「学び合いの会-海外ニュース」 329号 

 

† 主の平和

 

ローマで開かれている世界代表司教会議(略称:家庭シノドス)

は最後の第3週に入っています。

今回お届けするのは、教皇の直接指名でシノドスに参加した

シカゴの大司教による、新しい司牧のあり方への提言です。

 

添付記事

1. キュピック・シカゴ大司教、離婚問題にコメント

  「司祭は導き手であっても個人の良心には立ち入れない。」

    (NCR)

注 20151024付けで掲載文章の一部訳文を訂正しました。以下の文章は訂正後のものです。

 

スーピッチ・シカゴ大司教、離婚問題にコメント

「司祭は導き手であっても個人の良心には立ち入れない。」

ジョシュア J. マッケルウィー |  2015年10月16日 NCR

 

 

VATICAN CITY―「離婚し再婚した人が、自分の行動を良心に問いかけた上で霊的生活について決心したことを、カトリック教会は尊重しなければならない。」シカゴのブレイズ・スーピッチ大司教は報道陣へのブリーフィングでこのように語った。

スーピッチ大司教は、今月4日から25日までの日程で開催中の世界代表司教会議(略称:家庭シノドス)にアメリカから参加している9人の中の一人で、教皇フランシスコが個人的に選任した4人の中の一人でもある。

彼によれば、離婚し再婚した人々の相談に乗るときは、いつも「何らかの方法で彼らを理解しようと努めている。」

 

大司教は「和解」という言葉のルーツであるラテン語――それには「ゆるし」のほかに「目と目を交わす」という意味がある――を引いて、「それが本当なら、わたしが彼らを理解するだけでなく、彼らがわたしをどのように理解しているかも知らなくてはいけません。」と言う。

 

「わたしが人々の手助けをするときは、そのように心掛けます。」とスーピッチ師は言う。「そして、人々は良心に従って決断します。」

 

「ですから、教会でのわたしたちの仕事は、彼らが一歩を踏み出す手助けをし、その一歩を尊重することです。」「良心は侵してはならないものです。そして人々が決断するときにはその良心を尊重しなければなりません。わたしはいつもそうしてきました。」

 

スーピッチ大司教の発言は、金曜日にバチカンで行われた、シノドスの経過を説明する小規模な記者会見の席で行われた。

 

閉ざされた扉の向こうで行われている会議の中での、争点の一つと見られるのは、離婚者が最初の結婚の無効宣告を受けないまま再婚したケースに対し、教会がどのように対処するか、という問題である。現在の教会の教えによれば、そのような人は聖体拝領を禁じられている。

 

シカゴ大司教は、そうした人々の相談に乗ってきた自身の経験について語り、良心を何よりも重視するカトリックの教えに言及した。

 

離婚し再婚した人々とのカウンセリングの経験が、同性のカップルにも応用できるものか、という質問に対し、スーピッチはこう答えた。「私は、同性愛者も同じ人間だと思っています。そして彼らには良心があります。」

 

「司牧者としてのわたしの役割は、彼らが教会の倫理的な教えが目指すところを理解し、神の御業を識別する手助けをすることです。それだけではなく同時に、そのとき神は、彼らをどこへ召そうとなさっているのかを理解するよう、識別の時期を通じて手助けするのです。」

 

「それは誰にでも当てはまることだと思います。」と彼は言う。「あるグループの人々を、あたかも人類の仲間でないように分類しないことを確認しなければならないと思います。

それは大きな間違いだと思います。」

 

離婚し再婚した人や、同性カップルの司牧に関するスーピッチ大司教の応答は、彼のブリーフィングの内容の一部に過ぎない。彼はその他にも、シノドスの場で議論された多くの争点についても言及した。

 

大司教は、とりわけシノドスの参加者たちが直面している緊張状態について語った。それは、二つの立場のカトリック信徒にどう対応するかという点である。すなわち、一方には強力で確固とした道徳的教えを望む人たちがおり、他方には教会が無秩序な日常生活の現状を認識することを望む人たちがいる。

 

スーピッチ師の知人の大司教は、自分の墓石にはこう刻んでほしいと語った。「わたしは人々を大人として扱った。」

 

「彼が言わんとするところは、キリスト者として生きることについて、わたしたちは、大人のカトリック者としての対応をしなければいけない、ということです。」とシカゴの大司教は言う。「これこそ、教皇がわたしたちに示そうとしていることだと思います。」

 

「人々がキリスト者としての生き方を決める大切な時に、わたしたちがどのような手助けを出来るかは判っています。その時こそ、そうした問題に関連したカテケージス(教理指導)が一層必要なのです。」

 

「カテケージスは、固定化した教義を教えるだけのものではありません。…それは、人々が正しい判断をするために教会が用意した道へと、彼らを助け、寄り添って歩むためのものでもあるのです。」

 

シカゴ大司教はまた、2009年に国際神学委員会が発表した自然法の役割に関する文書をとりあげ、「これはシノドスにとって大きな意味を持つ内容です。」と語った。

 

その文書はこう述べている。「道徳の問題に関しては、三段論法によって導き出される単純な結論だけでは不十分である。モラリストは、具体的な状況に直面すればするほど、経験的な知恵に頼らねばならない。その経験とは、他の分野の科学的成果の集積であり、また、行為の当事者である男女との接触によって育てられるものでもある。」

 

「教義を、答えを導き出すための三段論法に過ぎないものと考えることはできません。」とスーピッチ師は言う。「一人ひとりの状況、ケース・バイ・ケースの人生、そうしたものの集積(統合)が必要です。」

 

大司教はまた、次のように語った。「司教が家族のためにできる最もすばらしいことは、家族と同じように振舞い、同じように話すことです。」彼は、自分が9人の兄弟姉妹の1人であると語り、母親が「子どもの一人を、ほかの子より愛しているか?」と尋ねられた話を披露した。

 

「それが必要なときだけ、ね。」母の答えはこうだったとスーピッチ師は語る。

 

「それが家族の話し方です。」と、大司教は言う。「それが母の話し方でした。わたしたちもそのように話すことが出来なければいけません。」

 

「三段論法(論理的な考え方)は大切です。一般的な原則を軽視してはいけません。しかし、三段論法や原則だけでは、わたしが教会の教えに沿うものと信じている生活の現実に対応する余地はかなり限られてしまいます。」

 

「わたしたちが、これらの非常にデリケートな問題に対処する際には、教会の教えの“ふところの広さ”を十分に生かすことが出来るという確信を持っていたいのです。」

 

そして大司教は「教会の言葉」を、人々がいっそう近づきやすく、いっそう理解しやすいものに変えて行きたいという希望について語った。

 

「本当に人々を引き寄せたいと願うならば、わたしたちの言葉を聞いた人たちが“この人はわたしの生活を理解している”と認めてくれるようにしなければいけません。」

 

教会の教えにある「結婚の不解消性」という言葉の使い方については、このシノドスで何回か意見が交わされたと、スーピッチ師は一つの例を挙げて説明した。

 

「異なる文化圏において、とりわけ東の国々では、その言葉は過酷なものと受け取られていると聞きました。言葉を換えれば、それはあまりにも理解しがたい言葉なのです。人々は、生涯にわたる忠実について理解しています。しかし、その文化圏の人々にとっては、結婚の意味する豊かさと複雑さを法律的な用語で説明されても意味がないのです。」

 

「これは初めて聞いたことですが、わたしは理解できます。この人々にとって、“結婚の不解消性”という言葉が伝えるものは〈きずな〉ではなく〈手錠〉なのです。」

 

スーピッチ師はまた、ドイツのワルター・カスパー枢機卿の提案について踏み込んだ話をした。カスパー師の提案とは、離婚し再婚した人に一定の条件の下で聖体拝領を認めるための、ある種の「赦し(悔い改め)の手続き」があっても良い、というものだ。

 

スーピッチ大司教は、自分の教区の全ての司祭に、カスパー師がその提案を記した「家庭の福音(The Gospel of the Family)」という本を配布したと言う。「この本が、神学的にとても豊かな内容なので、皆に読んでほしいと思ったのです。」と彼は語った。

 

「カスパー師が示す神学によって、この提案は説得力あるものになっていると思います。

わたしたちは、当事者に寄り添うだけでなく、差別せず、和解する道を見つけなくてはいけないと心から思います。」

 

「悔い改めることこそが神の憐みを受ける条件、などとは間違っても考えてはいけません。むしろ神の憐みと神の恩寵によって悔い改めが始まることを信じなければなりません。」と大司教は言う。

「救いの業(摂理、経綸)はそのように働くものではありません。キリストがわたしたちを受け入れてくださるのは、悔い改めを起こさせるその憐みによってなのです。」

 

それから、スーピッチ師は、ある司祭から聞いた話と断って、自殺した青年の葬儀について語った。その青年の母親は離婚と再婚の経験者で、息子の自殺に関して激しい怒りを神と教会にぶつけてもいた。

 

その母親は、息子の葬儀ミサで聖体拝領の列に進み出た時、腕を組んだまま、拝領せず祝福を受けたいという意思表示をした。司祭は彼女に言った。「いいえ、今日はご聖体を受けなくてはいけません。」

 

「彼女は席に戻って、こらえ切れず激しく泣き出しました。それから後、彼女は司祭のもとを訪れるようになり、和解へと進んで行きました。」

 

「彼女の心は変化したのです。」とスーピッチ師は言う。「彼女の〈最初の〉結婚は無効とされました。そして〈二度目の〉結婚は教会が認めるところとなりました。」

 

「しかしその原因は、神の憐みと恩寵が彼女の心に触れるようにと、司祭が願い求めたからです。これは心に留めておくべきです。これはまた、教皇が語っていることでもあると思います。それは一本道でありません。」

 

 

(以上)

 

 

参考:  CJC 通信2014/10/27:【CJC=東京】米シカゴ大司教に任命されたブレイズ・キュピック(スーピッチ)神父は、1885年から大司教館とされていたマンションには住まず、ホーリー・ネーム大聖堂内に居を構えることにした。大司教区委員会は、マンションの売却など処分方法を検討する。時価は1430万ドル(約15億円)と見られる。             

http://blog.livedoor.jp/cjcpress/archives/52011823.html

 

Chicago's Cupich on divorce: Pastor guides decisions, 

but person's conscience inviolable

Joshua J. McElwee  |  Oct. 16, 2015

 

VATICAN CITY― The Catholic church has to respect decisions divorced and remarried people make about their spiritual lives after they examine what their conscience is telling them to do, Chicago's Archbishop Blase Cupich said during a press briefing.

Cupich -- one of nine Americans attending the ongoing Oct. 4-25 Synod of Bishops and one of four personally appointed by Pope Francis -- said that when he counsels divorced and remarried persons he always tries "in some way to understand them."

 

Citing the Latin root for the word reconciliation -- which indicates not only forgiveness but a seeing of eye-to-eye -- the archbishop said: "If that's the case, then not only do I have to understand them but I also have to see how they understand me."

 

"I try to help people along the way," said Cupich. "And people come to a decision in good conscience."

 

"Then our job with the church is to help them move forward and respect that," he said. "The conscience is inviolable. And we have to respect that when they make decisions and I've always done that."

 

Cupich was speaking Friday in a small briefing with journalists at the Vatican on the progress of the synod, a worldwide meeting of Catholic prelates called by Francis to focus on issues of family life.

 

One of the discussions known to be taking place at the gathering, being held behind closed doors, regards the church's stance towards divorced persons who remarry without obtaining annulments of their first marriages. Such persons are currently prohibited in church teaching from receiving the Eucharist.

 

The Chicago archbishop was speaking about his own experience counseling such persons, and was referring to Catholic teaching on the primacy of conscience.

 

Asked how his experience counseling divorced and remarried persons also applies to same-sex couples, Cupich replied: "I think that gay people are human beings too, and they have a conscience."

"My role as a pastor is to help them discern what the role of God is by looking at the objective moral teaching of the church and yet at the same time helping them through a period of discernment to understand what God is calling them to at that point," said the archbishop.

 

"I think that it's for everybody," he said. "I think we have to make sure that we don't pigeonhole one group as though they're not part of the human family, so there's a different set of rules for them. That would be, I think, a big mistake."

 

Cupich's replies about ministering to divorced and remarried persons and same-sex couples were part of a briefing that saw the archbishop touch upon many of the discussions known to be taking place at the synod.

 

The archbishop spoke particularly about a tension the synod prelates are facing between wanting to respond to Catholics who are looking for strong and certain moral teachings and those who want the church to recognize the messiness of everyday life.

Cupich said he knew a retired archbishop who said he wants his tombstone to read: "I tried to treat you like adults."

 

"I think that what he means by that is we really do have to have an adult Catholic response to living the Christian life," said the Chicago archbishop. "That I think is where the Holy Father is leading us."

 

"We have the means by which we can help people come to important decisions about how they live their Christian life," said Cupich. "This is a moment that I think highlights the need for that kind of catechesis all the more."

 

"Catechesis cannot be just about giving people the fixed doctrines … but also helping them, accompanying them by showing them the way, the path that the church has outlined in terms of making prudent decisions," he said.

 

The Chicago archbishop also quoted a 2009 document from the International Theological Commission on the role of natural law, saying it is "a very important piece for this Synod."

 

That document states: "In morality pure deduction by syllogism is not adequate. The more the moralist confronts concrete situations, the more he must have recourse to the wisdom of experience, an experience that integrates the contributions of the other sciences and is nourished by contact with men and women engaged in the action."

 

"We can't just refer to doctrines as though they're syllogisms that we deduce a conclusion to," said Cupich. "There has to be that integration of a person's circumstances, case by case in their life."

 

The archbishop also said "the greatest contribution that the bishops can make to families is to act and speak like families act and speak." He said he is one of nine children and told a story of his mother being asked if she loved one of the children more.

 

"Only if they need it," Cupich quoted his mother.

 

"That's the way families speak," said the archbishop. "That's the way a mother talks. We have to be able to speak that way, too."

 

 

"Syllogisms are important," he said. "General principles are important. But there's a limitation on how that allows us the freedom to address real life situations that I believe is in concert with what the church teaches."

 

"I would want to make sure that the full breadth of what the church teaches is brought to bear when we address these very, very delicate questions," he said.

 

The archbishop also spoke about a desire to change the church's language in order to make it more accessible and understandable to people.

 

"If we really do want to engage people, they have to recognize that we know their life in the way that we speak," he said.

 

Giving one example, Cupich said that the use of the word indissolubility in church teaching on marriage had been discussed several times at the synod.

 

"What we heard is that in different cultures, especially in the East, that word says too much for people -- or it's too hard of a word to understand," said the archbishop. "People understand life-long fidelity, but it seems to be too much of a juridical term to describe the richness and complexity of what a marriage means for people in their culture."

 

"I had never heard that before, but I get it," he said. "Because what it conveys is not the indissolubility of a wedding band but handcuffs."

 

Cupich also spoke in depth about German Cardinal Walter Kasper's proposal that there could be some sort of "penitential path" for divorced and remarried persons to be readmitted to the Eucharist in certain circumstances.

 

The archbishop said he had given the book in which Kasper makes the proposal, The Gospel of the Family, to all the priests of his archdiocese. "I wanted them to read that because I thought it was very rich theologically," he said.

 

"I think that he has reasoned this proposal well, given the theology that he offers," said Cupich. "I do think that we should look at a way in which people are not just accompanied but integrated and reconciled."

 

"We have to believe in the mercy of God and the grace of God to trigger conversion, rather than having it the other way around as though you're only going to get mercy if you have the conversion," said the archbishop. "The economy of salvation doesn't work that way. Christ receives people and it's because of that mercy that the conversion happens."

 

Cupich then told a story he said a priest had told him of celebrating a funeral for a young man who had committed suicide. The man's mother, he said, was divorced and remarried and also "very angry" at God and the church over what had happened.

 

When she came forward in the Communion line at the funeral Mass, she folded her arms, a common sign that she would not receive Communion but wanted a blessing. The priest said to her: "No, today you have to receive."

 

"She went back to her pew and wept uncontrollably," said the archbishop. "She then came back to visit with the priest and began reconciliation."

 

"Her heart was changed," said Cupich. "She did have her [first] marriage annulled; her [second] marriage is now in the church."

 

"But it was because that priest looked for mercy and grace to touch her heart," he said. "That's something we have to keep in mind. And I think the Holy Father has talked about that. It's not a straight line."

 

 [Joshua J. McElwee is NCR Vatican correspondent. His email address is jmcelwee@ncronline.org. Follow him on Twitter: @joshjmac.]

 

http://ncronline.org/news/vatican/chicagos-cupich-divorce-pastor-guides-decisions-persons-conscience-inviolable