「学び合いの会−海外ニュース」 276号
† 主の平和
先月、ニューヨークタイムズの一面に掲載されたバチカン情勢の分析記事を添付します。
教皇の手による改革が今どこまで進んでいるかを知る上で参考になるのではと思います。
添付記事
1. 「謙虚な姿勢で、確実にバチカン再編を進める教皇」
2014/1/14 ニューヨークタイムズ記事(抄訳)
謙虚な姿勢で、確実にバチカン再編を進める教皇 (抄訳)
ジェイスン・ホロウィッツ、ジム・ヤードルヤン
2014/1/14 ニューヨークタイムズ A 1面
バチカン・シティ発――就任後1年足らずの教皇フランシスコに対して世界のカトリック信者は変化への期待をつのらせている。彼は自らを罪人と呼び、裁き手となることを否定し、教皇のイメージを変えた。
そのいずれもが、教会の将来への貢献に同等の意味があるとしても、2013年2月の教皇ベネディクト16世の歴史的辞任に比べて、教会改革を目指す教皇フランシスコが、権謀術数と慣例に明け暮れるバチカン官僚主義とどのように対峙するかは、いまひとつ、わかりにくいところがある。
「フランシスコの統治は、究極的には、長い伝統のあるカトリック教会の教義に影響を与えないのかもしれないが、すでに教会の動きとそれを動かす人間とを変え、教会を再形成しつつある。」と多くの教会幹部は信じている。
2014年10月に召集される臨時シノドスにおいては、司教たちの役割と「家庭」(微妙な問題にもふれることになる)についての幅広い議論を準備することになるが、この時に合わせて、フランシスコは着実にバチカン内の伝統主義者を穏健派に入れ替えつつある。
大晦日に聖ピエトロ大聖堂でフランシスコは、彼がすでに作業に入っている主な変化をほのめかし、「今年起こったこと、起こりつつあること、起こるであろうことは何か」と訊ねた。
新年のミサに参列した緋色に包まれた枢機卿たちの一部には、その答えは明らかになりつつあった。その一人、アメリカのライモンド L. バーク枢機卿は自分の影響力が薄まったことを知った。他の保守派マウロ・ピアチェンツァ枢機卿は降格し、グイド・ポッゾ大司教は活動の中心から外れた。
訳注:枢機卿は教会における教皇の最高顧問である。重要な案件について教皇を直接に補佐する「枢機卿団」を構成すると同時に、個々の枢機卿は、教会全体にかかわる日常的な職務について教皇を助ける。枢機卿は、原則として司教の叙階を受けた聖職者の中から教皇が自由に任命し、任期は設けられていない。また、コンクラーベ(教皇選出選挙)の選挙権は、枢機卿だけが持つ。これらと関連して、教皇没後等の使徒座空位時には教皇庁の運営を指導する役割も担う。使徒座空位時の枢機卿団の職務と教皇選挙の詳細については1996年に発布された使徒憲章『ウニヴェルシ・ドミニチ・グレギシ』で規定されている。13世紀以来、枢機卿は緋色の聖職者服を身にまとう習慣がある。緋色は、信仰のためならいつでもすすんで命を捧げるという枢機卿の決意を表す色である。
77歳の教皇フランシスコは自分のチームを定めて、地方教会と貧しい人々のニーズを調べ、適切な教会実現への準備をするよう彼らに権限を与えた。他方では、教皇庁内で実際にカトリック教会を動かしてきたイタリア人の対抗勢力を分解し、バチカン銀行の透明性を増し、また多くの聖職者が目標とする昇進の階段を覆しつつある。
1月12日日曜、フランシスコは自分の後継者を選ぶことになる新しい枢機卿の人選で、最初の指名を行った。その多くは開発途上国と南半球から選ばれた。
彼は、新しい枢機卿たちに向かってはっきりと、これが昇進ではないことを銘記するように、また昇進祝いで無駄費いをしないようにと指示した。
「2013年は重要な年であった」と新国務長官のピエトロ・パロリン大司教は語った。彼はバチカンの二番目の高官であり、2月に新任枢機卿となる4人のバチカン高官の一人である。大晦日の記者会見で新人事について問われたパロリン大司教は、アルゼンチン人の教皇が「自分の方針を実現できる信頼できる人材」を好むのは全く自然なことであると答えた。
NY タイムズ紙のインタビューで、 枢機卿、司教、司祭、バチカン官僚、イタリアの政治家、外交官および評論家らは、バチカン内のムードが、手放しの称賛から偏執病的とさえ言えるほどの深い不安に至るまで、さまざまであると指摘した。
何人かの人は、フランシスコの「部局ごとの長となる人材探し」に不安を語り、他の人はバチカン内で教皇の目となり耳となって動く6人の謎のイエズス会士スパイについて、そっと囁いた。また、今まで権力の座にあった高官の多くは、自分が外されていると感じている。
匿名希望のバチカン高官は「困ったことだ。多くの人々は何のためにこれを行っているのか?と言っている。一部の官僚は会議に出なくなっている。不満をつのらせるティーンエイジャーのように、ヘッドホンをかぶって部屋に閉じこもっている」と語った。
筆者の見るところ、フランシスコは相変わらず量り難い人物である。教義的に保守派でいながら、謙遜なスタイルと象徴的ジェスチャーは多くのリベラル派を魅了する。
降誕祭には、ローマの古い教会で信徒のグループが行った炊き出しに貧困者たちが詰めかけた。このグループの創始者アンドレア・リッカルディは、かつてのイタリア政府の大臣で、教会の変化への希望を語ると同時に、バチカン官僚が教皇の方針を無視するのには疲れるとも語った。
「教会の廊下では人々が噂話をしている。」とリッカルディ氏は言う。「本当の抵抗とは、仕事の内容をこれまでと変えずに続けることだ。」
その四日前に、フランシスコはクレメント・ホールで官僚たちと面接した。このホールは16世紀に建てられ、教皇はここで、その年の最も重要とされるスピーチを述べるのが慣例になっている。ベネディクトは2012年の降誕祭スピーチで同性婚を非難したが、フランシスコは最初のスピーチで彼の同僚の教皇庁官僚を厳しく批判した。
フランシスコは、周囲に整列する赤冠帽の枢機卿、紫の司教、黒の法衣の司祭たちに対し、教皇庁は「凡庸さに向かい、下方に」漂流するリスクに直面しており「重苦しい官僚的税関」になりつつある、と警告した。また高位聖職者は、噂話の「良心的な制止人」であるよう求めた。
訳注:The Clementine Hallはthe Sala Clementinaと呼ばれ、サンピエトロ大聖堂近くの使徒宮殿の接見ホール。16世紀に三代目の教皇クレメントT世を敬してクレメントVIII
世が建てた。教皇が重要演説を行うほか、教皇の遺体が死後、葬儀前に安置される場所である。
訳注:skullcap:カトリック教会の高位聖職者がかぶっている半球型の帽子を、「ズケット(イタリア語)」 また
は「カロッタ(ラテン語)」と言う。聖職者はズケットを着用するよう定められ、 現在、教皇は「白」、枢機卿は
「赤」、司教は「赤紫」、大修道院長は「黒色」のズケットをかぶる。
戦い方を知らないフランシスコではない
フランシスコのこの発言は、ベネディクト教皇を困らせた教皇庁の毒のある雰囲気への辛辣な公的叱責であった;その多くは、前国務長官のタルチジオ・ベルトーネ枢機卿が責めを負うものであった。そしてそれは、アルゼンチンの司教時代に強力な保守派と対峙した経験のあるフランシスコが、教皇庁官僚の権謀術数を知らない訳ではないという警告でもあった。
20年以上もフランシスコを知るアルゼンチンのジャーナリストエリザベッタ・ピケは「彼は、ポッと出の純情派ではない」という。ピケの近著「フランシスコ:その生き方と革命」(Francis:
Life and Revolution)は、ローマとの衝突のドキュメントである。彼はその中で「フランシスコはローマ教皇庁とほとんど戦争というべき衝突を経験してきている」と述べている。
フランシスコは、教区の信者よりも自分の昇進を気にする「空港司教たち」(“airport bishops”)を非難を込めて語り、司祭たちが神学生として適切に修練されないなら「小妖怪」(“little
monsters”)になり得ると警告する。
訳注:2013年9月19日付けZENIT記事“Pope フランシスコ: "Avoid The Scandal of Being Airport
Bishops'"参照 http://www.zenit.org/en/articles/pope-フランシスコ-avoid-the-scandal-of-being-airport-bishops
フランシスコは、ベルトーネ枢機卿の権力集団を解体しつつある。ベルトーネはイタリア・ゼノア市を中心とする保守派集団の輪を率いてきた。2013年9月にフランシスコは、ベルトーネの仲間で教皇庁聖職者省長官のマウロ・ピアチェンツァ枢機卿をその職から外した。
ある人々にとって、それは、この新教皇が冷酷な手段に訴えることもできるという印となった。ピアチェンツァ枢機卿の最大の罪は、彼の前任者の正常な活動を妨げたことであったと幾人かのバチカン官僚は述べた。その前任者であるブラジルのクラウディオ・フンメス枢機卿は、フランシスコに近く、フランシスコの教皇選出直後に彼と共にサン・ピエトロ大聖堂のバルコニーに共に現れた人であった。
訳注:聖職者省(Congregation for the Clergy)の職務:教区司教、司教協議会の権限に留意したうえで、教区司祭および助祭の身柄および職務に関する事柄を扱う。教会財産、特に使徒座の財産保全についても本省が定める。現在の長官はBeniamino
Stella大司教
フランシスコは、「軟着陸」用の職位を用意してバチカン市政府のトップ官僚を除いた。その他の者はもっと不運だった。
グイド・ポッゾ大司教は、教会と、第2バチカン公会議に批判的な保守派分派との橋渡し役となる委員会の委員長を務めた。2012年11月ベルトーネ枢機卿は彼を大司教に昇格させ、ベネディクトは彼を教会の慈善機関の運営に当たらせた。ベネディクトよりも保守分派との調整に興味の薄いフランシスコは、ポッゾ大司教を元の職に戻した。
もう一人はバーク枢機卿である。2008年にベネディクトは、彼の同僚であるこの伝統主義者を最高裁判所長官に据え、翌2009年に、司教省長官とした。この地位はバーク枢機卿に米国の司教を選任する上での大きな影響力を与えた。
2013年12月にフランシスコは、彼を変え、司教省長官にもっと穏健なマルク・ウエレット枢機卿を選任した。これについてフランシスコに批判的なある官僚は「彼は自分の人脈の人間を据える場所を探しているようだ。」と語った。
別のバチカン守旧派は、大袈裟な祭服に対するフランシスコの軽視を攻撃した。教皇の休暇施設であるカステル・ガンドルフォをフランシスコは博物館かリハビリ・センターに変えるかもしれないとの憶測も危機感をあおった。守旧派の一人は「フランシスコがそうするなら、枢機卿たちが反乱を起こすだろう」と言う。
今のところ、ここうした抵抗が大きな影響力を持つには至っていない。「聖霊は氷をとかすのに成功しており、抵抗を克服しつつある。抵抗はあるだろうが、それはさして重要とは思わない」と新国務長官のピエトロ・パロリン大司教は語った。
フランシスコはまた、五大陸を代表して教皇庁改革の先兵となる「8人の枢機卿グループ」(G8)に権限を与えた。彼はバチカン銀行の管理に外部コンサルタントを雇い、特別委員会を設置した。「司祭の児童虐待」についてはあまり語らないが、「未成年者保護」委員会を設置した。
米国ワシントンの大司教ドナルド・ヴュール枢機卿によると、フランシスコは国務省の権限の一部を 新たに設置する教皇庁官僚の権限を制約する教皇権執行者に付与するだろう、という。ヴュール枢機卿枢機卿は、バーク枢機卿の代わり、バチカン司教省長官に就いた。
イタリア政治をフランシスコは避ける
長年、イタリアの政治家たちはバチカンの機嫌を伺い、逆もまた同じであった。ヨハネ・パウロ2世もベネディクトも、イタリー人の高位聖職者がイタリア政界に対して、カトリックの問題について遠慮なく語るのを奨励してきた。
フランシスコは教会が直接的に政治に関わることを好まず、それがイタリア人高位聖職者とイタリアの保守派政治家との古くからの関係の輪を脅かしている。
「今日、イタリアの司教たちは沈黙を守っている」とイタリアの有力な政治家ピエール・フェルディナンド・カッシーニは言う。彼はかつて枢機卿や教皇と会っているがフランシスコとは会っていない。
バチカンは、不相応にイタリア偏重の組織になっている。イタリア人は世界のカトリック信者数の4%なのに、枢機卿の数では最大グループである。バチカン職員は圧倒的にタリア人であり、特典も多い。生涯雇用で、何世代にもわたって勤めている家族もある。
非イタリア人の枢機卿の多くがそう呼ぶ「イタリア問題「は、2013年3月にフランシスコを選出したコンクラーベでも仄見えた。望ましからぬイタリアの影響が、バチカン銀行の経理疑惑や不始末の原因とされている。その噂が囁かれて広がり、ベネディクトの私的文書の漏えい問題を中心にスキャンダルの火に油を注いだ。
「必要なことは、この段階でバチカン文化のイタリア色を薄めること、とりわけ一層の透明性と実力本位性に向けて人々が働けるようになることだ。」と上級官僚の一人は語った。
昇進ルートの廃止
父親がイタリア移民であり、第二言語がイタリア語であるフランシスコには、有力なイタリア人の同志がいる。その中には、12日に彼が指名した、枢機卿のパロリン国務長官と二人の教皇庁の長官がいる。アナリストたちは、ベルトーネ枢機卿に近い大司教がいるベニスのような、伝統的に力のある教区に対するフランシスコの無視は、彼がイタリア教会システムの中に確立されている昇進ルートを壊そうとしていることを示している、と見る。
フランシスコはまた、力のあったイタリア司教協議会の手直しを進めている。イタリア司教協議会の議長は、伝統的に教皇が指名することになっているが、フランシスコは他国の司教協議会の例に倣って選挙を導入するかもしれない。ベネディクトの下では、アンジェロ・バニャスコ枢機卿が議長を務め、ベルトーネ枢機卿とイタリア政界への影響力を競ってきた。フランシスコは、ベルトーネをバチカン中枢から外し、バニャスコを司教協議会から除いたのである。
1月10日土曜日の説教の中でフランシスコは、バニャスコ枢機卿を含む聴衆に対し、「おべんちゃら司祭」になる危険について警告した。そして、世間的誘惑に負けることは、(金も力も持つ)「辣腕司祭、暴君司祭」(priest-wheeler-dealers,
priest-tycoons.)を生むことになると付言した。
サン・ピエトロ大聖堂での大晦日のミサでは、大聖堂から退出するフランシスコに従う司祭の行列の後に、何千と言う信者が従った。行列が出た後の聖堂の中では、枢機卿と司教たちが座席から立ち上がり、互いに握手を交わして、聖ペトロの墓に向かった。
ポッゾ大司教は大聖堂から外に出たとき、教皇庁の変化の動きを記者に問われて「驚きの一年だったよ!」と答えた。
その近くで、バーク枢機卿は、居残っていた数人の信者に祝福を与えた後、記者の質問には「"上司"の許可がないと答えられない。」とそそくさと辞去した。
その数週間前、バーク枢機卿は、カトリックのテレビネットワークに向かい、「“人口中絶”や他の文化摩擦の問題について、“我々が語り過ぎる”と教皇が言うのは“全く理解”できない。」と語り、フランシスコの統治に批判的な有力者の落着きを示すかのようであった。
教皇庁の変化が起きた後、バーク枢機卿は「咋今のローマには、予想ができないものがある。」と嘆いた。
同じころ、フランシスコはイタリアの新聞La Stampaのインタビューを受けた。教皇は再び、“やさしさ”について語り、また、教会の透明性について語った。しかし彼は、「慎重さは統治の徳目であるが、同様に大胆さもその一つである。」(Prudence
is a virtue of government. So is boldness.)と付言した。
それは的を射た発言であった。12月15日、バーク枢機卿は、少年期を過ごした米国ウィスコンシン州の小教区に戻りミサを司式した。長いミトラを被り、降誕節のピンクの式服を着て、彼は自分の出身である酪農について語ったが、フランシスコやバチカンで起きている事には触れず、会衆を失望させた。
ミサに参加した信徒のMarge Pospyhallaは「バチカンの様子を語るだろうと期待していたの。でも、聞けなかったわ。」と語った。
しかしバーク枢機卿の沈黙は十分に彼の思いを語っていた。このミサの次の日にフランシスコは、バーク枢機卿を司教省長官から解任したのであった。
訳注:降誕節の色:” Resources for Liturgy and Prayer for the Seasons of Advent and Christmas”
the Catholic Lectionary Website by Felix Just, S.J., Ph.D.参照 http://catholic-resources.org/Lectionary/Seasons-Advent-Christmas.htm
◇◇◆◇◇
Pope With the Humble Touch Is Firm in Reshaping the Vatican
By JASON HOROWITZ and JIM YARDLEYJAN. N.Y. Times, Jan. 14, 2014
VATICAN CITY ? Less than a year into his papacy, Pope Francis has raised expectations
among the world’s one billion Roman Catholics that change is coming. He has
already transformed the tone of the papacy, confessing himself a sinner, declaring
“Who am I to judge?” when asked about gays, and kneeling to wash the feet of
inmates, including Muslims.
Less apparent, if equally significant for the future of the church, is how Francis
has taken on a Vatican bureaucracy so plagued by intrigue and inertia that it
contributed, numerous church officials now believe, to the historic resignation
of his predecessor, Pope Benedict XVI, last February.
Francis’ reign may not ultimately affect centuries-old church doctrine, but
it is already reshaping the way the church is run and who is running it. Francis
is steadily replacing traditionalists with moderates as the church prepares
for a debate about the role of far-flung bishops in Vatican decision-making
and a broad discussion on the family that could touch on delicate issues such
as homosexuality and divorce.
In St. Peter’s Basilica on New Year’s Eve, Francis, dressed in golden robes,
hinted at the major changes he had already set in motion. “What happened this
year?” he asked. “What is happening, and what will happen?”
To some of the scarlet-clad cardinals seated in rows of gilded armchairs at
the New Year’s service, the answer was becoming clear. Cardinal Raymond L. Burke,
one of the highest-ranking Americans in the Vatican, found his influence diluted.
Another conservative, Cardinal Mauro Piacenza, was demoted. Among the bishops,
Archbishop Guido Pozzo was sidelined.
To some degree, Francis, 77, is simply bringing in his own team and equipping
it to carry out his stated mission of creating a more inclusive and relevant
church that is more sensitive to the needs of local parishes and the poor. But
he is also breaking up the rival blocs of Italians with entrenched influence
in the Roman Curia, the bureaucracy that runs the church. He is increasing financial
transparency in the murky Vatican Bank and upending the career ladder that many
prelates have spent their lives climbing.
On Sunday, Francis made his first mark on the exclusive College of Cardinals
that will elect his successor by naming prelates who in many cases hail from
developing countries and the Southern Hemisphere. He pointedly instructed the
new cardinals not to consider the job a promotion or to waste money with celebratory
parties.
“It was an important year,” said Secretary of State Pietro Parolin, the Vatican’s
second-ranking official and one of only four Vatican officials Francis will
make a cardinal in February. Asked in a New Year’s Eve interview about the personnel
changes, he replied that it was only natural that the Argentine pope should
prefer to have “certain people who are able to advance his policy.”
Interviews with cardinals, bishops, priests, Vatican officials, Italian politicians,
diplomats and analysts indicate that the mood inside the Vatican ranges from
adulation to uncertainty to deep anxiety, even a touch of paranoia. Several
people say they fear Francis is going department by department looking for heads
to roll. Others whisper about six mysterious Jesuit spies who act as the pope’s
eyes and ears on the Vatican grounds. Mostly, once-powerful officials feel out
of the loop.
“It’s awkward,” said one senior Vatican official, who, like many others, insisted
on anonymity for fear of retribution from Francis. “Many are saying, what are
we doing this for?” He said some officials had stopped showing up for meetings.
“It’s like frustrated teenagers closing the door and putting their headphones
on.”
Francis remains tricky to define, a doctrinal conservative whose humble style
and symbolic gestures have thrilled many liberals. On Christmas, the destitute
poured into an ancient church in Rome for a holiday lunch sponsored by a Catholic
lay organization. The group’s founder, Andrea Riccardi, once a liaison to the
church when he served as an Italian government minister, expressed hopes for
change, but also wariness about Vatican officials ignoring the pope’s agenda.
“You hear people talk about it in the corridors of the church,” Mr. Riccardi
said. “The real resistance is to continue business as usual.”
Four days earlier, Francis met with the Curia in the Sala Clementina, the 16th-century
reception hall in the Apostolic Palace, to deliver one of the most important
papal speeches of the year. Benedict used his last such Christmas address to
denounce same-sex marriage. Francis used his first to castigate his own colleagues
in the Curia.
He warned the men in red and purple skullcaps and black cassocks arrayed around
him that the Curia risked drifting “downwards towards mediocrity” and becoming
“a ponderous, bureaucratic customhouse.” He also called on the prelates to be
“conscientious objectors” to gossip.
Not New to the Battle
It was a pointed rebuke of the poisonous atmosphere that had troubled Benedict’s
papacy, and for which the former secretary of state, Cardinal Tarcisio Bertone,
was often blamed. And it was a reminder that Francis, if a new pope, was not
new to the machinations of the Curia, having tangled while in Argentina with
a powerful conservative faction.
“He was not an ingenue coming out into the world,” said Elisabetta Pique, an
Argentine journalist who has known Francis for more than two decades and whose
recent book, “Francis: Life and Revolution,” documented his past clashes with
Rome. “He had had almost a war with this section of the Roman Curia.”
Now Francis talks disparagingly of “airport bishops” who are more interested
in their careers than flocks, and warns that priests can become “little monsters”
if they are not trained properly as seminarians.
He is dismantling the power circle of Cardinal Bertone, who led a ring of conservatives
centered on the city of Genoa. In September, Francis demoted Cardinal Piacenza,
a Bertone ally, from his post running the powerful Congregation for the Clergy.
To some it was an indication that the new pope could act with a measure of ruthlessness.
Several Vatican officials said that Cardinal Piacenza’s greatest transgression
had been undermining his predecessor, a Brazilian prelate close to Francis who
appeared with him on the balcony of St. Peter’s after his election.
Francis also removed a top official of the Vatican City government, although
arranging a soft landing pad. Others were less fortunate.
As a priest, Guido Pozzo led a Vatican commission tasked with bridging the schism
between the church and traditionalists critical of the Second Vatican Council.
In November 2012, Cardinal Bertone elevated him to the rank of archbishop and
Benedict appointed him to run the church’s charity office. Francis, who is much
less interested than Benedict was in appealing to the schismatic conservatives,
has since sent Archbishop Pozzo back to his former post.
Another is Cardinal Burke. In 2008, Benedict installed his fellow traditionalist
as president of the Apostolic Signatura, the Vatican’s highest court, and the
next year appointed him to the Congregation for Bishops. The post gave Cardinal
Burke tremendous sway in selecting new bishops in the United States.
In December, Francis replaced him with a more moderate cardinal. “He’s looking
for places to put his people,” said one official critical of the pope.
Another Vatican conservative took offense at Francis’ disdain for elaborate
dress. And speculation that Francis might convert the papal vacation home of
Castel Gandolfo into a museum or a rehabilitation center has also raised alarms.
“If he does that,” said an ally of the old guard, “the cardinals will rebel.”
For now, the resistance is not gaining traction. “The Holy Spirit succeeds also
in melting the ice and overcoming any resistance,” Secretary of State Parolin
said. “So there will be resistance. But I wouldn’t give too much importance
to these things.”
Francis also has empowered a group of eight cardinals representing five continents
to spearhead reform of the Curia. He has hired secular consultants and set up
a special commission to oversee the Vatican Bank. And while he has spoken infrequently
on clerical sexual abuse, he has formed another commission “for the protection
of minors.”
He may also delegate some of the powers traditionally held by the office of
secretary of state by creating a new papal enforcer, who would wrest power away
from Curia bureaucrats.
“This is a very real possibility,” said Cardinal Donald Wuerl, the archbishop
of Washington, who replaced Cardinal Burke on the Congregation for Bishops.
Shunning Italian Politics
For years, Italian politicians have courted the Vatican, and vice versa, as
both Pope John Paul II and Benedict encouraged Italy’s prelates to speak out
on issues that concerned the church. Francis’ distaste for directly involving
the church in politics has now threatened that old link between Italian prelates
and Italy’s conservative politicians.
“Today, the Italian bishops are keeping silent,” said Pier Ferdinando Casini,
a prominent politician who once met with cardinals and even popes but has yet
to meet Francis.
The Vatican remains a disproportionately Italian institution, with Italy boasting
the biggest bloc of cardinals even as it now accounts for only 4 percent of
the world’s Catholics. Vatican employees are overwhelmingly Italian, with lifetime
job security, sometimes extending for generations.
Perks abound. On a recent afternoon inside the Vatican’s department store, bargain
hunters shopped for tax-free wine, cigarettes, Ferragamo clutches and North
Face jackets beneath clocks reading the time in New York, Vatican City and Tokyo.
The Italian problem, as many non-Italian cardinals called it, loomed over the
conclave that elected Francis in March. An undue Italian influence was blamed
for suspicious accounts and mismanagement of the Vatican Bank and the gossip
mongering that fueled an embarrassing scandal centered on leaks of Benedict’s
private letters.
“What is necessary is that at this stage that the culture becomes less Italian,”
one senior Vatican official said, “particularly as people work towards greater
transparency and meritocracy.”
Off the Career Track
Francis, whose father was an Italian immigrant, and whose second language is
Italian, does have key Italian allies, including Secretary of State Parolin
and two other Curia department prefects he named as cardinals on Sunday. But
analysts say his passing over of traditional Italian powerhouses, such as Venice,
where the archbishop is close to Cardinal Bertone, shows that he is trying to
break the established career track in the Italian church.
Francis is also tinkering with the once mighty conference of Italian bishops,
which he sits atop in his role as bishop of Rome. Popes have traditionally appointed
the president of the Italian conference, but Francis may introduce elections,
as happens in other bishops’ conferences.
Under Benedict, the conference’s president, Cardinal Angelo Bagnasco, jousted
for influence in Italian politics with Cardinal Bertone, whom Francis has largely
sidelined. But the pope also recently removed Cardinal Bagnasco from the powerful
Congregation for Bishops.
In a recent Saturday homily, Francis warned an audience that included Cardinal
Bagnasco of the danger of becoming a “smarmy” priest. Succumbing to worldly
temptations, he added, made for “priest-wheeler-dealers, priest-tycoons.”
The New Year’s Eve Mass at St. Peter’s ended with a procession of priests escorting
Francis out of the basilica, followed by the thousands of the faithful. In the
emptied church, the cardinals and bishops rose from their seats, shook hands
with dignitaries and milled about around St. Peter’s tomb.
Cardinal Piacenza collected his umbrella from a prayer bench. Archbishop Pozzo
made his way to the door. Asked about the changes underway in the Curia, he
replied, “It’s been a surprising year!”
Not far away, Cardinal Burke blessed a few stragglers and declined to comment
without permission from his “superiors.”
Weeks earlier, Cardinal Burke seemed poised to be the most prominent voice of
resistance to Francis’ reign, telling a Catholic television network that he
was not “exactly sure why” the pope “thinks we’re talking too much about abortion”
and other culture war issues. When it came to changes in the Curia, he bemoaned
“a kind of unpredictability about life in Rome in these days.”
At roughly the same time, Francis gave an interview to the Italian newspaper
La Stampa. The pope spoke again about “tenderness” and opening up the church.
But he also added: “Prudence is a virtue of government. So is boldness.”
It was a telling point. On Dec. 15 Cardinal Burke returned to his boyhood parish
in Stratford, Wis., to celebrate a special Mass. Dressed in the tall miter cap
and traditional pink for the Christmas season, he spoke about his dairy farm
roots but disappointed some of his parishioners by making no mention of Francis
or the events happening in the Vatican.
“I was hoping he would,” said Marge Pospyhalla, who attended the Mass. “But,
no, we did not get that.”
His silence said enough. The day after the Mass, Francis took Cardinal Burke
off the Congregation for Bishops.
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Gaia Pianigiani contributed reporting.
A version of this article appears in print on January 14, 2014, on page A1 of
the New York edition with the headline: Pope With the Humble Touch Is Firm in
Reshaping the Vatican.
http://www.nytimes.com/2014/01/14/world/europe/pope-with-the-humble-touch-is-firm-in-reshaping-the-vatican.html?_r=1