えようとしているように見えるときは、そのように感じるだろう。その人たちが、もし良心を揺さぶられるように感じて、不安を表明する公開書簡を発表しようと思うならば、彼らにはそうする権利がある。個人的にそうする方を選ぶなら、それもよかろう。しかし卑しむべきは「ピンポン・ダッシュ(ドアベルを押して逃げる)」の行為だ。すなわち、保守派の友人が昨夜置いていった文書に署名はせず、エドワード・ペンティンの下に駆け込んで告発を公表するよう求めるような行為だ。それは単なる臆病者のすることだ。もしわたしが枢機卿の一人だとして…そうでなくてよかったが…そのような署名のない書状を受け取り、マスコミに取り上げられる前日にそれを読んでいたとして、それは紙くず籠行きになるだろう。

 

一体なぜ、ペンティンはこの記事を書いたのだろう? 結局のところ、彼は記者であり、ニュースを探し出して何らかの新たな分析を提供するよう求められる立場だ。しかし、これがニュースとして適切かどうかわたしには分からない。10億人の信者を擁する世界規模の教会において、45人の不満を持つ人たちが居るという事実は驚くほどのことではない。また、ペンティンが、教皇を擁護する側の意見を聴くことにあまり熱心でなかったことにも言及したい。このアピールが間違った考え方だとする側からのコメントは一つもない。クリストフ・ショーンボーン枢機卿とレイモンド・バーク枢機卿の間の意見の相違に言及しているが、これはこのアピールに関してではない。

もちろんペンティンは、Register誌のオーナーであるEWTN (Eternal World Television Network:国際的カトリック・ネットワークの宗教メディア)のトップの意に沿って働いている。

問題点を以下に挙げる: EWTN/Registerのトップは、常にその視聴者や読者に対して、自分たちは、「真正な」カトリックのニュースの提供者であると言っており、そのテレビに出演するコメンテーターは、一般のマスメディアの歪曲した解釈をとりあげてしばしば批判を加えている。そのトップが、著しく偏向した教皇非難の記事を認めているのだろうか? 教皇フランシスコに対する敵対行為が「真正な」カトリック信仰の表明なのだろうか?

 

1952年の大統領選挙の際、ニューヨークのマーブル協同教会の牧師で、「積極的思考の力」の説教で有名なノーマン・ヴィンセント・ピールは、アドレイ・スティーブンソンがアメリカ合衆国の大統領には不適切であると宣言した。機知に富んだスティーブンソンはこのコメントについて問われ、こう答えた。「キリスト者として話すなら、わたしは使徒パウロに魅力(appealing)を感じるが、使徒ピールは最低(appalling)だと感じる。」ペンティンが広めたこの筆者不明のアピール(appeal)は魅力的(appealing)でなく最低(appalling)である。 

(終)

Cowardice in the anti-Francis brigade

Michael Sean Winters  |  Jul. 12, 2016  NCR

 

A group of forty-five “scholars, prelates and clergy” have sent an appeal to the world’s cardinals, asking them to implore Pope Francis to correct what they deem to be “erroneous propositions” in Amoris Laetitia, according to this report from the National Catholic Register’s Edward Pentin. 

 

Pentin reports:

“We are not accusing the Pope of heresy,” said Joseph Shaw, a signatory of the appeal who is also acting as spokesman for the authors, “but we consider that numerous propositions in Amoris laetitia can be construed as heretical upon a natural reading of the text. Additional statements would fall under other established theological censures, such as scandalous, erroneous in faith, and ambiguous, among others.”

 

Phew! I am so glad this group doesn’t think the pope is a heretic, at least not necessarily, and provided he agrees to withdraw the propositions in question. And, at least only parts of Pope Francis’ apostolic exhortation are “scandalous, erroneous in faith, and ambiguous” not the whole thing.

 

It would be nice to see the entire text, not merely what Mr. Pentin chooses to share with us. For instance, do these scholars and prelates and clergy acknowledge that Pope Francis’s apostolic exhortation followed quite closely the consensus document produced by the synod, a document in which each and every paragraph received a 2/3 majority vote?

 

According to Pentin, the appeal asks the cardinals “to approach the Holy Father with a request that he repudiate the errors listed in the document in a definitive and final manner, and to authoritatively state that Amoris laetitia does not require any of them to be believed or considered as possibly true.” I am guessing that, since the pope wrote the document just this year, he thinks the items at issue are “possibly true.” Why then would he retract them? Do the scholars and prelates and clergy who penned this appeal think he should lie? Isn’t lying an intrinsic evil? If they are inviting the pope to commit a sin, isn’t that itself the sin of scandal? 

 

These people will not even publish their names. One of the organizers told Pentin they chose to remain anonymous because they “fear reprisals, or they are concerned about repercussions on their religious community, or if they have an academic career and a family, they fear they might lose their jobs.” This is rich. The people losing their jobs in Catholic establishments these days are not those who have memorized the Theology of the Body talks by St. Pope John Paul II. That Pentin did not challenge the assertion is remarkable. Just last week, when asked about why he has not removed those cardinals who so obviously oppose him, the pope said he does not metaphorically cut off heads or, put differently, he recognizes that even those who oppose him, but who have served the Church all their lives, have something to contribute and should not be sacked merely for a lack of personal loyalty to himself. Me? I wish he was a little more willing to sharpen the blade of the proverbial axe.  

 

I am sympathetic with any Catholic who has trouble with things a pope says or does, especially when what the pope says or does appears to be a change. If they feel moved in conscience to publish a public letter voicing their disquiet, they have every right to do so. If they prefer to send a private communication, that is fine too. But, what is despicable is when you “ring and run away,” as a conservative friend put it last night, declining to sign your name, and then dashing over to Edward Pentin to publicize your complaint. That is mere cowardice. If I were a cardinal, and we can all be glad I am not, and I received an unsigned missive like this, having read about it the day before in the press, it would be placed immediately in the circular file.   

 

Why would Pentin even report on this? After all, he is a reporter and reporters are called upon to ferret out the news and provide some initial analysis, but I am not sure why this qualifies as news. In a worldwide Church of more than 1 billion souls, the fact that there are forty-five malcontents is not exactly stunning. I would note, as well, that Mr. Pentin does not really work too hard getting a quote from anyone who is inclined to defend the Holy Father. There is not a single comment from anyone who thinks the appeal was a bad idea. He notes a divergence of opinion between Cardinal  Christophe Schonborn and Cardinal Raymond Burke, but not as to the appeal. Of course, Pentin works at the pleasure of the leadership of EWTN, which owns the Register. The key question: Does the EWTN/Register leadership, which constantly tells its viewers and readers that they are the purveyors of “authentic” Catholic news, whose on air commentators frequently complain about the distortions they perceive in the secular media, do that leadership approve of Pentin’s relentlessly biased articles attacking the pope, or not? Is this opposition to Francis an expression of "authentic" Catholic faith?

 

During the 1952 presidential election, the Reverend Norman Vincent Peale, pastor at the Marble Collegiate Church in New York and known for his “power of positive thinking” preaching, declared that Adlai Stevenson was unfit to be president of the United States. The witty Stevenson, when asked about the remark, replied, “Speaking as a Christian, I find the Apostle Paul appealing and the Apostle Peale appalling.” This unsigned appeal, broadcast by Pentin, is appalling.

 

 

https://www.ncronline.org/blogs/distinctly-catholic/cowardice-anti-francis-brigade