イエスと共にエルサレムに上ろう

年間第 13 主日 聖書黙想 2010/6/27  トマス・ロシカ師

 

 

今日の福音の始めの言葉の中で、ルカは、イエスが目指す場所を明らかに宣言します。 イエスは、エルサレムに行こうとしています。先週の日曜日の福音で予告されていたように、イエスはそこで処刑されることになります。

疑う余地もなく、イエスは、自分に従うこと、すなわちイエスの弟子となる召命について、わたしたちに力強く呼びかけています。 イエスはその道すがら出会う全ての人に呼びかけ、多くの人々が様々な形でこの招きに答えます。或る人たちは(サマリア人のように)、呼び掛けるイエスに偏見を抱いているため、耳を貸そうとしません。また或る人たちは、招きに応えはしますが、その結果がどうなるかを十分に理解しているわけではありません。
弟子には全面的な献身が求められます。 イエスは、彼に従うことが十字架への道であることを最初から承知しているよう、わたしたちに求めます。

 

ルカによる(イエスの)旅の物語

ルカによる旅の物語は、 マルコ 10:1-52 に基づいていますが、ルカは、マルコの原典を 18:15 から 19:27 の部分にだけ使っています。ルカは、旅の話に入る前に、イエスが語った言葉の数々やさまざまな行いの物語を挿入しています。それは、マタイ福音書にも使われている、イエスの言葉を集めた「 Q 」文書と、ルカ自身が受継いだ伝承からとっているのです。

<訳註>( Wikipedia )

Q 資料はイエスの語録集、または語録集に簡単な枠を付けたものであると想定されている。 19 世紀 以降、特にドイツの プロテスタント を中心とした 共観福音書 に対する批判的な研究によって、マタイとマルコの両福音書の共通点は、一方が他方を省略したなどというものではなく、両者が同じ資料をもとに書かれたことに由来するという見解が有力視されるようになった。さらにルカ福音書との比較研究により、マルコには収録されていないが、マタイとルカには共通して収録されているイエスの言葉の存在が指摘され、このマタイとルカに共通のイエスの語録資料を、「資料」を意味する言葉 ドイツ語 : "Quelle" の頭文字をとって「 Q 資料」と呼ぶようになった。
後述するように、 Q 資料仮説は現在ではカトリックの聖書学者にも支持する者があり、学界で広く受け入れられている学説のひとつである。しかし、 Q 資料そのものと同定される文献は、断片も含めいまだに発見されておらず、その存在を疑問視する学者も存在している。
古代 教父 たちもその存在に言及していないため、もし Q 資料が実在したという仮説が事実であるとすれば、極めて早い段階で消失したということになる。

 

ルカのこの旅物語の内容の多くは、弟子たちへの教えで占められています。この旅の間にイエスは、ガリラヤで選んだ証し人たちが、彼のエクソダス ルカ 9:31 の後に自分の役割を果たすように準備させます。

訳注:ルカ 9:31 は「変容」の場面:「(モーセとエリヤは)イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。」

その人たちは、人々にイエスを証しする者でなければなりません(使徒言行録 10:39,13:31 )。そして、それにより、ルカ福音を読む人たちは、自分たちが受け取った教えは、イエスの教えに根ざしているのだという確信を得ることが出来るのです。

 

ガリラヤでの宣教の物語が、故郷では受け入れられないイエスのエピソードで始まったのと同様に、旅の物語も、イエスがサマリア人から歓迎されないエピソードで始まります( 9:51-55 )。このエピソードで弟子たちは、イエスを拒絶する人たちは厳しく罰せられるべきだという姿勢を示しますが、イエスはそれに同調しません。この物語は、列王記下 1 10 12 に暗に言及しています。そこでは、預言者エリヤはイエスが取らなかった行動をとります。イエスは、弟子たちの言葉を戒めることで、エリヤと同一視されることを拒絶するのです。

訳注:列王記下 1:10, 12 : 1:10  エリヤは五十人隊の長に答えて、「わたしが神の人であれば、天から火が降って来て、あなたと五十人の部下を焼き尽くすだろう」と言った。すると、天から火が降って来て、隊長と五十人の部下を焼き尽くした。1:12 エリヤは彼らに答えて、「わたしが神の人であれば、天から火が降って来て、あなたと五十人の部下を焼き尽くすだろう」と言った。すると、天から神の火が降って来て、隊長と五十人の部下を焼き尽くした。

 

キリストの弟子であることは厳しいこと

今日の福音で、イエスは、キリストの弟子であることの厳しさと、絶対的な特質について語ります。( 57-62 節) 親を葬ることのような、家族の絆や子どもとしての責務を擲ってでも、人は、神の御国を宣言することから片時も心を逸らすことはできないのです。

弟子であるためには、主に対する心からの献身と、主の民への惜しみない奉仕の精神が求められます。この要求は厳しいものです。イエスは 曖昧さを残すことなく 、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われました。 9:62

 

イエスの時代の人々には、この農作業のイメージは理解しやすいものでした。農夫は、しっかりと前を見て作業しなければなりません。さもないと、畑は種まきのためにきちんと整えられずに、収穫時には無秩序な悪夢と化してしまうことでしょう。

イエスの要求は、とりわけ彼が「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。」と言うのを聞くと、残酷に聞こえます。しかし、これは死者への非礼ではなく、単にわたしたちが過去を悔やむことなく生きなければならないことを覚らせようとしているに過ぎないのです。現在から目を離さないようにしましょう。そうすれば、わたしたちの暮らしという畑には、新しく耕された土から春の恵みと新鮮さがもたらされます。そして、わたしたちの暮らしは豊かな収穫という素晴らしい約束を得ることでしょう。


ルカはまた、キリスト者が歩むべき道を示すために、旅というモチーフを用います。それは、イエスご自身が歩まれた旅と同じく、大きな誤解と拒絶に遭遇し、内面的な強さと活力を必要とする旅です。

 

イエスの弟子であるためには、わたしたちの側からの全面的な献身が必要です。それは家族を捨て、真に頼るべき何物も持たないことを意味します。イエスに属することは、他のすべての義務に優先しなければなりません。それは最終的、究極的な旅です

 

召命は、完全さを求めるものではありません。エリヤ、エリシャなどのイスラエルの預言者たちも、またイエスが呼ばれたガリラヤ湖畔の漁師や 徴税人たち でさえも、決して彼らの能力や実績のために招かれたのではないのです。

 

パウロは、イエスが「無知の者」を呼ばれたのは、知恵のある者を恥じ入らせるためだと言います。

わたしたちはイエスの弟子として、ベツレヘム、ナザレ、ベタニア、ベセスダ、カペルナウム、タボール山の頂でイエスと共に居るだけでは足りません。エルサレム、ゲッセマネ、カルワリオにおいても、イエスと共に居なければならないのです。

 

そこには、生ぬるい応答の余地はありません;福音は、オール・オア・ナッシング(全てかゼロか)を求めています。弟子たちは主の究極のメッセージ、「『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。」 ルカ 10:9 に従います。悪への勝利のしるしとして、弟子たちは驚異的な能力を与えられ、畏敬すべき神の力を顕します。弟子たちは喜びますが、それは彼らのうちに神の力が働いたからでも、彼らの宣教が成功したからでもありません。喜びは、彼らに与えられたいのちの約束からくるのです。

 

わたしたちは、現代に生きるイエスの弟子です。わたしたちがなすべきことは同じです: 神の愛を自分のことばと行いで語ること、とりわけ喜ぶことが大切です。なぜなら、イエスはわたしたちを招き、これほどにも豊かないのちの賜物を与えてくださったからです。

 

さあ、行きましょう

今日の福音はまた、イエスと共に、イエスの土地を、聖なる都エルサレムへ向かう旅について黙想するようにと、わたしたちを招いています。黙想はまた、弟子たちのキリスト者としての生活ばかりでなく、歴史の中を巡礼する旅にも及びます。今日から始めて来週まで、わたしは巡礼について、或いは聖なる旅について、その意味を黙想してみたいと思います。

 

「聖なる旅」という行為は、紀元前のかなり昔から知られており、その始まりはユダヤ教の巡礼の伝統に先んじています。祈りの旅は必ず、「聖地」あるいは「聖域」で、昔実際にあったことと関連があります。そのような「聖地」あるいは「聖域」は、そこが、後に崇拝の対象となった超越した力の存在を示しているために、神聖な場所と見なされました。古代の人々は、集団としても個人としても、「神殿」へ旅をしました。人々はそこで、献身、悔い改め、願い事のために特別な礼拝行為をしました。

巡礼を聖地への信心旅行と理解するなら、 最初の 3 世紀の間、キリスト者たちはその意味での巡礼をしていなかったようです。初代キリスト教会が巡礼に積極的でなかったのには、基本的に二つの要因があるようです。それは、政治的要因と宗教的要因です。キリスト教はまだ認められておらず、ローマ帝国のほとんどのところでは、実際には地下生活をしていたという事実が、聖地を認め敬うことへの大きな妨げとなっていました。

 

2 世紀の護教論者、殉教者ユスティヌス( 100-163?AD )の文書によれば、異教徒の間では医神 アスクレピオス を祀る聖地へ病気治癒祈願の巡礼をする習慣が広く浸透していたのにも関わらず、キリスト者たちは、それを行っていませんでした。それは、キリストが、身体と魂のユニークな癒し手であったからです。

これらの要素は、聖地巡礼に対する、初期のキリスト者のかなり消極的な姿勢を描き出しますが、散発的な旅に関する情報も確かにあります。しかし、それらの旅は、巡礼と言うよりは学究的な旅に分類されるもののようです。

 

足跡をたどる。

わたしたちが知る限りでは、紀元 160 年に最初にそのような旅をしたのは、(リディヤ王国の首都) サルディス の司教聖 メリト でした。彼は、旧約聖書の諸文書の名前と順番について、いくつかの詳細を知りたかったのです。紀元およそ 235 年頃には、オリゲネスが、アレキサンドリアから聖地へもう一つの学術研究の旅をしました。彼は、カエサリアに居を構える前に、「預言者たち、および、イエスとその弟子たちの足跡」をたどろうと決心したのです。

 

たぶん、字義通りの意味での巡礼と言える最初の旅は、紀元 216 年までさかのぼります。その年、カッパドキアの司教で、のちにエルサレムの司教となったアレキサンダーは、「祈るためと聖なる場所を知るため」にエルサレムに到着しました。従って、最初の 3 世紀間には、いくつかの散発的な例を除いて、聖地へもその他の場所へも、巡礼が実施されたと言う話はできないのです。

 

キリスト教がローマ帝国の合法宗教と認められた 313 年には、この筋書きが大きく変わりました。聖地の黄金時代が始まったのです。聖地の旅行案内記が、他の全ての信心旅行に着想を与えました。聖書の地を知るという考え方が、それまでの巡礼否定の傾向を変化させました。事実、多くの人たちが、長期にわたる冒険的な旅行の困難と危険を、熱意と勇気をもって克服しました。そして主が地上の故郷とされた場所への、聖なる、心躍る旅に出かけました。

 

4 世紀のキリスト教歴史家 カエサリア のエウセビオス 260 339 註:生没年は諸説あり は、最初のキリスト教徒皇帝コンスタンティヌス 1 世の母ヘレナを、全ての聖地巡礼者の中の最も高貴な人物として描きました。 エウセビオス は、コンスタンティヌスがキリストのようにヨルダン川で洗礼を受けたいと望んだと主張しました。残念ながら、果たして皇帝の希望が叶えられ、聖書の地に来たのかどうかについては、知る術がありません。コンスタンティヌス皇帝とその母ヘレナは、神の土地の生活と歴史に非常に重要な役割を果たしました。

 

来週も、この(聖なる旅についての)黙想を続けましょう。

 

 

 


 

聖書朗読

 

列王記上 19:16b, 19-21:  16「アベル・メホラのシャファトの子エリシャにも油を注ぎ、あなたに代わる預言者とせよ。」 19 エリヤはそこをたち、十二軛の牛を前に行かせて畑を耕しているシャファトの子エリシャに出会った。エリシャは、その十二番目の牛と共にいた。エリヤはそのそばを通り過ぎるとき、自分の外套を彼に投げかけた。 20 エリシャは牛を捨てて、エリヤの後を追い、「わたしの父、わたしの母に別れの接吻をさせてください。それからあなたに従います」と言った。エリヤは答えた。「行って来なさい。わたしがあなたに何をしたというのか」と。 21 エリシャはエリヤを残して帰ると、一軛の牛を取って屠り、牛の装具を燃やしてその肉を煮、人々に振る舞って食べさせた。それから彼は立ってエリヤに従い、彼に仕えた。

 

ガラテア 5:1, 13-18:(皆さん、) 1 自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。

13 兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。14 律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。15 だが、互いにかみ合い、共食いしているのなら、互いに滅ぼされないように注意しなさい。16 わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。17 肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。 18 しかし、霊に導かれているなら、あなたがたは、律法の下にはいません。

 

ルカ 9:51-62:  51 イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。  52 そして、先に使いの者を出された。彼らは行って、イエスのために準備しようと、サマリア人の村に入った。53 しかし、村人はイエスを歓迎しなかった。イエスがエルサレムを目指して進んでおられたからである。   54 弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言った。55 イエスは振り向いて二人を戒められた。56 そして、一行は別の村に行った。57 一行が道を進んで行くと、イエスに対して、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた。     58 イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」    59 そして別の人に、「わたしに従いなさい」と言われたが、その人は、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。60 イエスは言われた。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」61 また、別の人も言った。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」62 イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。

 

 

 


Let Us Go up to Jerusalem With Jesus

Biblical Reflection for 13th Sunday in Ordinary Time C, By Father Thomas Rosica, CSB

 


TORONTO, JUNE 22, 2010
Zenit.org .- In the opening words of today's Gospel, Luke clearly states where Jesus is headed. He is going up to Jerusalem where, as we heard predicted in last Sunday's Gospel, he will be put to death.


Without a doubt, Jesus speaks forcefully to us about the call to discipleship, of following him. He invites all of those along the way to follow him, and there are many and varied responses to the invitation. Some will not even listen to him
i.e., the Samaritans because they are prejudiced against the one who issues the invitation. Some respond to the invitation without fully realizing what it entails.

Discipleship is a total commitment, and Jesus wants us to know from the beginning that following him will lead to the crucifixion.


Luke's travel narrative
Luke's journey narrative is based on Mark 10:1-52, but Luke uses his Marcan source only in Luke 18:15-19:27. Before that point he has inserted into his Gospel a distinctive collection of sayings of Jesus and stories about him that he has drawn from "Q" -- a collection of sayings of Jesus used also by Matthew -- and from his own special traditions.

 

Much of the material in the Lucan travel narrative is teaching for the disciples. During the course of this journey Jesus is preparing his chosen Galilean witnesses for the role they will play after his exodus Luke 9:31 : they are to be his witnesses to the people Acts 10:39; 13:31 and thereby provide certainty to the readers of Luke's gospel that the teachings they have received are rooted in the teachings of Jesus Luke 1:1-4 .

Just as the Galilean ministry began with a rejection of Jesus in his hometown, so too the travel narrative begins with the rejection of him by Samaritans 9:51-55 . In this episode Jesus disassociates himself from the attitude expressed by his disciples that those who reject him are to be punished severely. The story alludes to 2 Kings 1:10, 12 where the prophet Elijah takes the course of action Jesus rejects, and Jesus thereby rejects the identification of himself with Elijah.

 

Christian discipleship is severe
In today's Gospel, Jesus speaks of the severity and the unconditional nature of Christian discipleship
vv 57-62 . Even family ties and filial obligations, such as burying one's parents, cannot distract one no matter how briefly from proclaiming the kingdom of God.

Discipleship requires a wholehearted commitment to the Lord and a generous spirit of service toward his people. The demands are severe. Jesus says unambiguously: "No one who puts a hand to the plow and looks back is fit for the kingdom of God" 9:62 .


The people of Jesus' time understood this agrarian imagery. The farmer has to keep his eyes fixed straight ahead, otherwise the neatly organized field required for planting would be turned into a chaotic nightmare at harvesting time.

The demand sounds harsh, especially when Jesus says, "Let the dead bury their own dead." This is not disrespect for our deceased, but simply a realization that we must live without regret over the past. If we keep our eye on the present, then the fields of our lives will have the grace and freshness of newly plowed spring fields. Our lives will hold great promise for a rich harvest.

 

訳注 Thomas Jefferson, the patron of American agrarianism , wrote in his Notes on Virginia 1785 , "Those who labor in the earth are the chosen people of God, if He ever had a chosen people, whose breasts He has made His peculiar deposit for substantial and genuine virtue. It is the focus in which He keeps alive that sacred fire, which otherwise might escape from the face of the earth." The origins of this sentiment are traceable to Virgil's Arcadia first century B.C. about an idealized pastoral society, and it reappears constantly in both secular and sacred Western literature. Jefferson's conviction placed it at the center of U.S. history.


Luke also uses the journey motif to teach something about the road that Christians must walk. It is similar to the road Jesus himself journeyed, involving gross misunderstanding and rejection and requiring a great deal of internal strength and energy.

 

To be a disciple of Jesus requires total commitment on our part. It involves homelessness, not really belonging anywhere. To belong to Jesus must supersede all other obligations. The journey is final, its consequences ultimate.

 

Paul says that Jesus calls "the foolish," so that the wise will be shamed.

Our discipleship of Jesus must be much more than staying with him in Bethlehem, Nazareth, Bethany, Bethsaida, Capernaum, or atop Mount Tabor. It must also include being with him in Jerusalem, in Gethsemane, on Calvary.


To be called does not require our perfection. Elijah, Elisha, the prophets of Israel, the fishermen of Galilee and even the tax collectors that Jesus called were certainly not called because of their qualifications or achievements.

 

There is no possibility of a lukewarm response; the Gospel requires all or nothing. The disciples speak the ultimate message of the Lord, "Say to them, 'The kingdom of God has come near to you'" Luke 10:9 . As signs of victory over evil, the disciples have spectacular powers, demonstrating the awesome power of God. They are to rejoice, though not in the power of God active in them or even in the success of their message: Joy comes from the promise of life that has been given to them.

 

We are today's disciples. Our mandate is the same: to speak by our words and deeds the love of our God, and most of all, to rejoice, because he has called us and gifted us with such abundant life.

 

Let's go
Today's Gospel also invites us to reflect on the journeying with Jesus in his own land, up to the Holy City of Jerusalem, not only in our Christian lives of disciples, but also as pilgrims in history. Beginning today and continuing next week, I would like to offer some reflections on the meaning of pilgrimage or holy journey.


The phenomenon of the "holy journey" was known a long time before the Christian era and precedes even the Jewish tradition of pilgrimages. Devotional trips have always been related to the ancient reality of "holy places" or "sanctuaries." Such "holy places" or "sanctuaries" were considered sacred because the places acknowledged a presence of a superior power which subsequently became an object of worship. In ancient times people journeyed individually as well as collectively to the "shrines" where they performed special acts of worship for devotional, penitential or votive reasons.

 

It is very likely that in the first three centuries Christians did not make pilgrimages to the Holy Land if we understand them as devotional journeys toward a holy place. It seems that a reluctant attitude towards pilgrimages in early Christianity was due to basically two factors: political and religious. The lack of recognition of Christianity, which was practically an underground life in most of the Roman Empire, was a highly discouraging fact in the recognition and veneration of holy places.

 

From the writings of a Christian apologist from the second century, Justin Martyr, we learn that despite the widespread pagan custom of making therapeutic pilgrimages to the sanctuaries of Aesclepius, Christians did not practice it, because Christ was the unique healer of bodies and souls.

Although these factors portray a rather negative attitude of the first Christians towards Holy Land pilgrimages, we do have some information concerning sporadic journeys. Those journeys however appear to be classified more as scholarly trips than as pilgrimages.

 

Tracing the footsteps
The first, as far as we know, was made in 160 A.D. by Bishop Melito of Sardis. He wanted to acquire some details about the names and order of the books of the Old Testament. Another scholarly trip was made by Origen when he came from Alexandria to the Holy Land circa 235 A.D. Before settling down in Caesarea, he decided to retrace "the footsteps of the prophets, Jesus and the Apostles."

 

Probably the first attested pilgrim in the real sense of the word dates back to the year 216 A.D., when a bishop of Cappadocia, Alexander a future bishop of Jerusalem , arrived in Jerusalem to "pray and know the holy sites." Therefore, in the first three centuries, besides a few sporadic cases, we cannot talk about the practice of pilgrimages neither to the Holy Land nor to any other places.

 

The scenario shifted quite drastically after the year 313 when Christianity obtained the status of the legal religion of the Empire. The Golden Age of the Holy Land had begun. The Holy Land itinerary gave the origin and idea to all the other devotional journeys. It seems that the perspective of knowing the biblical sites overshadowed the previous reluctant attitude towards pilgrimages. In fact many people enthusiastically and courageously overcame the hardships and risks of long and perilous travel, and set out for a holy and exciting trip toward the earthly homeland of the Lord.

 

Eusebius of Caesarea, a fourth-century Christian historian, portrayed Helena, the mother of the first Christian emperor, as the noblest of all Holy Land pilgrims. Eusebius asserts that Constantine wished to be baptized in the river Jordan like Christ. We unfortunately do not know if the emperor's desire was fulfilled and whether he came to the land of the Bible. The Emperor Constantine and his mother Helena played very important roles in the life and history of God's land.

 

These reflections will be continued next week.

 

 

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