「学び合いの会-海外ニュース」 304号 

† 主の平和

アメリカ Religion News Service(諸宗派にまたがる宗教総合誌)は、マリアの処女懐胎に関する様々な考え方に触れたエッセイを掲載しました。多様性の国ならではの記事です。仲間による翻訳を添付します。

添付記事

1. 処女懐胎に疑問を持ちつつ、なおキリスト者でいられるか?

 

キンバリー・ウインストン  Religion News Service  |  Dec. 23, 2014 

 

それは信じがたいことだ・・・十代の未婚の女性が妊娠した。しかしその子の父親は人間ではなく、神ご自身である。少女は処女であり、また、丈夫な男の子を産んだ後も処女のままであった(と信じる人がいる)。

 

これが処女懐胎の物語である。そして、世界20億のキリスト教徒にとっての中心的な信仰箇条の一つである。この物語は、東方正教会からモルモン教、カトリック、プロテスタントに至るまで、キリスト教のあらゆる会派に受け入れられている。

 

しかし多くの神学者や聖職者、キリスト信者たちは、処女懐胎が、クリスマスの軽い話題に過ぎなくなっていると言う。多くの信者は処女懐胎を無条件には受け入れ難く思い、その子が普通ではない方法で生まれたということよりも、飼い葉桶の中のかわいい幼子の姿の方に目を向けたがるのだ。

 

とは言え、別のキリスト信者にとっては、処女懐胎は妥協することのできない事柄になっている。聖書に出てくる他の奇跡物語、たとえばマリアの息子が本当に水をぶどう酒に変えることができたかどうかについては、曖昧にしておくこともできるだろう。しかし、処女懐胎は、教義として受け入れなければならないのだ。

 

それがなければ、キリスト教の大部分が崩壊してしまうということだろう。

 

「クリスマスから奇跡の部分を取り去ることは、この、キリスト教の中心的な物語を取り去ることになる。」とアメリカ・イリノイ州ホイートン大学の新約聖書の教授、ゲイリー・バージは言う。「それは、キリスト教思想のまさに中心部分を解体し、キリスト教神学のアーチの要石を取り除いてしまうことになる。」

 

では、なぜ処女懐胎がキリスト教の要なのか? それは奇跡なのか、それとも象徴(比喩: metaphor)なのか? もしもあなたがその考えを受け入れることができないとしたら、あなたは自分がキリスト教徒であると名乗ることができるか?

 

福音主義者であり、Theology Questions Everybody Asks(誰もが尋ねる神学的疑問)の著者であるバージにとって、処女懐胎は本質的なことである。彼はこのように考える。「仮にイエスが処女から生まれたのでないとすると、イエスは神の子ではないことになる。仮にイエスが神の子でないとすると、彼は、この世の罪を贖う「いけにえ」ではなく、単に磔にされた人物に過ぎないことになる。」

 

「わたしたちはイエスの中に、単に人間として神について語る預言者を見るのではない。御父を示して下さる神の子を見るのである。」と彼は述べる。「これは大きな相違だ。絶対的な相違なのだ。処女懐胎(の教え)を危険に陥し入れるならば、キリスト教は神の啓示ではなく、人間のうわべだけの振舞いに過ぎなくなってしまう。」

 

バージの考えの信奉者はたくさんいる。ピュー・リサーチセンター(米国の世論調査期間)の最近の調査では、アメリカ人の4人に3人が処女懐胎は歴史的に正しいと考えている。福音主義者たちの場合は、その数字は更にあがり、96%である。

 

しかし、四つの福音書のうち、処女懐胎について書かれているのは二つだけである。マタイ福音書では天使がヨセフにこう語りかける。「恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。」 ルカ福音書で天使はマリアに語りかける。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」

その時以来ずっと、疑い深い者も信じる者も、有名なマリアの応答―「どうして、そのようなことがありえましょうか」―に、同調してきたのだ。聖書訳の中には、マリアに自分が処女であること、あるいは独身であることを語らせているものがあり、中にはより曖昧に「わたしは男の人を知りませんのに」と語らせている訳もある。

 

他の二つ、ヨハネとマルコの福音書に処女懐胎の記事が欠落していることは、この物語がイエスの死後に作られたという証拠になると考える学者もいる。これはイエスを特別な存在にする一つの手段であり、イエスこそ、自分は懐疑的な世界に来たと言ったその人であることの証明だというのだ。

 

しかし、アズベリー神学校の新約聖書の教授、ベン・ウィザリントンは、その超自然的側面に処女懐胎の証拠を見いだす。新しい宗教を創ろうとしている者が、このように突飛な物語を作り上げたりするだろうかと彼は言う。

 

「マタイとルカは、この物語を告げずにはいられないように見える。それは二人が、その出来事の経緯を完全に確信しているからだ。」とウィザリントンは言う。「それが実際に起きたという明白で説得力のある証拠がなければ、誰も二人の話を信じないだろう。もしも、誰もが抵抗なく受け入れるような素敵な空想話を作ろうとするだけならば、こんな話は思いつかないだろう。」

 

また、使徒パウロの書いたものに注目する学者も居る。パウロの生涯はイエスと重なり合うものがあるが(二人は一度も会ったことがないにもかかわらず)、パウロも処女懐胎には一度も触れていない。パウロは、イエスは「女から生まれた」、そしてその誕生は「律法の下に」あったと述べている(ガラテア4:4)。パウロは処女懐胎を明確に述べてはいないと言う学者がいる一方で、パウロの言葉はイエスが地上の父を持たないことを暗に伝えていると言う学者もいる。

 

しかしながらこの物語は、紀元381年までにはできあがっていた。そしてその信仰は、モルモン教を除くキリスト教のすべての会派で用いられている信仰宣言であるニケア信条によって正式なものになった。正確な用語は版によって異なるが、信条はこう述べている。イエスは「天からくだり、聖霊によって、おとめマリアよりからだを受け、人となられました。」

 

しかし、現代のキリスト者の中には、それを奇跡ではなく比喩であると考える者もいる。

米国聖公会の引退主教であり「Born of a Woman(女から生まれた)」の著者ジョン・シェルビー・スポンによれば、この物語から超自然的要素をはぎとると一層インパクトのあるものになる。

「マリアは処女性を失うことなく子供を産まなければならなかったというのは興味深いトリックだ。」とスポンは言う。「それはわたしたちの人間性を侮辱するものだと思う。生物学は素晴らしいものだ。男と女が恋をして、二人を象徴する子供を作り出す。それこそ説得力のある、素晴らしい象徴だと思う。」

 

しかし、ノートルダム大学の宗教社会学者であるクリスチャン・スミスは、マリアをそこまで見直してしまうのは行き過ぎだと言う。

 

「もし神が、処女懐胎のような奇跡を起こすことができないとすると、それはどんな神なのか?」とスミスは問う。「もしもイエスが完全な神であり、かつ完全な人間であるという教義を放棄するなら、イエスはただの偉大な教師に過ぎなくなってしまう。しかし、それならば、十字架上の死が、遡って受肉された神、私たちと共におられる神に結びついていないとしたら、その(十字架の死の)意味は何なのか。」

 

長老派の牧師で、ハワード大学の新約聖書の教授、ゲイ・バイロンによれば、処女懐胎に疑問を持つキリスト者がいる理由の一つは、概して教会の説明がお粗末(下手)だったことにあるという。

 

「世の中にはたくさんの“マリア”がいて、気が付けば思いがけない状況に置かれていたり、賛美の歌声に迎えられる以前に、助けや励ましを得られなかったりすることが多い。」と

バイロンは言う。「だから、この物語は、2000年前に大切であったのと同じくらい、今日においても大切なことなのだ。それ故、信じる者であるわたしたちはこの物語を分かち合い、それを今日の世界の現実に結びつける新しい可能性を開拓し続けていくのだ。」

 

end

 

 

 

 

 

Can you question the Virgin Birth and still be a Christian?

Kimberly Winston   | December 23, 2014 | 

 

(RNS)  It’s a tough sell: A young, unmarried teenager gets pregnant, but the father isn’t a man but God himself. And the girl is a virgin — and (some believe) remains one even after she delivers a strapping baby boy.

 

That’s the story of the Virgin Birth, one of the central tenets of faith for the world’s 2 billion Christians. The story is embraced by every branch of Christianity, from Eastern Orthodoxy to Mormonism, Catholic and Protestant.

 

And yet, many theologians, pastors and other Christians say the Virgin Birth gets short shrift at Christmastime. Finding the idea hard to swallow, many believers would rather focus on the cute little baby in the manger instead of the unusual way he got there.

 

Yet for other Christians, the Virgin Birth is a deal-breaker. You can equivocate about other biblical miracles, such as whether Mary’s son was really able to turn water into wine, but the Virgin Birth must be accepted as gospel.  

 

Without it, they say, much of Christianity falls apart.

 

“To remove the miraculous from Christmas is to remove this central story of Christianity,” said Gary Burge, a professor of New Testament at Wheaton College. “It would dismantle the very center of Christian thought and take away the keystone of the arch of Christian theology.”

 

Why is the Virgin Birth the lynchpin of Christianity? Was it miracle or metaphor? And can you call yourself a Christian if you can’t accept the idea?

 

For Burge, an evangelical and author of “Theology Questions Everyone Asks,” the Virgin Birth is essential. His thinking goes like this: If Jesus was not virgin-born, then he was not the son of God; if he was not the son of God, then he was just another crucified man and not the sacrifice that would redeem the sins of the world.

 

 “In Jesus, we don’t have a prophet who simply speaks as a human being about God. We have a son of God who presents the father to us,” he said. “It is a huge difference, absolutely huge. Put in jeopardy the Virgin Birth … and Christianity simply becomes a human gesture instead of a divine revelation.”

 

Burge’s thinking has a lot of followers. A recent Pew Research Center poll found that nearly three in four Americans think the Virgin Birth is historically accurate. Among evangelicals, the figure is even higher: 96 percent.

 

But the Virgin Birth is found in only two of the four Gospels. In Matthew, an angel tells Joseph: “Do not fear to take Mary as your wife, for that which is conceived in her is of the Holy Spirit.” In Luke, an angel tells Mary: “The Holy Spirit will come upon you, and the power of the Most High will overshadow you; therefore the child to be born will be called holy — the Son of God.”

 

Mary’s famous response  – “How can this be? – has been echoed by skeptics and believers ever since.  Some translations have Mary citing her virginity or her status as a single woman or, more cryptically, “I know not a man.”

 

Some scholars see the absence of the Virgin Birth in the other two Gospels — John and Mark — as evidence that the story originated after Jesus’ death. It was a way to make Jesus special, to prove he was who he said he was to a skeptical world.

 

But Ben Witherington, a professor of New Testament at Asbury Theological Seminary, finds proof of the Virgin Birth in its supernatural aspects. Why, he said, would anyone wanting to create a new religion craft such a far-fetched story?

 

“Matthew and Luke feel compelled to tell us the story because they are utterly convinced that is how it happened,” he said. “Nobody would believe them unless there was clear, compelling evidence it actually happened. If you just wanted nice metaphors that would not raise anyone’s hackles, this is not the story you would come up with.”

 

Other scholars point to the writings of the Apostle Paul. Paul’s life overlapped with Jesus (even though they never met), yet he also never mentions the Virgin Birth. He says Jesus was “born of a woman” and his birth was “under the law.” Some scholars say Paul doesn’t specify a Virgin Birth because there wasn’t one; others say his words imply Jesus did not have an earthly father.

 

However the story originated, by 381 A.D., the belief in it was formalized in the Nicene Creed, a profession of faith used by all branches of Christianity except Mormonism. Although different versions vary in the exact wording, the creed says that Jesus “came down from heaven, and was incarnate by the Holy Ghost of the Virgin Mary, and was made man.”

 

John Shelby Spong speaks in a church in England. Religion News Service photo by David Gibson

 This image is available for Web and print publication. For questions, contact Sally Morrow.

 

But some contemporary Christians see it as a metaphor, not a miracle. For John Shelby Spong, a retired Episcopal bishop and author of “Born of a Woman,” the story becomes more powerful when stripped of its supernatural elements.

 

“Mary had to produce without losing her virginity and that’s an interesting trick,” said the famously liberal Spong. “I think that denigrates our humanity. Biology is kind of wonderful — a man and woman are in love and they create a child that represents both of them, and I think that is a powerful symbol and wonderful one.”

 

Yet rethinking Mary to that extent goes too far for Christian Smith, a Notre Dame sociologist of religion.

 

“If God is not capable of a miracle like the Virgin Birth, then what kind of God is that?” he said. “If you abandon the doctrine of Jesus being fully God and fully human, then he becomes just a  great teacher. But then what is the point of the death on the cross if it doesn’t tie back to God incarnate, God with us?”

 

Gay Byron, a Presbyterian minister and a New Testament professor at Howard University, said one reason some Christians question the Virgin Birth is the church has done a generally poor job of explaining it.

 

“There are many ‘Mary’s’ out there who find themselves in unexpected situations and often marginalized from support and encouragement to make it through to a song of praise,” she said. “So this story matters today just as much as it mattered over 2,000 years ago. So we who believe continue to share the story and open up new possibilities for connecting to the realities in our world today.”

 

End.

 

http://www.religionnews.com/2014/12/23/can-question-virgin-birth-still-christian/