「学び合いの会-海外ニュース」 352号(160526)

 

† 主の平和

 

世界一の歴史と伝統を持つ、世界一巨大な組織に、変革を

もたらそうと闘っている人がいます。

果たして彼は勝つことが出来るのか?

 

しかし、彼に残された時間は僅か。

わたしたちはその闘いの目撃者であり、気が付けば「当事者」

でもあります。

 

添付記事

1. 教皇は、ぬかるみに嵌まって動けないのか(NCR) 

 

教皇は、ぬかるみに嵌まって動けないのか

ロバート・ミッケンズ 2016年5月9日 NCR

 

キリスト者は希望を失ってはならない。キリスト者に絶望は許されない。

 

しかし、教皇フランシスコの就任以来、その預言者的なリーダーシップと、信仰の証言者としての圧倒的な個性のもとで、希望にあふれた信じがたいほどの3年が経過した今、改革を望む多くのカトリック信者は、またもや、教会の行く末を心から心配している。

 

それは、新しい世界から選ばれた初の教皇との蜜月時代が終わったということではない。(彼が選ばれる前の教会の惨憺たる状況の記憶が、蜜月の終わりをなんとか防いでいる。)

 

しかし懸念は増すばかりだ。教皇フランシスコは、世界中のカトリック家族の生き方や価値観に劇的な変化をもたらすことが可能であるにもかかわらず、自分が教皇の座を去った後、この劇的な改革が置き去りにされないよう保証する手立てを取っていない。

 

繰り返し率直に指摘しなければならない。教皇はこの、組織上・法制上の改革が彼の後継者によって簡単に覆されることがないよう、もっと迅速に行動すべきである。

 

教皇はすでに79歳。このままでは、折角の機会が閉ざされてしまう恐れがある。

 

教皇フランシスコは、そのことを誰よりもよく知っている。

 

覆すことができないよう新しい路線を推進する最良の戦略は、教会を、世界の司教たちの総意に基づいて運営することにあると教皇は確信している。しかしそれは大変困難な課題だ。

教皇は、世界の司教の多くが異なるイデオロギーを持ち、(劇的変化への)ためらいを感じている点を顧慮している。

 

イエズス会士の教皇が、司教たちと共にこの課題に取り組もうと努めていることを示す好例が、最近出された家庭に関する使徒的勧告「愛の喜び」である。

 

その長い文書は、2年半という期間と、その間の2回にわたるシノドス(世界代表司教会議)を含めた、多岐にわたる話し合いと集中的な討論をベースにしている。そして、使徒的勧告の多くの部分は、司教たちがシノドスの討論の中で作成した報告書からの長い引用で構成されている。

 

本来、教皇フランシスコにはこれらの報告書のすべてを勧告に盛り込む義務はない。現在のシノドスに関する規定によれば、ローマの司教は、この永遠の組織(世界司教会議)の長であり、これらの集会で得られた何ものにも縛られないことが明確化されている。

 

シノドスは単なる諮問機関に過ぎない。定期的なシノドスの成果が何であれ、教皇は、それを受け入れることも拒絶することもできる。シノドスを招集するのは教皇であり、教皇だけにしかできない。しかし教皇は、そのほぼすべてを盛り込む選択をした。そして同時に、シノドスの役割の前進(わたしは敢えて「変革」と表現したい)にも着手したのだ。とはいえ、教皇はこれまで、シノドスの審議権(決定権)を認めることを拒んできた。これは、パウロ6世からベネディクト16世までの前任者たちが実践してきたことの継承である。

 

ただ、教皇フランシスコが他の教皇と違う点は、シノドスの集会を、本物の議論と識別を行う公開討論の場にしたことである。ヨハネ・パウロ2世も、またベネディクト16世でさえも、シノドスではほとんど発言しなかった。彼らは、司教たちの議論を望ましい結論に導くために、代理の人物を使うやり方を好んだ。

 

それとは違い、教皇フランシスコはシノドスの進行に遥かに積極的に参加し、より厳密な問題提示と、明確な方向性の提示のために断続的かつ強力な介入を行った。そして、司教たちには、率直かつ正直に話すよう促した。また一方では、異なる意見や見解に対しても、注意深く敬意を持って耳を傾けるよう注意を促した。

 

これはダイナミックな新しいやり方を創出したが、それは単に、この特異な教皇の個人的リーダーシップのスタイルを示しているに過ぎない。このやり方は、時に混乱と予測不可能な事態を招く場合もあり、その方針を逆戻りさせないようにする命令や規定が成文化されているわけではない。フランシスコの後の教皇が、かつてのシノドスのような、より分かり易く統制のとれた方法論に近いスタイルを採用することもあり得るのだ。

 

だから、教皇フランシスコは、今すぐにでも、自らが進めているシノドスの改革と発展を加速しなければならない。すなわち、現教皇が世界の教会を統治している在任期間中に、法によって、シノドスを、ローマの司教を補佐する教会最上位の組織に位置付けることだ。現在のシノドスの根幹にある君主制のモデルは、いまの段階で時代錯誤なだけではない。もっと問題なのは、シノドスのやり方があまりにも中央集権化されている点であり、これは12億の信者を擁する世界規模の教会を統治するのにふさわしくない。

 

改革後のシノドスは、公会議と同様に、意思決定権限を保持しなければならない。その審議は、シノドスの長であるローマの司教の同意を受けることを条件とする。ローマの司教は決定権を持ち、それによって教皇の首位性を保つ。

 

そのようなシノドスは、もっと頻繁に開催されなくてはならないし、そこでは全メンバーによる討議(定期的な集会は代表者だけでなく全司教が出席する)も行われるべきであろう。今日の進歩したコミュニケーション手法を使えば、それは容易に実現できることだ。

 

ローマ教会の中に真正なシノドスのやり方を導入する神学的基盤は、既に初代教会の数世紀の間に十分確立して現在に至っている。そしてこれは、第2バチカン公会議が死産した(生み出せなかった)課題の一つにようやく命を与えることになる。それはすなわち「司教の協働性」である。

 

そのような変革は、他の必要な改革がそこから自然に続いて行くための、決定的に重要な出発点となるだろう。それは例えば、教皇フランシスコが2013年に教会の刷新と改革の青写真として発表した使徒的勧告「福音の喜び」の第16項で求めている「健全な脱中央集権」である。

 

そのような司教会議の制度のモデルが、地球レベルで(すなわちシノドスを通じて)効率よく機能するためには、他の統治の構造が、地域、国、地元の夫々のレベルで強められなければならない。ここで再度、これを裏付ける歴史上の先例や、適切な神学的理由があることを強調しておきたい。

 

シノドスをローマ司教の職務の本質的な一部とすることは、ローマ教皇庁の役割の刷新と縮小につながる。ローマ教皇庁は、「教皇のシノドス」に従属することになる。教皇フランシスコが教皇庁に真の改革をもたらすただ一つの方法は、まさにこれかも知れない。これは15世紀頃、どこかでこの官僚制度が誕生して以来、先任の教皇たちの誰もが避けてきた方法である。

 

それが実現すれば、おそらくは数世代にわたって痛みが続くに違いないが、この道を歩み始めることを拒否するならば、いま教会で進行中の内部崩壊(教皇フランシスコの絶大な人気に隠れて、今はそれほど歴然と表れない内部崩壊)が悲劇的な結末を迎えることが確実になるだけだ。

 

もしも、教皇フランシスコが、そのような構造的、法律的な変革のために何もしなかったなら、保守派が圧倒的多数を占める枢機卿団(新しいローマ法王を選出する枢機卿の団体)が選ぶ新しい教皇…それは恐らく遠くない将来のことと思われる…は、いま進められている変革の動きを逆戻りさせてしまうことだろう。

 

仮に、例えばチプリアノ1世、あるいはピオ13世と呼ばれる教皇(それはまた、ロベール・サラ枢機卿として知られる人物かもしれない)が誕生すれば、その逆戻りは迅速で止めようのないものになるだろう。おそらくは大量脱出(mass exodus)が起こるかも知れない。そうなったら、教皇たちは当然、人々が互いに押し合いへし合いするのを防ぐために教会の壁を打ち壊さなければならなくなるだろう。

 

しかし今は、仮定の事柄を取り上げて心配している場合ではないのだ。

 

(以上)

 

 

〔ロバート・ミッケンズはGlobal Pulseの主筆。1986年からローマ在住、教皇庁立グレゴリアン大学で神学を学んだ後、ラジオバチカンに11年間勤務、その後の10年間はロンドンのTablet誌の特派員として働いた。〕

 

 

The pontificate might be stuck in the mud

Robert Mickens  |  May. 9, 2016 NCR 

 

 

A Christian is not supposed to give up hope. She is not to despair.

 

But after three very uplifting and incredible years under the prophetic leadership and compelling personal witness of Pope Francis, many reform-minded Catholics have again become quite worried about the future direction of their church.

 

It is not that their honeymoon with the first New World pope is over. (The memory of what a disastrous state the church was in before his election has prevented that from happening just yet.)

 

But there are growing concerns that, despite being able to effect a seismic change in attitude and ethos throughout the worldwide Catholic family, Francis has done nothing to ensure that this will not all be tossed aside once he is gone.

 

It should be stated again, without any gloss, that he must move more quickly to make structural and juridical changes that cannot be easily undone by one of his successors.

 

There are legitimate fears that, with a pope who is already 79 years of age, a window of opportunity may be closing.

 

Francis knows this better than anyone.

 

But he is obviously convinced that the best strategy for steering a new path that cannot be reversed is by governing with the consensus of the world's bishops. This is a challenging task because of the ideological differences and diffidence that so many of the world's bishops have in his regard.

 

The recent apostolic exhortation on the family, Amoris Laetitia, is a prime example of the Jesuit pope's effort to bring them along.

 

His lengthy text is based on a wide consultation and intense debate that took place over two-and-a-half years and during two gatherings of the Synod of Bishops. And much of this papal letter is made up of long citations from the documents the bishops produced during those synod sessions.

 

Pope Francis did not have to include all of that. The current statutes of the synod make it very clear that the Bishop of Rome, who is this permanent body's president, is not bound by anything that comes out of these assemblies.

 

The Synod of Bishops remains a mere consultative body. The pope can accept or reject whatever is generated during its periodical meetings -- which he, and he alone, calls into session.

 

But Francis chose to include just about everything. At the same time he has also begun developing (God forbid we say "changing") the role of the synod. However, he has thus far refused to grant deliberative powers to this body, which is a continuation of the practice of his predecessors from Paul VI to Benedict XVI.

 

Unlike those other popes, however, he has made the synod assemblies a forum for real debate and discernment. John Paul II and even Benedict did very little talking during the assemblies, preferring to use surrogates to steer the bishops' discussions to a desired conclusion.

 

Pope Francis, unlike them, has taken a much more active part in the synod process, making periodic and forceful interventions aimed at posing more probing questions and giving clear direction. And he has urged the bishops to speak openly and honestly, while reminding them that they must also listen carefully and respectfully to different opinions and points of view.

 

This has created a dynamic new process, but one that remains merely a feature of the personal leadership style of this particular pope. This process -- which, at times, is messy and unpredictable -- is not codified in any directive or statute that makes it irreversible. A future pope could adopt a style closer to the cleaner and more controlled methodology of earlier synod assemblies.

 

That is why Francis must now accelerate his ongoing reform and development of the Synod of Bishops so that, by law, it becomes the primary structure to assist the Bishop of Rome in his ministry of universal governance. The monarchical model on which it is currently based is not only an anachronism at this stage of history. More crucially, it is an overly centralized model that is inadequate for governing a 1.2 billion-member worldwide church.

 

A reformed Synod of Bishops, similar to ecumenical councils, must be invested with decision-making authority. Its deliberations would be subject to the agreement of the synod's president, the Bishop of Rome, who would have the last word, thus preserving papal primacy.

 

Such a synod would have to be called into session more frequently and include consultations with all its members (all bishops and not just their delegates at periodic assemblies), which can easily be facilitated by today's advanced means of communication.

 

The theological foundations for introducing authentic synodal governance within the structure of the Roman church are already well established, dating back to the earliest centuries. And it would finally give life to one of the stillborn offspring of the Second Vatican Council -- episcopal collegiality.

 

Such a transformation would be the absolutely essential point of departure from which other necessary reforms would naturally follow. For example, the "sound decentralization" that Pope Francis calls for in paragraph 16 of his 2013 blueprint for church renewal and reform, Evangelii Gaudium.

 

In order for such a model of synodality to work effectively at the global level (i.e., through the Synod of Bishops), other structures of governance would have to be strengthened at the regional, national and local levels. Again, there are historical precedents and good theological reasons that support this.

 

Making the synod a constitutive part of the Bishop of Rome's ministry will also lead to a new and reduced role for the Roman Curia, which would be subjugated to the pope's synod. Indeed this may be the only way that Francis can bring about a real reform of the Curia, which has eluded every one of his predecessors since this bureaucracy's genesis somewhere around the 15th century.

 

Such a development would necessarily be marked by growing pains likely to last several generations, but a refusal to embark on this path will only ensure a tragic end to the church's ongoing implosion (an implosion which is not so evident right now only because of Pope Francis' incredible popularity.)

 

If Francis does nothing to make such structural and juridical changes, it is not inconceivable that when the overwhelmingly conservative College of Cardinals elects his successor -- and most likely in the not too distant future -- the new pope would reverse the movement for reform that's currently underway.

 

And if it were a Pope Cyprian I or Pius XIII (also known as Cardinal Robert Sarah), the reversal would be swift and uncompromising. Of course, they'd have to tear down the walls of our churches to prevent people from crushing each other in the mass exodus that might cause.

 

But no need to dwell on hypotheticals.

 

[Robert Mickens is editor-in-chief of Global Pulse. Since 1986, he has lived in Rome, where he studied theology at the Pontifical Gregorian University before working 11 years at Vatican Radio and then another decade as correspondent for The Tablet of London.]

 

http://ncronline.org/blogs/roman-observer/pontificate-might-be-stuck-mud