「学び合いの会-海外ニュース」 300号 

† 主の平和

教皇の故郷アルゼンチンの日刊紙ラ・ナシオンに掲載された

インタビューを、おなじみNCRのバチカン専門記者マッケルウィー

が抜粋要約した記事です。

添付記事 

1. 教皇フランシスコの最新インタビュー: 

    シノドス、バーク解任などについて (NCR)

教皇フランシスコの最新インタビュー : シノドス、バーク枢機卿解任などについて

ジョシュア・マッケルウィー 2014/12/7 NCR(ナショナル・カトリック・リポーター)

11月7日(日)に発表された教皇への最新のインタビューは、広範囲にわたる内容を含んでいる。この中で教皇は、10月に開かれて激しい議論が交わされた世界代表司教会議(シノドス)や、アメリカのライモンド・バーク枢機卿の解任(異動)、予測されているバチカン官僚組織の改革などについて率直に語った。

アルゼンチンの日刊紙ラ・ナシオン(La Nacion)掲載のインタビュー記事によれば、教皇は自身について初めて明かす話や、教皇という仕事をどう考えるかについても語っている。

 

教皇によれば、2013年3月の教皇選出の前には自身の引退の準備を進めていたと言う。彼はさらに言葉を継いで、「引退後の時間は、はアルゼンチン・ブエノスアイレスの教会で告解を聴くことに当てるつもりでした。」と語った。

 

「ここローマに来ることになって、全く初めから新しくやり直さねばならなくなりました。最初の時からわたしは自分に言い聞かせました。“ホルヘよ自分を変えるな、今のままの自分で居ろ。この歳になって自分を変えるのは愚かなことだぞ”と。」教皇の洗礼名は、ホルヘ・マリオ・ベルゴリオという。

 

「こうしてわたしは、どんな時でもブエノスアイレス時代と同様に振舞ってきました。多分以前に犯した誤りさえも同じ様に繰り返しているかもしれません。でも、このように自分らしくしている方が好きなのです。典礼に関してさえ、わたしはわたしらしく、ブエノスアイレス時代のままなのです。“変わらないこと”が何故わたしに向いているか、分かって頂けるでしょう。」

 

今回のインタビューの聞き手は、ローマ駐在のアルゼンチン人ジャーナリスト、エリザベッタ・ピケである。ピケには『フランシスコ:その人生と革命(Francis: Life and Revolution)』という著書がある。

 

ラ・ナシオン紙はこのインタビューを幾つかの項目に分けて掲載した。

◇バチカンの官僚組織について ◇世界代表司教会議(シノドス)について ◇アルゼンチンの教会について ◇スイス人衛兵指揮官の新任人事に関する報道について

訳注:本稿は前半の2項目についての要約。

 

バチカンの官僚組織の改革について、教皇はインタビューの中で、2015年より前に改革が終了することはないと述べた。「ご存知のように、官僚組織の改革には長い時間が必要です。これは一番厄介な部分です。わたしたちは一歩一歩とりくんで行きます。」

 

教皇はまた、バチカンの省庁のトップは枢機卿が務めるのが望ましいが、ナンバーツーは必ずしも司教である必要はないと語った。

「教理省や典礼を司る組織、あるいは一般信徒、家庭、正義と平和が関係する組織の長には枢機卿がふさわしいでしょう。それが最もふさわしい理由は、それらの組織が教皇にとても近いものだからです。」

 

「けれどもナンバーツー(secretaries:次官)が必ずしも司教でなければならないことはありません。問題は、彼が辞めたとき、次の仕事をどうやって見つけてやれるかです。彼のための司教区を用意しなければなりませんが、ふさわしい場所はなかなか見つかりませんし、もっと別な仕事の方が彼には向いているのです。」

 

教皇が先日、バチカンの最高裁判所長官ライモンド・バーク枢機卿を解任し、マルタ騎士団総長に任命した件についての質問に対して、教皇は、10月のシノドスの前にバーク枢機卿と異動について話し合ったと述べた。

 

これについて教皇は次のように説明した。

「或る時、バーク枢機卿はわたしに“自分の司法担当のポストは未だに(新教皇によって)確定されず、むしろ後任が決まるまでの措置(donec alitur provideatur=until provided otherwise.)だとしたら、自分はいったい何をしたらいいのか?”と尋ねました。

わたしは“司法組織の再編成を検討中なのですこし時間をくれないか…”と答えました。」

 

「わたしは彼に、まだ何も手をつけていないけれど、検討の対象にはなっていると説明しました。その後、マルタ騎士団の問題が起きたとき、この件をうまく処理できる手慣れたアメリカ人が必要になり、彼のことを思い浮かべたのです。」

 

「わたしは、シノドスのかなり前にこのことを彼に提案しました。そして彼に言いました。

“この任命はシノドスが終わってからにしましょう。あなたには最高裁判所長官としてシノドスに出席してもらいたいからです。”というのもマルタ騎士団総長の肩書ではシノドスには出席できなかったからです。」

 

彼が丁寧な言葉で礼を述べてわたしの提案を受け入たので、このことを喜んでいるようにさえ思えました。というのは、彼は動き回ったりあちこち旅をしたりする人物なので、間違いなくこのような仕事にはうってつけと思えたからです。したがって、わたしが彼をシノドスでの言動を理由に解任(異動)したというのは間違いです。」

 

シノドスそのものについての質問に対して教皇は、出席した司教たちは特別に同性結婚を議題にしたわけではなく、同性愛者にどのように寄り添うかについて話し合ったと述べた。

 

教皇は次のように述べた。

「シノドスでは、誰も同性婚について触れなかった。そのことは誰も思い浮かべなかった。

わたしたちが話し合ったのは、同性愛者の子ども…息子であれ娘であれ…を持つ家庭の教育のあり方、家族の対応(忍耐)、正常とは言えない状況におかれた家庭の手助け…などについてでした。

言うなれば、シノドスはそうした家庭や同性愛者に対して、家族同士の関係のあり方を問いかけたのです。それはわたしたちが告解の場でいつもこうした現実に直面するからです。

息子や娘がこうした状況におかれている両親の声を、わたしもブエノスアイレスで度々経験しました。」

 

「そのような両親が自分の息子や娘に寄り添う手だてを見つける必要があります。それこそがシノドスの問いかけです。シノドスの最初の文書の草稿に誰かが前向きな内容を記したのはそのためです。しかし、それは草稿の段階に留まりました。」

 

教皇はまた次のように述べた。「シノドスは、離婚し再婚した信者の身に起きている問題を提起しようとしたのです。ときには彼らは破門された人のように扱われているのです。」

 

教皇はこう語った。

「離婚し再婚した人に対して、わたしたちはどのように向き合うのか?という問題があります。彼らを迎えることが出来るのはどんな“ドア”でしょうか? これは司牧上の関心事です。彼らに聖体拝領を認めるべきでしょうか?

聖体拝領だけでは解決になりません。解決には一体化(統合)された考え方が必要です。

彼らが破門されていないことは事実です。しかし、彼らは受洗する子どもの代父母にはなれません。ミサの朗読も、聖体奉仕も、日曜学校で教えることも出来ません。わたしが持っているリストにはおよそ7つの“出来ないこと”が載っています。何と言ったらいいか!

このリストを見たら誰もが、彼らは破門されたも同然だと思うでしょう。」

 

「だから、もう少しドアを開こうではありませんか。どうして代父母になってはいけないのですか? いえいえ、彼らが代子に与える“証し(宣言)”はどのようなものでしょうか? 

彼らの証しはこうです。“愛する子よ、わたしは過ちを犯し、この場にふさわしくない者だが、主がわたしを愛して下さることを信じ、神に従うことを望んでいる。罪に打ち負かされることなく、前に進もうと願っている。”」

 

「キリスト者としてこれ以上の証しは無いでしょう? もしも、わたしたちの間で人々を貶めているあの狡賢い偽物たちが、代父に選ばれたとしたらどうでしょうか? たとえ彼らが教会で規則通りの結婚をしていたとしても、それを許せますか? 彼らは代子にどんな証しをするのでしょうか? 堕落の証しでしょうか?」

 

「物事は変わる必要があり、わたしたちの基準も変わる必要があるのです。」

 

 

End

 

Francis talks synod, demotion of Cardinal Burke in latest interview

Joshua J. McElwee  |  Dec. 7, 2014 NCR Today

 

A new wide-ranging interview with Pope Francis was released Sunday, in which the pontiff talks frankly about October's controversial Synod of Bishops, the demotion of U.S. Cardinal Raymond Burke, and the upcoming reform of the Vatican bureaucracy.

The new interview, published in several parts by the Argentine daily La Nacion, also finds the pontiff revealing new personal details about himself and how he sees his papal ministry.

 

Saying that before his election as pope in March 2013 he was in the process of retiring, Francis even says in the interview that he was thinking about using his retirement to hear confessions at churches in Buenos Aires, Argentina.

 

"When I came here [to Rome] I had to start all over again, all this was new," says the pope. "From the start I said to myself: 'Jorge, don´t change, just keep on being yourself, because to change at your age would be to make a fool of yourself.' Francis' baptismal name is Jorge Mario Bergoglio.

 

"That´s why I´ve always kept on doing what I used to do in Buenos Aires," he continues in the interview. "Perhaps even making my old mistakes. But I prefer it like this, to be myself."

"The thing is that I am who I am even where protocols are concerned, just as I was myself in Buenos Aires," states Francis. "You can see why 'not changing' suited me so well."

 

Sunday's interview was conducted by Elisabetta Piqué, a Rome-based Argentine journalist who has also authored a biography of Francis titled Francis: Life and Revolution.

 

La Nacion has divided the interview into several parts: On the Vatican bureaucracy, on the Synod of bishops, on the church in Argentina, and on reports about Francis' decision to place a new person in command of the Swiss Guards.

 

Regarding the reform of the Vatican bureaucracy, Francis says in the interview that it is unlikely that the reforms will be finished before 2015.

 

"You know, reforming the Curia will take a long time, this is the most complex part," he says. "We´re tackling it little by little."

 

Francis also says that while he prefers that the head of Vatican offices remain cardinals, he would like the number two officials at the offices to not always be bishops.

"The head of a dicastery such as the Congregation for the doctrine of the Faith, the liturgical dicastery or the new dicastery encompassing Laymen, Family and Justice and Peace will always be a cardinal," says the pope. "This is best because dicasteries are very close to the Pope."

 

"But dicastery secretaries do not necessarily have to be bishops because a problem we have is when we have to change a bishop-secretary, where do we send him?" he states. "We need to find a dioceses, but sometimes they are not fit for one, they´re good at the other job."

 

Asked about U.S. Cardinal Raymond Burke, who Francis recently moved from his former position as the head of the Vatican's highest court to a position with the Sovereign Order of the Knights of Malta, Francis says he and Burke spoke about making the change together before the October Synod of Bishops.

 

On that issue, the pope states:

One day Cardinal Burke asked me what he would be doing as he had still not been confirmed in his position, in the legal sector, but rather had been confirmed donec alitur provideatur.

And I answered, "Give me some time because we are thinking of a legal restructuring....

 

I told him nothing had been done about it yet and that it was being considered. After that the issue of the Order of Malta cropped up and we needed a smart American who would know how to get around and I thought of him for that position.

 

I suggested this to him long before the synod. I said to him "This will take place after the synod because I want you to participate in the synod as dicastery Head." As the chaplain of Malta he wouldn´t have been able to be present.

 

He thanked me in very good terms and accepted my offer, I even think he liked it. Because he is a man that gets around a lot, he does a lot of travelling and would surely be busy there. It is therefore not true that I removed him because of how he had behaved in the synod.

 

Asked about the synod itself, Francis says that the bishops at the synod did not talk specifically about same-sex marriage, but how to accompany gay people.

 

Francis states:

Nobody mentioned homosexual marriage at the synod; it did not cross our minds. What we did talk about was of how a family with a homosexual child, whether a son or a daughter, goes about educating that child, how the family bears up, how to help that family to deal with that somewhat unusual situation.

That is to say, the synod addressed the family and the homosexual persons in relation to their families, because we come across this reality all the time in the confessional: a father and a mother whose son or daughter is in that situation. This happened to me several times in Buenos Aires.

 

We have to find a way to help that father or that mother to stand by their son or daughter. That´s what the synod addressed. That´s why someone mentioned positive factors in the first draft. But this was just a draft.

 

The pope also said the synod wanted to pose the question of what happens to Catholic who are divorced and remarried, who he said are sometimes treated as if they were excommunicated.

 

Francis states:

In the case of divorcees who have remarried, we posed the question, what do we do with them? What door can we allow them to open? This was a pastoral concern: will we allow them to go to Communion?

Communion alone is no solution. The solution is integration. They have not been excommunicated, true. But they cannot be godfathers to any child being baptized, mass readings are not for divorcees, they cannot give communion, they cannot teach Sunday school, there are about seven things that they cannot do, I have the list over there. Come on! If I disclose any of this it will seem that they have been excommunicated in fact!

 

Thus, let us open the doors a bit more. Why cant they be godfathers and godmothers? "No, no, no, what testimony will they be giving their godson?" The testimony of a man and a woman saying "my dear, I made a mistake, I was wrong here, but I believe our Lord loves me, I want to follow God, I was not defeated by sin, I want to move on."

 

Anything more Christian than that? And what if one of the political crooks among us, corrupt people, ate chosen to be somebody´s godfather. If they are properly wedded by the Church, would we accept them? What kind of testimony will they give to their godson? A testimony of corruption?

 

Things need to change, our standards need to change.

 

http://ncronline.org/blogs/ncr-today/francis-talks-synod-demotion-cardinal-burke-latest-interview