金持ちとラザロ : 個人的関係の物語

年間第 26 主日 聖書黙想  2010/9/26  トマス・ロシカ師

 

今日の第一朗読 (アモス 6 1a, 4-7 の中で、預言者アモスは、他の人々を 犠牲にして欲望を満たし、 国民の苦しみに心を痛めることなく、自己中心に生きている人々を厳しく批判しています。

 

アモスは貧しい人々の偉大な擁護者です。怠惰な金持ちこそが彼の怒りの標的です。それは何よりも、彼らのあからさまな感受性の欠如が、常に最低限の必要すら満たせない人々を苦しめているからです。彼らが宴会のために「羊の群れから取る小羊/牛舎からから取る子牛」は、主に奉げる犠牲のために取り分けておくべきものだからです。こうして彼らは、飽食の罪に加えて冒涜の罪を犯しています。彼らは、差し迫ったヨセフ(北イスラエル王国の人々)の道徳的堕落を気に留めません。実際には、それを助長しているのです。

 

今日の第一朗読に描かれた全体状況には、今日、わたしたちの生活の中にも存在する固定観念が投影されています。しかし、それは神の懲罰の約束 自分の飽食と放縦だけではなく、飢えている人、貧しい人を無視することに対する懲罰の約束を、ことさら誇張するものではありません。キリストの教えが本質的に示す社会変革は、来世 に予定されているものですが、 「神は力ある者を打ち砕き、遜る者を高められる」という御業がここで始まっています。この逆転は神によってもたらされるものです。すなわち、へりくだる者は高められ、高ぶる者は低くされるのです。(ルカ 14 11 、マタイ 23 12

 

比較対照から学ぶ

今日の福音朗読 Luke 16:19-31 の中で、ルカは金持ちとラザロの心に突き刺さるたとえ話を語り、金持ちと貧しい人に対するイエスの態度へ関心を再び示します。このたとえ話は、著しい比較対照によって教訓を与えます。 西暦 175-225 頃に書かれた、ルカの最古のギリシャ語写本には、 金持ちという名称が、「ニネベ( Nineveh )」の省略形で記されています。しかし、他の写本に、この読みの土台となる記述はほとんどありません。伝統的によく使われる「 Dives (ダイヴィーズ)」は、ウルガタ聖書( 405 年頃に完訳したラテン語聖書)にある「金持ち」のラテン語訳です。

 

金持ちダイヴィーズは、日々、自己中心的な暮らしを送っています。美しく装い、たらふく食べて、日々の人生を楽しんでいます。彼は明らかに「こちら側」の人間です。彼はこの生活で、欲しいものをすべて手にしていますが、貧しい人たちや自分以外の誰にも気持を向けることはありません。彼の価値観の基礎にあるのは、この世の財産と富を得ることです。この金持ちは、神に仕えたいという願いも無ければ、神の導きの必要を感じることもありません。彼が必要を感じているのは、この世で自分の欲望と必要を満たすことだけです。金持ちは、生前の生活でラザロを知っていましたが(金持ちが天国に居るラザロの名を知っていたのでそれと分かります。)、その時はラザロを無視していました。

(生前における金持ちの)ラザロへの態度は、神との本当の関係を表わしています。金持ちは自分のことだけを考え、神に対して正しくなかったので、死後目覚めると地獄に居て、苦しみと挫折を味わいました。金持ちは期待を裏切られ、天国で父アブラハムと共にいることはできませんでした。

 

一方ラザロは、一生を貧しさの中で暮らしましたが、心は神に正しく向かっていました。彼は神への信仰を決して捨てませんでした。ぼろをまとい、空腹で、生きるためにもがき、身体はできものだらけです。ですから不潔ですし、犬を追い払う力すらありません。彼は、明らかに「あちら側」の人間です。彼は死んだあと、すぐに天使たちによって天国に連れて行かれ、アブラハムや神と共に過ごします。今やラザロはアブラハムに抱かれ、天国に住み、アブラハムと共に偉大な天国の宴席に座ってとても幸福です。(天国では)彼は「こちら側」の人です。

 

二人がこの世にいたとき、ラザロと金持ちダイヴィーズの間に深い淵などありませんでした。 実際、ラザロはこの金持ちの門前で物乞いをしていました。金持ちは、そうしようと思えばいつでも門を出てラザロを助けることができたはずです。しかし永遠の世界には、天国と地獄を分かつ大きな淵があります。イエスは、行間に含みを持たせて、この隔たりは永遠に渡ることができないと強調しています。「ラザロをよこして、わたしを助けさせて下さい。」と金持ちは嘆願します! この金持ちはまだ、命じればこの状況を支配できると思い込んでいます! 渡れない淵があるのです。後戻りできない地点があるのです。

 

金持ちは、律法と預言者に耳を傾けませんでした。律法や預言者たちは、隣人を愛する方法について教えています。(ミカ書 6:8 ) 金持ちは隣人を愛しませんでした。預言者たちはまた、救い主はベトレヘムに生まれ、見捨てられた人々の友になるなどと予言しています。(ミカ書 5:2 ;4:6 、イザヤ 61:1-2 ) 金持ちは、その真実も受け入れませんでした。彼は、追放された人々の友になるには、あまりに恵まれた生活をしていたのです。

 

個人的な関係のたとえ話

ルカ 16 章は、お金や富についてだけ語っているのではありません。わたしたちが、本当にこの章を理解すると、どちらのたとえ話もその重要な要素は個人的な関わりについてであることが分かります。 施しをするのは良いことですが、関わり合うことはもっと良いことです。金銭的に貧しい人や精神的に破綻した人の世話をすると、その課程でわたしたち自身が豊かになる一方で、他者を豊かにする潜在能力も高まるのです。わたしたちの願いは、貧しい人々やしいたげられた人々の幸福でなければなりません。与えることは受け取ることでもあります。神は喜んで与える人を愛します。わたしたちは何をよりどころにしているでしょうか。金持ちになることは、神に正しく向かうことを意味していると思いますか? 永遠を心にかけていますか?

 

人間の連帯について、ヨハネ・パウロ 2 世とベネディクト 16 世の言葉。

今日の朗読箇所を黙想すると、 2 人の教皇の教えがすぐに頭に浮かびます。教皇ヨハネ・パウロ 2 世は、 1984 年の歴史的なカナダ全土に及ぶ司牧的訪問の折、 9 17 日にアルバータ州エドモントンで感動的な説教をしました。ミサが行われた空港に響き渡る、はっきりとした声で、教皇は語りました。

 

「人間は共同体で、社会の中で暮らしています。そして共同体の仲間と、飢えや渇き、病気や栄養不足、悲惨、そしてそれらに起因するすべての欠乏を共有しています。人は誰もが、それぞれの人格の中で他者が必要としている事柄を体験します。それゆえに、審判者であるキリストは、『仲間のもっとも小さい者のうちの一人』について語り、同時にわたしたち一人一人について、さらには全ての人についても語っているのです。」

 

「そうなのです。キリストは、全宇宙的次元の不正義と悪について語っているのです。キリストは、今日わたしたちが南北問題(格差)と呼び慣れているものについて語っています。今後は、東西問題だけでなく南北問題も激しくなります。北が豊かになればなるほど、南は貧しくなっていきます。」

 

「そうなのです。南はどんどん貧しくなっていき、北はどんどん豊かになっていきます。そのうえ、超大国や同盟国は、互いの脅威となり得る武器の供給源となり、いっそう豊かになっていきます。

そして、互いを破壊しないために脅威を与え合っているのだ、という議論も存在します。」

 

「これは別の次元での議論です。多くの人の意見では、これは(国際世界の)最前線における、恐るべき脅威の次元での議論なのです。この「恐るべき脅威」は現代世界を覆っており、特別に注目すべきものです。」

 

「しかしながら、キリストの御言葉に照らせば、やがてこの貧しい南が豊かな北を裁くことになります。様々な分野で貧しく、食料不足だけでなく自由や人権を奪われている全ての貧しい人々と貧しい国々は、自分たちの物資を収奪している人々、他者を犠牲にして経済的、政治的支配の帝国主義的独占を続ける人々を裁くことになるでしょう。」

 

教皇ヨハネ・パウロ 2 世が、カナダのエドモントンで力強く語ってから 26 年後、教皇ベネディクト 16 世は、 2010 9 17 日、ロンドンの由緒あるウェストミンスター寺院に集まった英国の指導者たちに、次のように語りかけました。

 

「複雑な社会的・倫理的問題への、現実的かつ短期的な解決策が誤りであったことは、最近の世界的な金融危機によっていみじくも明らかになりました。多くの人々は、経済活動における倫理的基盤の欠如が、世界中の何百万人が経験している重大な危機の一因になっていると考えています。丁度、『経済に関するすべての決定は、倫理的な成り行きを伴う』ように、政治の分野でも、政策の倫理的部分が、どの政府も無視できないような、重大な成り行きを伴うのです。」…中略

 

「近年、貧しい人々との連帯が世界的な広がりとなる積極的なしるしを見るのはうれしいことです。

しかし、この連帯をより効果的な行動に換えていくためには、斬新な考え方が求められます。それは、食糧生産、水質保全、職業創出、教育、家庭支援、とりわけ移住者の問題や基礎的な健康管理など、多くの重要な分野で生活条件を改善することになります。人々の生活に関係する分野では、いつも時間が足りないのです。しかもこの世界は、『破綻すれば犠牲が大きすぎる』という理由で、金融機関の救済に政府が膨大な資金を用意した場面を目撃しています。たしかに世界の諸国民の総合的な生活改善は重要です。それは一つの 事業 です。それは、世界が注目するに値する、ほんとうに『破綻するには犠牲が大きすぎる(決して失敗できない)』大事業なのです。」

 

神へ謙虚に心を開く難しさ

金持ち、権力者、「 正義 」の人は、神に謙虚に心を開くことに困難を覚えます。彼らは、自分の財産と安全に自信を持っています。しかし、唯一の真の安全は、神の友になることと、神の恵みに基づいています。ナザレのイエスに倣って人間と神への奉仕者になることです。自分の地位を高めることは、神への依存に反する自己依存の姿です。このことから、なぜ、金持ちで羽振りが良く満ち足りていることが、すなわちそのまま、傲岸、高慢、不敬を意味するのか、良く理解できます。わたしたちは人間として非常に弱い存在であり、権力、富、地位の中に安住することで、その弱さをいつも隠そうとしています。このいつわりは、最終的に神の裁きによって仮面を剥がされます。唯一の救いの道は、神の前に自分の弱さを認め、神の内にのみ安全を見出すことです。謙遜とは、つつましさやと乏しさだけではなく、神に仕える行為として、この乏しさを喜んで受け入れることを意味します。

 


聖書朗読:

 

アモス 6:1a, 4-7 : (主は言われる) 6:1 災いだ、シオンに安住し/サマリアの山で安逸をむさぼる者らは。 6:4 お前たちは象牙の寝台に横たわり/長いすに寝そべり/羊の群れから小羊を取り/牛舎から子牛を取って宴を開き 6:5 竪琴の音に合わせて歌に興じ/ダビデのように楽器を考え出す。 6:6 大杯でぶどう酒を飲み/最高の香油を身に注ぐ。しかし、ヨセフの破滅に心を痛めることがない。 6:7 それゆえ、今や彼らは捕囚の列の先頭を行き/寝そべって酒宴を楽しむことはなくなる。

 

1 テモテ 6:11-16 : (信仰の戦い) 6:11 しかし、神の人よ、あなたは、正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。 6:12 信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。命を得るために、あなたは神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです。 6:13 万物に命をお与えになる神の御前で、そして、ポンティオ・ピラトの面前で立派な宣言によって証しをなさったキリスト・イエスの御前で、あなたに命じます。 6:14 わたしたちの主イエス・キリストが再び来られるときまで、おちどなく、非難されないように、この掟を守りなさい。 6:15 神は、定められた時にキリストを現してくださいます。神は、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、 6:16 唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、だれ一人見たことがなく、見ることのできない方です。この神に誉れと永遠の支配がありますように、アーメン。

 

ルカ 16:19-31 : (金持ちとラザロ) 16:19 「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。 16:20 この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、 16:21 その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。 16:22 やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。 16:23 そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。 16:24 そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』 16:25 しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。 16:26 そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。』 16:27 金持ちは言った。『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。 16:28 わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』 16:29 しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』 16:30 金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう。』

  16:31 アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」

 

 

 

 

 

 

 

 

Dives and Lazarus: A Story of Personal Relationships

Biblical Reflection for 26th Sunday in Ordinary Time C, By Father Thomas Rosica, CSB

 

TORONTO, SEPT. 21, 2010 Zenit.org .-

In today's first reading Amos 6:1a, 4-7 , the prophet Amos is quite serious about the complacent folk who pamper themselves at the expense of others and have apparently lost interest in the sufferings of their fellow human beings.

 

Amos is the great champion of the poor. The idle rich are the target of his wrath primarily because their conspicuous consumption of delicacies is always at the expense of those who lack even the bare necessities. The "lambs taken from the flock, and calves from the stall" upon which they feast are supposed to be set aside for sacrifice to the Lord; thus, they add sacrilege to their sins of gluttony. They do not lament the imminent moral collapse of Joseph meaning the whole people ; indeed, they contribute to it.

 

The entire scene from today's first reading capitalizes on the stereotypes we recognize even in our own day. But there is nothing exaggerated about the promise of divine retribution -- not for mere excess and self-indulgence but for the neglect of the hungry and the poor. While the social revolution inherent in Christianity is scheduled for the next world, it begins here: "God puts down the mighty and exalts the humble." This reversal is brought about by God: the lowly will be exalted; the exalted will be brought down low.

 

A study in contrasts

In today's Gospel Luke 16:19-31 , the provocative parable of the rich man and Lazarus again illustrates Luke's concern with Jesus' attitude toward the rich and the poor. The parable presents a remarkable study in contrasts. The oldest Greek manuscript of Luke dating from circa 175-225 A.D. records the name of the rich man as an abbreviated form of "Nineveh," but there is very little textual support in other manuscripts for this reading. "Dives" of popular tradition is the Latin Vulgate's translation for "rich man."

 

Dives' life was consumed in self-centered living. He is dressed nicely, eats well, lives it up every day. He is clearly on the inside. He has everything in this life that a person could want and yet he had no compassion for the poor or anyone else but himself. His values were based on gaining worldly possessions and wealth. The rich man did not have a desire to serve God nor did he feel a need for God's guidance. He only felt a need to satisfy his own worldly desires and wants. The rich man knew Lazarus in real life we know that because he knew his name in heaven , but he ignored him.

Treatment of Lazarus on earth revealed the rich man's true relationship to God. Since the rich man only cared about himself and was not right with God, after he died, he woke up in hell, tormented and frustrated. The rich man was not with Father Abraham in paradise like he expected to be.

 

Lazarus, on the other hand, lived all his life in poverty, yet his heart was right with God because he never gave up his faith in God. He is dressed in rags, hungry, struggling to survive, filled with open sores -- therefore unclean, too weak to fight off the dogs. He is clearly on the outside. At his death, the angels took Lazarus immediately to Paradise to be with Abraham and God. Now in Abraham's bosom -- in heaven -- Lazarus is very happy as he reclines at the great heavenly banquet with Abraham. He is on the inside!

 

When they were in this life, there was no chasm between Lazarus and Dives. In fact Lazarus was begging just outside Dives' gate. The rich man could have gone out and helped Lazarus any time he felt like it. But in eternal life there is a great chasm separating heaven and hell. Jesus uses space to emphasize that this gap is uncrossable and permanent. “Send Lazarus to help me,” Dives pleads! This rich man still believes that he can command and control the situation! Some chasms cannot be crossed. There is a point of no return.     

 

The rich man did not listen to the law and the prophets, which taught about how to love one's neighbor Micah 6:8 . He did not love his neighbor. The prophets also predicted that Messiah would be born in Bethlehem, be the friend of outcasts, etc. cf. Micah 5:2f; 4:6, Isaiah 61:1-2 . The rich man rejected that truth also. He was too good to be the friend of outcasts.  

 

A parable of personal relationships

Luke 16 is not just about money or wealth. When we really understand the chapter, the key element in both the parables is personal relationships. Almsgiving is good but involvement is better. Ministering to the financially poor and the spiritually bankrupt develops our potential to enrich others as we are enriched in the process. Our focus must be on the well being of the poor and downtrodden. It is in giving that we receive. And God loves cheerful givers! What are we depending on? Do we think being rich means we are right with God? Do we worry enough about eternity?

 

John Paul II and Benedict XVI on human solidarity

As I reflect on today's readings, the teachings of two Popes come immediately to mind. During his historic 1984 pastoral visit across Canada, Pope John Paul II delivered a stirring homily in Edmonton, Alberta, on Sept. 17, 1984. In a loud and clear voice that rang out across the airport where Mass was celebrated, he said:

 

“The human person lives in a community, in society. And with the community he shares hunger and thirst and sickness and malnutrition and misery and all the deficiencies that result there from. In his or her own person the human being is meant to experience the needs of others. So it is that Christ the Judge speaks of 'one of the least of the brethren,' and at the same time he is speaking of each and of all.

 

"Yes. He is speaking of the whole universal dimension of injustice and evil. He is speaking of what today we are accustomed to call the North-South contrast. Hence not only East-West, but also North-South: the increasingly wealthier North, and the increasingly poorer South.

 

Yes, the South -- becoming always poorer; and the North -- becoming always richer. Richer too in the resources of weapons with which the superpowers and blocs can mutually threaten each other. And they threaten each other -- such an argument also exists -- in order not to destroy each other.

 

"This is a separate dimension -- and according to the opinion of many it is the dimension in the forefront -- of the deadly threat, which hangs over the modern world, which deserves separate attention.

 

"Nevertheless, in the light of Christ's words, this poor South will judge the rich North. And the poor people and poor nations -- poor in different ways, not only lacking food, but also deprived of freedom and other human rights -- will judge those people who take these goods away from them, amassing to themselves the imperialistic monopoly of economic and political supremacy at the expense of others.”

 

Twenty-six years after Pope John Paul II spoke those powerful words in Edmonton in Canada, Pope Benedict XVI addressed these words to the British Government assembled in historic Westminster Hall in London on Sept. 17, 2010:

 

“The inadequacy of pragmatic, short-term solutions to complex social and ethical problems has been illustrated all too clearly by the recent global financial crisis. There is widespread agreement that the lack of a solid ethical foundation for economic activity has contributed to the grave difficulties now being experienced by millions of people throughout the world. Just as 'every economic decision has a moral consequence,' so too in the political field, the ethical dimension of policy has far-reaching consequences that no government can afford to ignore. [...]

 

"In recent years it has been encouraging to witness the positive signs of a worldwide growth in solidarity towards the poor. But to turn this solidarity into effective action calls for fresh thinking that will improve life conditions in many important areas, such as food production, clean water, job creation, education, support to families, especially migrants, and basic healthcare. Where human lives are concerned, time is always short, yet the world has witnessed the vast resources that governments can draw upon to rescue financial institutions deemed 'too big to fail.' Surely the integral human development of the world's peoples is no less important: here is an enterprise, worthy of the world's attention, that is truly 'too big to fail.'"

 

Humble openness to God is difficult

The rich, the powerful, and the "just" find it very difficult to be humbly open to God; they are full of confidence in their own treasures and securities. The only real security is the one based on friendship with God and service of God: to be a servant of human beings and of God after the example of Jesus of Nazareth. Exalting oneself is a form of self-reliance, as opposed to reliance on God. This makes clear why being rich, prosperous, satisfied almost naturally implies being arrogant, proud, godless. As human beings, we are radically weak and constantly try to cover up our weakness by finding security in power, wealth and status. This deception will ultimately be unmasked by God's act of judgment. The only way to salvation is to recognize one's weakness before God and to find one's security in God alone. To humble oneself does not only mean lowliness and misery, but also a willing acceptance of this misery as an act of service.

 

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