「学び合いの会-海外ニュース」 343号 (160207)

† 主の平和

アメリカの、ある町の、ある教会と、そこに関わった

ある神父の物語です。

添付記事

1. 真の召命を信徒に学んだ司祭 (NCR) 

真の召命を信徒に学んだ司祭 (米ニュージャージー州)

2016/1/22 トム・ロバーツ  NCR

 

ニュージャージー州コルツ・ネックのセントメアリー小教区は、1980年代の半ば以来、活気の失せた共同体、古色蒼然とした典礼、そして準備不足でとりとめのない説教にうんざりしたカトリック信者にとっての「避難場所」という評判を得ていた。教会の扉をくぐった瞬間、何かが違うと感じさせる、そんな小教区の一つであった。

 

実際、ニュージャージー州の中央部にあるこの小教区には他とは違うことが沢山ある。何よりも先ず感じるのは、人を迎えるやり方である。いつ行っても誰かが暖かく迎えてくれる。初めて訪れた人の場合はなおさらである。そこには喜びが満ち溢れており、誰もがそこに居たいと思う。そしてそこに留まる時間が長いほど、様々な人々の存在に気が付く。……教会の敷地にも、構内のコミュニティー・ビルにも……ふつうの日曜日に居ると思われる人数よりずっと大勢の人々が居るのだ。司牧活動の内容は豊富で、それは若者や老人のための教育プログラムでも同様だ。その教育プログラムの内容はトップクラスである。小教区図書館には沢山の蔵書があり、十分に利用されている。

 

こういった活動、教会の雰囲気、信徒の関与の豊かさといったものは、司牧者であるウィリアム・バウシュ神父に負うところが多い。バウシュ神父は、1972年に教会が献堂された直後から1995年までこの小教区を司牧していた。その取り組みは、司祭職の初期に高度に育まれた体験によって培われたものである。2014年6月の叙階60周年祝賀行事の期間中、かつて主任や助任司祭として働いたことのあるいくつかの教会で行った説教の中  

で、バウシュ神父はその(司祭職初期の)

経験を振り返っている。

 

1960年代、若き司祭としてニュージャージー州キーポートの聖ヨゼフ教会で働いていたとき、彼はクリスチャン・ファミリー・アクションのグループのチャプレンに任命された。(多くのの教区ではクリスチャン・ファミリー・ムーブメントと呼ばれている。)

こうした信徒の運動のルールの一つとして、彼は集会が終わるまで黙っていることを要求された。

 

「わたしが思い出すのは、両手の上に座らされていたことです。(訳注:they made me sit on my hands: 慣用句で 「何もさせてもらえない」の意) わたしには話す自由がないのです。これほど疎外され低くされた経験をしたことはありませんでした。」バウシュ神父は説教の中で語った。

「辛かったのは、何も出来なかったことではなく、2年もの間沈黙を守り、信徒の話を聞くこと…ひたすら聞くことを強いられたことです。信徒の話は、善きクリスチャンであるために、日々どのように苦闘しているかといった内容でした。来る月も来る月も、わたしは信徒の皆さんの心の悩みに耳を傾けました……勤務先のいかがわしい習慣、職場での駆け引き、強いられた妥協、職を失う恐怖、教育・反抗・ドラッグといった子どもに関する難問…、生活の収支を合わせる努力、なかなか取れない休暇、困難に直面しても信仰を失わない努力、祈りとのたたかい、神の現存が感じられないこと、疑い……。」

 

信徒たちの話を聞くうちにバウシュ神父は「自分がいかに恵まれており、世間知らずの生活を送っていたかを悟り始めた……わたしがどんなに無力であっても、とにかく仕事を失うことはないということを、罪悪感とともに徐々に認識するようになりました。わたしは人々に対して何の責任も負っていなかったのです。その夜、わたしが家に戻っても、一晩中腹痛の赤ん坊や病気の子どもの世話をする必要はなく、十分な睡眠を取ることができます。予定していた休暇を取ることもできるし、支出を切り詰める必要もありません。要するに、この人たちこそが(生活の場の)最前線にいる聖人なのだと悟るようになったのです。わたしは、自分がこの人たちにふさわしくないと感じ始めました。この人たちのような英雄的行為はできないのだと沈んだ気持ちで認めたのです。」

 

87歳のバウシュ神父は、熟達した説教者、語り手、著述家である。彼はセントメアリーでの22年間の司牧の後、1995年に引退した。以来多くの時間を、司牧や霊性に関する著作(30冊以上の本を執筆)と講演に充てて来た。

「チャプレンの在任期間の間に、わたしは自分の司祭職の核心を見出したことを知りました。それは信徒に学ぶということです。その逆はないのです。」とバウシュ神父は語る。

 

この、神からの賜物に対する信徒の「心からなる畏怖と尊敬の感覚」は、良き司牧者でありたいと模索する神父に深い影響を与えた。「わたしは最初の日から、次のことをはっきりと信徒の皆さんに伝えました。すなわち、わたしがここにいるのは、既に皆さんに備わっている神からの賜物とカリスマを引き出し成長させるためであり、神の民とはどのような存在であるかを教え、あなたがたを支え、あなたがたから学び、ここが自分たちの教区であることを覚ってもらうためなのです、と。」

 

バウシュ神父は、教区の人々に次のように話した。

「わたしはいつまでもここに居るわけではありません。いつの日か去って行くでしょう。

しかし、あなた方はいつまでもここに留まるのです。わたしは奉仕するため、また信徒の皆さんが自分は何者であるかを思い起こすためにここに送られました。わたしはいつも皆さんの意見に耳を傾けてきました。ここキーポートでの体験こそが、わたしに司祭職の意味を覚らせてくれたのです。」

 

セントメアリー共同体のメンバーであっても、手軽に恩恵を受けられる訳ではない。共同体の一員となるためには、一時的メンバーであっても、小教区のパンフレットに示されているように、仲間の信徒と共に誠実に歩み…共に定期的に礼拝し、キリスト者としての奉仕に何らかの関わりを持つことを約束する誓約書に署名することを求められる。

 

バウシュ神父の特色の一つはその計画性にある。かなり先のことについて綿密な準備をしておくのだ。彼によれば、何カ月も先の「ある仕事」を誰かに頼むのは易しいという。そんな先のことを誰が断れようか? その「ある仕事」は、些細な仕事の場合が多いのだが、やがては、もっと大きな責任のある仕事に繋がっていくのだ。

神父はまた、信徒それぞれの時間的制約にも配慮した。信徒の多くは毎日ニューヨークまで通勤していた。それ故、いつまでもだらだらと責任を負わせることがないよう、仕事を上手に準備した。また、一定の分野では定期的にリーダーを交代させたので、共同体の幅広いセクションの人々が「自分の教会」という意識を持つことができた。

 

毎月土曜日の夜は、自ら酒と夕食を用意して一、二組の夫婦を招待した。それは親睦の集まりであると同時に、優れた情報収集の場でもあった。そのおかげで、人々の関心事や得意分野について更によく知ることができた。

それらの情報から、小教区が必要とする司牧活動や、仕事への参加を依頼する手紙(インターネット以前なので実際に手紙だった)を受け取る人が出てきた。

2014年6月の叙階60周年祝賀行事の説教の中で、バウシュ神父は次の表現に言及した。

「どの老人の心の中にも、若者がいてこう問いかけています。『何が起きたのですか?』 

答えは明快です。『神の恵みがあったのです。』」*(文末訳注参照)

 

神父の手の指は、関節炎のために変形している。「指の曲がったこの手は、わたしの不完全さ、至らなさ、罪深さのしるしです。そして、この手で洗礼の水を注いだ子どもたちのことを考えると不思議な気がします。思いおこせば60年余りの間、この手で、悔い改めた罪人の上に十字を切り、病人の額に癒しの油を塗り、巡礼者の必要に応えて聖なるもてなしを提供し、結婚式で二人の手をつなぎ合わせ、耐えがたい痛みや絶望の中にいる人々の手を握って過ごして来ました。そればかりでなく、この手を使い、身振り手振りで説教の文句を絞り出したり、授業や講義や会議などのあらゆる場面で相手に話の要点を伝えたり、また時には、この手でキーを叩いて(タイプして)、それが本になったこともありました。」

バウシュ神父は言う。「それらのすべてが、分不相応な恵みに支えられたわたしの司祭生活の象徴となっているのです。」

 

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*訳注:「どの老人の心の中にも…」:2014/6のバウシュ神父説教原文(部分)参照:

…And for some twenty-one years we slowly moved closer and closer until we quite tamed one another and the sun came out and shone on our lives. I remember on my twenty-fifth anniversary. arriving for morning Mass to find pasted in the sanctuary the words. One only understands the things one tames." Twenty-five years later, here we are—not all, for many have gone to their rest—and we know the full meaning of those words. Well, if the saying is true, and I can vouch that it is, that 'inside of every old man is a young man asking what happened: I tell you this: Through my store-bought glasses, looking past my liver-marked hands, ignoring for the moment the calendar that puts me closer to eighty than to seventy, and pondering fifty years of priesthood, the answer is clear: Grace happened.

https://books.google.co.jp/books?id=GJAnaY4KCPMC&pg=PA359&lpg=PA359&dq=Inside+of+every+old+man+is+a+young+man+asking,+%27What+happened%3F&source=bl&ots=BH1vh8Z2Yy&sig=YD1ZK21F6aEHIQ1BevGmHD4Uui8&hl=ja&sa=X&redir_esc=y#v=onepage&q=Inside%20of%20every%20old%20man%20is%20a%20young%20man%20asking%2C%20'What%20happened%3F&f=false

 

上記説教で引用した「inside of every old man is a young man asking what happened」は、英国の作家Terry Pratchettのベストセラー小説「Moving Pictures」の中の言葉。

 

作家とその作品については下記参照。

https://en.wikipedia.org/wiki/Moving_Pictures_(novel)

http://www.goodreads.com/work/quotes/1229354-moving-pictures

 

NJ priest found the core of his calling, from the laity

Tom Roberts  |  Jan. 22, 2016 NCR

 

In the mid-1980s, St. Mary Parish in Colts Neck, N.J., had developed a reputation as a refuge for Catholics weary of lifeless communities, stale liturgies, and thoughtless, rambling sermons. It was one of those parishes that let you know, the moment you walked through the church doors, that something was different.

Actually, lots of things were different at this central Jersey parish, and one of the first and most noticeable was a welcome. Someone almost always welcomed you, especially if you were new.

 

A joy permeated the place. People wanted to be there. The longer one stuck around, the more apparent that a lot of them were here -- on the church grounds, in the community buildings on the campus -- a lot more than just on Sunday. Ministries were abundant, as were education programs for young and old alike. The education programs were first-rate, and a parish library was well-stocked and heavily used.

 

Much of this -- the work, the atmosphere, the heavy lay involvement -- could be traced to the pastor, Fr. William Bausch, who led the parish from just after the church was dedicated in 1972 until 1995. His approach could be traced to a highly formative experience early in his priesthood. During an observance of his 60th anniversary of ordination in June 2014, he recounted that experience in a homily delivered at several churches where he had previously served as pastor or associate.

 

As a young priest in the 1960s, while serving at St. Joseph Church in Keyport, N.J., he was assigned to be the chaplain to a Christian Family Action group (known as Christian Family Movement in most dioceses). One of the rules of the lay movement required that he be silent until the meeting ended.

 

"I remember that they made me sit on my hands because if I can't use my hands, I can't talk. I was never so humiliated and humbled in my life," he said in his homily. "Not because I had to sit on my hands but because, forced to be silent for two years, I had to listen, really listen, to their stories of how, day after day, they struggled to be good Christians. Month after month, I listened to them struggling inwardly with shady practices at the company at which they worked, the politics of the workplace, the compromises they were forced to make, the fear of losing their jobs, difficulties with children -- school, rebellion, drugs -- trying to make ends meet, hardly ever getting a vacation, trying not to lose faith in hard times, struggles with prayer, not feeling God's presence, doubts."

 

As Bausch listened, he "began to realize what a privileged, innocent life I led," he said. "Gradually, I began to realize with some guilt that I would always have a job no matter how poorly I performed. I had no accountability to the people. I could go home that night and get a full night's sleep with no colicky baby or sick child to attend all night. I would take my scheduled vacations and not have to pinch pennies. In short, I began to realize that these people were the saints on the front line. I began to feel I was not worthy of them. I knew in my sinking heart I was incapable of their heroism."

 

Bausch, 87, is an accomplished homilist, storyteller and author, who retired as pastor in 1995 after 22 years at St. Mary and since has devoted much of his time to writing (he has more than 30 books to his credit) and speaking on pastoral matters and spirituality.

 

Through his tenure as chaplain, said Bausch, "I knew I had found my priesthood's core: that they, the laity, would teach me, not only the other way around."

 

This "profound sense of reverence and respect" for the lives and gifts of laypeople deeply affected his approach to being a pastor. "I made it clear to the people from day one that I was there to promote and call forth the gifts and charisms they already had, to teach them who they were as a people of God, to support and learn from them, to make them aware that this was their parish."

 

He said he made his parishioners aware that he was "temporary and would leave some day, but they were permanent. … I was sent there to serve, to remind them who they were. I never failed to consult them. The Keyport experience had defined my priesthood."

 

Membership in the community at St. Mary was not a matter of cheap grace. Members were required to sign a covenant in which they promised "to walk faithfully with our fellow parishioners … to worship with them regularly and to make some commitment of Christian service, however temporary, as described in the parish booklet."

 

Part of the genius of Bausch's approach was planning -- far in advance and in great detail. He knew he could ask someone if they'd be available to do something months away. Who could say no? That something was often a small job that led to bigger commitments.

 

He was also aware of the time demands on his parishioners, many of whom commuted daily to New York. He was adept at designing jobs that did not loom as endless commitments, and he kept rotating leadership in certain areas so that wide sections of the community felt ownership in the place.

 

Each month, he would invite a couple or two for Saturday evening cocktails and a dinner he had prepared. They were great intelligence-gathering sessions as well as social gatherings, allowing him to learn more about people's interests and skills.

 

From that information, one might receive a letter of invitation (an actual letter, pre-Internet) to consider participation in a ministry or some work that needed doing around the parish.

 

In his anniversary homily, Bausch referred to the expression "Inside of every old man is a young man asking, 'What happened?' "

 

The answer is clear, he said: "Grace happened."

 

He considers his hands, with an "arthritic crooked finger -- symbol of all of my imperfections, shortcomings and sins -- and marvel as I think of all the children over whom they poured the baptismal waters. I think of over 60 years of signing the cross over repentant sinners, pressing the healing oils on the foreheads of the sick, offering the sacred host to nourish the yearnings of pilgrims joining other hands in matrimony, holding the hands of those in excruciating pain or grief or despair, and, not the least of which, gesticulating to urge on the homiletic word, the point in the classroom, the lecture, the conferences -- thousands and thousands of them -- or to tap the keys that eventually morphed into books."

 

All of it, he says, "becomes a symbol of an undeservedly graced priesthood."

 

[Tom Roberts is NCR editor at large. His email address is troberts@ncronline.org. Roberts was a parishioner at St. Mary Parish for a period while Fr. William Rausch was pastor.]

 

http://ncronline.org/news/faith-parish/nj-priest-found-core-his-calling-laity