「学び合いの会-海外ニュース」 330ー2号 

† 主の平和

「家庭」をテーマに、3週間にわたってローマで開かれていた

第14回世界代表司教会議(シノドス)は、昨日閉幕しました。

会期末の全体会議で採択され、教皇に手渡された最終文書

の内容はいずれ公表される筈ですが、今回は、会議の議論

の中心になった事柄を伝える二つの記事の一つをお届けします。

 

添付記事

NO330-2 

2. 最終文書に再婚者の聖体拝領の対応は示されない見通し

 

  

最終文書作成チームの枢機卿:

「再婚者の聖体拝領に対応策は示されない見通し」

ジョシュア・マッケルウィー 2015/10/23 NCR

 

ローマ発: 家庭シノドスの最終文書作成に携わる高位聖職者チームの一人が、離婚し再婚した人の聖体拝領に関するカトリック教会の対応の変更は、最終文書の提案には盛り込まれないだろうという見通しを語った。

インドのオズワルド・グラシアス枢機卿――270人の司教が10月4日から25日までの3週間、議論を重ねた結果をまとめる最終文書作成チームの一員――は、再婚者の聖体拝領を認めるべきであるという提案について特別に言及し、この件は最終文書では触れない事になるだろうと述べた。

 

この提案は、場合によって教会は、再婚者の聖体拝領をいわゆる「内的法廷」によって認めることが出来ると示唆している。ただしそれは、個人的かつケースバイケースの事情のもとで、司祭あるいは司教による指導、忠告、そして許可を受けることが前提とされる。

 

参考: 『カントによれば、法廷(forum)には、二種類ある。人間の法廷(forum humanum)である外的法廷(forum externum)と、良心の法廷(forum conscientiae)である内的法廷(forum internum)である。そして、カントによれば、内的法廷は現世における神的法廷であり、良心は神的法廷の代弁者である。何故なら「内的法廷は我々を我々の心術そのものという点から判定するからであり、そして神的法廷について考えられることは、まさに我々が我々自身を自分の心術という点から裁かねばならないということ以外ではないから」だ、と。良心は、それ故に、神の前で果たすべき責任の主観的原理と考えられねばならない。周知のように、カントにとって神なる理念は、実践理性の要請するところであった。』 (古賀勝次郎 良心とCONSCIENCE)

https://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/.../40110_5_2.pdf

 

「その提案が認められるとは思いません。」グラシアス枢機卿は木曜日のNCRとのインタビューで述べた。「この件については検討が必要だと思います。」

 

「結論を下す用意はまだ出来ていません。この問題について十分に掘り下げた分析は行われていません。わたしたちは皆、すべての司教たちは皆、この提案が不可能なものではないことを知っています。しかし、これに集中できてはいないのです。」

 

「現在のところ教皇は、結婚の無効宣言に関して司教により大きな権限を持たせようとしているのですから、次の段階は、司教に人々の良心を養成する責任も持たせることだと思います。それが“内的法廷”による解決のために欠かせないことです。」

 

「それは教会の教えにも合致することですから、まったく新しいことではありません。とはいえ、この内的法廷による解決は、むやみに誰もが使うべきではありません。それは危険なことです。」

 

「この提案について検討が必要なことは確かだと思います。」とグラシアス枢機卿は言う。

「ですから、最終文書はこの件に触れないだろうと思うのです。この件についてコンセンサスを得る準備は出来ていないと思いますし、現時点でシノドスが分裂するのは好ましくありません。」

 

今回のシノドスは、家庭の問題を話し合うために教皇フランシスコによって招集された、カトリック高位聖職者の世界会議である。そこでは広い範囲の議題が取り上げられているが、集中的に検討が行われているのは、離婚し再婚した人に対する教会の対応を、司教が決定しても良いか、という点である。

 

今の教会では、再婚した人は最初の結婚の無効宣言がなされない限り、聖体拝領を禁じられている。グラシアス師は、教皇が9月に決定した結婚無効宣言の手続き変更に言及した。

 

シノドス開催前の予想では、離婚し再婚した人にやがて聖体拝領を認めるための、いわゆる「悔い改めの道」を開く可能性が専ら囁かれていた。シノドスで小グループ討論を行った13のグループのうち、少なくとも二つのグループは、その「道」を開く可能性のある具体的な方法として、内的法廷の採用を示唆していた。

 

カトリックの教典は、教会の統治行為は、内的法廷および外的法廷において行われる、と述べている。内的法廷とは良心の法廷であり、そこでは正式な宣言や公表を抜きにした、司祭との個人的なカウンセリングによって、ものごとが決められる。

 

この問題に関するグラシアス枢機卿の発言は、木曜日に行われた20分間のインタビューの中で行われたものだが、枢機卿はそのほかにも、シノドス最終文書の作成のプロセスや、司教会議により強い権限が与えられる可能性についての見解、さらには教会の教えが進化する道筋についても語った。

 

シノドス最終文書の作成について、枢機卿は、彼自身も他の作成委員会のメンバーも、最終文書が参加者の広範囲な同意を得られるものになるよう望んでいると述べた。

 

「わたしは思うのですが… 最終文書が広範囲なコンセンサスを得られなければ、作成委員会の仕事は失敗だと思います。会議の思いを受け止め、会議が望む結果を出したいのです。」グラシアス師はシノドスの会議に触れてこう語った。

 

枢機卿はまた、合意を得るための配慮の結果として、最終文書のトーンは「より穏やか」なものになるだろうと述べた。

 

「だから、結論は出さないと申し上げているのです。結論は全員には受け入れられないからです。ある司教は結論が出ていると言うでしょうし、別の司教は出ていないと言うでしょうから。」

 

「やがては合意が成立するものと願っています。このようにして、3週間にわたる会議で話し合われた問題点とその解決方法を教皇に提示するという、わたしたちの役目を果たすのです。」

 

「わたしたちは、苦しみながら模索しています。」グラシアス枢機卿は、シノドスの経過についてこう語る。「わたしたちは、今の状況と格闘しているのです。…それは憐れみと正義、憐れみと真理の闘いです。…どのようにしてこの両者を結び付けるのか? それも、イエスが示された哀れみに倣いつつ、しかも教会の教えに背くこともなく……。」

 

シノドスに参加した司教たちは。木曜日に最終文書の試案を示され、それについて金曜の午前中、公開討論を行う。そして、金曜日の午後には修正案を作成し、土曜日には最終投票を行う予定だ。

 

教会が考えるところの、憐れみと正義との間に生じる相互作用――司教が離婚・再婚といった難しい司牧の課題を扱う際にしばしば見られる、正反対のアプローチ――について聞かれたグラシアス枢機卿は、正義に対して憐れみを強調しすぎることに危惧の念を抱くカトリック信者が多い、と語った。

 

「わたしは自分に問いかけます。“これは教皇フランシスコが憐れみを強調することへの反発なのか?”と。そうかもしれません。彼は、憐れみも、共感も、とても大切にします。

そこで人々は“正義についても忘れないようにこの辺でブレーキをかけよう。”と言うのです。」

 

「いつも迷うのですが、果たしてわたしに、憐れみをどの程度与えるべきかを決める権限があるのでしょうか?」と枢機卿は言う。「司教として“いえいえ、それをしてはいけません”などと言う権限があるのでしょうか? わたしには判りません。」

 

「わたしは自分に“イエスならどうなさるだろうか?”と問い続けます。この状況の中で主はどうされるだろうか?」

 

シノドスで話し合われたことの中で、司教会議がより多くの裁量権を持つべきかどうかについては、グラシアス師は、大筋ではその方向を支持すると述べた。

 

「教皇は、分権化をすすめて司教会議により大きな権限を持たせようとしていると思います。」こう語るグラシアス枢機卿は、アジア司教会議連合と呼ばれる全アジア地域の司教の集まりのリーダーでもある。

 

「しばしば取り上げられる基本的な問題について教理省が検討を行いました。“そもそも司教会議には神学的地位があるのだろうか?”と。」枢機卿は続けた。

 

「そのときの答えは、実は“ノー”でした。けれどもその時点で、それが最終的な結論ではなかったと思います。わたしたちは依然として、司教会議とは何か?について考えなければなりません。…単に、問題点や状況を分かち合うための集まりに過ぎないのでしょうか? 

いいえ、わたしは、それだけではないと思います。」

 

「教会法の規定では、ものごとの決定に関して、司教会議にはわずかな権限しか与えていません。おそらく、それを拡大することは可能でしょう。教皇は確かに……彼の発言によってそれを示唆しています。彼は、司教会議により多くの権限を与えようとしているようです。それは良い結果を生むでしょう。」

 

「それは神学的に可能だと思います。その道筋は見えています。」と枢機卿は語った。

 

グラシアス師は、司教会議に委任されても良いと考える三つの事例を示した。それは、

結婚裁判を担当すること、現在バチカン教理省が担当している性的虐待事件を扱うこと、

それに、司教の選任を助言すること、の3点である。

 

性的虐待の問題について枢機卿は「世界中で起きているすべての事件を、ローマの一つの機関で処理するのは荷が重過ぎます。現実的にも理論的にもそれは不可能です。従って〈司教会議〉がもっと責任を分担すべきだと思います。」

 

「司教会議はまた、将来的には――会議で決まったことではありませんが――司教の選任を助けるための大きな役割を果たせるだろうと考えます。」バチカンの改革を教皇に助言する枢機卿協議会のメンバーでもあるグラシアス師は、こう述べた。「これについての判断は、すべての地方教会にとっても、司教会議にとっても、大変重要な関心事です。」

 

グラシアス師はさらに教会の教えの展開について語り、彼が神学的原則と呼ぶものと、教会的規律と呼ぶものとの区別について述べた。

 

「教会的規律とは教会法のことで、これらの具体的な運用は変更可能であり、様々な状況に柔軟に対応できます。神学は別物です。主の教えは不変です。それは変わることはありません。しかし、だからと言って…… 離婚し再婚した人は誰であろうと聖体拝領が出来ないという結論になるのでしょうか?」

 

教会の教えの一部が変わってしまうのではないかと心配する人々について、グラシアス師は、「なにか安心できるものにしがみ付いていたい」と思う人もいると言う。

 

「信仰は信仰として不変です。わたしたちの主イエスキリストは確固たるお方です。信仰も、教会も、その教義も、確固として不変です。」

 

「そうは言っても、新しい問題に対しては微妙な配慮が必要です。」

 

「皆さんが心配していることは良くわかります。ある事柄のために長い間闘ってきた人が、

ある日突然、それが大した事柄ではないと感じたなら、「この闘いは何の為だったのだろう?」と自問することでしょう。それでも、わたしたちは人々に教えを説かなければなりません。わたしたちは、もっと理解を深めなければなりません。」

 

 

(以上)

Drafting committee cardinal: 

Synod will not provide Communion path for remarried

Joshua J. McElwee  |  Oct. 23, 2015

 

ROME One of the prelates responsible for drafting the final document from the ongoing Synod of Bishops has said he does not anticipate that it will propose changes in the Catholic church's practices towards the divorced and remarried.

Indian Cardinal Oswald Gracias -- one of ten prelates who co-drafted the document after three-weeks of intense deliberations among some 270 bishops at the Oct. 4-25 Synod -- said in particular that one specific proposal that might have allowed the remarried to take Communion would likely not be mentioned.

 

That proposal would have suggested that the church could use what is called the “internal forum” to allow some remarried persons to take the Eucharist on a private, case-by-case basis after seeking guidance, advice, and then permission from priests or bishops.

 

"I don't expect that," said Gracias, speaking in an NCR interview Thursday. "I think this has got to be studied."

 

"I don't think we're ready as yet," said the cardinal. "The matter has not been sufficiently analyzed in depth. We all know, all the bishops know, that this is a possibility. But we've never focused on that."

 

"Now, with the pope's giving more power to the bishops for annulments I think the next step could be letting bishops take responsibility also for training the consciences of people," he continued. "That is essential in internal forum solutions."

 

"It's in keeping with church teaching, so it is not something totally new," he said. "Yet, this internal forum solution should not be randomly used by everybody. That's the danger."

 

"I do think we must study it, certainly," said Gracias. "That's why I don't think the document would have it. I don't think we're ready yet to have a consensus on this matter, and it would be not good to have the Synod divided on this matter at the moment."

 

The Synod of Bishops is a worldwide meeting of Catholic prelates called by Pope Francis to consider issues of family life. It is addressing a wide range of topics, but much analysis has focused on whether the bishops might decide to change church practice towards the divorced and remarried.

 

Remarried persons are currently prohibited from taking Communion in the church unless they receive annulments of their first marriages. Gracias referred to changes Francis made to the annulment process in September.

 

Speculation before the Synod focused on the possibility for a so-called "penitential path" for the divorced and remarried that might allow them to eventually take Communion. At least two of 13 small discussion groups meeting at the Synod suggested use of the internal forum as a way to perhaps provide a concrete method to possibly enact that path.

 

Catholic teaching says that acts of governance in the church can take place either in an internal or external forum. The internal forum is the forum of conscience, where a decision is made in private counseling with a priest without a formal decree or any sort of publicity.

 

Gracias' remarks on the matter came during a 20-minute interview Thursday that also saw the cardinal discuss the process for drafting the Synod document, give his view on the possibility that more power will be given to bishops' conferences, and speak about the way church teaching develops.

 

Speaking about the drafting of the Synod document, the cardinal said he and the other members of the drafting committee wanted to provide a document that could attract wide consensus from the gathered prelates.

 

"I feel ... that it would be a failure on the part of the drafting committee if we can't get a large consensus, and to get a feel of the House and to say this is what the House wants," said Gracias, referring to the Synod meeting.

 

The cardinal also said that the effort at consensus might mean the document "won't be as strong" as it may have been otherwise.

 

"That's why I said we won't have the answers, because the answers won't be acceptable to everybody," said Gracias. "Some bishops would say we have the answer to this problem, others would say no."

 

"We hope that gradually there will be consensus," he said. "And this way, we fulfill our role in three weeks of presenting the Holy Father the problems and how to go ahead. He's got to decide exactly how he takes it forward."

 

"We're struggling," said Gracias, speaking of the Synod process. "We're grappling with the situation ... struggling between mercy and justice, and mercy and truth -- and how to combine the two, showing the compassion of Jesus and yet being faithful to the teaching."

 

The bishops at the Synod were presented with a draft of the final document Thursday afternoon, and discussed it in open session Friday morning. They are expected to submit amendments to the text Friday afternoon before having final votes on the document Saturday.

 

Asked about the interplay between the church's understanding of mercy and justice -- sometimes seen as opposite approaches to how bishops should handle difficult situations like pastoring to divorced and remarried persons -- Gracias said there is sometimes a fear among Catholics about stressing mercy too much over justice.

 

"I'm asking myself, 'Is this a reaction to Pope Francis' insisting on mercy?'" said the cardinal. "Maybe it is. He insists on mercy so much, compassion so much, people say, 'Now, put the brakes on because let's not forget that there's justice, also.'"

 

"I often wonder: Do I have the right to decide how much mercy to give?" said Gracias. "Do I have the right? As a bishop, can I say, 'No, no, you can't do this.' I don't know."

 

"I keep asking myself, 'What would Jesus do?'" he said. "What would our Lord do in these circumstances?"

 

Speaking about conversations at the Synod about whether bishops' conferences could play a larger role in handling questions of authority, Gracias widely said he would be in favor of such a move.

 

"I think the pope wants to decentralize and give bishops' conferences more and more power," said the cardinal, who also leads the pan-Asian regional conference of bishops called the Federation of Asian Bishops' Conferences.

 

"There is one basic question being raised every now and then, the Congregation for the Doctrine of the faith studied it: Do the bishops' conferences have theological status or not?" he continued.

 

"The answer was no, really, at that time," he said. "But I think that maybe that was not still the last word. We've got to still to see what are the bishops' conferences -- just associations of people who come together to share their problems and their situations? No, I think it's more than that now."

 

"The Code of Canon Law has given a little authority to the conferences to decide certain decisions," said Gracias. "Perhaps that can be expanded. I think the pope ... certainly is giving his indication with what he said. He would be inclined to give bishops' conferences more power, and that's for the good."

 

"I think it can be worked out theologically," he said. "I see a way forward."

 

Gracias gave three examples of work bishops' conferences could be entrusted to do, saying they could perhaps handle marriage tribunals, clergy sexual abuse cases currently referred to the Vatican's Congregation for the Doctrine of the Faith, and even help in the selection of bishops.

 

Regarding sexual abuse cases, the cardinal said: "I think [bishops' conferences] should take more responsibility because that's far too heavy to have one office in Rome handling all the cases in the world. It's practically, logistically, impossible."

 

"Bishops' conferences could also, I think, in the future -- I'm not saying they would decide -- assist more, have a greater role in the choice of bishops," said Gracias, who is also a member of the Council of Cardinals advising the pope on reforming the Vatican. "That's a very crucial decision for every church and bishops' conference."

 

Gracias also spoke about the development of church teaching, making a distinction between what he called theological principles and ecclesiastical discipline.

 

"Ecclesiastical discipline is church law, and these practical things can change and can become flexible to different situations," said the cardinal. "Theology remains. Our Lord taught indissolubility. That will not change. But then ...  does it mean that all people who are divorced and remarried cannot receive Communion?"

 

Asked about those who have expressed fear over the possibility that the church might change certain teachings, Gracias said some people want "to hang onto something, to feel secure."

 

"The faith remains the faith," said the cardinal. "Our Lord Jesus Christ remains firm. The faith is firm, the church is firm, and doctrine is firm."

 

"And yet, there should be nuances to new problems," he said.

 

"I do understand the anxiety of people," said Gracias. "If you fought for something a long time and all of a sudden you feel that it's not a core value, you say, 'Why did I do all this?' I understand. Yet, we should catechize our people. We should have a deeper understanding."

 

 

[Joshua J. McElwee is NCR Vatican correspondent. His email address is jmcelwee@ncronline.org. Follow him on Twitter: @joshjmac.]

 

http://ncronline.org/news/vatican/cardinal-drafter-synods-final-document-will-not-provide-communion-path-remarried