「学び合いの会-海外ニュース」 340号 

† 主の平和

 

今月ミュンヘンで開かれた国際神学者会議で、ドイツの

レーマン枢機卿は、「教皇が司教会議に大きな自由を与

えたことは、信徒にも、より大きな自由が与えられたこと

を意味している。」と述べ、教会運営に司教会議制を生か

すと同時に、信徒の参画を促して、開かれた教会を実現

するよう訴えました。

NCRの記事を仲間の翻訳でお届けします。

 

添付記事

1. 『司教会議制を再び教会の実践システムに』

               ドイツの司教・神学者らが要求 

 

 

『司教会議制を再び教会の実践システムに』

ドイツの司教・神学者らが要求

クリスタ・ポングラツ・リピット 2015/12/15 NCR Today

訳注:文末に司教会議制関連記事

 

ドイツ・マインツのカール・レーマン枢機卿は、今月ミュンヘンで開かれた国際神学者会議の席上、司教会議制について次のように語った。

「教皇フランシスコは、司教会議が本来持っている自由を改めて認めました。それは、この自由の適用対象が司教会議に留まることなく“とりわけ、信徒が信仰の未来に関する協議に参加すること”にも適用されるようにするためでした。」

この会議は「開かれた公会議へ—第2バチカン公会議の基本理念に基づく神学と教会」と題して、12月6日~8日の3日間行われた。          

 

レーマン枢機卿は、教会における司教会議の仕組みはすべてのレベルで強化されなければならないと述べ、教皇フランシスコは司教会議制による教会運営を繰り返し訴えてきたと付け加えた。レーマン師は、第2バチカン公会議の期間中に司祭に叙階され(ミュンヘンの研究所で)カール・ラーナーの補佐となった人物である。同師にとって、この「司教会議制」は、第3バチカン公会議が開かれるかどうかよりも重要な問題である。グローバル化された世界にあって、教会がその中央集権的な姿勢を捨てさえすれば、大きなチャンスがあると同師は強調する。

 

第2バチカン公会議の教令は、必ずしも十分に生かされ、実行されてきたとは言えないとレーマン師は語る。「第2バチカン公会議後に起きた社会の変化、中でも特に1968年の一連の出来事と、それらが人々に与えた深い影響を、深刻に受け止めなかった」という事実は、教会の冒した重大な失敗の一つであったと言う。

訳注: 「1968年の出来事」は、下記のドイツ司教協議会の行動とその反響を指すと思われる。

▲1968年8月、ドイツ司教協議会は回勅『フマーネ・ヴィテ』に対する修正意見を入れた「ケーニッヒシュタイン宣言」を発表した。宣言では、産児制限に関する決定はそれぞれの夫婦にゆだねるものとした。この他オーストリアなど 20以上の地域の司教が同様の宣言を発表した。

 

ドイツ司教協議会会長のラインハルト・マルクス枢機卿は、第2バチカン公会議の公文書を宝物として仕舞い込まないよう警告し、それらを今日の教会改革をさらに発展させる源泉として用いなければならないと述べた。

 

「それらは、わたしたちが考えを深め、新たな糸口を見出す推進力になるものです。」マルクス枢機卿は、第2バチカン公会議50周年を記念する司教盛儀ミサの説教で参列者に語りかけた。マルクス師によれば、公会議の思想と提題の多くは「未だに、徹底的に議論されたことがありません。」

 

マルクス枢機卿は、ラーナーが第2バチカン公会議後に述べた言葉を想起させた。それは、「公会議は終わったが、実際にはまさに今始まろうとしているのだ。」という言葉である。

 

「公会議の文書を読み直すとき、公会議の精神とそこで行われた神学的な討議の内容に深く感謝するのは勿論ですが、わたしたちはそこに留まっていてはならないのです。」と同師は言う。「公会議は新たな出発という贈り物を用意してくれました。わたしたちは、今こそ新しいやり方で出発することが出来るし、また、そうしなければなりません。」

 

マルクス枢機卿は、教皇フランシスコが10月17日に行った、司教会議制に関する演説を引いて、教会の教えの規範となる『教会憲章』(Lumen Gentium)は、すべてのカトリック信者に召命があること、教会は階級社会ではないことを銘記させてくれると述べた。

訳注: 2015/10/17 世界代表司教会議50周年記念集会での司教会議制に関する教皇発言。

バチカン放送 2015/10/20 参照 http://ja.radiovaticana.va/news/2015/10/20/%E3%82%B7%E3%83%8E%E3%83%89%E3%82%B9%E5%89%B5%E8%A8%AD%E3%80%81%EF%BC%95%EF%BC%90%E5%91%A8%E5%B9%B4%E3%82%92%E8%A8%98%E5%BF%B5/1180716

 

『神の啓示に関する教義憲章』(Dei Verbum)は「十分に考え抜かれたもの」とは言えません。それが扱っているのは、生きている伝統であって「個別のテーマや宣言を扱ってはいないからです。」とマルクス枢機卿は言う。

 

『現代世界憲章』(Gaudium et Spes)―現代世界における教会に関する司牧憲章―は、生き生きと活気に満ちて現代を生きるようキリスト者に呼び掛けている。

 

「教会は、教えるばかりでなく、学ぶ場所でもあります。それは、歴史と時のしるしに開かれた場所です。」とマルクス枢機卿は強調する。活気に満ちて現代を生きることへの召命には、貧しさと苦しみ、気候変動と難民問題への深い認識も含まれている。

 

国際神学者会議の5ページにわたる最終宣言では、世界中の指導的立場にある200人の神学者たちが教会の根本的な変化を求めている。ローマ教皇庁の改革は、教会全般と教会組織の改革まで拡げられなければならない。信徒がもっと参画できるようにしなければならないし、司教会議制の仕組みはもっと強められなければならない。

 

「司教会議制が再び、教会の構造原理にならなければならない」と文書は強調している。それは完全に合法的に行われなければならないし、実現性を備え、「教会のすべてのレベルで実践され」なければならない。教会の重要な決定は、閉ざされた扉の内側で行われてはならない。神学者たちは、「すべての人に関わる問題には、すべての人に発言権がある」という教皇フランシスコの言葉を呼び起こした。

 

アイヒシュテットの基礎神学者クリストフ・ボティンガーが宣言を発表し、これはすべての神学者に向けたものであると同時に、社会全般に向けた宣言でもあると述べた。

 

訳注A:司教会議制: 中央協議会HP「カトリック教会の歴史 II-4 教皇権の隆盛と衰退」より。

1198年から18年間にわたって在位した教皇インノチェンチオ三世の時代、教皇権は政治、経済、社会、文化の多面にわたり隆盛をきわめた。教皇は聖俗両権の関係を太陽と月にたとえ、俗権は教権を反映するにすぎないとまで断言、文字どおり教皇権は全ヨーロッパ大陸に及び、皇帝や国王は彼の意のままに任免された。この時代、スコラ学は精緻をきわめ、ゴシック様式の大聖堂がパリのノートルダム寺院をはじめ各地に建立され、またフランシスコ会やドミニコ会などの新しい修道会が誕生した。1215年には第4ラテラン公会議が開かれ、カトリック信者の宗教的な義務が制度化された。一方、武力をもってアルビ派の異端運動撲滅をはかり、また第4次十字軍を招集し派遣したのもこの時代である。

 

しかし、14世紀に入ると教皇権の隆盛にもかげりがみえ始める。1294年から1303年に在位した教皇ボニファチオ八世は、フランス王フィリップ四世と争うが破門制裁も威力を失い、かえって経済封鎖を受けて窮地に陥るはめになった。ボニファチオ八世の急死後、フランス王は教皇庁を南フランスのアビニョンに移し、以後約70年にわたってそれをフランス勢力下においた。その間の教皇はすべてフランス人であった。このようなフランスによる教皇幽閉策、教皇庁の私物化に対抗して、1378年から40年近くもの間、ローマに対立教皇が立てられるという異常な事態に進展した。この教皇庁の分裂は統一中世そのものの崩壊を意味した。こうした非常事態をのり切るために、各国の司教たちは公会議を重ねて開催して教会の方針を定めようとしたが、この動きはローマ・カトリック教会の最高権威は公会議のみにあるという「公会議至上主義」を生み出し、教皇庁と対立することになった。ここに改めて、キリスト教世界における至上権は何かをめぐる論争の激化を招いたのである。

http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/dogma/dog10.htm

 

 

訳注B:公会議主義: Wikipedia 

公会議主義(英: Conciliarism)は、キリスト教・カトリック教会の歴史において公会議にこそ教会内の至上決定権があると唱える思想のことである。

公会議主義のルーツは、13世紀に絶頂に達した教皇権に対する抑止力としての公会議の役割が注目されたことにある。神学者たちの中でも、公会議の権威が教皇権を超えるものであるという認識を持つものが現れ始めた。たとえばオッカムのウィリアムや、パドヴァのマルシリウスといった神学者たちが公会議主義を支持する思想的枠組みを作った。

 

14世紀に入るとフランス王の圧力によって教皇がアヴィニョンに移動するという事件が起こり(アヴィニョン捕囚)、さらにローマ・アヴィニョンに教皇が並び立つという異常な事態(教会大分裂、西方離教)に至ると、公会議に対して

        1.対立教皇を廃位し正統な教皇を明確にさせること

        2.公会議が主導して教会改革(いわゆる「頭と肢体の改革」)を行うこと

という二つの役割が期待され、公会議主義への期待が高まった。

 

この流れの中で行われたコンスタンツ公会議(1414年-1418年)は、ピエール・ド・アイイやジャン・ジェルソンといった公会議主義者の主導によって行われた。この中で採択された1415年の教令「ヘック・サンクタ」(Heac Sancta)は公会議の決定は誰にも覆すことができないと宣言し、公会議主義の頂点の象徴となった。しかし公会議主義は教皇の権威と教会のヒエラルキーを無視するものではなかった。ジェルソンらもあくまで非常事態においての公会議の優位を強調している。

その後、バーゼル公会議、第5ラテラン公会議へいたる流れの中で、教皇権が求心力を取り戻すと共に教皇首位説が再び盛り返したが、公会議主義が完全に断罪されたわけではなく、教会の非常時に適用される考え方であるという見方が定着していった。このことは教皇不可謬説が19世紀の第1バチカン公会議にいたるまで公式に宣言されなかったことからもわかる。

 

14世紀、15世紀にはすでにローマ・カトリック教会から離れていた正教会にあっても、もともとローマ教皇権に関する解釈をめぐっての紛糾が分裂の一因ともなっただけに、教皇よりも公会議に至上権があるという公会議主義への共感を示していた。そもそも正教会においては総主教や東ローマ皇帝といえども単独で教義は決定できず、その最終決定はすべて教会会議によるものとされている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E4%B8%BB%E7%BE%A9

 

 

(以上)

 

'Synodality must once again become a structural practice in the church,' German cardinals and theologians insist

Christa Pongratz-Lippitt  |  Dec. 15, 2015  NCR Today

 

Pope Francis has "given the bishops' synod back its freedom" so that this freedom not only applies to the synod but "particularly to the participation of the laity at consultations on the future of the faith," German Cardinal Karl Lehmann of Mainz said at a three-day international theological congress entitled "Opening the Council -- Theology and Church under the Guiding Principle of the Second Vatican Council" Dec. 6-8 in Munich.

 

The church's synodal structure must be strengthened at all levels, Lehmann said, adding that Francis has made repeated appeals for a synodal church. For Lehmann, who was ordained during the Second Vatican Council and became Karl Rahner's assistant, this "synodality" was more important than possibly holding a Third Vatican Council. There are great opportunities for the church in a globalized world as long as it discards its centralist approach, he emphasized.

 

The council decrees have not always been adequately applied or implemented, Lehmann said. The fact "that we didn't take the societal changes that occurred after Vatican II, most particularly those of 1968, and the deep effect they had on people, seriously enough," was one the church's gravest failures.

 

German bishops' conference president, Cardinal Reinhard Marx, cautioned against merely safeguarding Vatican II texts as treasures, but said they must be used as sources for further developing church reform today.

 

"They are an impulse to think further and to pick up the thread anew," he told the participants of the conference in his sermon at a Pontifical Mass in celebration of the 50th anniversary of Vatican II. Many of the council's ideas and suggestions "have not yet by any means been thrashed out," he said.

 

Marx recalled what Rahner said after Vatican II, that despite the fact that the council was over, in reality it was only now about to begin.

 

"When we look back at the council texts, at the spirit of the council and the theological debates that took place, we must of course be deeply grateful but we must not stop there," he said. "The council gave us the gift of new departures which we can and must take up in a new way today."

 

The Dogmatic Constitution on the Church, Lumen Gentium, brings to mind that all Catholics have a vocation and that there is no class society in the church, Marx said, recalling Francis' recent speech on a synodal church Oct. 17.

 

The Dogmatic Constitution on Divine Revelation, Dei Verbum, was not thought through "nearly enough." It dealt with a living tradition, "not with a demarcated topic or a collection of statements," Marx said.

 

Gaudium et Spes, the Pastoral Constitution on the Church in the Modern World, calls Christians to a vibrant contemporaneity.

 

"The church is not only a teaching but a learning church. It is open to history and to the signs of the times," Marx underlined. The call to a vibrant contemporaneity also included a deep awareness of poverty and suffering, climate change and refugee problems, he said.

 

In their final five-page declaration, the 200 leading theologians from all over the world call for fundamental changes in the church. Reform of the Roman Curia must be expanded to a reform of the whole church and of church offices. Greater participation must be given to the laity and the synodal structures strengthened.

 

"Synodality must once again become a structural principle in the church," the text underlines. It must be fully implemented legally, must be enforceable and "practiced at all church levels." Important church decisions must not be made behind closed doors. The theologians recall Francis' words that "Everyone must have a say in what concerns everyone."

 

Christoph Böttinger, a fundamental theologian from Eichstätt who presented the declaration, said it was addressed to all theologians but also to the general public.

 

[Christa Pongratz-Lippitt is the Austrian correspondent for the London-based weekly Catholic magazine The Tablet.]

 

http://ncronline.org/blogs/ncr-today/synodality-must-once-again-become-structural-practice-church-german-cardinals-and