新しいエルサレムが、神のもとを離れ、天から下って来る…

復活節第5主日福音黙想 2010/5/2  トマス・ロシカ師

 

 

今日の第2朗読のヨハネの黙示録( 21:1-5a )から照らしを受けて、聖なる都エルサレムと、そこにあるキリスト者の霊性にとって大切な場所について、いくつかの黙想をしたいと思います。

 

バビロニア・タルムード(ユダヤ教の教典の一つ)のキダシン 49b に、天の国と、地上と、エルサレムとが、ヘブライ人の魂に欠くことのできない構成要素であることを示す、素晴らしいラビ教義の格言があります。ラビたちはこう言います。「世界が創造されたとき、神は、世界に十の喜びを与え、そのうちの九つをエルサレムに与えた。神は、世界に十の美しさを与え、そのうちの九つはエルサレムのためのものであった。神は、世界に十の苦しみを与え、そのうちの九つは、エルサレムのためのものであった。」

 

エルサレムは、人類の喜びと望みと痛みとが集中する都です。夢が夢見られ、それが実現したり、砕かれたりする都です。良く知られている中世の地図には、エルサレムとソロモンの神殿が世界の中心に描かれ、その中心から、ヨーロッパ大陸、アフリカ大陸、アジア大陸が、巨大な花弁のように扇形に拡がっています。これは、エルサレムから始まる世界の救いのイメージです。エルサレムは世界の中心であり、歴史の中心なのです。

 

聖書に示された救いの歴史は、人類のドラマの最初と最後を形成する二つの理想像の間で起きました。楽園の理想像は創世記の中で失われ、神から頂いた新しいエルサレムの理想像は、黙示録の中で失われました。わたしたちは、神から発し、神に帰ります。その二つの理想像は、人間の苦しみと喜びに満ちた人類の歴史とその運命に関して、二つの理想像の間で起きるあらゆる物事に光を投げかける二つの灯台です。

 

旧約聖書の中のエルサレム

エルサレムは、土地そのものの象徴であり、「聖なる地」と称されます。また、この都は神の救いの力を保証するシンボルです。「山々はエルサレムを囲み 主は御自分の民を囲んでいてくださる 今も、そしてとこしえに。」(詩編 125:2 ) この詩編の作者は、「聖なる都」を熱烈な感嘆の言葉で讃えています。「主の家に行こう、と人々が言ったとき わたしはうれしかった。 エルサレムよ、あなたの城門の中に わたしたちの足は立っている。」(詩編 122:1-2 ) 「わたしの舌は上顎にはり付くがよい もしも、あなたを思わぬときがあるなら もしも、エルサレムを わたしの最大の喜びとしないなら。」(詩編 137:6

 

紀元前 8 世紀のヘブライ人の預言者で詩人のイザヤほどに、的確にエルサレムの未来を予言した人は居ません。イザヤは、世界の破滅を予言した後、やがて来る贖い主の救いの幻を、エルサレムの山に置きました。イザヤは、ある日、すべての国は争いをやめて、どの峰よりも高い山、シオン(エルサレム)と呼ばれる山へ、最終的な和解のために集まるだろうと預言しました。「主の神殿の山」であるシオンから、神の正義の掟が出されるのです。イザヤの言葉( 2:1-5 )に耳を傾けましょう。

「主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち どの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のようにそこに向かい 多くの民が来て言う。『主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう』と。主の教えはシオンから 御言葉はエルサレムから出る。」

 

キリスト者にとってのエルサレム

ルカの福音書と、その後の初代教会について記した使徒言行録の記述では、エルサレムは大変肯定的に描かれています。ルカの福音書は、エルサレムの神殿で始まり、そして終わります。始まりの場面では、これから起こる洗礼者ヨハネの受胎と誕生のザカリアへの告知が描かれています。ヨハネの父ザカリアは祭司で、くじによって香をたくことになり、聖所に入りました。(ルカ 1:10 ) そして、この福音書の結びは、イエスの弟子たちが、五旬節に聖霊が送られるのを待つ間、毎日、絶えず神殿で神をほめたたえていたという記述です。(ルカ 24:52-53

 

エルサレムが持つ大きな霊的意義については、この他にも、初期キリスト者によって書かれた聖典や著作に見ることが出来ます。パウロが異邦人のもとへ福音のメッセージを携えて出向くときには、常にエルサレムとユダヤの教会に属する「貧しい人々」のための訴えを欠かしませんでした。これは、ユダヤ生まれの教会員と、もともと異邦人だった教会員の連帯を表わすためでした。パウロは、「ガラテアの信徒への手紙」( 4 24-26 )で、下の(当時の)エルサレムと天上のエルサレムを対比しています。

パウロにとって、エルサレムは未だに大切な中心地であり、拠り所であったのです。

 

黙示録のエルサレム

キリスト者にとってエルサレムは、イエスが死んで復活した都であり、歴史と世界の中心です。そしてまた、その名は、未来の新しい都を生み出します。それは、今日の第 2 朗読、黙示録 21 章にある「新しいエルサレム」です。 ヨハネの狂気じみた幻想は、神からの、神による、神と共にある都について語ります。この著者は、新しいエルサレムを人間の歴史のゴールとして描いています。

エルサレムは、神と共にある生活が、「結局は」どうなるのかを示すひな型となるのです。ノーベル賞受賞者の桂冠詩人、エリ・ヴィーゼル( Elie Wiesel は、聖なる都の記述でこのテーマに触れています。「エルサレムは、どこにでもあるにちがいない。エルサレムは、人が平和のために努力するところならどこにでもあり、祈りに、寛容さに、神への感謝に心が開かれているところならどこにでもある。」

(訳注)エリ・ヴィーゼル 1928 年 - ) アメリカ の作家。 ルーマニア 出身の ユダヤ人 。自らの ホロコースト 体験を著し、 1986 年 ノーベル平和賞 受賞。 著書に「エルサレムの乞食」、「 20 世紀ユダヤ人の肖像(シリーズ)」他多数。

 

三大宗教にとっての神の都

エルサレムは神の都、神の聖所であり、ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒のいずれもが神のみ言葉を聞いた場所であり、それ故に、そこで神をあがめることを望む場所です。この宗教的な必要性(ニーズ)は、人間の、個人の、集団の本性に欠くことのできない部分でもあります。この必要性は、複数の人格と一つの民族の中に生まれます。また、宗教的な記憶は、とりわけユダヤ教信者やイスラム教信者にとっては民族(国家)の記憶でもあります。また、キリスト教信者にとっては、エルサレムは母なる教会、すなわち最初のキリスト教共同体が誕生した地であり、今もそうであり続けています。

 

黙想のための質問

なぜ、エルサレムは、そんなにも重要な都市なのでしょうか? エルサレムは、わたしにとってどのような意味を持つのでしょうか。ユダヤ教とイスラム教のどのような側面が、わたしを啓発し、わたし自身の信仰の手助けとなったでしょうか? エルサレムの未来を、どのように思い描きますか?

 

教会について考えるときに、どんなイメージが心に浮かびますか? 教会に抱くイメージは、教会に所属する者としての行いにどのように反映されていますか? もしも、わたしたちが神の生ける神殿であるならば、どのような資質があれば、わたしたちは教会だと言えるのでしょうか? わたしたちを、キリスト教徒としてひとつに結びつける一番のシンボルは何でしょうか?

 

今日、エルサレムの住人は皆、公平で安全な社会の基礎作りに努力しています。この聖なる土地でくり返されるドラマは、信仰のドラマです。一体いつまで、宗教が、信じるものたちの間に起こる戦争や論争の原因となるのでしょうか? 神はそんなことのために、これらの聖なる場所にご自分を顕し、わたしたちに語りかけられたのではありません。それは、人類の救いのため、また正義へとつながる唯一の建設的な手段であり唯一の道である人間への愛のためなのです。

 

エルサレムの未来をどのように思い描きますか? どのような宗教的シンボルやたとえ話が、この聖なる都のイメージを広げるのでしょうか? あなたの宗教的想像力は、平和と正義のビジョンに導くでしょうか? それとも、憎しみ、排除、暴力の感情を生みだすのでしょうか。

 

エルサレムとローマへの忠誠

イエズス会員の枢機卿カルロ・マリア・マルティーニが書いた次のような祈りで、この黙想を終わりたいと思います。それは、その著書 "Due Pellegrini per la Giustizia" Centro Ambrosiano: Edizioni Piemme, 1992 に書かれています。わたしは、ローマとエルサレムでの研究の期間中、これらの言葉でよく祈っていました。

 

「わたしたちの神である主よ、

あなたをたたえ、エルサレムの故に感謝します、

あなたがこの都を与えて下さったのですから:

神の物語と人間の物語のシンボルとして:

わたしたちへの愛と、罪の赦しのしるしとして:

あなたに向かう、この世の旅のシンボルとして、

巡礼の旅には、多くの困難と多くの争いが伴います。

 

「エルサレムのために、

そしてユダヤ教とアラブの兄弟姉妹のために祈ります。

主よ、あなたに感謝を捧げます。

あなたは、わたしたちをキリストに仕えるように、そして

今日、教会の内にある十字架を背負うようにと呼んで下さったのですから。

教会の中心はローマです。

あなたが、わたしたちを、あなたの御子との一致に招いてくださったのですから、

あなたは、御子との一致に名前を与えることを教えて下さいます。

イグナチウス・ロヨラの、この言葉によって、

 

「わたしたちの主、キリストの真の花嫁、それは神聖な母なる教会。

わたしたちは、教会の故に、ローマの故に、あなたに感謝します。

それは、一致の象徴であり

その一致へと向かう巡礼の旅の象徴であり、

一致を達成するために経験しなければならない試練の象徴です。

 

「わたしたちが、エルサレムとローマに忠実であるようにと、あなたに願います、

あなたの御子と教会に忠実であるように、

人類が共に歩む、この旅路の中で

三位一体の中心に至るまで、

あなたのみ顔を仰ぐ日まで (忠実であるように)

父と子と聖霊の御名によってアーメン」

 

 

◇◇◇

 

 

聖書朗読

 

使徒 14 21b-27 :  [ その日 パウロとバルナバは、デルベから ] リストラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返しながら、 22   弟子たちを力づけ、「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」と言って、信仰に踏みとどまるように励ました。 23   また、弟子たちのため教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せた。  24   それから、二人はピシディア州を通り、パンフィリア州に至り、 25   ペルゲで御言葉を語った後、アタリアに下り、 26   そこからアンティオキアへ向かって船出した。そこは、二人が今成し遂げた働きのために神の恵みにゆだねられて送り出された所である。 27   到着するとすぐ教会の人々を集めて、神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した。

 

ヨハネの黙示 21 1- a: わたし [ ヨハネ ] はまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。  02   更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。 03   そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、 04   彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」 05   すると、玉座に座っておられる方が、「見よ、わたしは万物を新しくする」と言 [ った。 ]

 

ヨハネ 13 31-33a, 34-35 :  さて、ユダが [ 晩餐の広間から ] 出て行くと、イエスは言われた。「今や、人の子は栄光を受けた。神も人の子によって栄光をお受けになった。 32   神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も御自身によって人の子に栄光をお与えになる。しかも、すぐにお与えになる。  33   子たちよ、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。 35   互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」

 

 

 

 


The New Jerusalem, Coming Down Out of Heaven From God

Biblical Reflection for 5th Sunday of Easter C By Father Thomas Rosica, CSB

 

 

TORONTO, APRIL 27, 2010 Zenit.org .- In light of today's second reading from the book of Revelation 21:1-5a , I wish to offer some reflections on the Holy City of Jerusalem and its important place in Christian spirituality.

 

There is a wonderful rabbinic saying from the Babylonian Talmud Kiddushin 49b that reveals heaven, earth and Jerusalem as the essential components of the Hebrew soul. The rabbis say: "As the world was being created, God gave out 10 portions of joy to the world and nine were given to Jerusalem; 10 portions of beauty God gave to the world and nine were for Jerusalem; 10 portions of suffering God gave to the world and nine were for Jerusalem."

 

Jerusalem is the city where the joys, aspirations and pains of humanity converge. It is the city where dreams are dreamt and either realized or shattered. A well-known medieval map shows Jerusalem and Solomon's Temple at the center of the world, the continents of Europe, Africa, and Asia fanning out from the center like gigantic petals. It is a vision of world redemption arising from Jerusalem. Jerusalem is the heart of the world and the center of history.

 

The history of salvation revealed in the Bible is situated between two visions which form the beginning and the end of the human drama: The vision of paradise lost in the book of Genesis and the vision of the new Jerusalem which descends from God in the book of Revelation. We come from God, and we return to him. These two visions are the two beacons which shed their light on everything that comes between them concerning the history and fate of humankind made up of human suffering and joy.

 

Jerusalem in the Old Testament

Jerusalem, as a symbol of the land itself, is called holy and the city is a symbol of the assurance of the saving power of God: "Just as the mountains are around Jerusalem, so the Lord is round about His people" Psalm 125:2 . The psalmist extols the Holy City with these rousing exclamations: "I rejoiced when they said to me, 'Let us go to the house of the Lord.' And now our feet are standing within your gates, O Jerusalem" Psalm 122:1-2 . "May my tongue cleave to the roof of my mouth if I forget you, if I do not consider Jerusalem my greatest joy" [Psalm 137:6 .

 

No one better anticipated Jerusalem's future than Isaiah, the eighth-century Hebrew prophet-poet. After predicting the world's destruction, Isaiah located his messianic vision of future redemption in Jerusalem's hills. He prophesied that one day all the nations will end their warring and gather in final reconciliation on the highest hill, the hill called Zion Jerusalem . From Zion, the "mountain of the house of the Lord," the divine Law of Justice will come forth. Listen to Isaiah's words Isaiah 2:1-5 : "In days to come the mountain of the LORD's house shall be established as the highest of the mountains, and shall be raised above the hills; all the nations shall stream to it. Many peoples shall come and say, 'Come, let us go up to the mountain of the LORD, to the house of the God of Jacob; that he may teach us his ways and that we may walk in his paths.' For out of Zion shall go forth instruction, and the word of the LORD from Jerusalem."

 

Jerusalem for Christians

The Gospel of Luke and his subsequent account of the early Church in the Acts of the Apostles depicts Jerusalem in a highly positive manner. Luke's Gospel begins and ends in the Temple of Jerusalem. The opening scene depicts the announcement of the forthcoming conception and birth of John the Baptist to Zachary, John's father, a priest who by lot entered the sanctuary to burn incense Luke 1:10 . The Gospel closes with the disciples of Jesus celebrating in the Temple each day as they await the outpouring of the Spirit on Pentecost Luke 24:52-53 .

There are other indications in early Christian Scriptures and writings of the great spiritual significance of Jerusalem. Paul's reaching out to the Gentiles with the message of the Gospel included a constant appeal for the "poor" of the Church in Jerusalem and Judea. It was intended to symbolize the solidarity of Church members of Jewish and Gentile origins. For Paul, who contrasted the Jerusalem below and the Jerusalem above in his epistle to the Galatians, Jerusalem remained an important anchor and reference point.

 

Apocalyptic Jerusalem

For Christians, Jerusalem is the city of the death and resurrection of Jesus, the center of history and of the world. It is also the city whose name evokes the new city of the future: the New Jerusalem as mentioned in today's second reading from Revelation 21. John's wild dream speaks of a city from God, by God and with God. The author describes the New Jerusalem as the goal of human history. Jerusalem is to be a model for what life with God will be "in the end." The Nobel Prize laureate Elie Wiesel touched upon this theme with his description of the holy city: "JERUSALEM should be everywhere and JERUSALEM IS everywhere where a person strives for PEACE, where the heart is opened to PRAYER, to GENEROSITY, to THANKSGIVING."   

 

City of God for three great religions

Jerusalem is the City of God, God's sanctuary, the place where every believer -- Jew, Christian or Muslim has heard the Word of God, and because of that, wishes to adore God. This religious necessity is also an essential part of the human, individual and collective identity: It consists of persons and a people. The religious memory is also a national memory for the Jew and the Muslim in particular. For Christians, Jerusalem was and remains the Mother Church, the birthplace of the first Christian community.

 

Questions for reflection

Why is Jerusalem such an important city? What does Jerusalem mean for me? What aspects of Judaism and Islam have enlightened me and helped me with my own faith? How do I envision the future of Jerusalem?

 

When I think of the Church, what image comes to mind? How does my image of the Church reflect my experience as being part of the Church? If we are to be a living temple of God, what qualities should characterize us as church? What symbol do you think most unites us as a Christian people?

 

All of the inhabitants of Jerusalem are struggling today with the foundation of a society at once just and secure. The continuing drama of the Holy Land is a drama of faith. How long will religion be the cause of wars and disputes among believers? It is not for this reason that God has revealed himself to us or spoken to us in these holy places, but rather for the salvation of the human race, and for the love of humanity, the only constructive instrument and the only way that leads to justice.

 

How do I envision the future of Jerusalem? What religious symbols and metaphors nurture my vision of this holy city? Does my religious imagination lead me to a vision of peace and justice or does it engender feelings of hatred, exclusion and violence?

 

Fidelity to Jerusalem and Rome

I conclude with this prayer written by Jesuit Cardinal Carlo Maria Martini, which appears in his book "Due Pellegrini per la Giustizia" Centro Ambrosiano: Edizioni Piemme, 1992 . I have prayed these words often during my years of study in both Rome and Jerusalem.

 

"Lord Our God,

We Praise you and we bless you for Jerusalem,

Because you have given this city to us

As the symbol of the story of God and the story of humanity;

The sign of your love for us and of your forgiveness for our sins;

The symbol of our earthly pilgrimage toward you,

A pilgrimage that involves so many difficulties and so many conflicts.

 

"We pray for Jerusalem and for all of our Jewish

And Arab brothers and sisters.

We give you thanks, Lord,

Because you have called us to serve Christ

And to carry his cross today in the Church,

The Church that has its center in Rome;

Since you have called us to be one with your Son,

You teach us to give a name to our oneness with him,

In the words of Ignatius of Loyola,

 

"The true bride of Christ our Lord, who is our Holy Mother Church

We thank you for the Church and for Rome

That is the image of unity

And the pilgrimage toward this unity,

And for the trials that we must undergo to achieve this unity.

 

"We ask you that we may be faithful to Jerusalem and to Rome,

To your Son and to the Church,

In this common journey of humanity

Toward the heart of the Trinity,

Toward the contemplation of your face

Of Father, Son and Holy Spirit. Amen."

 

 

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