学び合いの会-海外ニュース」 356号(160625)

 

† 主の平和

 

「蝶のように舞い、蜂のように刺す」は、今や伝説となった

ボクサー、モハメド・アリの形容詞ですが、フランシスコ

教皇のフットワークも、アリに負けていません。

仲間の翻訳をお届けします。

 

添付記事

1. シングルマザーの赤子の洗礼を拒む司祭は「人間失格」

     (Tablet) 

 

 

シングルマザーの赤子の洗礼を拒む司祭は「人間失格」

2016/6/17  ダニエル・パルマー  Tablet

 

-教会の教えは方程式ではなく「真理」に到達するための手引きである-

 

 

教皇フランシスコは、シングルマザーの子どもに洗礼を授けることを拒否する司祭を「人間失格(animals)」と批判する一方で、教会が教える倫理の基礎は、厳しさではなく愛であることを強調した。

 

教皇が特に強調したのは、教会の教えは人々を機械的に有罪とする方程式のようなものではなく、「真理」に到達するための手段(手引き)であるという点だ。

 

教皇フランシスコは、ブエノスアイレス大司教時代の経験を振り返り、シングルマザーの子どもに洗礼を授けることを拒否した司祭は、心地よい道徳的なガイドラインに従うことで、「利己主義」の感覚に支配されていたと述べた。その司祭たちは「『相手』を見る」ことを拒否していたのだ。

 

アルゼンチン時代の教皇フランシスコは、シングルマザーの子どもに洗礼を授けることを拒んだ司祭を批判し、また教皇になってからは、システィナ礼拝堂で未婚の夫婦の子どもに洗礼を授けている。  

 

教皇は昨夜、ローマ教区司牧協議会での質疑応答の際にこの見解を示した。討議の間、教皇は、教会の倫理規則は厳格でも野放図でもなく、途切れることのない愛の行為であり、司牧的ケアとは、それぞれのケースを個別のものとして見ることだと強調した。

 

「わたしたちは、数式と同じような確固とした教義を求めています。…しかしそのようなものは存在しないのです。」 教皇は、ローマのラテラン聖ヨハネ大聖堂に集まった信徒、司祭、司教たちに語った。

 

教皇は、司牧の仕事について、「人々の生活に介入して道徳性を云々するのではなく、包み込み、共に歩み、調和させ、そして識別しなければなりません。」と説明した。

 

教皇は、道徳的律法第一主義をもたらす原因には、矛盾や混乱がきちんと解決されているという事実に安らぎを求める「利己主義」があると説明した。教皇はこういった姿勢を、「快楽主義的(hedonistic)」と定義づけた。

(訳注:快楽主義: エピキュロス派(古代の快楽主義者たち)は、哲学的思索の内にこそ最高の快楽

が含まれると考え、身体の健康や精神の平静を奨励した。倫理的利己主義の一種。出典:Wiki)

 

教皇フランシスコは、明白な倫理的ガイドライン … 特に、離婚し再婚したカトリック信者の聖体拝領の問題についてのガイドラインを示さなかったことで批判を浴びている。教皇が家庭に関するシノドスの後に出した文書(使徒的勧告「愛のよろこび」)には、ケースは個別に見るべきであると書かれている。保守派の人々は、これが曖昧すぎると言うのである。

 

しかし、教皇は昨夜の集まりで、この文書の一部はベネディクト16世に学んだ教会の中心的神学者の一人であるクリストフ・シェーンボルン枢機卿の文書に基づくものだと述べた。

 

(予定になかった)話し合いの中で教皇は、かつて保守派の人々から受けた批判をかわしてこんな冗談を言った。「どうか、わたしのことをミュラー枢機卿に告げ口しないで下さい。」…ミュラー(ゲルハルト)枢機卿とは、バチカンの教理省長官のことである。

 

(以上)

 

(次ページに英文添付) 

PRIESTS WHO REFUSE BAPTISM TO BABIES 

OF SINGLE MOTHERS ARE 'ANIMALS'

17 June 2016 | by Daniele Palmer Tablet

 

Church’s teaching is not like a mathematical formula but an attempt to get 'at the truth'

 

Pope Francis has described priests who refuse to baptise children of single mothers as “animals”, while stressing that the moral teaching of Church is based on love not rigidity.

 

He stressed that the Church’s teaching is not like a mathematical formula that automatically condemns people but is instead an attempt to get “at the truth.” 

 

Reflecting on his experience as Archbishop of Buenos Aires, Francis said that priests refusing to baptise the children of single mothers were taken by a sense of “individualism” in following comfortable and moralistic guidelines - they were refusing to “look at the ‘other.’ ” 

 

In Argentina Francis criticised priests who refused to baptise such children and as Pope baptised the child of an unmarried couple in the Sistine Chapel.  

 

The Pope made his remarks during a question and answer session at a pastoral conference for the Diocese of Rome yesterday evening. During the discussion the Pope stressed the Church’s moral laws are neither rigid nor lax but instead a continuous act of love, and that pastoral care is about looking at each case on an individual-basis.

 

“We want a doctrine that is as certain as mathematics — this doesn’t exists,” the Pope told a gathering of laity, priests and bishops at St John the Lateran Church in Rome. An emphasis on the letter rather than spirit of the law can lead to “pastoral cruelty” — like the doctors of the law during the time of Jesus Christ.

 

He explained that the pastoral task of “embracing, accompanying, integrating, discerning should be done without sticking one’s nose into the morality of people’s lives”.

 

Pope explained that at the root of moral legalism, there is an “individualism” that takes comfort in the fact that dilemmas and complexities have been already neatly solved. He defined this behaviour as “hedonistic.” 

 

Francis has come under criticism for his refusal to lay down clear moral guidelines - particularly on the question of communion for divorced and remarried Catholics. His document following the synod on the family said cases should be look at individually, something which conservatives said was too vague. 

 

Yesterday, however, the Pope said that he had based parts of the document on the work of Cardinal Christoph Schönborn, one of the Church’s leading theologians who studied under Benedict XVI.  

 

During the discussion the Pope made light of some of the criticism against him from conservatives at one point saying “please, don’t go report me to Cardinal [Gerard] Müller” — who is the prefect of the Church’s doctrinal department.

 

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