「学び合いの会-海外ニュース」 296号 

今月5日からローマで開かれていた第3回臨時シノドス(世界

代表司教会議)は、昨19日、2週間の日程を終えました。

今号は、閉幕に当たり全世界に向けて発表されたシノドスの

メッセージを添付します。

今シノドスの最終報告書は、近々カトリック中央協議会のHPに

掲載される予定で、会議の詳細はそれを待たねばなりませんが、

来年秋、同じ「家庭」をテーマに開かれる通常シノドス迄の間、

教会の内外で活発な論議が続くものと思われます。

また、今シノドスの流れを見ると、今後は聖職者ばかりでなく、

わたしたちの意見を求められる機会が増えるものと予想されます。

海外ニュースは今後も関連ニュースをフォローして参ります。

添付記事

1. 家庭シノドス閉幕メッセージ(公式発表)

 

シノドス「福音宣教から見る家庭司牧へのチャレンジ」閉幕のメッセージ

 

バチカン市、2014年10月18日(バチカン・インフォメーション・サービス)-

今朝の報道会見で、教皇庁は「福音宣教の文脈における司牧上の課題」をテーマに5日から19日迄の2週間開かれた第3回臨時シノドスの閉幕メッセージを発表した。

発表者:・ブラジルAparecida教区Raymundo Damasceno Assis大司教

・教皇庁文化評議会議長Gianfranco Ravasi(ジャンフランコ・ラバージ)枢機卿

(第3回臨時シノドス最終文書起草委員会 委員長)

・インドBombay教区Oswald Gracias大司教

文書全文は下記の通り:

 

「臨時シノドスにおいて、わたしたちシノドスの教父は、ローマに集まり、教皇フランシスコと共に、異なる大陸の全ての家庭に、そしてとりわけキリスト、その道、その真理、そしてそのいのちに従う全ての人々に挨拶を送ります。わたしたちはあなた方が、その忠実さ、信仰、希望と愛を以ってわたしたちと世界に示す日々の証しを称賛し、感謝します。

 

教会司牧者であるわたしたち一人ひとりは、家庭の中で育ち、それぞれが、実に多様な背景と経験を経て来ています。わたしたちは司祭、司教として、家族に寄り沿って生きており、あなた方は喜びと困難をわれわれに語り、示してくれています。

 

世界中の諸教会に送った質問状に始まったこのシノドスの準備は、多くの家庭の経験に耳を傾ける機会をわたしたちに与えています。このシノドスの間の対話は互いを豊かにし、今日家庭が直面する複雑な状況を理解する助けとなっています。

 

キリストのことばを引用しましよう。「聖地の道の(エルサレムへの)旅の途上で、イエスは村の家々を巡りながら語られた「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」(黙 3:20)イエスは、今日でもわたしたちの街々の路地を巡っておられます。皆さんの家庭(home)には光と影があり、試練が、時には大きな困難が待っています。家庭の中心に罪と悪が働くとき、闇は深まり、ついには濃い影となるのです。

 

夫婦愛(貞節)に忠実であることは、決して易しいことではありません。弱い信仰と真の価値への無関心、個人主義、関わりの貧困、そして深く考えることを妨げるストレスが家庭生活に影響を与えます。結婚生活においてもしばしば、忍耐と熟考を重ねて犠牲し合い赦し合うことへの勇気を欠き、対応を急いでしまう危険が存在します。(このようにして起きる)失敗は、新しい人間の関わり方、新しいカップル像、新しい(民法上の)結びつき(の形)、新しい結婚感を生みだします。その結果は、家庭の状況が複雑になり問題が起きやすくなります。新たに生まれる問題は、キリスト者にとって対応の選択が困難なのです。

 

苦しみの中で、生活で課される重荷についても考えます。重病で特別なニーズをもつ子供、重い病気、老齢による体力低下、愛する家族の死…。これらの試練を勇気、信仰、愛を以って耐え忍ぶ数多くの家庭の信仰を称賛します。それらの家庭は、重荷を受け身に考えず、

むしろ、肉の弱さのうちに苦しまれるキリストを見つつ、その中で、自ら進んで担う重荷と考えているのです。思い起すべきは、今日の経済システム、すなわち「金銭崇拝と、人間の真の目的を欠いた非人間的経済の独裁」に起因する様々な問題です。この非人間的経済の独裁は人々の尊厳を低めます。わたしたちは、家族の基本的な必要を満たせないでいる失業中の親たちや、将来にまったく希望を抱けないまま日々を過ごす若者たちのことを考えます。彼らはドラッグや犯罪の餌食なのです。

 

わたしたちは、生き残るために岸辺を目指すにボートにしがみつく人のような、あるいは、あてもなく砂漠をさまよう難民のような、非常に多くの貧しい家族のことを考えます。

また、信仰の故に、人間的・霊的価値観の故に、迫害を受ける人々のことを考えます。

 

これらの家族は、戦争と弾圧の残忍さに苦しんでいます。暴力と搾取に苦しむ女性、人身売買の犠牲者、保護・育成の役割を担うべき大人から虐待された子供たち、困難によって低められ、負担を強いられる多くの家庭。「繁栄の文化が人々(の判断力)を弱め・・・機会がないために成長を阻止される人々全ては、単なる風景に過ぎないように見えて、人々の心を動かさない。」わたしたちは、共通善に対する家庭の権利を促進するように諸政府と国際機関に呼びかけます。

キリストは、ご自分の教会が全ての人を歓迎し、いつも扉の開かれた家であるようにと求められている。わたしたちは、カップルと家庭に寄り添い、彼らの傷を手当する司牧者、一般信徒、共同体に心から感謝します。

 

***

夕暮れ時を迎えた都市の家々、郊外や村々の質素な住まい、粗末な小屋にさえ、ガラス戸越しに明かりが見えます。

その光 ―結婚がもたらす光― は、二人の出会いから生まれます。: 創世記が語るように、二人が等しく互いの助け手として「対面」(“face to face”)するときに示される神の賜物、恵みです。男女の愛は、本当に自分自身であるために互いを必要としていることを教えます。

それぞれは相手とは違っており、それが自分自身を開き、交互の賜物を表しあっています。「恋しいあの人はわたしのもの/わたしは恋しいあの人のもの/ゆりの中で群れを飼っているあの人のもの。」(雅歌 6:3)

 

この本物の出会いは、求婚を以って始まります。それは待ち、準備する時間です。それは神がご自分のしるし、現存と恵みを備えられる場としての秘跡の中に認められます。この道は、性的関係や優しさ、親密さ、美しさが、若者の活力と新鮮さを超えて、長く続くことを可能にします。そのような愛は、その性質上、自分のいのちを愛する相手のために投げ出すほどに永遠に保たれます。この光の中で、唯一・不解消の結婚愛は、多くの困難に耐えて継続するのです。それは全ての奇跡の中でも最も美しく、また最も普遍的な奇跡です。

 

この愛は、子どもを産み育てる力(望み)を通して広がります。そしてそれは出産ばかりでなく、洗礼、信仰教育、および知育における神のいのちの賜物をも含むのです。それは、いのち、愛情、および自分の大切なものを与える能力を含みます。それは、子供を産まない人でも経験できることです。光に満ちた未知の生活を生きる家族は、全ての人々にとって、とりわけ若い人々にとって一つのしるしとなるのです。

 

この旅路は、困難や転落の危険を伴う山道のようなものです。神はいつもわたしたちと共に歩まれます。家族は、夫婦、親子、兄弟姉妹の間の愛情と対話の中で神の現存を経験します。彼らは家庭の祈りの中で、また神のことばを聴く中で、神を心に抱きます。それは、小さな日々の霊的オアシスです。彼らは、子供たちに信仰をもって教えるとき、また、聖なる生活について書かれた福音に沿って清らかな生活を送るとき、毎日、神を見出すのです。祖父母たちも、大きな愛情と献身を以ってこの務めを分かち合います。このような家庭こそ、まさに家庭教会というべきであり、それが広がって多くの家庭をひとつの家族にし、教会共同体を形づくるのです。キリスト信者の夫婦はまた、若いカップルのために信仰と愛の教師となる召命を受けているのです。

 

兄弟的一致のもう一つの表現は、臨終を迎えた人や、蔑視され、貧しく、孤独で、病気の、土地になじめない人々への、そして危機に瀕した家庭への、charity, giving, nearness(博愛、献身、寄り添い)です。主は「受けるよりは与える方が幸いである」(使 20:35)と言われます。それは善の、仲間意識の、愛とあわれみの賜物であり、そしてまた真理、光、いのちの意味について証人です。神と隣人との一致の「糸」を一つに総括する頂点にあるのが、日曜日の聖体拝領です。その時、家庭と全教会とは、主と共に食卓に座るのです。

 

主は、「キリストがすべてであり、すべてのもののうちにおられるのです。』(コロサイ 3:11)

と聖書にあるように、歴史を通して「最後の出会い」の目標に向かう巡礼者のわたしたち全員にご自身をお与えになります。それ故、わたしたちはシノドスの最初の日程の中で、どのようにして「離婚し再婚したために秘跡に与かれない人たち」に寄り添うことができるかを考えました。

わたしたちシノドスの教父は、皆さんに、次回のシノドスに向けてわたしたちと共に歩むことをお願いします。イエス、マリア、ヨセフの一家(family)の現存は、彼らの質素な家庭(home)のと共に皆さんの上に留まっています。ナザレの家庭(家族)と一つとなって、わたしたちは、天の父に世界の家族のために嘆願の祈りを捧げます。

 

天の父よ、全ての家庭に、自由で一致した家庭の源泉となる 強い、思慮深い夫婦をお与えくださいますように。

 

父よ、両親が、家族と共に平和に暮らす家庭を持つことができますように。

 

父よ、子供たちが、信頼と希望のしるしとなりますように。若い人々が、生涯続く夫婦の堅い貞節の絆(life-long, faithful commitment)を築く勇気を持つことができますように。

 

父よ、全ての家族が自分の手で日々のパンを得られますように。霊魂の清らかさを保つことができますように。闇の中にあっても信仰の炎を燃やすことができますように。

 

父よ、わたしたち信者全てが、教会が花咲く姿を見ることができますように。

教会がより一層忠実で信頼に値し、正しく人間的な集り、真理と正義と慈しみを愛する世界となりますように。

 

(了) 

Message of the Synod Assembly on the pastoral challenges 

to the family in the context of evangelisation 

 

Vatican City, 18 October 2014 (VIS) – This morning a press conference was held in the Holy See Press Office to present the Message of the Third Extraordinary Assembly of the Synod of Bishops, dedicated to the “Pastoral challenges to the family in the context of evangelisation” (5-19 October). 

The speakers were Cardinals Raymundo Damasceno Assis, archbishop of Aparecida, Brazil, delegate president; Gianfranco Ravasi, president of the Pontifical Council for Culture and president of the Commission for the Message and Oswald Gracias, archbishop of Bombay, India. The full text of the message is published below:

 

“We, Synod Fathers, gathered in Rome together with Pope Francis in the Extraordinary General Assembly of the Synod of Bishops, greet all families of the different continents and in particular all who follow Christ, the Way, the Truth, and the Life. We admire and are grateful for the daily witness which you offer us and the world with your fidelity, faith, hope, and love.

 

Each of us, pastors of the Church, grew up in a family, and we come from a great variety of backgrounds and experiences. As priests and bishops we have lived alongside families who have spoken to us and shown us the saga of their joys and their difficulties.

 

The preparation for this synod assembly, beginning with the questionnaire sent to the Churches around the world, has given us the opportunity to listen to the experience of many families. Our dialogue during the Synod has been mutually enriching, helping us to look at the complex situations which face families today.

 

We offer you the words of Christ: “Behold, I stand at the door and knock. If anyone hears my voice and opens the door, I will enter his house and dine with him, and he with me”. On his journeys along the roads of the Holy Land, Jesus would enter village houses. He continues to pass even today along the streets of our cities. In your homes there are light and shadow. Challenges often present themselves and at times even great trials. The darkness can grow deep to the point of becoming a dense shadow when evil and sin work into the heart of the family.

 

We recognise the great challenge to remain faithful in conjugal love. Enfeebled faith and indifference to true values, individualism, impoverishment of relationships, and stress that excludes reflection leave their mark on family life. There are often crises in marriage, often confronted in haste and without the courage to have patience and reflect, to make sacrifices and to forgive one another. Failures give rise to new relationships, new couples, new civil unions, and new marriages, creating family situations which are complex and problematic, where the Christian choice is not obvious.

 

We think also of the burden imposed by life in the suffering that can arise with a child with special needs, with grave illness, in deterioration of old age, or in the death of a loved one. We admire the fidelity of so many families who endure these trials with courage, faith, and love. They see them not as a burden inflicted on them, but as something in which they themselves give, seeing the suffering Christ in the weakness of the flesh.

 

We recall the difficulties caused by economic systems, by the “the idolatry of money and the dictatorship of an impersonal economy lacking a truly human purpose” which weakens the dignity of people. We remember unemployed parents who are powerless to provide basic needs for their families, and youth who see before them days of empty expectation, who are prey to drugs and crime.

 

We think of so many poor families, of those who cling to boats in order to reach a shore of survival, of refugees wandering without hope in the desert, of those persecuted because of their faith and the human and spiritual values which they hold. These are stricken by the brutality of war and oppression. We remember the women who suffer violence and exploitation, victims of human trafficking, children abused by those who ought to have protected them and fostered their development, and the members of so many families who have been degraded and burdened with difficulties. “The culture of prosperity deadens us…. all those lives stunted for lack of opportunity seem a mere spectacle; they fail to move us”. We call on governments and international organizations to promote the rights of the family for the common good.

 

Christ wanted his Church to be a house with doors always open to welcome everyone. We warmly thank our pastors, lay faithful, and communities who accompany couples and families and care for their wounds. 

 

***

There is also the evening light behind the windowpanes in the houses of the cities, in modest residences of suburbs and villages, and even in mere shacks, which shines out brightly, warming bodies and souls. This light—the light of a wedding story—shines from the encounter between spouses: it is a gift, a grace expressed, as the Book of Genesis says, when the two are “face to face” as equal and mutual helpers. The love of man and woman teaches us that each needs the other in order to be truly self. Each remains different from the other that opens self and is revealed in the reciprocal gift. It is this that the bride of the Song of Songs sings in her canticle: “My beloved is mine and I am his… I am my beloved’s and my beloved is mine”.

 

This authentic encounter begins with courtship, a time of waiting and preparation. It is realized in the sacrament where God sets his seal, his presence, and grace. This path also includes sexual relationship, tenderness, intimacy, and beauty capable of lasting longer than the vigour and freshness of youth. Such love, of its nature, strives to be forever to the point of laying down one’s life for the beloved. In this light conjugal love, which is unique and indissoluble, endures despite many difficulties. It is one of the most beautiful of all miracles and the most common. 

 

This love spreads through fertility and generativity, which involves not only the procreation of children but also the gift of divine life in baptism, their catechesis, and their education. It includes the capacity to offer life, affection, and values—an experience possible even for those who have not been able to bear children. Families who live this light-filled adventure become a sign for all, especially for young people.

 

This journey is sometimes a mountainous trek with hardships and falls. God is always there to accompany us. The family experiences his presence in affection and dialogue between husband and wife, parents and children, sisters and brothers. They embrace him in family prayer and listening to the Word of God—a small, daily oasis of the spirit. They discover him every day as they educate their children in the faith and in the beauty of a life lived according to the Gospel, a life of holiness. Grandparents also share in this task with great affection and dedication. The family is thus an authentic domestic Church that expands to become the family of families which is the ecclesial community. Christian spouses are called to become teachers of faith and of love for young couples as well.

 

Another expression of fraternal communion is charity, giving, nearness to those who are last, marginalized, poor, lonely, sick, strangers, and families in crisis, aware of the Lord’s word, “It is more blessed to give than to receive”. It is a gift of goods, of fellowship, of love and mercy, and also a witness to the truth, to light, and to the meaning of life.

 

The high point which sums up all the threads of communion with God and neighbor is the Sunday Eucharist when the family and the whole Church sits at table with the Lord. He gives himself to all of us, pilgrims through history towards the goal of the final encounter when “Christ is all and in all”. In the first stage of our Synod itinerary, therefore, we have reflected on how to accompany those who have been divorced and remarried and on their participation in the sacraments.

 

We Synod Fathers ask you walk with us towards the next Synod. The presence of the family of Jesus, Mary, and Joseph in their modest home hovers over you. United to the Family of Nazareth, we raise to the Father of all our petition for the families of the world: 

Father, grant to all families the presence of strong and wise spouses who may be the source of a free and united family.

 

Father, grant that parents may have a home in which to live in peace with their families.

 

Father, grant that children may be a sign of trust and hope and that young people may have the courage to forge life-long, faithful commitments.

 

Father, grant to all that they may be able to earn bread with their hands, that they may enjoy serenity of spirit and that they may keep aflame the torch of faith even in periods of darkness.

 

Father, grant that we may all see flourish a Church that is ever more faithful and credible, a just and humane city, a world that loves truth, justice and mercy”.