学び合いの会-海外ニュース」 351号(160518)

 

† 主の平和

 

教皇不可謬説を批判してバチカンから教職資格を剥奪された

神学者・ハンス・キュング神父のもとに、教皇フランシスコから、

「この問題を論議することに制限を設けない」とする内容の手紙

が届きました。

キュング師は守秘義務を理由に手紙の公開は控えましたが、

主要カトリックメディアを通じて、教皇の対応を歓迎する声明を

発表しました。この中でキュング師は、使徒的勧告「愛の喜び」

がもたらすであろう新たな自由に大きな期待を寄せているとも

語っています。

 

添付記事

1. 「教皇フランシスコ、不可謬説の自由論議要求に応える」 

   ハンス・キュング師語る 

 

「教皇フランシスコ、不可謬説の自由論議要求に応える」 ハンス・キュング師語る

ハンス・キュング声明 2016年4月26日

 

編集メモ:スイスの神学者ハンス・キュング神父注1は、教皇からの手紙の内容を発表した。

それは、「不可謬の教義について自由な議論の余地を与えて欲しい」というキュング師の求めに応えるものであった。キュング師はその手紙が、3月20日の日付でイースター直後にベルリンの教皇使節を通じて届けられたと語り、「教皇に対する守秘義務」があるとして手紙をNCR記者に見せることは断った。

キュング師は、その手紙の内容から「教皇フランシスコが、議論についてなんの制限も設けていない」ことがわかると述べた。

キュング師はまた、教皇の最近の使徒的勧告「愛の喜び」(Amoris Laetitia)から大きな励ましを受けたと語り、「教皇フランシスコが、シノドスを受けたこの使徒的勧告によって、いかに新しい自由をもたらすのか、わたしには予測もつかない。」と、NCRなどのメディアに発表した声明に記している。「教皇は、序文で早くもこう宣言している。『教義、倫理、あるいは司牧についての論議は、「時は空間に勝る」のだから、必ずしもそのすべてを教導権の介入によって規定する必要はない。』」2

キュング師はこう記す。「これこそが、終始わたしが教導権に求めてきた新しい精神だ。」 これによって不可謬の議論にも道が開ける。

キュング師は、既に3月9日、「教皇・司教の不可謬性に関するオープンで公平な議論の許可を求める教皇フランシスコへの緊急アピール」を発表している。このアピールは多くの言語に翻訳され一斉に公開された。NCRとロンドンのタブレット誌は英語版を発表した。(NCR・3月25日~4月7日)

下記は、キュング師がメディアに発表した、教皇からの手紙に関する声明の本文である。英語版は4月27日深夜(アメリカ東部時間4月26日午後7時)、NCRとタブレット誌で同時に発表された。

 

…デニス・コダーイ NCR編集者

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<キュング師の声明文>

教皇フランシスコに宛てた、「不可謬性の問題について、自由で、偏見や制約のない議論を交わせる余地を与えて欲しい」というわたしのアピールは、3月9日、数カ国の主要紙に掲載された。それに対してイースター直後、教皇フランシスコ個人から回答を得たことは喜びに堪えない。それは3月20日の日付でベルリンの教皇使節から転送されてきた。

教皇の回答の中で、わたしが意義深く感じた点を下記に挙げる。

・そもそも教皇フランシスコが返事をくれたこと、言うなればわたしの訴えが「無視されなかった」という事実。

・個人秘書や国務長官などを経由することなく、教皇自身が回答したという事実。

・回答はスペイン語で書かれていたが、冒頭には、わたしに対して、ドイツ語で「Lieber Mitbruder(親愛なる兄弟)」という呼びかけがイタリック体で記されており、教皇がこの手紙にこめた兄弟的姿勢が強調されていたこと。

・教皇が明らかにわたしのアピールを読んでいたこと。アピールには丁寧なスペイン語訳が添えてあった。

・教皇は、わたしが全集の第5巻3を書くに至った考え方をよく理解し評価していること。

この中でわたしは、「常に改革される教会」("semper reformanda")4としての21世紀のカトリック教会と、他のキリスト教諸宗派やポストモダン社会との間で、建設的な対話を深めるために、不可謬の教義が引き起こした様々な問題を聖書と伝統に照らして神学的に議論することを提案している。

教皇フランシスコはなんらの制限を設けなかった。そして、不可謬の教義について自由な議論の余地を与えて欲しいというわたしの要求に応えたのだ。これによって、教義の定義づけの明確化を推し進めるこの新しい自由を利用することは、今や緊急の課題になったものと考える。この教義の定義付けは、カトリック教会内でも、また他のキリスト教諸教派との関係の中でも、論争の的になっている問題である。

教皇フランシスコが、シノドス後の使徒的勧告Amoris Laetitia(「愛の喜び」)の中で、いかに多くの新しい自由をもたらそうといているのか、私には予測がつかなかった。教皇はその導入部(序文)で既にこう宣言している。「教義の、倫理の、あるいは司牧の問題の論議は、必ずしもそのすべてが、教導権の介入によって確定する必要はない。」(訳注2参照)

教皇は、「冷たい官僚的倫理観」には反対の立場をとり、司教たちがあたかも「恩寵の分配者」のような態度をとり続けることを望まない。聖体拝領は、完全さへの褒美ではなく、「弱さへの栄養源」と考えている。

教皇は、シノドスで出された声明、あるいは全国司教会議からの声明を繰り返し引用する。教皇フランシスコは、もはや、教会のたった一人のスポークスマンでいることを望んではいない。

これこそが、わたしが常に教導職(教皇)に期待して来た新しい精神である。この新しい精神の下で、不可謬の教義 …カトリック教会の将来を決める鍵となる重要な問題… をめぐる自由で、公平で、制約のない議論が可能になると固く信じるものである。

わたしは、教皇フランシスコに対して、この新しい自由に深く感謝するとともに、心からの喜びをもって期待する。司教、神学者たちがこの新しい精神を存分に生かし、聖書と、わたしたちの教会の偉大な伝統に従ってこの課題に取り組むことを …。                                        (以上)

 

訳注1: ハンス・キュング(Hans Küng、1928/3/19- )スイスのカトリック神学者。チュービンゲン大学名誉教授。第2バチカン公会議の公式顧問。教皇不可謬説を批判したため、1979年、当時の教皇ヨハネ・パウロ2世によりカトリック神学の教授資格を停止された。また、ラッツィンガー枢機卿が教皇(ベネディクト16世)に選出された際は、選挙結果について公然と失望を表明した。ハンス・キュングは、公式にカトリック的な神学について講義することは許されてはいないが、彼の司祭としての役職については、何の禁令も出されていない。

 

訳注2: 使徒的勧告「愛の喜び」序文3項和訳

 『 「時は空間に勝る」(「福音の喜び」222項) のであるから、教義、倫理、あるいは司牧についての論議は、必ずしもそのすべてを教導権の介入によって規定する必要がないことを明らかにしておきたい。確かに、教えや実践における一致は教会にとって必要ではあるが、だからといって、教会の教えの幾つかの側面を様々なやり方で解釈したり、そこから一定の結論を引き出したりすることを排除するものではない。聖霊はわたしたちを導いて真理をことごとく悟らせて下さる。(ヨハネ16:13)すなわち、全てをキリストが見るように見ることが出来るまで、わたしたちをキリストの神秘の只中へと導いて下さる。さらに、それぞれの国や地域は、その文化に適した解決策、固有の伝統や、その地域のニーズを敏感に受けとめる解決策を追求することができる。何故なら、「文化は実に多様であり、(教えの)一般原則がその地で尊重され受容されるためには、その原則が地域の文化に根を下ろす(inculturate)必要がある」からだ。』

 

訳注3: キュング師の著作全集(全6巻)「教会の改革」は今年中にヘルダー社(ドイツ・フライブルグのカトリック系出版社)から刊行される予定。

 

訳註 4: Ecclesia semper reformanda est (ラテン語で「教会は常に刷新されるべきもの」)は、宗教改革の頃から語られてきた考え方をカール・バルトが表現化したもの。そのバリエーションとしてのEcclesia reformata semper reformanda(刷新された教会は、常に刷新されなければならない)も、カール・バルトによって最初に使われた。Ecclesia semper reformanda estは、第2バチカン公会議の精神を受け継ぐハンス・キュングや、カトリック教会の刷新を目指す人々に使われ、バリエーション表現の方は2009年にウォーカー・ニックレス司教(R.Walker Nickless、米アイオワ州スーシティの司教)が、カトリック教会の教えと実践の連続性について検討することを勧める教書の中で使っている。

 

ドイツ・チュービンゲンのオフィスにて

ハンス・キュング師

 

2008年撮影 (CNS/Harald Oppitz, KNA)

Fr. Hans Kung says   

Francis responded to quest for free discussion on infallibility dogma

By Hans Kung  |  Apr. 26, 2016

 

Editor's note: Fr. Hans Küng, the Swiss theologian, says that he has received a letter from Pope Francis that responds "to my request to give room to a free discussion on the dogma of infallibility."

Küng declined to show the letter to NCR, citing "the confidentiality that I owe to the Pope," but he says the letter was dated March 20 and sent to him via the nunciature in Berlin shortly after Easter.

 

Küng says the letter shows that "Francis has set no restrictions" on the discussions.

 

Küng also said that he is very encouraged by Francis' recent apostolic exhortation, Amoris Laetitia ('The Joy of Love'), "I could not have foreseen then quite how much new freedom Francis would open up in his post-synodal exhortation," Kung wrote in statement released to NCR and other media outlets. "Already in the introduction, he declares, 'Not all discussions of doctrinal, moral or pastoral issues need to be settled by interventions of the magisterium.'"

 

Küng writes, "This is the new spirit that I have always expected from the magisterium" and makes a discussion of infallibility possible.

 

On March 9, Küng had issued what he called an "urgent appeal to Pope Francis to permit an open and impartial discussion on infallibility of pope and bishops." The appeal was released simultaneously in multiple languages and publications. NCR and The Tablet of London released the English language version. (NCR, March 25-April 7).

 

Following is the text of the statement about the pope's letter that Küng released to media. The English version is being released simultaneously by National Catholic Reporter and The Tablet at midnight April 27 (7 p.m. Eastern time, April 26 in the United States).

 

-- Dennis Coday, NCR editor

 

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On March 9, my appeal to Pope Francis to give room to a free, unprejudiced and open-ended discussion on the problem of infallibility appeared in the leading journals of several countries. I was thus overjoyed to receive a personal reply from Francis immediately after Easter. Dated March 20, it was forwarded to me from the nunciature in Berlin.

 

In the pope's reply, the following points are significant for me:

 

・The fact that Francis answered at all and did not let my appeal fall on deaf ears, so to speak;

・The fact that he replied himself and not via his private secretary or the secretary of state;

・That he emphasizes the fraternal manner of his Spanish reply by addressing me as Lieber Mitbruder ("Dear Brother") in German and puts this personal address in italics;

・That he clearly read the appeal, to which I had attached a Spanish translation, most attentively;

・That he is highly appreciative of the considerations that had led me to write Volume 5 of my complete works, in which I suggest theologically discussing the different issues that the infallibility dogma raises in the light of holy Scripture and tradition with the aim of deepening the constructive dialogue between the "semper reformanda" 21st-century church and the other Christian churches and postmodern society.

 

Francis has set no restrictions. He has thus responded to my request to give room to a free discussion on the dogma of infallibility. I think it is now imperative to use this new freedom to push ahead with the clarification of the dogmatic definitions, which are a ground for controversy within the Catholic church and in its relationship to the other Christian churches.

 

I could not have foreseen then quite how much new freedom Francis would open up in his post-synodal exhortation, Amoris Laetitia. Already in the introduction, he declares, "Not all discussions of doctrinal, moral or pastoral issues need to be settled by interventions of the magisterium."

 

He takes issue with "cold bureaucratic morality" and does not want bishops to continue behaving as if they were "arbiters of grace." He sees the Eucharist not as a reward for the perfect but as "nourishment for the weak."

 

He repeatedly quotes statements made at the episcopal synod or from national bishops' conferences. Francis no longer wants to be the sole spokesman of the church.

 

This is the new spirit that I have always expected from the magisterium. I am fully convinced that in this new spirit a free, impartial and open-ended discussion of the infallibility dogma, this fateful key question of destiny for the Catholic church, will be possible.

 

I am deeply grateful to Francis for this new freedom and combine my heartfelt thanks with the expectation that the bishops and theologians will unreservedly adopt this new spirit and join in this task in accordance with the Scriptures and with our great church tradition.

 

[Fr. Hans Küng, Swiss citizen, is professor emeritus of ecumenical theology at Tübingen University in Germany. The sixth volume of his complete works, Church Reform, is expected later this year from Herder. This article was translated from the German by Christa Pongratz-Lippitt.]

 

 

http://ncronline.org/news/theology/fr-hans-kung-says-francis-responded-request-free-discussion-infallibility-dogma