「学び合いの会-海外ニュース」 341号 (160122)
† 主の平和
教皇フランシスコは日曜日、歴代教皇としては初めて
ローマ市内のユダヤ教のシナゴーグを訪問し、キリスト
教とユダヤ教のつながりと和解について、親しみを込
めたスピーチをしました。
仲間の翻訳を添付します。
添付記事
1. ローマのシナゴーグにおける教皇スピーチ(ZENIT)
ローマのシナゴーグにおける教皇スピーチ
『わたしたちの関係はわたしの心にとても近い』
下記は、1月17日に教皇フランシスコがローマのシナゴーグを訪問の際のスピーチである。
2016/1/18 ZENIT …
『本日、このシナゴーグで、皆様方とともにいることを嬉しく思います。Di Segni博士、Durighello夫人、Gattegna氏からご親切な言葉を頂いたことに感謝します。そして、すべての皆様方の暖かい歓迎に感謝申し上げます。ありがとうございます。Toda Rabba(トダ・ラバ:どうもありがとう)、ありがとうございます。
ローマの司教として初めての、このシナゴーグへの訪問にあたり、皆様方、そしてすべてのユダヤ教共同体の方々に、全カトリック教会から、兄弟として平和の挨拶を送りたいと思います。
わたしたちの関係は、わたしの心にとても近いものです。ブエノスアイレスに居る頃、わたしはシナゴーグに行き、そこに集まっている共同体の人たちと出会い、そしてユダヤ教の祝賀行事と記念式典に与かり、わたしたちにいのちを与え、歴史の流れの中、わたしたちと共に居て下さる主に感謝を献げたものでした。時を経て、霊的なきずなが構築されてきました。それは、真の友情の誕生を喜び、深い関わりの共有を誕生させました。宗教間の対話において、わたしたちの創造主のみ前で、そして創造主を賛美するために兄弟姉妹として出会うこと、そして互いに尊敬し合い、真の価値を認め合い、協力していこうと努力することは欠かせません。ユダヤ教徒とキリスト教徒の間の対話には、キリスト教のルーツがユダヤ教にあるおかげで、唯一無二の特別なきずながあります。それ故、ユダヤ教徒とキリスト教徒は同じ神、そして豊かな共通の霊的遺産のもとに結ばれている兄弟であると感じ合わなければならないのです。(「キリスト以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言」4参照)そして、その霊的遺産の上に未来を築き上げていくのです。
この訪問で、わたしは先任者たちの足跡をたどることになりました。教皇ヨハネ・パウロ2世は30年前の1986年4月13日にここに訪れ、また教皇ベネディクト16世は6年前に皆様と共に過ごしました。教皇ヨハネ・パウロ2世はその際、「お兄さんたち」というすばらしい表現を創出なさいました。そして実際に皆さんは、わたしたちの信仰における兄弟姉妹です。私たちは一つの家族、神の家族の一員です。神はその民と共に歩み、護って下さいます。ユダヤ教徒とキリスト教徒であるわたしたちは共に、この町に対する自らの責任を引き受けるよう求められています。最初に霊的に貢献し、そして様々な現在の問題の解決の為に働きます。わたしたちのこの二つの共同体の間にある親密さと相互理解が育ち続けていくことがわたしの望みです。このように、わたしたが本日、皆様方のもとを訪れたことは意義深いことです。本日、1月17日、イタリア司教協議会は、「カトリック信者とユダヤ教信者の対話の日」を祝っています。
わたしたちは、第2バチカン公会議の「キリスト以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言」からの50周年を祝ったばかりです。この宣言は、カトリック教会とユダヤ教の間の対話を可能にしました。昨年の10月28日、サンピエトロ広場に、大勢のユダヤ教の代表の方たちを迎えることができました。そしてその方たちに「キリスト教とユダヤ教の関係がこの50年で真に変容したことは神への特別の感謝に値することです」と話しました。
訳注: カトリック中央協議会HP参照 http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/francis/msg0259.htm
無関心と敵対は協力と好意に変わりました。わたしたちは敵同士、見知らぬ人同士から、友人、兄弟になりました。公会議が、「キリスト以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言」で道を示してくれました。キリスト教のうちにユダヤ教のルーツを再発見することには「イエス」を、そしてあらゆる形の反ユダヤ主義には「ノー」を、更にそこから派生するあらゆる間違った差別と迫害を非難します。「キリスト以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言」が初めて、ユダヤ教とのカトリック教会の関係を神学的にはっきりと定義づけました。もちろん、それがわたしたちに影響を及ぼす神学的問題のすべてを解決したということではないのですが、わたしたちにさらなる神学的考察のために大切な刺激を与えてくれました。この点に関しては、2015年12月10日、「ユダヤ人との宗教関係委員会」が、「キリスト以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言」の発布以来この数十年間に浮かび上がってきた神学的問題に言及する新たな文書を発表しました。実際、ユダヤ教徒とキリスト教徒の対話の神学的側面はさらに追求されるに値します。そしてわたしは、この対話に関わるすべての人々がこの方向で、識別力と忍耐力を持って進んで下さるよう促したいと思います。神学的観点から見ると、キリスト教信者とユダヤ教信者の間には、分けがたい絆があることは明らかです。キリスト教信者が自身を理解しようとするとき、そのユダヤ教のルーツを無視することはできません。そして教会は、キリストへの信仰による救いを信仰告白する一方で、神とイスラエルとの契約の不解消性と神の変わらぬ、誠実なイスラエルに対する愛を認めています。
神学的問題と併せて、わたしたちは、今日の世界に立ちはだかる大きな課題を忘れてはなりません。統合された生態学(エコロジー)は今や最優先課題です。そしてわたしたちキリスト教信者とユダヤ教信者は、創造物の管理に関する聖書のメッセージを人類に提供することができるし、またしなければならないのです。紛争、戦争、暴力、不正義は人類に深手を負わせ、わたしたちは平和と正義への関わり合いを強めるよう求められています。人間に対する人間による暴力は、その名に値するいかなる宗教とも、特に三つの偉大な一神教とは相容れません。いのちは神からの賜物、神聖にして侵すべからざるものです。十戒の第5戒はこう述べています。「殺してはならない」(出エジプト記20:13)神はいのちの神です。ですから神はいつもいのちを発展させ、護りたいと望んでおられます。そしてわたしたちは神のイメージ、神の似姿として創造され、神と同じようにするよう呼ばれています。
神の創造物であるあらゆる人類は皆わたしたちの兄弟です。その血筋も信仰している宗教も関係ありません。各人が好意を持って見られなければなりません。まさに神がなさるように。神は、信仰や立場に関わりなくすべての人々にいつくしみ深い手を差し伸べます。そして、神をもっとも必要としている人々、貧しい人々、病気の人々、底辺に追いやられた人々、無力な人々を心にかけられます。いのちが危険にさらされているとき、わたしたちは、さらにいっそうそのいのちを護るようにと呼ばれています。暴力も死も、神、愛といのちの源である神の前では無力です。ヨーロッパで、聖地で、中東で、アフリカでそして世界の至るところで、わたしたちが平和の、和解の、許しの、いのちの論理を実現できるよう助けを求めて粘り強く祈らなければなりません。
歴史の中で、ユダヤの人々は暴力と迫害を経験しなければなりませんでした。それは、ホロコーストというヨーロッパのユダヤ人の大虐殺にまで至りました。600万人の人々が、ユダヤ民族に属しているというだけの理由で、人間が神に取って代ろうとしたイデオロギーの名のもとに行われたもっとも非人間的な蛮行の犠牲者となりました。1943年10月16日、ローマのユダヤ人社会から1000人を超える男女と子どもが追放され、アウシュビッツに送られました。今日わたしは、その人たちを特別なやり方で思い出したいと思います。その人たちの苦しみ、その恐怖、その涙は決して忘れられてはなりません。過去は、現在のための、そして未来のための教訓とならなければなりません。ホロコーストは、人間の尊厳と平和を守ろうとするなら、常に最高レベルの警戒が必要だということをわたしたちに教えてくれます。わたしは、まだ生きておられるホロコーストの証人の方たちの皆様に親しみを表明したいと思います。そして、ここにおいでになる方々に特別のご挨拶を申し上げます。
親愛なる兄弟の皆さん、わたしたちはこの50年間に実現されたすべてに感謝しなければなりません。なぜなら、わたしたちの間には、相互の理解と信頼と友情が育ち、深まってきたからです。共に主に、よりよい未来への道を開くことができるように祈りましょう。神は、わたしたちのために救いのご計画をお持ちになっています。預言者エレミヤはこう言っています。「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」(エレミヤ書29:11)「主があなたを祝福し、あなたを守られるように。主が御顔を向けてあなたを照らし、あなたに恵みを与えられるように。主が御顔をあなたに向けて、あなたに平安を賜るように。」(民数記6:42-26参照) Shalom Alechem! シャローム・アレィクム! あなたがたに平和がありますように!』
(以上)
Pope’s Address at Rome’s Synagogue
‘Our relations are very close to my heart.’
JANUARY 18, 2016
Below is a Vatican Radio-provided translation of Pope Francis’ address during his visit to Rome’s Synagogue yesterday:
***
I’m happy to be here today with you in this Synagogue. I thank Dr. Di Segni, Mrs Durighello and Mr Gattegna for their kind words. And I thank you all for your warm welcome, thank you! Tada Toda Rabba, thank you!
During my first visit to this synagogue as Bishop of Rome, I wish to express to you and to extend to all Jewish communities, the fraternal greetings of peace of the whole Catholic Church.
Our relations are very close to my heart. When in Buenos Aires I used to go to the synagogues and meet the communities gathered there, I used to follow Jewish festivities and commemorations and give thanks to the Lord who gives us life and accompanies us on the path of history. Over time, a spiritual bond has been created which has favoured the birth of a genuine friendship and given life to a shared commitment. In interreligious dialogue it is essential that we meet as brothers and sisters before our Creator and to Him give praise, that we respect and appreciate each other and try to collaborate. In Jewish-Christian dialogue there is a unique and special bond thanks to the Jewish roots of Christianity: Jews and Christians must therefore feel as brothers, united by the same God and by a rich common spiritual patrimony (cf. Declaration. Nostra Aetate, 4 ), upon which to build the future.
With this visit I follow in the footsteps of my predecessors. Pope John Paul II came here thirty years ago, on 13 April 1986; and Pope Benedict XVI was amongt you six years ago. On that occasion John Paul II coined the beautiful description “elder brothers”, and in fact you are our brothers and sisters in the faith. We all belong to one family, the family of God, who accompanies and protects us, His people. Together, as Jews and as Catholics, we are called to take on our responsibilities towards this city, giving first of all a spiritual contribution, and favouring the resolution of various current problems. It is my hope that closeness, mutual understanding and respect between our two communities continue to grow. Thus, it is significant that I have come among you today, on January 17, the day when the Italian Episcopal Conference celebrates the “Day of dialogue between Catholics and Jews.”
We have just commemorated the 50th anniversary of the Second Vatican Council’s Declaration “Nostra Aetate” which made possible the systematic dialogue between the Catholic Church and Judaism. On 28 October last, in St. Peter’s Square, I was able to greet a large number of Jewish representatives to whom I said “Deserving of special gratitude to God is the veritable transformation of Christian-Jewish relations in these 50 years. Indifference and opposition have changed into cooperation and benevolence. From enemies and strangers we have become friends and brothers. The Council, with the Declaration Nostra Aetate, has indicated the way: “yes” to rediscovering Christianity’s Jewish roots; “no” to every form of anti-Semitism and blame for every wrong, discrimination and persecution deriving from it.” Nostra Aetate explicitly defined theologically for the first time the Catholic Church’s relations with Judaism. Of course it did not solve all the theological issues that affect us, but we it provided an important stimulus for further necessary reflections. In this regard, on 10 December 2015, the Commission for Religious Relations with the Jews published a new document that addresses theological issues that have emerged in recent decades since the promulgation of “Nostra Aetate”. In fact, the theological dimension of Jewish-Catholic dialogue deserves to be more thorough, and I wish to encourage all those involved in this dialogue to continue in this direction, with discernment and perseverance. From a theological point of view, it is clear there is an inseparable bond between Christians and Jews. Christians, to be able to understand themselves, cannot not refer to their Jewish roots, and the Church, while professing salvation through faith in Christ, recognizes the irrevocability of the Covenant and God’s constant and faithful love for Israel .
Along with theological issues, we must not lose sight of the big challenges facing the world today. That of an integral ecology is now a priority, and us Christians and Jews can and must offer humanity the message of the Bible regarding the care of creation. Conflicts, wars, violence and injustices open deep wounds in humanity and call us to strengthen a commitment for peace and justice. Violence by man against man is in contradiction with any religion worthy of that name, and in particular with the three great monotheistic religions. Life is sacred, a gift of God. The fifth commandment of the Decalogue says: “Thou shalt not kill” (Exodus 20:13). God is the God of life, and always wants to promote and defend it; and we, created in his image and likeness, are called upon to do the same. Every human being, as a creature of God, is our brother, regardless of his or her origin or religious affiliation. Each person must be viewed with favour, just as God does, who offers his merciful hand to all, regardless of their faith and of their belonging, and who cares for those who most need him: the poor, the sick, the marginalized , the helpless. Where life is in danger, we are called even more to protect it. Neither violence nor death will have the last word before God, the God of love and life. We must pray with insistence to help us put into practice the logic of peace, of reconciliation, of forgiveness, of life, in Europe, in the Holy Land, in the Middle East, in Africa and elsewhere in the world.
In its history, the Jewish people has had to experience violence and persecution, to the point of extermination of European Jews during the Holocaust. Six million people, just because they belonged to the Jewish people, were victims of the most inhumane barbarity perpetrated in the name of an ideology that wanted to replace God with man. On October 16, 1943, over a thousand men, women and children Rome’s Jewish community were deported to Auschwitz. Today I wish to remember them in a special way: their suffering, their fear, their tears must never be forgotten. And the past must serve as a lesson for the present and for the future. The Holocaust teaches us that utmost vigilance is always needed to be able to take prompt action in defense of human dignity and peace. I would like to express my closeness to every witness of the Holocaust who is still living; and I address a special greeting to those who are present here today.
Dear brothers, we really have to be thankful for all that has been realized in the last fifty years, because between us mutual understanding, mutual trust and friendship have grown and deepened. Let us pray together to the Lord, to lead the way to a better future. God has plans of salvation for us, as the prophet Jeremiah says: “I know well the plans I have in mind for you—oracle of the Lord – plans for your welfare and not for woe, so as to give you a future of hope” (Jer 29 , 11). “The LORD bless you and keep you! The LORD let his face shine upon you, and be gracious to you! The LORD look upon you kindly and give you peace! (cf. 6.24 to 26 Nm). Shalom Alechem!
[Original Text: English] [Provided by Vatican Radio]
http://zenit.org/articles/popes-address-at-romes-synagogue/