「学び合いの会-海外ニュース」 337号 

 

† 主の平和

 

第2バチカン公会議終了直前の1965年11月16日の夜、

ローマ郊外のカンタコンベに40人の司教たちが集り、

公会議の理想に献身することを約束する、『カタコンベ

の誓い』と呼ばれる文書に署名しました。

多くの人が知らなかった、この50年前の歴史的な出来

事が、いま話題になっています。

 

埋もれていた『誓い』本文と、これに署名した司教たちの

最後の生存者のインタビュー記事をお届けします。

 

添付記事

1. 『カタコンベの誓い』(本文) 

 

『カタコンベの誓い』

2015/4/2 ファイアセッター・ニュース

 

第2バチカン公会議終了直前の1965年11月16日夜、ローマ郊外の聖ドミティラ・カンタコンベに40人の司教たちが集まった。キリスト教の死者の聖所で司教たちはミサを捧げ、一人ひとりが公会議の理想に献身することを表明する、「カタコンベの誓い」(Pact of the Catacombs)という意味深いタイトルの文書に署名した。この誓約文書は、「仕える教会、貧しい教会の誓い」(Pact of the Servant and Poor Church)とも呼ばれている。

 

集まった司教たちの中には、ブラジル・レシフェの大司教でラテンアメリカにおける正義と自由の象徴的存在であるヘルダー・カマラ師の姿もあった。しかしながら、この文書が掲げる、現代文明にあらがう理想や、行間に潜む原理主義的な傾向のためか、これに強い影響を受けたのは少数の熱心な人々に限られていたようである。しかし、その後数年を経て、この少数派の司教たちのささやかな誓いは次第に燃え上がり、個人と社会に福音的変革をもたらす担い手として、「貧しい人々の教会」に正統性を置く解放の神学の高まりを呼び起こすと共に、世界の多くの地域で、カトリックの枠組みを超えて、基礎共同体の建設に貢献するに至ったのである。

訳注: ヘルダー・カマラ(Dom Helder Camara 1909-1999) ブラジル、オリンダ・レシフェ教区大司教。一貫して貧困、差別、抑圧、暴力とたたかい,体制側(政府・軍・教皇庁)と対立した。1985年に引退すると、後継者によって彼の改革の多くが白紙に戻された。1983年第1回庭野平和賞受賞。

「貧しい人たちに食物をあげると、私は聖人と呼ばれる。貧しい人たちには何故食物がないのか問うと、私は共産主義者と呼ばれる。」 ヘルダー・カマラ

 

◇◆◇

 

( Pact of the Catacombsの本文)

 

第2バチカン公会議に集まった我々司教は、福音的貧しさという点において、我々の生活スタイルが不十分であると自覚する。

我々は、それぞれが野心と傲慢を避けつつ踏み出した第一歩に、互いに励まされ、司教の職にあるすべての兄弟たちと一つになり、何にもまして、我らの主イエス・キリストの恵みと力、そして教区の信者と司祭たちの祈りに信頼を置く。

我々は、思いにおいても、祈りにおいても、三位一体の神、キリストの教会、そして教区のすべての司祭と信者たちの前に身を置き、謙遜に自身の弱さを認め、同時に、神がその恩寵によって与えようと望まれるすべての決意、すべての力を身に帯びて、次のように誓う。

 

・我々は、居住、食物、乗り物など、暮らしに関わるすべてにおいて、教区民の通常のやり方に従って暮らすこととする。(マタイ5:3、6:33以下、8:20参照)

 

・我々は、裕福な外見や資産、特に衣服(ぜいたくな祭服、派手な色彩)や貴金属製のシンボルの如きはこれを永久に放棄する。(マルコ6~9、マタイ10:9~10、使徒言行録3:6)

・我々は、個人名義のいかなる資産も、その他の所有物も持たず、銀行口座またはそれに類するものも持たない。もし何かを所有することが必要な場合は、すべて教区あるいは社会事業、慈善事業の名義に置く。(マタイ 6:19~21 ルカ 12:33~34)

 

・我々は、教区の財務及び資産運営を、使徒的使命をわきまえる、ふさわしい信徒の委員会に委託する。それは我々が管理者としてよりも、むしろ司牧者、使徒としての仕事に専念するためである。(マタイ10:8、使徒言行録6:1~7)

 

・我々は、口頭でも書面でも、地位や権力を表す名称や肩書きで(例えば、猊下、閣下、主君のように)呼ばれることを望まない。我々は司牧者の(一般的な)呼び名である「神父」と呼ばれることの方をより好む。(マタイ20:25~28、23:6~11、ヨハネ13:12~15)

 

・意見を述べ合ったり、社会と関わったりする場では、特権や名声を思わせるすべての言動を避け、さらには、富者や権力者を優先するかのような行動も慎む。(例えば、ミサにおいて、また宴会に招かれたり招いたりする場合において。)(ルカ13:12~14、1コリント9:14~19)

 

・同様に我々は、誰であれ、人が援助を求めたり感謝したりするとき、あるいは別の理由であっても、人の虚栄心におもねり、それを助長することを避ける。我々は、信者たちが自身の献金を、礼拝、使徒職、社会的行為に参加する一般的な方法であると自覚するよう促す。(マタイ6:2~4、ルカ15:9~13、2コリント12:4)

 

・我々は、この時代が要請し、我々の思い、こころ、手だてに依り頼むすべての人々の求めに応える。それは、使徒的・司牧的奉仕をする働き手や労働者グループからの求めであり、また、経済的に恵まれず不利を被っている人々の求めでもある。その場合、我々の行動が教区の他の人々やグループの福利を損ねることのないようにする。               我々は、貧しい人々や労働者と生活・労働を共にしながら、福音宣教をするよう召された一般信者、修道者、助祭、司祭らを支援する。(ルカ4:18~19、マルコ6:4、マタイ11:4~5;、使徒18:3~4、20:33~35;1コリント4:12、9:1~27)

 

・我々は、正義と慈しみの重要性、およびそれらが相互に関係しあう必要性を自覚し、我々の福祉事業を、慈しみと正義に根ざした社会事業へと変革させるよう努める。それによって我々の事業は、責任ある公的機関にささやかな貢献をし、すべての人に配慮することが可能になる。(マタイ25:31~46、ルカ13:12~14、12:33~34)

 

・我々は、政治と公共サービスに責任ある人々が、法律、社会構造、正義と平等の実現に必要な組織と、全人的にも個々人にとっても完全で調和のとれた発展を実現し、推進するために、出来る限りのことをする。これによって、神の子らにふさわしい新しい社会秩序の到来を期待するからである。(使徒2:44~45、4:32~35、5:4、2コリント8~9章、1テモテ5:16)

 

・司教団の協働性に課せられているのは、究極的な福音の実現である。それには、全人類の3分の2を占める、物質的にも、文化的にも、倫理的にも悲惨な状態に置かれている人々に連帯して奉仕することが必要である。それ故、我々は以下のことを確約する。

a)    貧困国の司教団の最も緊急なプロジェクトを、できる限り支援すること。

b)    豊かな世界の中に貧しい国々を創り出すことをやめ、大多数の貧しい人々を悲惨な状態から解放することができる経済や文化の仕組みを、国際レベルの組織的な連帯によって要求すること。

我々はこのすべてを、国連でのパウロ6世の模範に倣い、福音の証しとして行う。

参考: 誓約文書が作られたと同じ1965年の、歴史的な「パウロ6世国連演説」については、

次の、糸永司教のブログ参照。  http://mr826.net/psi/blog/070521

 

・我々の司牧職が真の奉仕となるよう、キリストにおける兄弟姉妹、司祭、修道者、そして一般信者と、精神的な愛に満ちた生活を共にすることを誓う。それは、彼らと共に「自らの生活を見直す」努力をするためである。          

またそれは、我々が、この世に従う支配者よりも聖霊に従うアニメーター(鼓舞する人)であるべく、司牧の協力者を求めるためでもある。                  

更に我々は、出来得る限り人間的な存在であり、また、人々を暖かく迎え入れる存在であるよう努力する。そして、その信仰に関わりなく、すべての人に対して開かれた存在となることを宣言する。(マルコ 8:34~35、使徒6:1~7、1テモテ3:8~10)

 

・我々はこの決意を、教区に戻って司祭たちに伝え、彼らの理解と協力と祈りによって我々の力となってくれるよう要請する。

 

神よ、我々がこの誓いを忠実に果たせるよう助けてください。

 

 

(以上) 

The Pact of the Catacombs (Domitilla) 

A poor servant Church

 

Shortly before the conclusion of the Second Vatican Council, 40 bishops met on the night of 16 November 1965 in the Domitilla Catacombs outside Rome. In that holy place of Christian dead they celebrated the Eucharist and signed a document that expressed their personal commitments to the ideals of the Council under the suggestive title of the "Pact of the Catacombs". It also goes by the title "Pact of the Servant and Poor Church".

 

Among the bishops gathered was Dom Helder Camara, Archbishop of Recife, Brazil and icon of justice and freedom in Latin America. The statements' counter-cultural ideals and latent radicalism however might have limited its impact to only a dedicated few. Yet in the ensuing years, the little pact of minority bishops gradually caught fire, inspiring the rise of liberation theology, the orthodoxy of the Church of the poor, and the praxis of building basic ecclesial communities as agents of Gospel-based change in individuals and society in many parts of the world and beyond Catholic circles.

 

 

We, bishops assembled in the Second Vatican Council, are conscious of the deficiencies of our lifestyle in terms of evangelical poverty. Motivated by one another in an initiative in which each of us has tried avoid ambition and presumption, we unite with all our brothers in the episcopacy and rely above all on the grace and strength of Our Lord Jesus Christ and on the prayer of the faithful and the priests in our respective dioceses. Placing ourselves in thought and in prayer before the Trinity, the Church of Christ, and all the priests and faithful of our dioceses, with humility and awareness of our weakness, but also with all the determination and all the strength that God desires to grant us by his grace, we commit ourselves to the following:

 

·  We will try to live according to the ordinary manner of our people in all that concerns housing, food, means of transport, and related matters. See Matthew 5,3; 6,33ff; 8,20.

 

·  We renounce forever the appearance and the substance of wealth, especially in clothing (rich vestments, loud colors) and symbols made of precious metals (these signs should certainly be evangelical). See Mark 6,9; Matthew 10,9-10; Acts 3.6 (Neither silver nor gold).

 

·  We will not possess in our own names any properties or other goods, nor will we have bank accounts or the like. If it is necessary to possess something, we will place everything in the name of the diocese or of social or charitable works. See Matthew 6,19-21; Luke 12,33-34.

 

·  As far as possible we will entrust the financial and material running of our diocese to a commission of competent lay persons who are aware of their apostolic role, so that we can be less administrators and more pastors and apostles. See Matthew 10,8; Acts 6,1-7.

 

·  We do not want to be addressed verbally or in writing with names and titles that express prominence and power (such as Eminence, Excellency, Lordship). We prefer to be called by the evangelical name of “Father.” See Matthew 20,25-28; 23,6-11; John 13,12-15).

 

·  In our communications and social relations we will avoid everything that may appear as a concession of privilege, prominence, or even preference to the wealthy and the powerful (for example, in religious services or by way of banquet invitations offered or accepted). See Luke 13,12-14; 1 Corinthians 9,14-19.

 

·  Likewise we will avoid favoring or fostering the vanity of anyone at the moment of seeking or acknowledging aid or for any other reason. We will invite our faithful to consider their donations as a normal way of participating in worship, in the apostolate, and in social action. See Matthew 6,2-4; Luke 15,9-13; 2 Corinthians 12,4.

 

· We will give whatever is needed in terms of our time, our reflection, our heart, our means, etc., to the apostolic and pastoral service of workers and labor groups and to those who are economically weak and disadvantaged, without allowing that to detract from the welfare of other persons or groups of the diocese. We will support lay people, religious, deacons, and priests whom the Lord calls to evangelize the poor and the workers by sharing their lives and their labors. See Luke 4,18-19; Mark 6,4; Matthew 11,4-5; Acts 18,3-4; 20,33-35; 1 Corinthians 4,12; 9,1-27.

 

·  Conscious of the requirements of justice and charity and of their mutual relatedness, we will seek to transform our works of welfare into social works based on charity and justice, so that they take all persons into account, as a humble service to the responsible public agencies. See Matthew 25,31-46; Luke 13,12-14; 13,33-34.

 

·  We will do everything possible so that those responsible for our governments and our public services establish and enforce the laws, social structures, and institutions that are necessary for justice, equality, and the integral, harmonious development of the whole person and of all persons, and thus for the advent of a new social order, worthy of the children of God. See Acts 2,44-45; 4;32-35; 5,4; 2 Corinthians 8 and 9; 1 Timothy 5,16.

 

·  Since the collegiality of the bishops finds its supreme evangelical realization in jointly serving the two-thirds of humanity who live in physical, cultural, and moral misery, we commit ourselves: a) to support as far as possible the most urgent projects of the episcopacies of the poor nations; and b) to request jointly, at the level of international organisms, the adoption of economic and cultural structures which, instead of producing poor nations in an ever richer world, make it possible for the poor majorities to free themselves from their wretchedness. We will do all this even as we bear witness to the gospel, after the example of Pope Paul VI at the United Nations.

 

· We commit ourselves to sharing our lives in pastoral charity with our brothers and sisters in Christ, priests, religious, and laity, so that our ministry constitutes a true service. Accordingly, we will make an effort to “review our lives” with them; we will seek collaborators in ministry so that we can be animators according to the Spirit rather than dominators according to the world; we will try be make ourselves as humanly present and welcoming as possible; and we will show ourselves to be open to all, no matter what their beliefs. See Mark 8,34-35; Acts 6,1-7; 1 Timothy 3,8-10.

 

·  When we return to our dioceses, we will make these resolutions known to our diocesan priests and ask them to assist us with their comprehension, their collaboration, and their prayers.

 

May God help us to be faithful.

 

 

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