学び合いの会-海外ニュース」 307号 

† 主の平和

バチカンの高官が「教皇庁改革など不要」と発言して話題に

なっています。さてその発言の主とは・・・

添付記事

1. ローマ教皇庁、真の改革に不安の翳  (NCR記事)

 

 

ローマ教皇庁、真の改革に不安の翳

ロバート・ミッケンズ NCR主筆 2015/4/27

 

最近、バチカンの高官の一人が、果たしてローマ教皇庁に改革が必要なのかどうか、かなり疑問を感じていると表明した。信じがたいかも知れないが、彼は改革の主張には誇張があると言う。彼はこう語る。「個人的には、現時点で教皇庁の改革が必要だという明確な理由は見当たらない。」

 

彼はこう続ける。「人事や構造に関する一、二の変更はこれまでも行われてきたし、これからも行われるだろう。しかしそれは通常の動きの一部に過ぎない。」

 

「失礼ながら『教皇庁改革』と言うのはやや大げさに過ぎる。」と彼は更に続けた。

 

この発言の主は単なる官僚ではない。教皇公邸管理部の長官、ゲオルク・ゲンスヴァイン大司教の言葉である。彼は、前教皇ベネディクト16世の個人秘書であり、同居人でもあった人物である。

 

彼のコメントは(特に彼がベネディクトの親友であったが故に影響が大きいのだが)最近、ドイツの有力なカトリック・ウェブサイトのKatholisch.de に投稿された独占インタビューで紹介された。

 

この58才の大司教によれば、ローマの中央行政機構が本格的な改革(単なる手直しでなく)を必要とするのは、教会の歴史上極めて重要な時局に限られるという。

 

そのような重要な時局として彼が特に引き合いに出したのは、第2バチカン公会議(1962年~1965年)と教会法典の改訂(1962年)である。前者はパウロ6世による教皇庁改革であり、後者の改訂はヨハネ・パウロ2世によって行われたもの。

 

ゲンスヴァイン大司教の主張によれば、改革はこれら二つの岐路(時局)において必要であった。それによって教皇庁の組織は、公会議と最新の法典に由来する新しい指針に沿うように導かれたというのだ。

 

教皇フランシスコは、明らかにこの見方には賛同していない。もし賛同しているなら、教皇庁の改革や普遍教会の統治で自分を支える「枢機卿協議会」を、教皇就任後わずか1ヶ月で設置するという前例のない手段は執らなかっただろう。

 

そしてまた、シノドスを改革して新しいやり方を導入するために、これ程の労力を費やさなかっただろう。その努力の結果、枢機卿協議会もさることながら、シノドスも普遍教会の統治に欠くことのできない大きな要素となったのだ。

 

実のところ、この点が、ゲンスヴァインと仲間の伝統主義者たち、特に聖職者仲間に懸念を抱かせているのだ。

 

この問題の実体を見てみよう。パウロ6世と(特に)ヨハネ・パウロ2世が行った改革は、現実には(大司教の言葉を借りれば)「通常の動き」のほんの一部分に過ぎなかったと言える。

 

事実、パウロ6世の改革について言えば、それが、宗教改革やトリエント公会議以来もっとも広範囲に及ぶ教会の大きな出来事である第2バチカン公会議の結果として行われたものにしては、実際にはかなり穏やかで控えめだったのである。それはもっと大胆に出来たはずなのだ。

 

しかし、パウロ6世がローマ教皇庁育ちの人物であったことも事実である。ポーランドの教皇大使館で一年間、更にミラノの大司教としてほぼ10ヶ月働いた以外は、叙階された司牧者としての残りの全生涯(1920年―1978年)をローマで送っている。

 

歴史家たちの意見がほぼ一致しているところでは、教皇ヨハネ23世は、実際に第2バチカン公会議の第1期の間にローマ教皇庁の改革(つまり無力化)に手を染めていた。そして、教皇パウロ6世の下で公会議が続けられて第2期になると、公会議の司教たちが手助けをして教皇庁の構造の主な変更の基礎作りが進められた。しかし、司教たちがそれぞれの教区に戻り(いわゆる状況が後戻りして)、教皇が一人取り残されると間もなく、教皇庁の古くからの官僚たちは徐々に支配力を取り戻した。そして、パウロ6世の健康が日増しに落ちて行くにつれ、官僚の権力は増していった。

 

そして教皇が亡くなったときには、教皇庁は既に「10の頭を持つ怪物まがい」に戻っていた。ヨハネ・パウロ2世は、その職についた数ヶ月後には、心に抱いていた教皇庁改革の意向を放棄した。教皇庁のあり方については成り行きに任せ、その代わりに教皇職の仕事を「移動ショー」に置き換えて世界中を旅し、自身のカリスマによって統治した。

 

結局、ヨハネ・パウロ2世が発表した重要文書(Pastor Bonus 使徒憲章「善き牧者」1988年)は、パウロ6世によって「改革」された教皇庁に小さな変更を加えただけに留まった。

 

枢機卿協議会の取りまとめ役、オスカー・ロドリゲス・マラディアガ枢機卿によると、枢機卿協議会はこの文書を「破棄」してしまった。教皇フランシスコとその枢機卿顧問団は目下、ローマ教皇庁をゼロから再編成するゆっくりとしたプロセスに携わっている。教会の改革を熱望する人々は、このプロセスが何ともいらだつほど長くかかることに不満を感じている。しかし、ゲンスヴァインのように、改革の必要性が誇大宣伝されていると考える人々は、枢機卿協議会に十分に時間をかけさせていることを喜んでいるのだ。

 

実際、第2バチカン公会議以降、ローマ教皇庁の改革が今ほどに大切な時はない。それは、この中央行政構造こそが、公会議の描く刷新された教会像が大きく花開くのを阻止し続けているからである。

 

教皇庁(官僚機構)の存在は、補完性、すなわち意思決定の地方分散、集中排除の妨げになっている。そしてそれは、公会議が明確に述べ始めた司教団の協働性(the episcopal collegiality)を養うより、むしろ、ローマの司教と他の教区司教たちとの間の壁になっている。名義司教たち(教区を持たない司教たち)に率いられた教皇庁が、その壁の扉を開くべき時とそれを固く施錠すべき時を決める事例が多すぎるのだ。

 

ローマ教皇庁の官僚も、そのトップも、あまりにも長い間、自分たちが教皇の不可謬性の延長線上にいるかのように振る舞ってきた。

ある官僚が最近わたしに語った話では、新しい司教任命の文書を作成した後で、上司から真面目な調子で「おめでとう。初めてあなたの司教を任命しましたね。」と言われてショックを受けたという。その次席官僚が「いいえ、これは教皇がなさったことだと確信しています。」と答えると、その上司はさらに真剣に「この職務に関しては、私たちが教皇なのだ。」と返してきたと言う。

 

パウロ6世が弱るにつれ、教皇庁の官僚がどんどん強くなっていったように、シノドスの権威がより拡大すればするほど、教皇庁は、より効率良く(その権限を)妥当な範囲まで縮小していくことだろう。

 

これは誇張でない。これは(本来)公会議後最初の教皇庁改革でなされなければならなかったことなのだ。

 

元カトリック司祭で、今はヨーロッパの英国国教会/聖公会の高官が、何年も前からわたしをからかう種にしていることがある。彼は、半分冗談でこう尋ねるのだ。「あなたたちの教会は一体いつになったら、第2バチカン公会議(の精神)を実現するのですか?」

 

おそらくは今がその時なのかも知れない。しかしそれは、教皇フランシスコが首尾よくローマ教皇庁に真の改革をもたらすことができ、司教会議にもっと権威と重要性を与えることができた場合に限るのだ。

 

 

End.

 

 

 

The fear of real Roman Curia reform

Robert Mickens  |  Apr. 27, 2015  NCR

 

A high-ranking Vatican official recently voiced serious doubts about the need to reform the Roman Curia. Believe it or not, he said talk of reform was exaggerated. "I personally can see no significant reason that would necessitate a reform of the Curia at the moment," the official said.

 

"One or two changes have been or will be made concerning personnel or structures, but that is part of the normal run of things," he continued.

 

"To speak of 'Curia reform' is, with all due respect, somewhat of an exaggeration," he maintained.

 

This wasn't just any official. It was Archbishop Georg Ganswein, prefect of the papal household. He's the same one who is the private secretary and housemate of the former pope, Benedict XVI.

 

His remarks -- significant especially because he is Benedict's confidante -- came recently in an exclusive interview posted on Germany's leading Catholic website, Katholisch.de.

 

According to the 58-year-old archbishop, only momentous milestones in the life of the church warrant a serious reform -- and not mere tweaking -- of the central administrative offices in Rome.

 

He specifically cited the Second Vatican Council (1962-1965) and the revised Code of Canon Law (1983) as such major occasions. The first led Paul VI to reform the Roman Curia, and the second prompted John Paul II to do so.

 

His point was that reforms were necessary at these two junctures only to bring the Curia in line with the new directives that came from the council and the updated code.

 

Obviously, Pope Francis does not agree. If he did, he would not have taken the unprecedented step of establishing the Council of Cardinals just a month into his pontificate to help him reform the Curia and govern the universal church.

 

And he would not have spent so much effort on revamping the Synod of Bishops and initiating new procedures so this body, even more than the Council of Cardinals, eventually becomes an essential component of universal church governance.

 

This is really what worries Ganswein and his fellow traditionalists, especially those who are members of the clergy.

 

The truth of the matter is the reforms that Paul VI and especially John Paul II enacted were really only part of "the normal run of things" (to borrow the German archbishop's phrase).

 

In fact, Paul VI's reforms were actually quite gentle and cautious, given that they came in the wake of Vatican II, the most far-reaching ecclesial event since the Reformation and the Council of Trent. They could have been much bolder.

 

But, of course, Paul was a creature of the Roman Curia. Other than one year working at the papal nunciature in Poland and nearly 10 more as archbishop of Milan, he spent his entire ordained ministry (1920-1978) in Rome.

 

Historians generally agree that Pope John XXIII had actually begun reforming (that is, defanging) the Roman Curia during the first session of the Vatican II. And while it continued to be in session under Pope Paul, the council fathers helped lay the groundwork for major changes to the Curia structure. But soon after they returned to their dioceses (or so one narrative goes) and the pope was left alone, the Curia's old guard began to claw back control. Its power increased as Paul's health steadily declined.

 

At the time of his death, the Curia had again become a sort of 10-headed beast. After his first several months in office, John Paul II apparently ditched ideas he had of reforming it. Instead, he let it run itself while he turned the papacy into a show on the road, traveling all over the world and governing by his own charisma.

 

Eventually, he issued a major document in 1988 (Pastor Bonus) that made only minor changes to the previously "reformed" Curia of Paul VI.

 

This is the document that the Council of Cardinals has "ripped up," according to the council's coordinator, Cardinal Oscar Rodriguez Maradiaga. Pope Francis and his cardinal advisers are currently involved in the slow process of reorganizing the Roman Curia from scratch. Those eager for church reform are frustrated with how aggravatingly long this is taking. But those who think the need for reform is being hyped, like Gänswein, are happy to let the Council of Cardinals take all the time it wants.

 

In fact, reform of the Roman Curia is more important today than at any time since Vatican II because this central structure continues to hamper the full flowering of the renewed ecclesiology that the council envisioned.

 

The Curia, as it is, stands in the way of subsidiarity or decentralization of decision-making. And rather than fostering the episcopal collegiality that the council began to articulate, it has become a wall between the bishop of Rome and other diocesan bishops. The Curia, headed by titular bishops (bishops without a diocese), too often decides when to open doors in that wall and when to keep them tightly locked.

 

Roman Curia offices and their leaders have also for far too long acted as if each of them were a connatural extension of papal infallibility. One official told me recently that he was shocked after he drew up documents for the appointment of new bishop and his boss, with all seriousness, said: "Congratulations, you've made your first bishop." When the junior official replied, "No, I'm pretty sure the pope did," his superior shot back even more seriously: "In this office, we are the pope!"

 

Just as the Curia grew stronger as Paul VI grew weaker, it will more effectively be scaled back to its proper limits to the extent that the authority of the synod is more greatly expanded.

 

This is not an exaggeration. It is part of what should have been done in the first Curia reforms after the council.

 

A former Catholic priest who is now a senior Anglican/Episcopal official in Europe has been needling me for years. "When is your church going to finally implement Vatican II?" he often asks half-jokingly.

 

Perhaps now is the time. But only if Pope Francis is able to successfully bring about a real reform the Roman Curia and give more authority and prominence to the Synod of Bishops.

 

http://ncronline.org/blogs/roman-observer/fear-real-roman-curia-reform